第二話 海賊の楽園
海賊の楽園。
地図にも載っていない、世界の果て。
魔族達の蠢く、寄り付く者の無い魔澪大陸の北側に位置する、無人島が連なる列島の中のひとつ。
孤島の国と密林の国とを結ぶ航路は魔澪大陸を避けるように取られており、魔澪大陸にあまりにも近過ぎるこの列島もまた、必然的に人を遠ざける。
そして、誰も寄り付くことの無い最果ての入江に、その町はある。
世界中の海賊達の聖地であり、裏社会の情報や物流の集まる中心地。
遠浅の地形を利用し、海上に足場を張り巡らせて作り上げた水に浮かぶ町。
それがこの、海賊の楽園だった。
世界最速の帆船ハイバリー号は、通常であれば一ヶ月は掛かるこの町への航行を、たったの半月で駆け抜けていた。
今、ルチルを伴ったルージュカノン海賊団の姿は、この町の外れにある寂れた図書館にあった。
「あー、楽しいねぇ、変な本がいっぱいあって楽しいねぇ。いつまでも読めちゃうねぇ」
そう言いながら凄まじい速度で蔵書を読み漁るルチル。
その脇では、微力ながらもとそれに協力する海賊達。
「くっ、ええと、この単語はなんて読みゃいいんだ? ええと……ペルソナリティ……か。ペルソナリティってのは何だ?」
が、中には微力にも満たない男もいたが。
「知りませんよ、お頭ぁ。てか、あんた王族だったくせに何でそんな浅薄なんですか?」
「むしろ今が海賊だから船舶なんだろーが。訳分からんことを言うな!」
若手のリオにからかわれるも、むしろからかわれてるとも思ってないトマシュの反論に、アンドレは頭痛を感じていた。
「ごめん! みんな! もうクヨクヨしないから、いつもどーりに楽しくいこー!」
出航の日、私室から出てきたルチルはすぐにこう言って明るく振る舞っていた。
もちろん強がりだってことは誰の目にも明らか。とは言え、彼女が皆に気を遣わせまいとしているのも明らか。
その気持ちを汲んで、彼らはいつも通りに陽気に賑やかに、日々を過ごすことにしていた。
流石は海賊しかいない町。
図書館に彼ら以外の利用者などはいるはずもなく、彼らは騒ぎ放題の貸し切り状態で本を読み散らかしていた。
そんな中、ルチルが机から立ち上がった。
特に変わった理由もない。単純に喉が渇いたから、水を取りに行こうとしただけだ。
閲覧室の出入り口まで近付いた時に、彼女のセンサーが反応した。
「くんくん。なんか、百G金貨の匂いがしますねぇ」
ルチルの特技は金儲けだ。こと、金に関しては相当な執着心を持っている。
「どこかなぁ? 金貨ちゃん。おねーさんのところへおいでよぉー。あっ! あったぁ!」
部屋から出た通路に百G金貨が光っているのを見付けたルチルは、まるでおもちゃを見付けた子供の様な勢いで部屋から飛び出した。
「ルチルさんは ひゃくごーるどを てにいれたぁ」
ルチルさんが金貨に飛び掛からんとしたその時だった。
「あら。金貨発見ですわ」
ダンっ!
真っ黒いブーツが金貨を踏みつけた。
「#〒§□△△△‡※■&▲△■§■っ!!!」
ルチルの手ごと。
「なに? 異界の呪文?」
「手! 手! 私の手、踏んでるからぁ!!」
「あら? 失礼」
笑いながら、女はルチルの手からブーツを持ち上げた。
「あなた、いつの間に私の足の下に手をお入れなさったの?」
「ちがうでしょぉー! あなたが私の手を踏んだんでしょぉー!」
「あら? そうなの? それはごめんなさいね」
しゃがみ込み、手に息を吹き掛けながら抗議の声をあげるルチルを尻目に、女はゆったりとした物腰で金貨を拾い上げた。
直毛の銀髪を背中まで伸ばしている。
美人ではあるが、ルチルのようにすました感じではなく、愛嬌のある顔つきだ。
草原の国でよく見る凹凸の少ない造形。
鼻の上にはちょこんとした小さい丸眼鏡を乗せている。
薄紅色のロングワンピースの上にラベンダー色のカーディガンを羽織り、首元から胸にかけて、ワンピースと同じ色をした細身のストールを垂らしていた。
とても背の高い女性で、一般的にはかなりの長身であるルチルよりも更に頭半分ほども大きいのが見てとれた。
「ラッキー。百G拾っちゃいましたわ」
指でつまんだ金貨を顔の前でクルクルと回しながら、銀髪の女は嬉しそうに笑っていた。
「あぁー! それ! 私が見付けた百Gだよ!」
ルチルが素早く手を出すも、女はそれを読んでいたかの様に手を引っ込めた。
「にゃは。でも、先に拾ったのは私ですわ。ですからこの金貨は私のものよ」
金貨をカーディガンのポケットに滑り込ませながら、女はルチルに微笑みかけた。
「ズルい! あなたが私の手を踏まなければ、私のものだったのにぃ!」
「そんな事言ってもダメよ。先に拾った者勝ちですわ」
「ぐぬぬぅ!」
ルチルは返す言葉を失っていた。普通の人間ならば言い返せるのだろうが、この価値観に関して、ルチルとこの女の意見は一致しているのだ。
だからこそルチルも納得せざるを得なかった。
「ふふふ。私が足を上げた時に、金貨を拾ってしまえば良かったのに。手だけ引き抜いたあなたの負けですわね」
「分かっててやったなぁ。なんて卑劣なぁ」
「恨むならご自分のお間抜け加減を恨むのね。
それでは、ごきげんよう」
女はそう言い捨てて踵を返し始めた。
が、ここまでコケにされれば、やはりルチルも腹の虫が収まらない。
「ちょぉっと待てぇーい!」
「まだ何かご用かしら?」
女は振り返った。
「まだも何も、話しは終わってないからぁ!」
食い下がるルチル。
そんなルチルに、女はゆっくりとにじり寄って来た。
「しつこい人ねぇ。これ、差し上げるから、もう諦めなさい。それで何か美味しいものでも召し上がるといいわ」
そう言って、女はルチルの手に何かを握らせた。
「お、美味しいもの?」
って、
「スプーン…………」
「にゃははぁ! それじゃ、ごきげんよう! おバカさん!」
「だから、待てぇって言って……うげっ!!」
ルチルの呼吸が止まった。
まさかだ。
まさかいきなり、こんなことが起こるとは、ルチルと言えど予測がつかなかった。
女は、ルチルの腹部に思い切り膝を叩き込んだのだ。
しかも凄まじく重たい膝蹴りを。
ドサっ!
ルチルはその場に膝から崩れ落ちたのだった。




