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第十一話 彼にとっての悪夢

「日没まで時間をやる。それまでに必ず戻れ」



 そう言って船長はルチルを送り出した。

 リオ、アンドレを伴ってルチルが向かったのは、例の集合住宅だった。


 内部は特に変わったところのないアパートの一室。

 そこに二名の軍人が身を潜めていた。


 奇襲は簡単だった。

 ルチルがゲルダの声色を真似て扉を開けさせると、すぐに二名を縛り上げた。

 リオが片っ端から資料や書類を漁るものの、それは私掠船や軍事兵器に関するものばかり。

 探していたのは、生体実験についてだった。



「おい! 貴様ら! こんなことをして、ただで済むと思うなよ!?」


 軍人が喚いていたが、リオはそんなこと意にも介さずに無心で資料を探し続けていた。


「ない! ない! どこにもない!! おい、お前ら! 生体実験って、生体実験って何なんだ!?」


 リオは軍人に詰め寄ると、肩を激しく揺さぶった。


「おいおい、まさかお前、そんなもんの資料がこんな場所にあると思ってるのか? おめでたいな!」


 壮年の軍人。立派な髭を蓄えた巨漢がそう吐き捨てた。


「…………!?」


 リオは息を飲むだけで、言葉を発することすら出来なかった。


「何だかよく知らないが、ここは単に海賊を軍部に引き込む為だけに置かれてるただの詰所にすぎん。残念だがお前らの探してるような重要情報なんて置いてあるわけがない。無論、俺達もただの一兵卒だ。何も知らんぞ」

「ちくしょう!!」


 リオに突き飛ばされ、軍人の一人が床に這いつくばった。


「それよりも、お前ら。俺達にこんなことして、本当に只で済むと思うなよ。すぐに本国から討伐隊を呼び寄せるからな」


 寝転んだままの軍人のそばに歩み寄ったルチルが、おもむろにその背後にしゃがみこんだ。



「ねぇねぇ、おじさんさぁ。もしここが見付かったらさぁ、海賊の楽園のど真ん中で見付かったらさぁ、ごーもんとか、そーゆーの、いっぱいされちゃうよねぇ。

でもさぁ、ただのペーペーがこんなとこでそんな目にあったら、きっとすぐに根を上げちゃうんじゃないかなぁ。

それにさぁ、ただの詰所にゲルダみたいなのが寄るかなぁ。

私が親玉だったらさぁ、こぉーんな危なくて重要なとこに、信用ならない人は置かないよねぇ。

おじさんさぁ、将校だよねぇ?」


 完全なる死角に入り込んだルチルの声だけが、軍人に降り注いでいた。


「バカ言え。俺はただの一兵卒だと言ったろう」


 が、軍人はつまらなそうに言い捨てるだけだった。


「そうかなぁ? んじゃーさ、ちょっと痛い目、みるぅ?」


 ルチルの声は更に降り注ぎ続けた。


「ふん! 俺は何も知らん! やるだけ無駄だ。それに、拷問や死が怖くて軍人などやっていられるか!」


 男の言うことは尤もだった。

 それが軍人なのだ。


「そっかそっかぁ」


 脅しは通用しない。そう悟ったのだろう。

 ルチルの声色が、深く沈み込んだ。


「じゃあさぁ、私がおじさんの頭をパカーンって割ってさぁ、ノーミソをクチュクチュやってさぁ、知ってること、ぜぇんぶ喋らせちゃおうかなぁ。本当はさぁ、生体実験のことだけ知りたいんだけどぉ、他のこともいっぱい知っちゃうかもねぇ」

「な!? そんなこと出来るわけないだろう!」


 遂に男に焦りが生まれた。

 確かにそんなこと、普通に考えれば出来ないだろう。

 が、ルチルの声は、


 普通ではなかったのだ。


「あー、リオにアンドレ。ちょっとあっち向いててねぇ」


 二人にそう言ってから、軍人に振り返る際の一瞬。

 リオは見てしまった。

 ルチルの表情を。


「出来るかなぁ? 出来ないかなぁ?


やってみないとぉ、


分からないよねぇ。


もしやってみてさぁ、


出来たらさぁ……」



 そこまで言った後、ルチルはおもむろに男の背から覆い被さるようにして、その顔を覗き込んだ。

 黒髪が、男の顔に纏わりついた。

 ずるりと。


 そして一言。

 こう続けた。



「どぉするぅ?」



 ルチルの想像通り、この男は帝国の将校だった。

 しかもただの将校ではない。

 ゲルダの腹心であり、共に戦場を駆け抜けた歴戦の英雄。

 と同時に、この世の誰よりも人をなぶり、誰よりも人を殺めてきた殺戮者。

 それ故に男の言葉に嘘偽りはなく、死を身近なものとし、死は誰にでも訪れるものとして受け入れているような男。



「……分かった。話す。」



 そんな男が、あっさりとルチルの脅しに屈した。

 ルチルが顔を上げた時には、男の顔は、まるで生きる気力の全てを失ってしまったかのように枯れ果てていた。

 一体何が起こったのだろうか。

 分かることは、ルチルが男に見せたその表情が、男を一瞬にして老いさせるほどに恐怖を与えたということだけ。

 どんな顔をして見せたのか。


 それは、男にしか分からない。


 言えることはただ一つ。

 ルチルの存在は、彼にとっての悪夢だった。




「そぉそぉ。別に私達ぃ、国家転覆とか企んでるのわけじゃないんでぇ、余計な情報とか要らないんだよねぇ」


 ルチルの演技力の前に屈した軍人は、生体実験について語り始めた。



「貴様らが知っての通り、ゲルダは科学技術部門が生み出した強化人間だ。

人買いに子供を集めさせ、薬品を投与し、身体能力や知能を高めるための実験台としていた。

様々な動植物から抽出した成分を掛け合わせ、人間の細胞との同化を試みていたが、大概は適合せず精神崩壊を引き起こしたそうだ。

完成までに千人を越える子供が失敗例として処分されていったと聞く。

ゲルダは遂に現れた、唯一の成功例だ。

人を超える叡智を得るに至った。

しかし、得られた知性と引き替えに、その精神は著しく不安定になり、狂暴性が格段に増したと言う。

六歳から実験が始まり、五年かけて適合者となり、その後は実験の存在を隠す為、施術前から施術後、士官学校入学までの全ての記憶を消去され、新たな記憶を刷り込まれた。

十一歳で士官学校に入学し、過去最高の成績で卒業するとそのまま憲兵として入隊。というのが表向きの経歴だが、その裏で、ゲルダと関わったほとんどの学友や教師が自殺や失踪などで姿を消したそうだ。

話すべきことは話した。早く俺達を解放しろ。」


「オッケー。ごくろーさま。疲れたでしょー? ちょっとおネンネしときなよぉ」



 ドスっ!


 ルチルが言い終わる前に、アンドレが当て身を喰らわせると、軍人は呆気なく失神してしまった。



「だから、だから姉さんは僕のことを忘れてしまっていたのか!!」

「まぁー、今の話を総合すると、やっぱゲルダはリオのおねーちゃんで間違いないみたいだねぇ」


 ルチルの声色は冷たかった。

 悟っていたのだ。

 この軍人は『細胞との同化』と言った。

 彼女の細胞は既に動植物と一体化している。つまるところ、ゲルダは強化人間という名のキメラと化したのだ。

 ならば、あの異常な戦闘力も頷けるし、自分に勝ち目がないのも理解出来る。更に言えば、もはや元のゲルダに戻ることなど出来ないこともまた、理解出来たのだ。


「問題はどうやって奴に記憶を取り戻させるか、ですかね?」

「僕は、僕は必ず姉さんの記憶を取り戻させてみせます!!」

「いや、気合いだけでどうにかならねぇだろ。そろそろ日没だ。とりあえず船に戻りやしょう。っと、こいつらどうしやす?」


 詰所の資料棚を漁るルチルの背に向かい、アンドレが問い掛けた。


「えー? ほっとけばいいんじゃん? このままドア開けておけば、誰かが見付けるでしょぉー。海賊の誰かがさぁ」


 振り返ったルチルが手にしていたのは、あまり馴染みのない世界地図だった。


「帝国製の地図も見付けたしぃ、さっさと引き上げましょーかねぇ」

「強化実験されてもいねーのにあんな悪どい脅しを考えつくとか、あんたが一番恐ろしいわ」


 アンドレが呆れた様に言った。


「そんな褒めんなよぉー」


 ルチルは笑うだけだった。

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