第十七話 奇跡。その後に
そこでようやく俺は状況を理解した。
なんせ、じぃさんの脇腹から血が噴き出したんだからな。
俺は長髪の男に視線を移した。
そいつは俺を見下ろしていた。
「お前なんか、お前なんか死んでしまえ!!」
あまりの出来事に、海賊達も一瞬動きが鈍ったみてぇだ。
止めに入るのも間に合わなかった。
当の俺ですらも反応が遅れた。
長髪はナイフを振りかざすと、思い切り俺に突き立てた。
湿った、鈍い音が辺りに響き渡った。
俺は目を疑った。
その場にいた誰よりも速かった。
俺を抱きかかえるように覆い被さったんだ。
ナイフが突き立てられたのは……
「ルチル!!」
俺はその名を叫んだ。
長髪の腕を振り払うと、何事もなかったようにルチルはスッと立ち上がった。
その背中には深々とナイフが突き立てられていた。
「ごめんね」
月明かりを背に、ルチルは静かに呟いた。
「う、うわ、うわぁー!!」
長髪の男は発狂したかのように雄叫びをあげると、ルチルに向かって突進した。
「ありがと。きっと好い人が見つかるから」
ルチルが駆けた。
数歩だけ駆けてから、まるで燕が空を自由に飛ぶように宙に舞い上がると、向かってくる長髪の首を太ももで挟み込んだ。
そのまま倒れるように上体を反り返した。
ルチルの体重と自らの勢いに引っ張り上げられるように、長髪の体は空中に巻き上がった。
ルチルは地面に両手をつくと、勢いよく体を捻った。
長髪はルチルの体を軸に弧を描きながら宙を舞い、背中から叩きつけられると、ぐったりと動かなくなった。
そして、ルチルもまた、動かなくなった。
「イェンス!!」
船長の怒号が響いた。
「まずいぞ! 早いところ手当てしないと!」
「そこのクソ野郎をどっか捨ててこい!」
「どこか治療出来る場所に運べ!」
「バカ野郎! 動かすんじゃねぇよ!」
「傷はそんなに深くねぇぞ!」
海賊達の声が入り乱れ、忙しなく走り回っていた。
俺はゆっくりと這いながら、ルチルの元へと近付いていった。
ルチルの顔を覗き込んだ。
「おい、ルチル。しっかりしろよ。嘘だろ? また悪ふざけしてんだろ? なぁ、起きろよ」
「すぐに手当てすればじぃさんは助かるぞ! ルチルを看せろ!」
船医のイェンスは俺を押し退けると、ルチルの服の背中の部分をハサミで切り裂いた。
長髪を叩き付けた衝撃で、背中のナイフは抜け落ち、傷口からはおびただしい量の血が流れ出ていた。
「こいつは、心臓まで届いてる。おいスクード、傷をしっかり押さえとけ。動かすと逆にまずい」
イェンスはそう言うと立ち上がり、踵を返そうとした。
「ちょっと待てよ!!」
俺はイェンスに向かって吠えた。
「どこ行くんだよ!?」
「じぃさんの方がまだ助かる可能性は高い。じぃさんから処置する」
その一言に、俺は激昂した。
「ルチルを見捨てんのかよ!? 医者だろ!?」
「医者だよ、バカ野郎!! 医者だから、助かる命をまずは助けるんだ、バカ野郎が!! すぐに戻るから、今は堪えろ!」
「てんめぇ!!」
反射的にイェンスに掴み掛かろうとしたが、それを止めたのはアイザックだった。
「スクード! 落ち着くんだど!」
「ふざけんな! 離せ! 離せよ!」
「スクード! 黄昏の雫はもうないんだど!? あれなら、おでみたいに姐さんも助けられるんじゃないんか!?」
俺の体をがっちりと掴まえ、必死の形相で投げ掛けるアイザック。
だが、そんな心遣いだって、今の俺では受け入れられなかった。
「そんなんねぇよ! 全部使っちまった! もうねぇんだよ! ふざけんなよ! ルチルが死んじまうよ!」
「アイザック。すまんが、そいつを押さえててくれ。こっちのじぃさんの処置が終わったらすぐに戻る」
そう言い残すと、イェンスは担架代わりの木の板に乗せられたじぃさんの元へと走って行った。
じぃさんの体は船長達に担がれて、一番手近にある家屋へと運ばれていくのが見えた。
「放してくれ!」
アイザックの腕を振りほどくと、俺は急いでショルダーバッグをまさぐった。
鞄から綺麗なタオルを引っ張り出し、そいつでルチルの傷口を力いっぱいに押さえた。
血は流れ出なくなったように見えるが、タオルは真っ赤に染まっていく。ぐったりと倒れるその横顔から、みるみるうちに血の気が引いていくのが分かった。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!! 嘘だって言ってくれよ!!」
ちくしょう。なんなんだよ。
なんでこうなっちまうんだよ。
せっかくまた会えたのによ。
なんで俺は何にもできねぇんだよ。
俺が密林の国で生き延びられてたのも、お前のお陰なのに。
まだ恩返ししてねぇのに。
なのに、お前にばっかり辛い想いをさせちまったままじゃねぇか。
俺のためになんか動いてくれなければ、こんなことにならなかったじゃねぇか。
なのに、お前が死ぬんじゃねぇよ。
お前が死んだら俺は、俺は。
なんで俺は何にもできねぇんだよ!
死ぬな。
死なないでくれよ。
「ルチル!」
無意識に俺はルチルを抱きかかえていた。
「死ぬな!」
強く抱き締めた。
「そんなに強くしたら痛いよぉ」
胸に抱きかかえたルチルから、微かな声が漏れ聞こえてきた。
「喋るな。もう喋るな」
俺は首を振った。
「スクードは本当にすごいねぇ。いつの間にこんなこと出来るようになったのぉ?」
「ルチル、無理するな。本当に死んじまう」
「どぅへへ」
ルチルは小さく笑いながら俺の手を握ると、自分の背中の方へと回させた。
血でヌルヌルした感触がする。
ルチルに導かれた俺の手は、それだけしか感じなかった。
「傷が……」
「ほら、治ってるでしょ?」
俺は勢いよく顔を上げた。
腕の中に横たわるルチルがにっこりと微笑んでいるのが見えた。
俺は驚いてルチルの背中を手で擦ったが、血の感触と少しザラザラした感触以外には何も感じられなくなっていた。
「くすぐったいよぉ。でもほんと、スクードはすごいねぇ。君のお陰でまた生き延びちゃったよ」
か細い声で呟くと、そのまま俺の胸に体を預け、ルチルは静かに目を閉じた。
にっこりと微笑みながら。
「無事か!? まだ生きてるか!?」
船長達が木の板を抱えて駆け寄ってきた。
俺はゆっくりと顔を上げた。
「もう、大丈夫だ」
皆が慎重にルチルの体を木の板に乗せた。
その時、ハサミで切られた服の隙間から背中が覗いた。
ナイフで刺されたはずなのに、傷口はどこにも見当たらなかったが、
代わりに俺が見たのは、大きな傷痕。
ずっと前についたんだろう、何かの鈍器みたいなもんで潰されたみたいに、白い肌には大きな傷痕が刻み込まれていた。
俺は、その傷に、見覚えがあった。
傷だけじゃねぇ。
さっきの動き。
燕みたいな、あの動き。
俺は見たことがある。
だけど、だけど、そんなことって……。
俺は頭を振ると、フライトジャケットを脱いで、そっとルチルの背中に被せてやったんだ。
「待ってたよ、スクード。ずっとずっと、ね」
あの時の言葉がよぎった。
なぁ、ルチル。
もしかして、お前は……
その直後、俺の意識はぷっつりと途絶えた。




