第十六話 一触即発
音は真っ直ぐこちらに向かってくるのが分かった。
フードを頭からすっぽり被ったその音の主は、俺達の房の前で立ち止まると、懐から鍵束を取り出し、素早く施錠を外しに掛かった。
「誰だ?」
船長の問い掛けに、そいつはフードを少し傾けるだけで応えた。
隙間から覗く鉤鼻とギョロ目。
お馴染みの顔だった。
「待たせたな。探すのに手間どっちまった」
手早く鍵を開け放つと、順に牢屋を開けていくヴァンサンじぃさん。
……アンドレの精心術なら簡単に脱出出来るんだが、そもそもアンドレが精心術士だなんて言ってなかったからな。
「反ルチルの組織が武装蜂起した。今、王城に押し掛けてやがる。遅れておいて悪いが、お前ら可能な限り早く駆け付けてくれ」
「どうした? あんたにしちゃ焦ってるみてぇだけど」
鉄格子を潜りながら、じぃさんの様子が少しおかしいことに気が付いた。
「ニーナ様が、ルチルを助けに行かれた。このままじゃニーナ様にも危害が加わってしまう」
その返答に、俺は額を押さえながら答えた。
「どいつもこいつも、無茶してくれる奴ばっかだな。女ってやつはよぉ」
背後では船長が笑っていた。
「女心は複雑だからな」
「お頭、あんた、女心なんか分かるんですかい?」
すかさずアンドレが茶々を入れた。
「バカたれ! この稀代のモテ男を捕まえて何を言うか! 女心なんざお手の物よ」
「へぇー。あんたが女と絡んでるとこなんざ、姐さん以外に見たことないんですがね」
「アホか! おめーの知らないとこで色々とあんだよ!」
「へいへい」
「なんだよ、その顔は!」
ほんと、いつでもどんな時でも余裕ぶっこきやがって。
助かるよ。
―――解放された俺達は直ぐに表へと飛び出した。
牢獄を抜けると、そこは外街のさらに外れ。ヨッギが収監されていた監獄とはまた別の場所だったようだった。
一体いくつ監獄があんだ、この国はよぉ。
月の具合からして真夜中。
街の中央、遥か遠くの貴街から微かな喧騒が聞こえてきた。
「にゃろー、わざわざこんな遠くの牢屋に押し込めやがって」
「騒いでる暇はねぇんでさぁ! 急ぎやしょう!」
街の至るところで、思い思いの武器を携えた住民達が、取り憑かれたかの様に口々にルチルを殺せと喚き散らしている。
その群れを縫うように、俺達はルチルの元へ急いだ。
貴街の中心部に近付くにつれ、殺気立った人々の密度が増していく。
そして、遂に俺達はルチルのいる王城へと辿り着いた。
正面玄関の前あたり。
実に千は下らないであろう、無数の人々が取り囲んでいた。
群衆の中をかき分けるように進もうとするも、思うようには進めない。
ようやく人の隙間から、その先で起きていることが見えるようになってきた。
そこには、
傷だらけで血を流し、倒れ伏すルチルの姿と、その前に立ち塞がるニーナの姿があったんだ。
「やめて下さい! ルチルさんに、指一本でも触れること、私が許しません!」
いつだって、自信なさげに小さな声で話していたはずのニーナ。
そのニーナが、激しく声を荒げて怒っていた。
そんなニーナに群衆を従えた男が呼び掛けていた。
「どくんだ! ニーナ!! その女は魔女だ!! 殺さなければならない!!!」
「「そうだ! そうだ!!」」
群衆が口々に騒ぎ立てた。
ニーナとルチルを取り囲む人々は、今にも二人に襲い掛からん勢いだ。
俺達は人の群れを飛び出すと、二人と群衆の間に割って入った。
「なんだ!? 貴様らは!! 邪魔立てすると容赦はせんぞ!!!」
群衆の先頭に立つ、逞しい男が怒声を上げた。
どうやらこの男がこの反乱のリーダー、そして、会ったことはないけど、でもその感じで分かった。
きっとこいつがニーナの旦那。ヨルムンドなんだって。
「色々と申し訳ねぇとは思うが、こいつは俺の仲間なんだ。手ぇ出すってんなら、まずは俺が相手になるよ」
「この状況で仲間を名乗るとは見上げた根性だな。真っ先に逃げ出した、魔女の下僕共とはえらい違いだ。だがしかし! その女を生かしてはおけん! 貴様らもろとも殺すことになるぞ!!」
俺の両脇から、船長とアンドレが一歩ずつ前へ出た。
「おーっと、待て!」
「俺達も相手になるぜぇ!!」
俺を守るように、群衆の前に立ち塞がった。
「皆、巻き込んですまねぇ」
無意識にそんな言葉が口を突いて出た。
「バカ野郎だな、スクードタコ野郎! そりゃもう聞いたっつーの!」
「俺達ゃ仲間でさぁ! 地獄の底まで一緒に行くってもんだぜぇ!!」
二人が得物に手を掛けた。
それに倣うように海賊団の全員が得物に手を掛けた。
今まさに、開戦の火蓋が切って落とされようとしたその時だった。
「そこまでだ!!」
鋭い声が響き渡った。
全員が声のした方へと振り返った。
そこに立っていたのは、ヴァンサンじぃさんだった。
「誰に物を言っている?」
ヨルムンドの口から威圧感の溢れた声が漏れ出した。
「貴様風情がこの場に出しゃばるな。わきまえろ!」
が、じぃさんは僅かでも怯む素振りすら見せなかった。
それどころか、ヨルムンドに向かって歩み始めた。
威風堂々って表現がぴったり当てはまる、実に力強い足取りでな。
じぃさんが、懐から取り出した紙をヨルムンドに手渡した。
「こんな紙切れがなんだと……」
紙面に目を落とした男の顔色が変わるのが分かった。
「これは、本当か?」
「紛れもなく」
ヨルムンドが群衆へと戻り、仲間と何やら話し込み始めた。
途端にざわめきが広がった。
皆、互いに顔を見合せ、口々に驚愕の声を上げているように聞こえた。
しばらくすると、一人の男がその場から去っていった。
また一人、去っていく。
それに続いて続々と人が散り始め、あれだけ大勢いた人の群れは、いつの間にか跡形もなく消えて無くなっていた。
ニーナは倒れ伏すルチルに駆け寄ると、彼女を抱き起こそうとしゃがみ込んだ。
流石にニーナ一人じゃ無理だろ。
俺もニーナの隣に膝を突いた。
膝を突くと同時だった。
「っつ!」
誰かの、漏れ出るような声が俺の耳朶を突いた。
「何やってんだぁー!? てめぇー!!」
船長が怒鳴り声を上げるのが聞こえた。
振り返ると、海賊達の輪の後ろの方に、ヴァンサンじぃさんが佇んでいた。
そして、その背後に、人の頭が見えた。
金色の髪を長く伸ばしている。その頭には見覚えがあった。
「許さない、許さないぞ。ルチル様は僕の物だ、ルチル様は、僕の物だ!」
そうだ。
あいつは、ルチルの下僕だ。
長髪の男が素早く立ち上がった。
手にはナイフが握られている。そのナイフから、真っ赤な血がしたたり落ちているのが見えた。
そこでようやく俺は状況を理解した。
なんせ、じぃさんの脇腹から血が噴き出したんだからな。




