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第六話 黄昏の雫

 ―――掌を握ってみた。

 動く。

 どうやら限界はまだ先らしい。面白いもんだ。

 片膝をつき直し、俺は無理やり体を持ち上げた。

 上手いこと力が入らないから、ぐらつく体を背後にあった門扉に背を預ける。扉に支えられ、なんとか(かんぬき)を上げると、分厚い木戸を引っ張った。

 重いんだよ、バカ野郎。

 ほんの少しだけ戸が開くのが見えた。

 俺はそのほんの少しの隙間に、肩から体をねじ込んだ。


 その瞬間、内側から何かに体を掴まれた。

 とてつもない力だ。

 俺は抗うこともできず、そのまま扉の中に引きずり込まれた。

 城内の床に叩きつけられ、背後で戸が閉まる音が聞こえる。

 俺はすぐ立ち上がることが出来ず、冷たい床に頬をつけたまま突っ伏していた。



「スクードさん! あんた、よく無事で!」


 聞こえてきたのは若手の海賊の声だった。

 海賊にしちゃ可愛い顔した、俺よりもう少しだけ歳下の下っ端。

 名前はリオって言った。


「お前……もう少し……丁寧に扱えよ……」


 俺は突っ伏したまま、突っ込みを入れた。


「え? なんです? 大丈夫か? 怪我はしてねぇですか?」


 が、残念ながら俺の突っ込みはリオには届いていなかった。

 思っている以上に声が出ていないらしい。


「どれ、看せてみろ」


 近寄ってきたイェンスとリオの二人に仰向けにさせられ、肩口の傷に何かの液体をぶっかけられた。


「痛むか? 我慢しろよ。魔物に噛まれたんだ、どんな毒を持ってるか分かりゃしねぇし、しっかりと消毒はしとかねぇとな」

「そりゃいつも飲んでるただの酒じゃねぇか」

「がはは! そんだけ減らず口叩けりゃ心配ねぇや!」


 イェンスが爆笑しながら俺の腹に拳を叩きつけた。

 力が入ってねぇ腹への一撃。

 どちゃくそに痛かった。


 改めて周囲を見回すと、そこにはイェンス以外にリオ、それから副航海士のシーマンが残っていた。

皆、アイザックと特に仲の良い連中だった。


「アイザックは?」


 イェンスが指差す方に視線を移すと、そこにはうつ伏せになった大男の姿があった。

背中は真っ赤に爛れ、皮膚は焼け落ち、肉が剥き出しになっていた。

 しかし、その背中はゆっくりとだが、確かに上下に動いていた。


「なんとか即死は免れたが、予断は許さんわい。早いところ治療をせんと、このままでは……」

「スクード、なんか便利な術でアイザックを治せねぇのか?」


 シーマンが俺の顔を覗き込んできた。


「精霊術は魔物殲滅のためだけに構築された、完全なる戦闘技術だ。回復とか、そんなんにはくその役にも立たねぇ」


 俺の言葉に、シーマンの顔から血の気が引くのが見て取れた。

 本当なら一言毒突いてもやりたいところなんだろうが、流石に俺に怒っても仕方ないのは分かっているらしい。

 悔しげな表情で唇を噛み締めていた。


「そんな顔すんなって。俺の鞄を取ってくれよ」


 俺は自分の腰の辺りに転がっている、いつもの鞄を視線で示した。


「これか?」


 俺の体を少し持ち上げると、肩から鞄を抜き取り、俺の目の前に掲げて見せた。


「左の奥の方に、布の包みがあるはずなんだ。取ってくれねぇか?」

「ちょっと待てよ? どれだ? ん、これか?」


 それは、青い布の包みだった。


「これが何だ?」

「こりゃ、これは黄昏(たそがれ)(しずく)か!?」


 布にくるまれていたのは、一房の小さな草の束。

そ れに目を落とした途端、イェンスが驚きの声をあげた。


「イェンス、そいつを噛みしだいてアイザックの傷に塗ってやってくれ」

「お前、なんだってこんな秘薬を?」

「もしものためにって、ルチルに持たされてたんだ。初めて使うからどんだけ効くのかは知らねぇけど」

「スクード。こりゃ、とんでもない治療薬だ! これがあればアイザックは助かるぞ!」

「そりゃ良かった。いいから早くしてやれよ」


 俺はそのまま頭を冷たい床に預けた。

 もう一ミリたりとも動けねぇ。

 ただただ天井を見上げていた。

 船長達はどうなったろう。

 冷静になった途端、大きな後悔が襲ってきた。

 もっと俺に力があれば。

 こんな足止めだけで終わったりしなかったのに。


「おい、スクード」


 俺の意識が薄くなり始めた頃、突如としてシーマンが話しかけてきた。

 しかも妙にテンションが高く、声が踊っていた。

 にやけ顔で俺の顔を覗き込んだ。


「これ、なーんだ?」


 差し出したのは、小さな包み紙みてぇに見えた。

 指差してるその先、包みには小さな字が書いてあった。

 妙に下手くそな字。でも見知った字。


【スクードのおやつ】


 ルチルの字だった。

俺は慌てて体を起こそうとしたが、ピクリとも動かせない。

 そんな俺を見て、シーマンだけじゃなく、その場にいた全員が笑い声をあげた。


「黄昏の雫と一緒にくるまれてたぞ。いいよなぁー、スクード。ママンに愛されてんなぁ。」

「るせぇ」


 動けない俺の頭上でシーマンが包みを開けると、その中身は小さなチョコが数粒。


「ほう」


 イェンスが一粒手に取ると、まじまじと見つめていた。


「こりゃ港街のチョコだな」

「港街、の?」

「ああ、港街特産の、滋養強壮に効く材料がしこたま詰め込まれたチョコだ。普通は高くて滅多に手に入らないが、精霊術士の気力回復には最適って言われてる代物のはずだ」

「すげぇ! そしたらこれを食えば、また全開で戦えるってのか!」


 シーマン達が歓声をあげた。


「…………」


俺は無言を貫いた。


「優しいなぁ、姐さん」

「無駄口叩いてないでさっさと食わせろよ」


 そう言った俺の口許に、シーマンがチョコを近付けてきた。


「はいはい。じゃ、スクードちゃん、あーん」


 バカにしやがって。

 しかし、そんなすげぇ物なら食わねぇわけにもいかねぇ。

 俺はイライラしながら口を開けた。

 放り込まれたチョコを噛み砕いた。

 甘い。

 あれ、この味、知ってるな。食べたことある。どこだったか……

 そんなことを考えていたんだけど、俺は思わず涙を流しながら咳き込んだ。

 

「スクード! 姐さんの愛に感動して泣いてるのか!?」

「うるせぇよ! げほっ! 気管に入ったんだよ! げほっ! 見てんじゃねぇ!」


 咳き込む俺を見て、またしてもシーマン達は爆笑していた。


 だってよ、思い出しちまったんだからしょうがねぇだろ。

 この味。ディアナがくれたチョコの味じゃねぇか。


「み、水を、水をくれ。マジで死ぬ」


 俺は体を抱き起こされ、水筒の水を一気に飲み干した。

 やっとの思いでチョコを胃に流し込むと、俺は再びどっかりと横たわった。

 親指の先くらいしかない小さなチョコを食べるだけでこの有り様だ。

 逆に最後の体力を使いきっちまったくらいに疲れ果てた。

 少しばかり目を閉じた。


 するとどうだ?


 目を閉じた瞬間から、みるみるうちに頭が冴えてくるのが分かった。

 まるでどんよりとしたモヤが頭の中を支配していたと言うのに。

 一気に晴れ渡り、気分まで爽快になっていく。

 試しに指に力を入れてみた。

 動く。

 それもすんなりと。

 さっきまで、全身をぴったりとした分厚い革の服で覆われていたような感覚が嘘みたいだ。


 俺は勢いよく体を起こした。


「うおっ!?」


 あまりにも突然に起き上がったからか、その場にいた全員が驚きの声をあげた。


「ス、スクード、お前、動いて大丈夫か?」

「あぁ、なんともねぇ。むしろいつもより調子がいいくらいだぜ」

「早速、効いてきたらしいな」


 イェンスが消毒用の酒を口に含みながら笑みを浮かべていた。

 俺は立ち上がると、アイザックの元へと歩み寄った。

 背中には薄く引き伸ばされた黄昏の雫が満遍なく塗られている。

 まだ傷口は生々しいが、ルチルの持たせてくれたもんだ。

 信じない理由はねぇ。


「アイザック。お前の得物、借りるぜ」


 アイザックの傍らに転がるロングソードを拾い上げた。

 鞘に紐を通してから背中に担ぐと、俺はその紐を胸の前でしっかりと結び止めた。


「お前ら、アイザックのこと、頼んだぞ」

「「あいあいさー!」」



 俺は城の奥を目指して歩きだした。

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