第十話 半年後
実はさ、今でもたまに夢に見るんだ。
昔よりは大分減ったけど、それでも、な。
あの日、あの時、ノッカーに出くわしたあの瞬間を。
今日もまた、夢に見た。
子供だった俺は、ノッカーの前にへたり込んで、泣いていた。
―――ボコボコした面をしわくちゃにして、笑っているんだろうな。嬉しそうに俺の方へと歩み寄ってきた。
ノッカーが俺のことをこん棒で殴ろうとした時だった。
たまたま通りかかった旅人が俺の上に覆い被さったんだ。
こん棒を背で受けた旅人はそれでもノッカーを振り払うと、怯むことなくそいつに挑みかかった。
あの光景は今でも鮮明に覚えている。
まるで燕が空を自由に飛ぶように舞い上がると、ノッカーの首を太ももで挟み込み、体を捻りながらそいつを巻き上げたんだ。
ノッカーはそのまま、地面から飛び出していた岩に頭から叩きつけられ、ぐったりと動かなくなった。
旅人は俺の元へと歩み寄ってきた。
俺は恐怖のあまりに動けず、その場にへたり込んでいるだけだった。
真っ黒い外套のフードを頭からすっぽりと被ったその旅人に、俺は恐怖した。
顔も見えない。
魔物を一撃で倒したその旅人は、無言で俺の前に背を向けてしゃがんで見せた。
乗れ。という合図なのだろう。
俺は首を横に振った。
何故なら、この人は、背中に大きな傷を負っていたから。
外套が切り裂かれ、下に見えた服がどす黒い赤に染まっていたからだ。
旅人は俺に振り返ると、俺の頬を優しく撫でた。
結局俺は旅人に背負われた。
旅人の首筋から、甘く、優しい薫りがした。
町に着き、孤児院まで送ってもらうと、俺は玄関の前に下ろされた。
旅人は俺の前に膝をつき、もう一度、俺の頬を撫でた。
フードの隙間から顔が覗いた。
美しい女性だった。
「スクード」
旅人が俺の名を口にした。
何故、俺の名を?
俺は不思議に思った。
「誰?」
俺の問いかけに、旅人はフードを上げて見せた。
艶やかな黒髪。
透き通るような肌。
異国の人なのか、やや平面的な造りながら、鼻筋が通り、薄い唇には微笑みが湛えられている。
目と目が合った。
俺は、この人の名を知っていた。
「ルチル」
俺は目を開いた。
始めに見えたのは、木の天井だった。
俺は視線だけで周囲を見渡した。
壁があり、扉があり、窓があり、窓にはカーテンがかけられている。
どうやら俺は部屋の中にいるらしい。
寝ている。
感触は伝わってこない。
何も感じない。
だけど、視界の端に捉えたのは多分布団みたいな物。
俺はベッドの上に寝かされている。
そこまで把握した頃、俺は起き上がろうと体に力を入れた。
全身を激痛が走った。
「う………!」
ほとんど声も出なかった。
「スクード?」
誰かが俺の名を呼んだ。
低い、男の声だった。
「気が付いたのか?」
そう言って俺の顔を覗き込んでくる奴が見えた。
「気が付いたのか!? スクード! 分かるか!? 俺だ、アンドレでさぁ!!」
男が俺の手を握ったのが見えた。
「ああ、良かった! お頭、お頭ぁ!! スクードが、スクードが目覚めたんでさぁ! こっちに来てくだせぇ!!」
その声を聞きつけると、部屋の扉が勢いよく開き、男達がなだれ込んできた。
「「「スクード!!」」」
口々に俺の名を呼びながら我先にと俺の元へと走り寄り、ベッドの周りに群がってきた。
「本当だ! 本当に目が覚めたんだな!?」
先頭の男が俺の首元に抱きついた。
「うぅ……」
その力が強すぎて、体に再び激痛が走り、俺は苦悶の声を漏らしたが、それが精一杯だった。
「お頭! 急に動かしたらダメでさぁ!」
アンドレがトマシュを諌める声が聞こえてきた。
「そ、そうだな。なんせ、半年も意識が無かったんだからな」
は、半年!?
それを聞いた途端、俺は発作的に飛び上がりそうになったが、体は痙攣しただけでピクリとも持ち上がらなかった。
「お頭。驚かせんでくだせぇや。ずっと寝たきりで、体が言うことを聞きやせんから」
「す、すまねぇ」
そうこうしているうちに、イェンスが部屋に入って来るのが見えた。
俺の瞳孔やら舌の色やら、心臓とか肺の音やらを丹念に診察すると、皆の方に振り向いた。
「大丈夫。少しリハビリに時間は掛かるかもしれんが、元気になるだろ」
それを聞くや、部屋にいた全員が歓声をあげて喜んでいた。
目に涙を浮かべて。
何がなんだか俺にもさっぱりだが、何となく状況が分かってきた。
顔の筋肉も動かせねぇけど、俺も心の中で同じように喜んでいた。
―――
「いやぁ、あの時は本当に驚いたぜ。魔族をぶっ倒したかと思ったら、全身から血を噴き出して倒れちまうんだもんな」
「ほんとでさぁ。死んじまったかと思いやしたぜ」
「だよな! しかもよ、それよりも更に驚いたのは、そんな血を噴き出してんのに死ななかったことだぜ」
「いや、あん時ゃあマジで気持ち悪かったでさぁ。全身の血管が飛び出して、何ならドクドク血が流れ出てんのに、眠ったみたいに息をしてんすもん」
「包帯でぐるぐる巻きにしてよ、寝かしといたらほんの数日で傷が治ってたしよ。気色悪いったらないぜ」
「代わりに、眠ったまま起きることもなかったんですがね。このまんま一生起きねぇんじゃねえかと思っちまいやしたわ」
ずっと寝たきりだったらしい俺の体は完全に固まりきっていて、満足に動けねぇし、声も出せねぇ。
もちろん飯なんかも食えないから、体が馴染むまでは点滴を打たれたまま過ごしていた。
そんな俺の枕元で、トマシュとアンドレは笑いながら話していた。
笑い事じゃねぇかんな。
俺は心中で毒突いたが、まだ言葉にすることも叶わない。
そのうち喋れるようになったら説教してやる。絶対にだ!
「だがな、お前には礼を言わないとならない。俺の、いや、俺達の国を救ってくれて、本当にありがとう」
「感謝してもし足りないくらいでさぁ」
そういやぁだ。
半年も経ってるってことは、この国はどうなったんだ?
「見たいか?」
俺の気持ちを察したみたいだった。
トマシュは立ち上がると、カーテンに手を掛けた。
「眩しいぞ」
ゆっくりとカーテンを開け放った。
刺すような日射しが俺に降り注いだ。
言われた通りに眩しい。
俺は目を瞑った。
しばらくして、目が明るさに慣れてきて、俺は再び目を開けた。
窓の外には、人が行き交っていた。
たくさんの人が。
皆、顔に笑みを浮かべている。
その奥には青い空。
そして、あの時、皆で乗り込んだ、あの城の姿が見えた。
「見ろよ、スクード。この国は元通り、昔の姿を取り戻したよ。お前のお陰だ」
城の周りを白い鳥が群れをなして羽ばたいてるのが見えたんだ。




