第十話 怒りとは
「汚いぞ!! スクードは関係ないだろうが!」
思わずトマシュが声を上げた。
自分でも間抜けだと分かっている。
それでも、このやり場の無い怒りをぶつけないと気が済まなかったのだ。
そして発した一言。
「一体何がしたいんだ!?」
その質問にゲルダの表情が一変した。
先程までの狂気に満ち溢れた笑顔は消え去り、言い様のない不思議な視線でトマシュを見つめていた。
「何が? 決まってますわ。あなた方が二度と私に逆らえないよう、人質とするのです」
ゲルダの殺意が大きく膨れ上がった。
それまでの狂気などは子供騙しに過ぎないと痛感するほどの、凄まじい殺意が。
トマシュがエストックを抜いた。
先程のルチルとの攻防を見る限り、恐らく刺し違える覚悟を持って臨めば可能性はある。
純粋な勝ちの目は難しいだろう。
トマシュの全身からも殺意が噴き出そうとしていたその時だった。
マストから吊り下げられたロープを使い、ユーゴーがハイバリー号の甲板に乗り移ってきた。
「あら、船長。何しにいらしたの?」
不機嫌そうにゲルダが吐き捨てた。
「お前さんを迎えに来たんだろ? 世話の焼けるお姫さんだ、まったく」
「あら、そうでしたの。ご苦労様」
言葉とは裏腹に、ゲルダは不快さを隠さなかった。
「この勇者さん、重いから置いていきますが、ちゃんと連れて戻って下さいね?」
「分かった」
ロープの端に括りつけられた木片にゲルダを乗せてやると、ユーゴーは反動をつけて押し出した。
「おい、ユーゴー!」
そんなユーゴーにトマシュが声を掛けた。
「なんだ?」
「あいつはまだ、帝国の軍部と繋がってるんだぞ! 分かってるのか!?」
「そのようだな」
その返答にトマシュは怒りと共に悲しみに打ち震えるしかなかった。
ユーゴーはそれを分かった上で、ここまで非道な行いに手を貸してると言うのか。
「正気か?」
「ふん。俺達が海賊としての武力を上げる為にも、あの国の軍事力を取り込めるのなら願ったりだ」
「やっぱりお前、まだ諦めてなかったのか」
「当たり前だ。海賊は俺の天職だぜ? 商人として財をなし、下地を作って仕切り直しだ。そのためには魔界軍師の力が必要なんだよ」
「奴は危険すぎる。逆に取り込まれるぞ?」
トマシュはエストックを真っ直ぐに持ち上げた。
鋭い切っ先がユーゴーを責める様に指し示していた。
「させない。今はまだイカれたままだが、その内変えて見せるさ」
その言葉に、トマシュの顔が強張った。
「おいおい、まさか、惚れてんのか?」
こいつらが男女である限り、その可能性は無しではない。それはトマシュも頭の片隅で感じてはいた。
ユーゴーは、表情の一つも変えずに静かに返してきた。
「どうだろうな。だが、奴の経歴を知っちゃあ、放ってはおけないだろう」
「経歴?」
また厄介な文句が飛び出してきた。
「奴は、軍部の生体実験の犠牲者だ。人間を強化する実験で薬品を投与され、高い知能と引き替えに精神が不安定になったらしい。そんなの知ってしまったら……なぁ?」
それはやはり、厄介でしかなかった。
ルチルなら一瞬で断罪し切り捨てるだろう。トマシュですら同じ考えには至る。
だが、心はそうはいかない……
「お前、バカだろ」
鈍く煌めくエストックが鞘へと納められた。
「ふん、何とでも言えよ。お前ならどうする?」
「俺なら関わらない!」
ビアンコパーシー海賊団の新旗艦であるオール・ハロウズ号から、今度は空のロープが投げ渡されてきた。
「よく言うぜ。ま、そーいうこった。悪いが、ほとぼりが冷めるまで勇者は預からせて貰うからな。取り返しに来ようなんて思うなよ? 次こそ本当に殺す」
ロープに掴まり、飛び乗りながらそう言い残すと、ユーゴーは自らの船へと戻っていった。
「くそ!」
トマシュはその怒りを、虚空へと吐き出すしかなかった。
―――目を覚ましたルチルは、荒ぶる女神の如く怒りに狂っていた。
よもや正気を失ったかと勘ぐるほど、荒ぶった。
この聡明で穏やかな女性が、ここまで狂うなんて。
「そっとしておいてやれ」
船医のイェンスに諭され、トマシュはルチルの部屋の扉を閉めた。
そして誰も近付かないよう指示を下すと、全員で甲板へと出た。
ゲルダによって手傷を負わされた手下達の手当てをしながらルチルを待った。
階下からは、呻くような、噛み殺したような、獣のような声だけが響いていた。
それは次第に嘆きに変わり、次第に薄れていき、いつの間にか沈黙へと変わっていた。
「ちょっと様子を見てくるか。まさか自傷なんてしちゃいねぇとは思うが、心配だからな」
トマシュはイェンスに目配せをした。
船医の同意を確認すると、ゆっくりと腰を上げた。
クォーターデッキ下の扉へと手を掛けたのと同時だった。
「お待たせ致しましたぁ」
中からルチルが現れた。
その様相は普段と変わりないもの……様相だけは。その瞳は、誰の目に見ても真っ黒に光り輝いていた。
「策は決まったよ」
ゆっくりとした口調で声を発した。
「策? ってことは、真正面から仕掛けるとかそういうことじゃないんだな?」
トマシュは安堵していた。
もしここでルチルが自我を失い、捨て身で攻めるとでも言うのなら、戦ってでも止めるべきだと思っていたからだ。
「おーよ。そこまで落ちぶれちゃいませんよーだ。あいつらなんて、もっともっと、泣いて謝るくらいにコテンパンにのしてやらんと気が済みませんからねぇ」
否。十全に自我は失っている。
が、それでも、それでもこの程度の怒りで済んでいるならば。
トマシュは譲歩し、策に耳を傾けた。
「あいつらがスクードを人質するってんなら、こっちもあいつらの一番大切な物を人質にしちゃるわ。人質交換でスクードを取り戻す」
「そりゃ、なんだ?」
その問いにルチルは微笑んだ。
「赤い大陸に眠る霊薬だっけ? それをあいつらよりも先に手に入れちゃる。それとスクードを交換よ。もし応じなければ、霊薬なんか根こそぎ燃やし尽くしてやるかんね」
やめろよ……
トマシュの正直な気持ちだった。
そんなこと言うなよ。
お前のそんなところ、スクードに見せられないよ。
「分かった」
が、トマシュは頷くだけだった。
彼は気が付いていない。
それが、敵と目すユーゴーとまったく同じ結論だとは。
「ですが姐さん、赤い大陸なんてどこにあるのか分からねぇんですぜ? 一体どうやって奴らより先に手に入れるんですかい?」
問い掛けたのはアンドレだった。
「さっきの帝国軍の詰所、あっこを攻めようと思いまっす。あっこなら少しは情報あるだろうし、何よりも、あのサイコ自体について調べないとならんからねぇ」
言いたいことは分かった。
ルチルはゲルダに完敗したが、あんなもの、とても人間の動きとは思えなかった。
ユーゴーの言っていた『薬物による強化』。そこも調べなければならないと、ルチルは暗に語っていたのだ。
「姉さんについて調べるんですね!?」
ここで声を上げたのは、他でもないリオだった。
「おーよ、リオ君。君とは利害が一致してるからねぇ。今なら君が犯した罪も不問に伏して、協力するのを認めてあげるよぉ」
ゾッとするような笑みを浮かべ、ルチルはのたまった。
「分かった。お前らに少しの時間だけ与えてやる。だが、アンドレを帯同させるぞ? 無茶だけはするな。いいな?」
トマシュの言葉に、ルチルとリオは大きく頷いた。
トマシュは内心で頭を抱えていた。
怒りとは、かくも人を狂わせるものなのか。
スクードに合わせる顔がない。
トマシュの心は今、握り潰される様だった。




