第十三話 洞窟の奥へ
「っが!?」
男の口から小さな悲鳴が漏れ出した。
下顎にまともにぶち込んだ感触あり。
こんなのを喰らっちゃ、普通の人間なら落ちるに決まってる。
つまりはだ、ここで落ちりゃこいつは人間。落ちなけりゃ魔物の可能性ありってことだな。
男の体は、隙間から溢れ落ちるように崩れると、そのまま動かなくなった。
念のために脈だけは取ってやる。
生きてた。
これでほぼ確信。こいつぁ人間だ。
恐らくはそうであって欲しいって希望的観測なのは否めないが、この一番厄介な能力を持ってるこいつが人間であった以上、この海賊団には魔物は絡んでないと見て良いだろう。
何故かって?
そりゃ、普通はこんな能力の奴がいねぇから、魔物の手なんか借りなくちゃならなくなるんだ。
だとしても、別の疑問が頭をよぎったのは確かだった。
何なんだ? あの意味の分からねぇデタラメな能力は。
俺の知る限りの精霊術にはあんな術なんか無かったはずだし、あんなん魔物以外に使えるとは思えねぇが。
ってことは、考えられる可能性は少ねぇわけで。
ひょっとしてこいつ、【精心術士】か?
だとすりゃ一日に二人の精心術士と出会ったことになる。
一人と出会うのでもとんでもねー低確率なのに、二人かよ。
まったくツイてるよ、今日という日はよぉ。
が、魔物が絡んでる可能性が限り無く消えたのは吉報だ。
ルチルの生存確率が飛躍的に上がる。人間が拐ったんなら、絶対に何らかの理由があるはずだからな。……ま、生きてても貞操の危機的なもんがあるかもしんねぇけど、別にルチルだからいいか。
―――ぶっ倒れたリンゴほっぺは放置して、改めて俺はブリーゼでそよ風を起こすと海賊船内を探知した。
人間の気配は感じられないな。居るのはネズミくれーか。どうやらこいつが船番だったみてぇだ。
ってことで、俺は奥の通路へと目を向けた。
さーて、こっから先にはもうこんな厄介な奴は出ないだろう。てか、寝てんだから大丈夫だよな?
ぶっちゃけ、レイスを練るための俺の気力はかなり磨り減っていた。
アイギスっつー術は風の精霊術の中じゃトップクラスの大技で、一発だけでも気力の何分の一かを持ってかれるくらいに負担が大きいんだ。
それを一度に四発も使っちまったんで、既に底が見え始めてる状態。
こんなんでまた戦闘にでもなろうもんなら、俺はきっとぶっ倒れちまうだろうな。
ディアナから貰ったチョコを噛り、俺は満を持して通路へと足を踏み入れた。
通路の中を進んでいくと、程なくしてから両脇に横穴が現れた。
穴の先には散らかった部屋が見える。
酒瓶やら汚れた皿やら、食い散らかした骨だとか、ま、海賊の部屋っぽいよな。
その部屋の中で数名の海賊達が寝転がっているのが確認出来た。
皆、一様に大イビキをかいている。逆側の部屋も同じようなもんだった。
どうやら催眠ガスはしっかりと効いているようだな。
突き当たりには木製の簡素な扉がある。
不揃いな木の板を適当に張り合わせただけの粗雑な代物で、扉のくせに至るところに空間が空いている。
俺はその隙間から中を伺った。
少し広い部屋だった。
中央に十人くらいで使いそうな大きなテーブルと椅子が置かれ、壁には海賊旗が飾られている。
普通のジョリーロジャー。だけど、クロスする大腿骨の代わりに大砲が描かれてるのが特徴的だった。
どうやらここは会議室みたいだな。
奥に更に三つ通路が見える。中に人の気配はない。
俺は扉を開けた。
俺が室内に足を踏み入れた直後だった。
背後に何かが落ちてくる気配を感じ、急いで振り返った。
目の前に男がしゃがみ込んでいた。
天井に貼り付いて隠れていたのか!?
見ると、既に抜刀している。
いきなりやる気らしい。
俺が身構えようとした瞬間、既に男は動いていた。
逆袈裟に細身の剣を振り上げた。
俺はすんでのところで剣をかわすも、その速さに心底驚いた。
こいつ、ただの海賊じゃねぇ!?
それは明らかに高い修練が積まれた者の太刀筋だった。
ひとまず距離を取らないと。俺は背後に飛んだが、男はそれを読んでいたようにピッタリとへばりついてきた。
さっきのボンクラと違って相当に戦い慣れている。まずいな。
剣の振りに一切の隙は無く、凄まじい速さと精度で何度も何度も繰り出してくる。
何とか全てをギリギリのところで避けてはいるが、このままじゃジリ貧だ。
確実にやられる。
避けながら背後に少しずつ移動していると、ふくらはぎに椅子が触れるのが分かった。
俺は椅子の足に自分の足を絡ませると、男に向かって蹴り上げた。
男は容易く椅子を切り裂いた。
が、これで一瞬でも隙が生じた。
俺はその好機を逃さず、背後のテーブルに飛び乗って男との距離を取った。
茶色い髪を綺麗に中分けにしたおかっぱ頭
と、大きなギョロ目。
間違いなく、リンゴほっぺと一緒に居た、あの二人組の片割れだった。
俺は剣を抜くのを躊躇った。
俺の剣はブロードソード。厚みのある両刃の剣で、切ると同時に重量で叩くことが想定されている。
片や男の剣はエストック。細身で軽量、主に刺すことを目的とされており、こういった接近戦では圧倒的に有利だ。
加えて互いの技量は明らかにあちらが上。
俺が剣を抜いたところで、戦況は変わらないだろう。
小回りが利かなくなる分、むしろ悪化する可能性すらある。
距離をとって精霊術で対抗することも考えたが、それもまた有利にはならねぇ。
十分な距離も保てないこの室内では、レイスを練るための時間が取れないからな。
「いきなり変なガスを流し込みやがって! 許さねぇぞ! ぶっ殺してやる!」
くそ。
完全に狩りにきてるじゃねぇか。
圧倒的不利なこの状況を打開するには、策は一つしかねぇ。
「だいぶ疲れてるんだが、やるしかねぇか」
剣を抜くと、だらりと垂らした無形の構えをとった。
「なに余裕見せてやがる!?」
ギョロ目が怒鳴り散らしていた。
……余裕がねぇからこうなってんだよ!
俺は胸中で毒突きながら、自分の掌だけに意識を集中させていた。
「マリオネット!」
風が集まってくるのを感じる。
厚く、厚く、風が圧縮され層になって俺の手を包み込む。
同時に剣を離した。
剣はフワリと宙に浮かび上がると、俺の背後にすっと回り込んだ。
「よく分からないが、それがてめーの切り札ってことか?」
男が剣を構えた。
どうやら俺の術に警戒を強めたらしいな。あからさまな殺気と闘気がにじみ出し始める。
ってか、なんつーエグい気を放ってんだ。
まるで背後に鬼か何かでも降りてんじゃねぇのか?
こんな状況じゃなきゃ、まず戦いたくねーわ、こんな奴よぉ。
嘆いても仕方ねぇ。
俺も拳を握り締め、腰を落とした。
「行くぞ」
戦闘開始だった。




