第十七話 ハリトカゲ
「何だ!? あの魔物は!? 見たことねぇぞ!」
言葉のまま。俺ら勇者ってのは、アカデミーで魔物についても習うわけで、少なくともどんな見た目の魔物にどんな名前が付けられてて、どんな特性を持っているのかくらいは知ってるはずだった。
だが今目の前にいる魔物に持つ感想は言葉のままだ。
「確かに、私も知らなーい。ありゃきっとあれだ、魔澪大陸の生き物じゃないかね」
魔澪大陸。
ルチルの口から飛び出したのは、世界の西の果てに位置する魔族達が住まう場所。断崖絶壁に囲まれ、常に真っ黒な瘴気に包まれた、今だかつて人間が足を踏み入れたことすらない未開の地の名だった。
「マジかよ。そりゃ知らねー訳だ」
俺は半笑いを浮かべながら腰のブロードソードを抜き放った。
「剣が通りゃいいがな」
未知の魔物とやり合うなんて、熟練の勇者でも滅多にあるもんじゃねぇ。
さーて死なずに切り抜けられるか。
情報が全く無い中でのこの戦い。俺自身の対応力だけが命綱だった。
「やったぜー。こいつの情報、アカデミーに高く売れるかなぁ?」
背後から聞こえるこれまた異次元の台詞に思わず振り返った。
「おいお前今なんて言った!?」
「はいはい、よそ見は厳禁ですよー」
俺の全力の質問をさらりと無視し、ルチルはとてつもない跳躍力で飛び退いた。
刹那、頭上からは鋭い風切り音が。
俺も反射的に飛ぶと、目の前に先程と同じく無数の刺が降り注いだ。
「てめー、こんな時に変なこと言ってんじゃねぇ! 」
間一髪で命拾いしたが、元を正せばこいつが妙なことを口走ったから注意が逸らされた訳で、やはり俺は全身全霊で悪態をついてやった。
「うっそ? ひょっとしてスクード、ここで死んじゃうつもりー?」
いつの間にか更に距離を取り、恐らくは完全にと言える安全圏に避難しているルチルが笑った。
「そんな訳あるか!」
「ならさ、やっつけるんならさ、やっつけ方の情報とか手に入るじゃんさ」
「そりゃ! ……そーだけどよぉ」
ドダンッ!
鈍く太い音と共に、地面が軽く揺れた。振り向けば、目の前には未知の魔物が床に降りてきてやがる。
ダメだダメだ! ルチルに振り回されてちゃいけねぇ!
勢いよく頭を振ると、俺は気を取り直してブロードソードを構え直した。
近くで見るとまた一段とデカいトカゲだ。本体の体高は俺の腰辺りだが、背中にびっしり生やした刺が呼吸に合わせて上下する感じから見て、恐らくは刺を逆立たせることも出来るんだろうな。そしたら俺の背くらいにはなるんじゃないか? 体長だって、頭から尻尾の先まであわせりゃ四メートルは下らねぇだろうし、さーて、どうやって攻略したもんか。
とにかくまずは様子見だ。
背中に刺が生えたトカゲ……長ぇな。こいつは今からハリトカゲだ。
ハリトカゲが動いた。
長い尾を振り上げ、体を捻らせて俺に向かって打ち付けてきた。
この辺りは普通の動物と変わらねぇか。
俺はタイミングよく飛び上がり、その尻尾の一撃を難なくかわした。
カウンターで尻尾に剣を当ててみるも、想像通りの鱗の堅さに刀身は阻まれ、反動だけが腕に返ってきた。
剣が通らないとなりゃ、この近距離戦は致命傷になり得るな。
「ヴェルウィント!」
飛んだまま、掌に練り上げたレイスを突風に変化させ、至近距離からぶっ放した。
風の大砲が轟音を上げながら突き進む。普通に当たればいくら大型の動物と言えどもそれなりには吹き飛ばせるほどの威力がある術だ。
突風がハリトカゲに当たる直前だった。
トカゲは頭を下げ、背中を持ち上げた。
同時に、背中に並んだ太い刺が一斉に逆立ち、まるで扇が閉じるみたいに寄り集まった。それはさながら、堅牢な塀のように見えた。
案の定、俺の放った突風は刺の塀に呆気なく阻まれ、霧散していった。
が、それでは終わらない。
逆立った刺に更に角度が付いたかと思うと、さっき天井から降ってきたのと同じ行動なんだろう、そいつらは一斉に音もなく射出されたんだ。
すげー速さだ。
目の前で発射された飛び道具、空中にいる俺じゃ避けられるはずもねぇ。
迎撃するしかねぇ。
俺は剣を構えた。
鋭い金属音と共に、俺を捉えていたいくつかの刺を叩き落としてやった。
そのいくつか以外は全て空中で身を捻ってかわした。
目の前で発射されたならな。
俺のヴェルウィントは何も攻撃だけが目的じゃねーんだよな。
空中を漂うタイミングで突風を放つことで、俺は自分の体を後方へと吹き飛ばしていたんだ。それこそ、このハリトカゲの間合いから遠く外れた距離まで。
ゼロ距離であの刺を喰らったらそりゃひとたまりもねぇだろうけど、これだけ距離がありゃ見切るのも容易。
しかも、俺の剣でも十分に迎撃可能な程度の威力だとも分かった。
全ての刺を処理し、俺は再び足を地に付けた。
「わぉー。スクードかっこいい!」
俺から見て左の壁際で棒立ちで見ていたルチルが歓声を上げていた。
「うるせー。お前も見てねぇでちったぁ手伝え」
ハリトカゲからは目を離さず、俺はルチルに言ってやった。戦力は多いに越したことはないからな。
「無理ー。私、一般人なので魔物なんかと戦うとか出来ませーん」
が、返ってきたのはこれまた驚くべき一言。
「は!? お前、だって、さっき! 何か知らねぇけど俺のことひっくり返らせたろ!? あんな怪力、一般人レベルじゃなかったぞ!」
そうだ。俺自身でも何をされたのか分からないほどの速業で、ルチルは俺の体を持ち上げたんだ。
「ああ、あれ? あれは力で持ち上げたんじゃなくて、テコの原理の応用ですねぇ。しかも人間の体の仕組みを利用した。なので、人間以外の生き物には使えないんでーす。残念でした、どぅへへぇ」
「笑うな!」
俺はやっぱり頭を抱えた。
ったくよぉ、よくそんなんで旅に尾いていくなんて言えたもんだよ。
改めてハリトカゲに意識を戻した。今のところのあいつの強みは分かった。次は弱点探しだ。
ああいう四足歩行動物で、鱗や背中に絶対的な自信を持ってる手合いは、往々にして腹部に弱点があるってのがセオリーだ。
まずはそこを攻撃してみねぇとだ。
じゃあどうするか?
体高的に下に潜り込むのは難しい。ならひっくり返すしかねぇ。
「ヴェルウィント!」
もう一度、同じ術を放った。
ただし、今度は足元を狙ってだ。
突風がハリトカゲに達しようとした少し前だった。
ハリトカゲが動いた。
しかも想像の遥か上を行くスピードで、俺の方へ向かって突進してきやがったんだ。
まるで突風が見えてるかの動きで術をかわしながら迫り来る。
俺はハリトカゲがルチルの方へ向かわぬよう、右手側に向かって走った。
「ヴェルウィント! ヴェルウィント!」
走りながら、ハリトカゲの足元を目掛けて何度も術を放ち続けた。
だがその全てをかわしながら、トカゲは俺に目掛けてまっしぐらだ。
「ヴェルウィント! ヴェルウィント!」
今度は足元ではなく行く手を先読みした形で術を放つも、どうやら頭も良いらしく、そちらもきっちり避けていやがる。
壁際を駆けていた俺だったが、イメージより遥かに速いスピードで迫るハリトカゲに徐々に追い詰められていた。
俺は壁から離れると、ハリトカゲとすれ違うように納骨室の中心へと戻る進路を取った。
ここは流石に巨体ってことだ。目玉は反応してるみたいだが、足は即座について来れねぇ。
壁際で足踏みし、グルリと体を反転させようとしたその時。狙ってたのはここだ。
「ヴェルウィント!!」
特大に練り上げたレイスを解放し、渾身の突風を足元にお見舞いしてやった。
太くて短い前足の下に突風が潜り込み、その巨体を浮き上がらせた。
この隙は逃せねぇ!
一瞬でハリトカゲとの距離を詰め、浮いた腹の下に更にヴェルウィントを打ち込んだ。
これが決め手になった。
ハリトカゲはあっさりと引っくり返ると、背中の刺が仇となり、地下墓地の壁に繋ぎ止められていた。
「喰らえ!」
俺は地面を蹴って飛び上がり、ブロードソードを逆手に持ち変える。
そして全体重を掛け、一気に剣を突き刺した。
ガギィィィンッ!
けたたましく響き渡る金属音が耳朶を突き、ハリトカゲの腹に弾かれた剣を目撃した。
同時に俺の体を凄まじい衝撃が襲った。
視界の端に映った影で判断するに、ハリトカゲの太い尻尾が直撃したらしい。
衝撃で目の前が真っ白になって、俺は地下墓地の中を吹っ飛ばされていったんだ。




