ラーメンとニンニクと食欲と自粛
中学生の頃、いつも学校から帰るとすぐに鍋にお湯を入れ、コンロに火を着けていた。
夕食まで、あと二~三時間といった時間帯。
甘いものを食べる気分ではないが、何か口に運ばずに我慢はできそうもない。
冷蔵庫の中にある食材は、夕食の材料になるので使えない。
凝った料理は、とても作っていられない。
となれば、自ずと『インスタントラーメン』という回答にたどり着く。
自分のために用意されていたのか、それとも他の家族のためか。
今となっては分からないが、我が家には常に一~二パックのインスタントラーメンが常備されていた。
一袋、二袋ではなく、五袋入り一パックのものだ。
味は主に醤油味。
稀に塩や味噌が用意されることがあったが、自分は醤油を好んで食べていた。
小学生の頃は袋に記載されている分量通りに作っていたが、中学に上がってからは自分好みにアレンジをしていた。
まず、お湯は分量より多く沸かす。
麺がほぐれやすくなり、茹で上がりのクオリティが変わる。
……と思い込んでいるだけで、本当は気のせいかもしれない。
だが、スープは増えるので、飲み干した時の満足感につながるのだ。
そして、沸かしたお湯に本だしを入れる。
こうすることで、分量よりスープが多くなっても、味が薄くならない。
それどころか、深みを感じるようになるのだ。
こちらも気のせいかもしれないが、食事において気持ちの問題は大きい。
麺を入れてしばらくすると、本だしのせいか湯が茶色く泡立ってくる。
--このタイミングだ。
生のニンニクをすりおろして、お湯の中に入れてしまう。
強い香りがプゥンと漂う。
このニンニクが入るか否かで、子供のおやつになるか、最高のご馳走になるか、それくらい変わってくる。
一度ニンニクの入ったラーメンに慣れてしまうと、もう素のラーメンには戻れない。
非常に罪深い食材だ。
その罪は、自分自身の匂いとなって外に出てくる。
ささやかな抵抗として、先にお湯に入れてしまうのだ。
麺の残りの茹で時間、一分間でニンニクにも火が通って、少し香りが丸くなってくる。
もし、ラーメンが茹で上がった後に生ニンニクを入れるとなれば、その素晴らしい香りと引き換えに翌日まで匂いが付きまとうであろう。
最後、麺が茹で上がる三十秒前、溶き卵を入れる。
注意すべき点は、卵が固まる前にスープに溶かさないこと。
卵が溶けるとスープの味がボヤける。
そうならないよう、イメージは『かきたま汁』だ。
卵がふんわりと固まって、もう一度沸騰する手前くらいのタイミングで、粉スープを張ったどんぶりに鍋の中身を流し入れる。
鶏がらスープと、本だしと、ニンニクの香りが合わさって、食欲を煽るとんでもない匂いが漂ってくる。
先にお湯を入れてスープを溶きつつ、麺は後でどんぶりに入るように意識する。
わざわざ麺を別にしたりすることはない。
そんな余裕はもうない。
先にスープを溶いたおかげで、麺がほど良く絡んでいる。
中身を一気に入れてしまうと、スープが全体に行き届かず何回も混ぜる必要が出てくる。
さて、ここで食事開始ではない。
仕上げとばかりに、醤油、ラー油、胡椒、そして七味唐辛子をかける。
後から考えれば、酸辣湯麺の様な見た目だ。
実際酢を入れても良い味に仕上がる。
醤油を入れることでスープはキレを取り戻し、その他香辛料が食欲を刺激する。
ようやく箸を取る。
『ようやく』と言いつつも、完成から三十秒と経っていない。
その素晴らしい香りを少々の間嗅ぎつつ、箸で持ち上げた麺が丁度良い温度になる頃、一気に麺を啜りこむ。
夏であっても、冬であっても、どっと汗が噴き出てくる。
それに合わせて気持ちも昂る。
だが、そんなことは気にせず、どんどん麺を啜っていく。
--美味い!!
一食百円にも満たないであろう材料費、お湯を沸かすところから始めても十分かからない調理時間。
そんなものが、腹を空かせた中学生の腹に染みること染みること。
--今の自分は、世界で一番美味いものを食っている。百倍の金をかけても、千倍の時間をかけたとしても、これより美味いものはない!
食べれば食べるほど、食欲が増す。
ラーメン一杯では、とても足りない。
そこで用意されたのは、炊飯器に残っていた、朝の残りの冷ご飯。
一合近い米をお供にラーメンライスパーティの開催だ。
これが、また、合うのだ。
ラーメンが米に、米がラーメンに。
相思相愛だ。
片方を食べると、また片方が食べたくなる。
硬くはなっていない冷たいご飯が、ラーメンを吸い寄せる。
炭水化物と炭水化物、禁断の組み合わせだからこそ惹かれるものがある。
恐ろしいスピードで食べている。
今思えば、とんでもない量を、とんでもない速さで。
若さゆえのエネルギーの爆発があった。
飲み物は、冷たい水もいい、麦茶でもいい、コーラで口の中をリセットするのもいい。
だがここは、牛乳だ。
ニンニクと卵とその他のダシやらでごちゃ混ぜになった口内を、牛乳で押し流すのだ。
冷たい牛乳が、辛さや痺れを感じていた口の中をリセットする。
その牛乳の満足感と言ったら、この食事中だけで一ℓ近くを消費してしまうほどだ。
そして、新しくなった口でまたラーメンに立ち向かう。
--あっという間に、ラーメンを食べ終える。
スープは最後の一滴まで飲み干している。
食べ終えるまで、やはり十分とかかっていない。
額に汗を感じつつ、ゆっくりと呼吸をする。
そうすると、口の中に残るラーメンの香りにまた会える。
余韻というものを、ここで経験する。
素晴らしい体験だった。
学校で何があっても、これを食べた直後は最高の一日になってしまう。
しばらくは動けない、いや、動かなくても良いのだ、動く必要がないのだから。
外にも行かない。こんなニンニクの匂いをさせて、外に行くわけにはいかない。
自粛だ。自宅待機だ。すべてが不要不急だ。
ただただ、この幸せな気分に浸っていよう--。
--中学時代、私に恋人ができなかったのは、容姿でも、中身が原因でもなく、単純にニンニク臭かったからなのかもしれない。
なお、今現在、私に恋人はいない。
毎日、ニンニクは食べている。
やはり、そういうことかもしれない。
おっし、今日も自粛すんぞ。