第九話 スカーレットさん
ほぼ何の手掛かりも掴めなかった俺達は、ひとまず態勢を整えるためにコンドミニアムに戻ることにした。
それに、いくらヴィッキー夫妻がいるとは言え、目が覚めて母親がいなけりゃあリトルルチルもビックリして不安になるだろうしな。
案の定、ヴィッキーの部屋に帰りつくと、リトルルチルは泣きながらディアナに抱き付いてきた。
「どうだった? 手掛かりは見付かったの?」
俺に水の入ったグラスを手渡しながら、ヴィッキーが報告を求めてきた。
「いや、見付かったことと言えば、現状じゃ全くもって犯人は追えないって事実だけだ」
「そう……」
その答えに、落胆の色は隠せないみたいだった。
「では一度、動機の方から探った方がいいのだろうか? その方が犯人像も掴めやすくなるし、行動も読めるかもしれない」
流石は二家族の大黒柱だけあって、クローゼさんは落ち着いて提案してくれた。
俺が戻ってきた理由の一つもそれだったからだ。
が、それもかなり期待は薄いだろう。
何故なら、水の都でのルチルの誘拐と違って、理由が腐るほどあるからだ。
考えてもみて欲しい。
ディアナは、世界で一番人気のメゾンのデザイナーなんだぜ? 名誉も富も、全てを手にした人間の一人だと言っても過言じゃない。
そんな人間を拐おうとする理由はなんだ?
嫉妬、金、逆恨み、本当の恨み? そんな単純な動機ならまだしも、有名人故に見知らぬ誰かから愛憎の念を抱かれることだってあるだろう。もしそんな理不尽な理由で誘拐を企てられたんだとしたら、もはや犯人の目星なんて立てようもないからな。
だが、やるしかねぇ。
「少し嫌な気持ちになるかもしれねぇが、それでもいいか?」
俺がその場の全員に問い掛けた、その時だった。
玄関を叩く音がした。
妙な緊張感が全員に走った。
ヴィッキーがこちらを見たのが分かり、俺は頷いた。
玄関を開けるのはクローゼさん。
俺はその後ろに付いてブロードソードに手を掛けながら、息を潜めていた。
「どちら様ですか?」
クローゼさんが声を発したすぐ後だった。
「私よ。お開けなさい」
その声に俺は聞き覚えがあったが、すぐには気が付かなかった。代わりに、クローゼさんが振り向いて教えてくれた。
「スカーレットさんだ」
部屋の中の緊張が一気に解けたのが肌で分かった。
―――銀髪を編み込んだ……コーンロウって名前があるんだってさ……背の高いスカーレットさんが室内に招き入れられた。
今日は昨日みたいな銀色の服は着てないが、代わりにピッタリとした真っ赤なドレスを着ていた。どっちにしろ物凄い派手だ。
「ちょっと用があってあなた達のアトリエに立ち寄ったら、今日は二人とも欠勤してるって言うから来てみたのよ」
リビングのテーブルセットに腰を下ろしたスカーレットさんの前に、ヴィッキーがティーカップを差し出した。
その膝の上をリトルルチルが陣取り、リリーナは真横に張り付いて座っていた。
「ちょっと非常事態がありまして」
「その様ね」
カップの中身をすすりながら、スカーレットさんは冷たく言い放った。
「あの、用事ってなんです? 今日は本当に立て込んでて、もしまたで良ければ……」
まだヴィッキーが言い掛けている中、スカーレットさんは問答無用で言葉をねじ込んできた。
「大した用事じゃないからいいわ。それよりもお話しなさい。何が起きたのかしら?」
すげぇド迫力。誰一人として反論は認めないってくれぇの物言いだった。
多分、話さなければ帰らないって雰囲気を醸し出すスカーレットさんに根負けし、ヴィッキーが俺達の顔を見渡し始めた。
仕方ねぇ。
全員同じ想いで、ヴィッキーに頷いた。
「そう……そんなことが」
ヴィッキーから説明を聞き終えてもまだ、スカーレットさんは同じようなゆったりとしたペースでお茶を飲むだけだった。
「ですので、申し訳ないんでけど今日のところは……」
帰宅を促そうとするヴィッキーだったが、
「そこの坊や」
またしてもねじ込まれていた。
ヴィッキーのこめかみが痙攣するのが分かる様だぜ。
しかしだ、今度は俺を呼んでる。何の用だろうか? 俺は素直に返事を返した。
「あなた、あの頭の悪い娘の連れだったわね?」
頭の悪い娘……どうやらルチルのことを言っているのか? あいつのどこをどう取ったら頭が悪くなるのか。
その呼称だけで、スカーレットさんとルチルはあまり上手くいってない仲なのが分かる一言だった。
「ええ、まぁ」
「何かあの娘の持ち物は無いかしら? 何でもいいわ」
質問の意図が分かりかねる。が、まぁ何かしらの意図はあるんだろう。俺は素直に記憶を辿ることにした。
ルチルの持ち物か。あいつの旅支度はいつも持ってるショルダーポーチだけだからな。今回も持ったまま拐われちまったから、荷物が残ってるなんてこともない。
特に無いと伝えようと口を開きかけた時だった。
「あ、スクード! あれがあるべ!」
ディアナが俺のポケットを指差した。
その中身を思い返し、俺は咄嗟にポケットをまさぐった。
手に触れたのは、ルチルのコサージュだった。
「いい物があるじゃない。それをお貸しなさい」
俺がコサージュを取り出すと、スカーレットさんはゆっくりと手を差し出してきた。
本当は貸したくないけど仕方ない。俺は大人しく従い、その手にコサージュを置いてやった。
コサージュを包み込んだ両手を胸の前に合わせ、ゆっくりと目を閉じるスカーレットさん。まるでお祈りでもしてるみたいだった。
だがルチルの無事を祈ってるなんて訳じゃない。もしかしたら他の皆にはただの瞑想に見えるのかもしれないけど、俺にはそうじゃないのが分かった。
それはきっと俺が精霊術士だからなのかもしれない。
スカーレットさんの体から、とてつもなく眩しく輝く魔力みたいな煙が立ち昇っているんだ。
それから何分か経ったのかもしれないが、俺達が時間の感覚を忘れるくらいの神秘的な雰囲気を醸し出したスカーレットさんが目を開いた。
「見えたわ。あの娘は、この街から海岸線沿いに西へ二十キロほど離れた辺りにある、洞窟の中にいる様ね」
「「「え!?」」」
その言葉に、俺と子供達以外の全員が口を揃えて驚きの声を上げていた。
「な、なんで分かるんですか!?」
「すごいべ! どうなってるんだべか!?」
特にディアナとヴィッキーの驚きようと言ったら無い。今にもスカーレットさんに掴み掛からん勢いで、いや、掴み掛かって質問をしていた。
「あなた達ちょっと近いわ。離れなさいな」
「ママ、きついべ」
スカーレットさんとディアナの間に挟まれたリトルルチルが抗議の声を上げていた。
ようやく母親達の興奮が収まり、改めてスカーレットさんが口を開いた。
「あなた達には……と言うよりも、誰にも話したことは無かったのよ。私が持つ、この力については」
リトルルチルはディアナの膝の上に移り、リリーナもヴィッキーとクローゼさんとの間に座り直していた。
「私は、子供の頃からこの力を持っていたの。念じることにより、神託なのか、あるいは悪魔の誘惑なのかは分からないけど、とにかく何かを感じることが出来たの。物を触って念じれば持ち主の居場所が分かったし、逆に人に触れば探し物のありかも分かった」
「そ、そんな力があったんだべか!」
「ちっとも知らなかった……」
鼻を膨らませるディアナはともかくとして、ヴィッキーの切なげな顔。かなり複雑な想いがあるんだろうな。
「私がオートクチュールデザイナーとして大成したのはこの力のお陰よ。相手を触れば、相手の欲するものを知ることが出来たから。だから、顧客が最も欲しがるデザインを起こすことが出来た。後はそれを形作る腕を磨くだけだったわ」
きっと巫女や祈祷師が持つ力に近いのかな。でも、それよりももっとずっと具体的で正確なんだろう。
俺は一人で納得していた。
あの時、この人に初めて会った時に感じた魔力みたいなものの正体がこれだったんだって。
こりゃ、【精心術】ってやつだ。




