第九話 一回きりの底力
魔族が床を蹴った。
俺も床を蹴った。
互いに数歩ずつ地を蹴り、ぶつかり合った。
瘴気の錐が俺に襲いかかってくる。
それを二本の剣で弾きながら拳を繰り出すも、俺のパンチは全て瘴気の塊に受け止められた。
「手数が違うのだよ」
魔族の拳が俺の腹を、頬を捉えた。
更に瘴気の錐が追撃してくる。
そっちはまずい。
俺は剣を翻すと、それを受け止めることに専念した。
辛うじて全弾を受けることに成功するものの、本体の攻撃までは手が回らない。
再度、魔族の重い拳が俺の顔面を撃ち抜いた。
俺の体は見事にぶっ飛んだ。
床に体を打ち付けられたが、なんとか体勢を整えて倒れるのだけは回避した。
顔を上げると即座に魔族が間合いを詰めてくるのが目に入る。
無理だな。
俺は床に腕をついて、魔族の足元を狙って足払いの蹴りを放った。
勢いがついていたせいか、魔族はそれを避けられず、足を取られて床に倒れ込んだ。
その隙に俺はまたもや間合いを取った。
「逃げてても勝てないぞ?」
魔族の言うことはもっともだ。
このままやっても俺は勝てない。
手数も足りないし、第一、もう体力も足りてねぇ。
正直、剣二本使ってのマリオネットは初めてなんだが、消費する体力は一本の比じゃねぇな。
しかも体力だけじゃねぇ。
気力も精神力もみるみるうちに削れていきやがる。たった一度切り結んだだけで、既に俺の体は限界を迎えていた。
ぶっつけ本番でやるもんじゃねぇよな、こんな無茶苦茶よぉ。
だが、やるしかねぇんだ。
俺は意識を集中した。
背後から、軽い金属音が聞こえてくる。
それは、音もなく宙を泳ぎ、俺の背中にぴったりとくっついてきた。
「船長。あんたの得物も借りるぜ」
俺の背後には、ブロードソード、ロングソード、そしてエストックが並んで浮かんでいた。
「三本で足りるのか?」
魔族が笑った。
それに合わせるように、更に瘴気が集まってくる。まるで死骸に群がる蝿みてぇに、無数の瘴気の錐が魔族を守るようにしてブンブンと飛び回っていた。
圧倒的にキャパが違ってた。
「これが最後かもな」
「ああ、最期だ」
俺達は切り結んだ。
結果は、俺の惨敗だ。
体中に瘴気の錐が突き刺さった。
思わず体を折り曲げた。
顔を落としたその瞬間、魔族の拳が俺の顎を撃ち抜いた。
俺の体は宙を舞った。
くそだな。
差がありすぎるわ。
いくら頑張っても、今の俺じゃ勝てやしねぇ。
今の俺じゃあ、な。
俺は空中で身を翻すと、なんとか足から床へと着地した。
「まさか。意外としぶといな」
着地はしたものの、もはや立つだけの体力は残っていない。
俺は懐から小さな包みを取り出した。
【スクードのおやつ】
そう書かれていた。
この字を読むと、なんだかやる気が湧いてくるんだよな。
包みには、ルチルのくれた、そんでもってディアナがくれたチョコが残っていた。
最後の一粒がな。
俺はチョコを口に放り込みたかったけど、もはやそんな力も残ってなくてさ。
恥ずかしいけど、包みに顔を突っ込んで、動物みてぇにそいつを貪った。
甘い。
口いっぱいに甘いのが広がる。
そんでもって旨い。すこぶる旨いんだ。
ルチルよぉ……俺に、力をくれよ。
お前のとこに帰るために、
こいつをぶっ飛ばす力をくれよ!!
俺は立ち上がった。
筋肉が痙攣し、血が熱くなっているのを感じる。
明らかにおかしい。
その代わり、腹の底から力が湧き出てくる。
俺は目を閉じた。
一度でいい。一度でいいから、俺の持ちうる体力と気力、全部回復してくれたらいい。
そしたら、そしたらさ、出し惜しみはしねぇから。
一回で全部使いきるから。
一回きりなら、一回きりの底力なら、お前がくれたチャンスをモノにしてみせるからよぉ!!
意識を集中させた。
周りで気配がした。
カチャカチャと、音を立てていた。
目を開いた。
俺と、今この部屋にいる仲間達、そしてアイザック、合わせて十四本の剣が、俺を取り囲むようにして宙を漂っていた。
「バカな」
流石の魔族も驚きの声を上げていた。
俺だって驚きだわ。
「うるせぇ、時間がねぇんだ。決着つけるぞ」
「面白い。こんな面白い人間は二百年振りだ! 受けて立つ!!」
十四本の剣は、まるで両手の指みてぇに自在に動いた。
どこにどんな攻撃を受けても、フォークで芋を刺すみたいに簡単に受け止められた。
魔族の繰り出した瘴気の錐は全て切り捨てた。
身の危険を感じたらしい魔族は錐を解除し、瘴気を体の防御に移行させた。
俺は、魔族の心臓を狙って、十四本の剣の全てを突き刺した。
集中する十四の切っ先は、
分厚い瘴気をこじ開けると、
放射状に切り裂いた。
瘴気の層にポッカリと穴が空いた。
剣が派手な音を立て、床に転げ落ちた。
時間切れだ。
俺は残った風の全てを右手に纏わせると、瘴気の穴を目掛けて思いっ切り拳を撃ち込んだ。
魔族の心臓をめがけてさ。
「がはぁっ!」
魔族の呼吸が漏れた。
いや、魔族のじゃない。
トマシュ船長の弟の呼吸だ。
呼吸と共に、口から魔族が抜け出すのが見えた。
さっきから散々俺達を困らせてきた瘴気みてぇに、モヤモヤしたチンケなやつ。
口から飛び出るくらいに小さな、ネズミくらいの大きさのモヤモヤ。
それが魔族の正体だった。
「やっぱそうか」
俺はそれを逃さなかった。
右手で素早くそいつを鷲掴みにすると、左手に力を籠めた。
「ま、待て! 殺すな! 俺が、俺が悪かった!」
なんだかよく聞こえねぇ。
小さいモヤモヤが何か言ってる。
残念だけどさ、俺もそこまでお人好しじゃねぇんだわ。
「待て! すまん! 今までのことは全て謝るから!」
「残念だけど、もう手遅れだ」
右の掌に、左の拳を叩き付けた。
ブシュウ…………!
ビールの栓を開けたみたいな情けない音を立てた後、魔族は砂みたいに指の間を零れ落ちていった。
部屋を覆っていた瘴気が晴れていった。
俺の足元には、トマシュ船長の弟が倒れていた。
息をしていた。
「スクード?」
背後から声がした。
船長だ。
「お前、勝ったのか?」
力のない声で、俺に話し掛けている。
「勝ったんだな?」
「やった……」
アンドレの声も聞こえてくる。
「やった! やったぜぇ!」
「やったな、スクード!」
二人の喜ぶ声。
その後に、他の仲間達の声も聞こえてきた。
どうやら全員無事だったらしい。
良かった。
足元に血が垂れるのが見えた。
指先に目を落とすと、血管と言う血管全てが裂けて血が吹き出していた。
これで……本当に……終わり……だ。
そこで俺の意識は消えてなくなった。




