第三話 キャットファイト
「ん? おい、これ、なんかスクードっぽくないか?」
図書館に入ってから数時間が経とうとしていた頃だ。
普段から本など読み慣れていない海賊達の集中が完全に途切れた頃、浅薄ではあるが航海日誌を書かなくてはならない関係で読書の習慣がある唯一の男、トマシュが一冊の本を差し出してきた。
「なんです? また精霊術と精心術を混同して話してるんじゃねぇんですか?」
実はトマシュは先程から何度もこんな感じで本を差し出してきてたのだ。
散々それに付き合わされ、隣で面倒を見ていた海賊達も対応が雑になってきていた。
その中で、唯一ちゃんと対応してくれる者が一名。
最年少の美少年、リオだった。
「どれですか? ええと、『ランス・オルランダー戦記』ですか。確か二百年前の勇者の伝記でしたっけ。魔族が初めて魔澪大陸から侵出して来た時代、精霊術を編み出した英雄のうちの一人でしたよね」
「見てみろ、ここの辺りを。ランスが初めて精心術を発現させた時のくだりだが、こいつもしばらく昏倒したみたいだぞ。スクードと同じじゃないか?」
船長が指差したページ。そこには確かにそういった旨が書かれていた。
ランス・オルランダーは精心術の発現により、長く意識を失ったという。
この世のあらゆる秘薬、霊薬を持ってしても、かの大魔術士は目覚めることはなかった。
大魔術士の弟子達は長い年月を掛けて世界中を旅して回り、そして遂に見付けた。
赤い大陸の奥深く。
小さな祠にそれはあった。
【オーロ・エル・ラ・ムー】
そうしてランス・オルランダーは目覚め、精霊術の開発に残りの半生を捧げた。
自身の様に、精心術を発現させることで生ける屍となる者を、二度と出さないために。
「すげぇ。お頭のくせに、こんなもの見付けられたんですね!」
「だろ? かなりいい線いってるだろ!?」
リオの発言はまさしく罵倒でしかないのだが、それでもトマシュは喜んでいた。
なら仕方がない。
アンドレを始めとした海賊達は、皆一様にして口を閉ざした。
掘り下げると面倒だから。
「しかし、なんとも謎だらけな伝承でさぁ。『赤い大陸』に『オーロ・エル・ラ・ムー』か。どこにあって、一体それが何なのか、見当も付きやせんぜ」
アンドレは頭を抱えた。
「ま、ルチルなら何か分かるかもしれないからな。とりあえず帰ってくるのを待とうぜ。にしても長い便所だな。うんこか?」
ああ見えても下ネタが苦手なルチルが聞いたら半ギレでは済まされない発言をしながら、トマシュは伸びをしていた。
海賊達も、慣れない読書に全員が疲れを感じていた様で、各々が体をほぐし始めている。そんな時だった。
ゴオォン!! ガタ! ガラガラガラ!!
激しい破砕音が閲覧室に響き渡った。
見ると、い並ぶ本棚がなぎ倒され、納められていた本達は崩れ落ち、もうもうと埃を巻き上げていた。
その中心で倒れていたのは……
「「姐さん!?」」
ルチルだったのだ。
「ぐぬぬぅ!! やったなぁ!!」
未だになだれ落ちる本達を払いのけながら、ルチルはゆっくりと立ち上がった。
「ルチル!?」
助け起こすために駆け寄ろうとしたトマシュには目もくれず、ルチルは入り口の方だけを睨み付けていた。
「私に本気、出させたなぁ! やっちゃうぞぉ! 私、やっちゃうからねぇ!」
「何してるんだ!? お前!」
もがくルチルを引っ張り上げたトマシュの耳に、聞き慣れない声が聞こえてきた。
見ると、入り口に立っていたのは、見たこともない銀髪の美女の姿だった。
「にゃっはっはぁ。ご託は結構よ。やるなら掛かってらっしゃい」
ルチルを挑発する様に手をこまねいているその顔には、戦慄するほどの狂気が満ち溢れている様に思えた。
「おい、なんだ!? あのねーちゃんは!」
トマシュが問い掛けた時には既にルチルの姿は無かった。
一瞬で銀髪に詰め寄ると、掴み掛かっていった。
「あらやだ」
が、ルチルが到達するよりも更に速く、女はルチルの顔面に拳を叩き込んだ。
「にゃあ!」
首だけを傾け、すれすれでインパクトを避けると、ルチルは女の腕を絡め取る。驚いたのはその後の動きだった。
がっちりと腕を固めると、その腕を引きながら足を振り上げた。
もちろん、腕に全体重を掛けられた女は前のめりに倒れ込む。そのまま飛び上がって肩に足を回したルチルは、自らの体を軸に女の体を巻き上げた。
ぐるりと回転し、女の体を床へと叩き付けた時には、その腕はルチルの両足にがっちりと挟み込まれていた。
見事なまでの飛び付き腕ひしぎ逆十字固めの完成だった。
そのあまりにも華麗な動きに、トマシュ達は思わず息を飲んだほどだ。
が、驚くべき光景は更にその先にあった。
ルチルの技は瞬時に極った。
ここから抜け出すのはほぼ不可能。多少なりとも間接技を噛ってる者であれば、一目で分かるほどに完璧に極っていた。
銀髪の女は無理やり腕を引き上げると、絡み付いたルチルを頭から床に叩き付けたのだ。
「いったぁーい!!」
たまらず悲鳴を上げたルチル。その拍子に力が緩まった様で、女はスルリと腕を引き抜くと、倒れるルチルの両腕を膝で押さえ付け、馬乗りになった。
「にゃは。残念でしたわね!」
今度は逆に、完璧なマウントポジションを取られてしまっていた。
女は、笑いながら拳を振り上げた。
「おいおいおいおい! マジかよ!?」
ルチルは腕を固定され、防ぐ術を持たない。このままあれが振り下ろされたら一貫の終わりだ。
たまらずにトマシュが女に躍り掛からんとし、アンドレが間合いを詰めようと空気に隙間を作ったのと同時だった。
「やめとけ」
女の手首が何者かによってガッチリと掴まれたのだ。
「それ以上は弱い者いじめってもんだ」
いつの間にあそこまで二人に近付いたのか。あまりにも高度な格闘の連続に面食らい、気付くのが遅れていた。
トマシュは息を飲んだ。
「あら、船長。それ、セクハラよ? 訴えられたくなかったら、示談金を一万G用意なさいな」
船長と呼ばれたその男をトマシュはよく知っていた。
トマシュとは正反対に、とても大きな体躯。褐色の肌を持ち、顔つきも体つきも全てが岩のようにゴツゴツとした印象で、中でもその顎の大きさには目を引かれるものがあった。
「はっはっ! まったくとんでもねぇ守銭奴だぜ。うちのお姫様はよぉ」
豪快な笑い声を上げるその男の名を、トマシュはようやく捻り出した。
「ってめぇ、ユーゴー……」
男はトマシュへと向き直った。
「久しぶりじゃねぇか。負け犬野郎のトマシュさんよぉ」
その目には、明らかに怒りの炎が宿っていた。




