第三話 二人組
「んじゃ、ここで日暮れ前に待ち合わせだかんねぇー」
ギルドから出てすぐの通りで、ルチルは手書きの地図を俺に手渡すと雑踏の中に消えて行った。
不思議なもんで、水の都じゃ街を歩きゃ嫌でも目立つっつー存在感の塊みたいな女だが、ここじゃ全然そんなことはない。すんなりと街の景観に馴染むと、いつの間にか見えなくなっていた。
俺は路肩の馬車止めの石柱に腰を下ろすと、渡された地図に目を落とす。字は汚ねぇくせに、図面だけは妙に丁寧だ。
どこかはよく知らねぇが、ビルヒル区って地区の裏通りに目印になるような交差点があるらしい。そこが俺達の集合場所になるんだとさ。
俺は地図を折り目通りに畳み直して懐に突っ込むと、どこに行こうかと辺りを見回した。
何度も言うが、ここは世界の中心地。更にはその街の中心地。見渡す限りの人、人、人、人、人でごった返している。
よし決めた。
俺は立ち上がった。
ビルヒル区に行こう!
チキンとは言わせないぜ。なんせ土地勘もねぇし、待ち合わせに遅れるのもなんだから、とりあえずは安全策を取るのが定石だろうが。
俺はゆっくりと歩き出した。
そっこーで人とぶつかりそうになって謝りながらな。
―――まぁ、なんだ。俺は自慢じゃないが、水の都って呼ばれるくらいの、一応は大都市の一つで育った訳だ。つまるところ、俺も一応は都会っ子な訳な訳な訳でだ。都会っ子だと思いたいってのが本音なのかもしんねぇけどさ……ぶっちゃけ、この街に圧倒されていた。
この街すげぇー!!!
いかん、つい心の声が!
まぁ、なんだ。とにかく凄いんだ。
道行く人達も、俺の地元じゃ見たこと無い様な服装だったり肌の色だったり多種多様だし、通りの脇に軒を連ねる屋台や露店なんかも何のために使うものなのかも分からない様な品物を並べてるし、食い物なんかも初めて見る様な珍しいもんだらけだし。
俺は適当に選んだ屋台でクレープっつー食い物を買うと、そいつを頬張りながら歩いていた。薄く焼いた小麦粉の皮に果物やらクリームやらアイスやらチョコやらが巻かれてるが、とりあえずそれもすんばらしく旨い。
で、極め付きが街を形成する建物だ。
上手く説明出来ないが、街中が基本的に同じデザインをした、白い石造りの四角い建物になっている。後から聞いた話じゃ、街の景観を演出するよう、そういうデザインで造らないとならない決まりがあるんだとさ。
そしてその規模感な。
俺が見上げていたのは、そりゃもうバカでかい劇場の建物だった。
水の都にだって劇場はあったが、この大きさに比べたら小屋みたいなもんだ。事実、芝居小屋って呼ばれてたしな。
今、目の前にそびえ立っているのは、うちの王様の城と比べても遜色無いレベルの大きさだったが、この界隈にはそんな建物がズラリと並んでいたんだ。
劇場の壁の高い場所には人目を惹くように、演目を表した巨大な絵画が飾られていた。
『創世記』って演目だそうで、生まれながらの王として生を受けた少年と、その少年を導いた魔女が、いくつもの試練を乗り越えて大成していくまでを描いた叙事詩であり英雄譚なんだってさ。
剣を構える小さな子供と、そいつの後ろで見守るように立つ美人の魔女の絵が描かれていた。
少し興味はあったが、チケットは二十Gだそうだ。まぁ、今の俺には贅沢だと思い、俺は後ろ髪を引かれる想いで劇場を後にした。
―――劇場を離れてからしばらく歩いた頃だった。
「なぁ、ちょっと道を聞きたいんだが」
背後から俺は声を掛けられた。
振り向くと、そこには二人組の男達が立っていた。
一人は顎まで伸ばした長めの茶髪をきれいに真ん中分けした、ギョロ目が特徴的な男。
もう一人は、同じく茶髪を短く刈り上げた精悍な顔付きの男。だけど頬っぺたが赤みがかっているんで可愛らしい印象がある。
そんでもって二人とも、割りと小柄だった。俺の目線くらいに頭の先があるんだからな。
「なんだい?」
俺は素直に答えた。
見た感じ、旅の傭兵だとかそんなとこだろうな。服装こそ、ギョロ目はイカした紋章の刺繍が散りばめられたロングジャケットを、リンゴほっぺは袖にゆとりのある洒落たシャツの上にジレーを纏うエレガントな雰囲気だが、二人とも腰には細いサーベルを携え武装していたからな。
声を掛けてきたのはギョロ目の方だったらしく、そのまま話し始めた。
「俺ら、サロン・ド・メロってメゾンを探してるんだが、他所から来たばかりで道が分からないんだ。あんた、知らないかい?」
……メゾン? 知らない単語だ。
「悪いな。俺もあんたらと同じで他所者なんだ。全く分からねぇや」
俺の返答に何か親近感でも湧いたのかな。そいつらの表情は一気に柔らかくなった。
「そうか、あんたも俺らと一緒か。いやぁ、俺らみたいな田舎もんにゃ、この街はデカ過ぎて困るよな。右も左も分からないってのはこのことだぜ。人ごみを歩くにも不馴れだから一苦労だ」
ギョロ目が笑いながら言っていた。
勝手に田舎もん仲間にしてんじゃねぇ……とも思ったが、まぁあながち間違いでもねぇからな。
俺も愛想笑いを返してやった。
「力になれず悪かったな。道を聞くんなら、その辺の店で訊いた方が早いんじゃないか?」
「違ぇねぇ。ま、代わりに何か買えってせびられちまうが仕方ない。情報料だと思ってやるとするか」
「それが利口かもな」
そう言ってやると、ギョロ目は手を上げて挨拶してから俺から離れて行った。リンゴほっぺは全く喋りもしなかったが、俺に頷いて見せるとその後を尾いて行った。会釈のつもりなのかな。
俺も再び歩き出そうとした直後だった。
一人のガキが俺にぶつかってきた。
「おっと、ごめんよ!」
そう言いながら走り去ろうとするガキ。俺は一瞬だけ考えた後、そいつがスリだってことに気が付いた。
心中で舌打ちすると、ガキを追おうと身を翻した。
が、ここは天下の港街の往来だ。
溢れ返る人ごみに、思うように進むことも出来やしねぇ。
ガキの方はよっぽど熟れてるんだろう。すり抜けるように人ごみの中を駆け、みるみるうちに離れていくのが見えた。
やべぇな。財布の中身にゃ大した額が入ってる訳でもねぇから特にどうってことは無いが、ここでまんまとスられたとあっちゃ、同じく元悪ガキの沽券に関わるってもんだ。
俺は何とか追おうと躍起になったが、それでも上手く前に進めねぇ。
四苦八苦してた俺の目に、驚くべき光景が飛び込んできた。
さっきの二人組が滑るようにガキの前に回り込むと、がっちりとそいつを捕まえたんだ。
「離せよ!」
まさか捕まるとは思ってなかったんだろうな。リンゴほっぺに襟首を掴まれたガキは、必死に喚いていた。
騒ぎに気付いた人の流れが止まったことで、俺も何とか二人組の元へと辿り着くことが出来た。
「ほれ。あんたの財布だろ?」
駆け寄る俺に向かって、ギョロ目が革袋を投げて寄越した。
「すまねぇ」
受け取りながら、俺は礼を述べた。
「さてさて、このガキ、どうするよ?」
ギョロ目は吊り下げられたガキの頭を撫でながら、俺に問い掛けている様だった。
「いや、いいんだ。離してやってくれ」
俺は言ってやった。
俺も一応はそいつと同じ悪ガキだったからな。スリってのは、一般人にやりゃ悪いことだと思うけど、俺みたいな輩相手の場合はスられた方が悪いってもんだ。
何となく持っている、悪ガキの美学みたいなもんかな。
「アンドレ」
ギョロ目に名を呼ばれたリンゴほっぺは、無言でガキを手離した。
「ってめぇら、覚えとけよ!」
ガキはそう捨て台詞を吐き捨てると、やはりすり抜けるように人ごみの中に消えて行った。
それを見届けてから、ギョロ目達は再び立ち去ろうと俺に背を向けた。
「おい、ちゃんとした礼がまだだぞ」
そう言って追いすがろうとしたが、
「人ごみにゃ気を付けろよ。田舎もん仲間さんよ」
二人組は後ろ手を振るだけでさっさと行っちまった。
一人、通りに残された俺は、あることに気が付いた。
さっきの洗練された動き。とても人ごみに不馴れだとは思えねぇ。
ってことはだ……
俺だけが田舎もんってことじゃねぇか!
あいつら、遠回しにバカにしてやがったんだな!?
気付いた途端、俺の怒りのボルテージは一気に限界突破したんだ。




