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第三話 旅人の酒場

 無事にアカデミーを卒業した奴が次に向かうのは、【旅人の酒場】って名前のバーだった。

 ……………なんだよ、旅人の酒場って。そんな安直な名前でいいのかよ?なんかのパクりか?

 なぁんて取り纏めの無いことを思いつつ、俺が向かったのは水の都では比較的治安の良い、だけどまぁあんまり豊かではないスラムだった。

 ぶっちゃけ、ガキの頃から何度も悪さしてた辺りだ。一応は卒業証書と同時に貰った地図に場所が記されてはいるものの、俺にはその場所をチラ見しただけでピンとくるような、よく見知った地域だった。


 薄暗い路地裏を、石畳の音を立てながら進む。しばらくすると、特に変わったところの無い、なんの変哲も酒場の前で立ち止まった。


 うん。知ってたわ、ここ。

 やっぱりそうだ。店の前だけは、ガキの頃から何度となく行き来していたし、この店に勇者が出入りしてるのも知ってた。

 逆に感慨深く思えた。

 勇者を志した頃から、ずっと憧れていた場所だもんな。

 見上げると、頭上には古びた木製の看板。

 まるで子供が書きなぐったような雑な字で……てかちゃんと掃除してんのか? 苔までむした年季の入り具合の看板には、【旅人の酒場】と書かれていた。



―――俺が育ったこの国は、それは貧しい国だ。

 かつては栄華を究め水の都なんて呼ばれてたみたいだけど、今じゃそんな話はとても信じられるもんじゃない。

 確かに街中にはたくさんの運河が張り巡らされてはいるけど、それもただの溝川みたいなもんだ。

 表向きは城下町としての体裁を保ってはいるが、路地裏に一歩でも踏み入れればそこは貧民達の暮らすスラムが広がっている。

 俺だってそんなスラムの住民のひとりだった。


 だけど、この国が貧しいのは何も国王が能無しだからってわけじゃない。

 おとぎ話に出てくるような、魔なる者ってのが未だに世界には蔓延っていて、そいつらとの終わりの見えない戦いが、こうやって人々の生きる力を奪っているんだ。


 この国は貧しいかもしれないけど、凄いところもある。

 世界中の人々が魔物から身を守ることしか考えていない中で、唯一そいつらを退治しようと考えてるところだ。

 国王が魔物退治のスペシャリストを育成するためのアカデミーを作り、町の若者から志願者を募って戦いを教えてくれる。

 戦いの基礎を学び卒業試験に合格すれば、晴れて国が認めた戦士【勇者】として魔物退治に旅立つことが出来るってわけだ。

 ただな、アカデミーに入りたい奴なんて、実際には一部の富裕層の子息ってのばっかりで、生きるので精一杯なスラムの連中はそれどころじゃない。


 俺だって、あの時あんなことが無ければ、他の奴らと同じで魔物と戦おうなんて思うこともなかっただろうし。



―――俺はそんな事を思いながら、看板の下にあるこれまた古めかしい木戸に備え付けられた真鍮製のドアノブに手を掛けた。

 思ったよりもドアは重かったけど、軋んだ音を立てながら、ゆっくりと俺を酒場の中に招き入れた。

 中はほんのりとした灯りに照らされていた。

 さほど広くない店内には四人掛けほどの簡素な丸テーブルが五つ並んでおり、そのひとつひとつに小さな燭台が置かれている。

 少し甘く、それでいて爽やかな不思議な香りが俺の鼻をくすぐった。

 スラムの店とは思えない、とても不思議な雰囲気を持つ空間が広がっていた。



「いらっさいましぃー」



 鼻に掛かったような、少し落ち着いた、それでもよく通る声が店内に響き渡った。

 声のした方へ視線を向けると、様々な酒瓶が並べられたカウンターの端に声の主が腰掛けているのが目に留まった。


 歳の頃は俺より四つか五つくらいは上くらいだろうか。

 女がこちらを見ていた。


 白く透き通った肌。

 まるで神々が自ら手を下して作り上げたのではと思うほどに整った顔立ち。

 艶やかな絹のように流れる黒髪には、糸を束ねて結い上げたようなリボンをちょこんとつけている。

 見たこともない不思議な意匠が施された空色のダブルジャケットに、細かな花柄のスカート。

 スカートの裾から覗く、燕脂色のレギンスに包み込まれた足の先にはこげ茶色のヌバックで仕立てあげられたヒールの高いブーティ。

 細く長い足が優雅に組まれたその様は、まるで美しい彫刻のようですらあった。

 彼女の衣装は俺のそれとは全く異なる素材で作られているようで、汚れひとつ付いていない。

 思わず自らの薄汚れた服装と見比べた程だった。


あまりの神々しさに、俺は思わずその場に立ち尽くしていた。


「お好きな席にどーぞぉー。何を飲みます?」

「いや……」


 女の言葉に我に返った俺の台詞は、喉の奥から絞り出す様な妙な声だったに違いない。

 どうしてか分からないが、気圧されているのが自分でも自覚できた。


「飲みに来たんじゃない」

「をっ、とゆーことはぁ、君があれですかぁ。今期最後の落ちこぼれ君だぁ」


 女は鈴を転がしたように笑った。

 その笑い声で俺の緊張は一気に(ほぐ)れた。


「俺を知ってるのか?」


 女は手招きの仕草で俺をカウンターの席へと(いざな)った。


「そりゃあねぇ。アカデミーからは定期的に卒業者の情報が入るからねぇ」


 俺はカウンターに近付くと、女から椅子をひとつ開けて腰を下ろした。


「有名よ? 同期はもう皆とっくに旅立って行ったってのに、最後までずぅーっと粘って授業受けてたってさぁ」

「何とでも言えよ」


 ニヤニヤと俺の顔を覗き込みながら喋り続ける女から目を逸らし、俺は不機嫌さを隠さずに店内を見回していた。

 外装とは打って変わり、きちんと手入れの行き届いた綺麗な店だった。


「んで、ようやく卒業できたんだねぇ。おめでとーございまーす」


 全く思ってない時のおめでとうございますだな、こりゃ。

 勝手に話を進めながら、女は俺の前に小さな木箱を寄越した。


「なんだ? これ」


 俺は木箱をしげしげと眺めるだけだった。


「開けてみないのぉ?」

「あんたみたいな怪しい人からの貰い物なんて、そう簡単に開けられるか」

「どぅへへ! 他人を信じない狂犬スタイルか!」


 何がそんなにツボにはまったのかは知らないが、やたらと腹を抱えて笑っている。

 綺麗な見た目とは反して、どう考えてもおっさんみてーな笑い方だけどな。


「まぁいいや!」


 ひとしきり笑い終えると、肩を揺らしながら女は向き直った。


「待ってたよ、スクード。ずっとずっと、ね」


 そう言ったその顔は、何故だろう、見たこともないくらいに爽やかで、それでいて、切なさに溢れていたんだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この女性はもう最初からスクードと会う事が分かっていたんですね。
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