第二話 入国
俺達が今いるのは、大陸の北西部。山岳地帯の隅に位置する小さな港町だった。
ヨッギ・ストレンベリの軍船に海賊船が沈められたのを目撃してから、更に二ヶ月が経過していた。
この辺りは既に孤島の国の領海であり、流石に海賊船で乗り付ける訳にはいかない土地まで到達していた。
ハイバリー号は近場の無人島の入り江に身を潜め、大半の船員達が船の防衛のために居残った。
私掠船やヨッギ・ストレンベリの軍船が彷徨いてる現状を顧みるに、人数を割いて守りに回るのは妥当な判断と言えた。
この町までやって来たのは、俺とルチル、そして船長とアンドレの四名だけだった。
―――この港では、孤島の国へと渡るための定期船が運航されているんだそうだ。
裕福な国に出入りする港だけあって、小さいながらも人でごった返す賑やかな町だった。
船の上は既に孤島の国の領土内といった位置付けで、この港が関所の役割を果たしていると聞いた。
俺達は船の切符を購入した時点で、入国審査を受けることになった。
勇者の証、それからヴィッキーに書いてもらった紹介状を提示すると、割とすんなり乗船を許可されたものの、他の乗船希望者を見る限り、過半数がここで入国を拒否されていたみたいだった。
話によると、裕福な国だけに入国規制が固いんだそうだが、それだけじゃないのも想像がついた。
稀代の大悪党が幅を利かせてる国だ。あんまり妙な人間を受け入れたくないってのが本音だろうな。
孤島の国の本土へは船で丸二日。
かなり北方に位置するこの海は、大陸と孤島の国の本土の間を流れる海峡のようなもんで、とても潮が速く、海自体も荒い。
時折、流氷なんかも流れていたりする。
快適な船旅とはほど遠く、あれだけ長い間海賊船に揺られていた俺ですら、船酔いになるんじゃねぇかってくらいに過酷なものだった。
「自分らで駆る船と違って落ち着かないもんでさぁね」
「違ぇねぇや」
口ではそう言うものの、船長もアンドレも平然とした顔でカードゲームに勤しんでいた。
やっぱ流石は海賊ってことかねぇ。
「スクードもやんないのぉー?」
海賊でもねぇこいつのバイタリティには閉口するけどな。
最悪な船旅を終えると、遂に本土に到着だ。
不思議なもんで、海峡一つを越えただけなのに、他の土地同様にここ独自の景観が広がっていた。
きっとこの島自体が岩盤で出来てるんだろうな。ゴツゴツした岩で覆われ、寒冷な気候も相まって心なしか寂しげな印象を受けた。
家々も堅牢だが冷たげで、憂鬱そうな表情を浮かべるものばかり。
それに拍車をかけるのが、常に曇ってほとんど日差しが射すことの無い空だ。
気を抜けばすぐに涙をこぼす雲の下を歩きながら、俺達は孤島の国の首都を目指した。
驚いたのは、この島には魔物がほとんど現れないことだった。
さして広くもない島だからか人間の警備が行き届いており、魔物の侵入を容易に許さないらしい。
特に港から首都に繋がる街道には小さな村が点在しており、村毎に軍隊の支部が配備されていた。
なるほど。
これが世界で一番魔物に攻められにくい国の理由って訳か。
俺は妙に納得しながら歩を進めて行った。
―――首都が近付くにつれ、街道には石畳が敷かれ始め、その頃にはかなりの人が行き交うようになった。
道を挟むように商店や宿が立ち並び、街に入る前のこの段階ですら既に水の都よりも賑わっているように思えた。
更に進むにつれてその規模はどんどんと大きくなり、街道を歩いていたはずの俺達は、気が付けば街の中を歩いていた。
他の土地みたいに壁や柵で街が区切られておらず、徐々に建物が増えていきながら街として成り立っていくような造りだった。
「面白い街だな。よっぽど治安が良いと見える」
俺はすれ違う兵士を視線で追いながら言った。
「こんだけ兵隊がうろうろしてたら、住人も安心だろうな」
他の街と違う感覚を持った一番大きな理由がこれだ。
先程から、等間隔に歩く武装した男達。
一様に長槍を携え、揃いの朱塗りの軽鎧で身を固めているのを見る限り、この国の兵士の標準装備なんだろう。
「あれを見てみな」
船長が街道の遥か先を指差した。
そこには、巨大な門がそびえ立ち、その門からはとても高い石の壁が街を区切るようにして建てられていた。
軽く人間の背の十倍はあるだろうその壁は、街の中心部をぐるりと取り囲んでいるように見えた。
「この国の首都ってのは、あの壁の内部のことを指すのさ」
「どういうことだ? ここだってもう街中だろ?」
「この国は厳しい身分制度が敷かれていてな。王族、貴族、それに関わる富裕層だけがあの壁の中に住むことを許されている。平民は皆、壁の外にこうやって、船底にへばりつくフナムシみたいにこの街に寄生して暮らしてるのさ。そしてさっきも言ったが、この国の首都はあの壁の中のみのことを言う。つまりここらの連中は街の正式な住民として認められてない、いわばスクワットの民扱いって訳だ」
「その割にはちゃんと警備が巡回して守られてるみたいだぞ?」
「一体何から何を守ってるんだかな?」
その一言で俺はピンときた。
そういうことか。
ここの兵士達は皆、ここのスコッター達から壁の中の住民を守ってるってことか。
船長も俺の表情を見て、俺がそれに気付いたことを察した様だった。
「そういうこった。もし万一、この街が魔物に襲われたとして、どうなると思う?」
「外の住民は置き去りで、あの門は閉じられる。ってことかよ」
「身震いするよな。人間の残酷さってやつにはよ」
言いながら笑っていた。
正門に到着した時、俺はこの街の大きさに圧倒されていた。
船長が門を指し示してから、実に三十分は歩いて初めて門へと辿り着いたのだ。
一体ここまでにどれだけの人とすれ違ったのだろう。
祭の縁日かと思わんばかりの人の群れ。
何の記念日でもない日常でこの賑わいだ。
そして中を覗き込むと、更に人で溢れ返っている。
四ヶ月のタイムラグがあるとは言え、ついこの間まであの港街にいたはずの俺がそう感じるんだ。
恐ろしいほどの規模の街だった。
俺達は正門の中に設けられた関所で再び身分を確認された。
ここから中に入れるのは、各国の政府に認められた身分証明の物品を提示出来る者のみ。
ここでも勇者の証と紹介状が役に立った。
水の都に存在を認められたという、これの価値を改めて思い知らされた。
「ニーナって人は貴族だったよな?」
人の群れの中、俺は小声でルチルに訪ねた。
ちょうどその時だった。
「貴様! この証書はなんだ!? 偽物ではないか!」
関所で身分を改めていた役人が声を荒げ、同時に奥から朱塗りの軽鎧が数名駆け出てきた。
「こっちに来い!」
証書を偽造したと言われたのは商人の格好をした数名のグループで、兵士達に取り囲まれるとそのまま門外へと引き摺られるように連行されて行った。
それを見送った後、船長は無言で歩き始めた。
俺達もその後に従い、街の中に入ろうとしたんだが……
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!!!」
女の悲鳴が響き渡り、俺は咄嗟に振り返った。
が、事は既に終わっていた。
連行されたはずの偽商人が、兵士の背中にへばり着いていた。
俺は瞠目した。
その手に握られた短刀が、兵士の背を深々と貫いていたんだ。
俺が動く間もなく、偽商人は他の兵士に斬り殺された。
「ありゃ、ヨッギ・ストレンベリの運び屋だぜ。くわばらくわばら」
すぐ隣に居合わせた別の商人の口から、そんな言葉が漏れたのが聞こえてきた。
寒空の下、忙しなく動き回る人の群れに囲まれて、兵士と偽商人、二人の亡骸が静かに横たわっていた。




