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現実世界恋愛もの

天使のkiss

作者: 在り処




 昨今、下火と言われる音楽業界。

 特に若者のバンド人口は減少し続けている。

 そんな中、他の追随を許さない盛り上がりをみせる、2つのインディーズバンドがある。


 多数の狂信者を持つ、悪魔系ヘビィメタルバンド『サタニズム・スレイブ』

 多数の崇拝者を持つ、天使系(癒し系)ロックバンド『ベビー・スマイル』


 白と黒、水と油、天使と悪魔と比喩され、常に敵対(ライバル)関係の両者だが……私に言わせればどちらも狂った客層を持つ同じ穴のムジナである。

 だが2つのバンドが織りなす熱狂の輪は、全国に広がっていくだろう。  

            (記事  心乃 在処)






「なっーんだよ、これっ! おい、ヴェルノゲル、この記事読んだか?」

「ちょ、ちょっと、川田君怖いって。そ、それに僕は柏木 響(かしわぎ ひびき)だよ。その名前で呼ばないでよ」


 僕に詰め寄り、目の前で記事を広げるのは川田君。

 僕の組んでるバンド、『サタニズム・スレイブ』と呼ばれる悪魔系ヘビィメタルバンドのベース担当。

 僕の担当はヴォーカル兼ギター。トイフェル=ヴェルノゲルって厨二病っぽい名前までつけられている。


「僕も読んだけど、その記事褒めてくれてるじゃないか」


 川田君は目を見開くと記事をビリビリに破り、ドンと机に足を乗せる。

 あまりの大きな音に僕はビクリと飛び上がったほどだ。


「あーのーなぁー。俺達『サタスレ』が『ベビスマ』と同列に扱われてんだぞ! お前は怒りが湧いてこないのか?」

「ぼ、僕は別に……」


 あまりに川田君が睨むので、僕は小さく独りごちた。

 川田君は『ベビー・スマイル』が嫌いだ。

 嫌いなのにいつも略して呼んでいる。


 ベビスマは僕らのライバルと呼ばれているバンドだけど、ジャンルが違う。

 こっちはヘビィメタルであっちはロック。

 どうしていつも比べられるのかが、僕には分からない。


 僕らは男3人組(スリーピース)バンドで、ベビスマは女の子3人組(スリーピース)バンド。

 歳も近いかもしれないけど、共通点なんてバンド構成くらいだ。


 川田君には悪いけど、僕はベビスマの曲が好きだ。

 癒し系ロックバンドと言われるだけあって、聴いていると心地がいいんだ。

 ヴォーカル天使 歌音(あまつか かのん)さんの透き通る声は心に響く。

 人形みたいな整った顔に金髪ロングヘア。モデルのようなスレンダーな体型だから、みんな名前にかけて天使(てんし)と呼んでいる。ちなに僕はベビスマ信者から悪魔と呼ばれてる。

 アイドルのように持ち上げられてるけど、曲は本格的なロック。

 まぁ、正直天使(あまつか)さんのどこか猫を被ってるような媚びる態度は好きじゃないけど、歌声は本物だ。


「おーい、前のバンド今から開始だからね」


 僕の頭にベビスマの代表曲『天使のkiss』が流れていると、ライブハウスのマスターが開始40分前を告げに来た。


「やべっ! ヴェルノゲル早く化粧しねぇと」

「う、うん」


 しつこいようだけど僕らは悪魔系ヘビィメタルバンド。

 あのデーモン閣下のようなコープスペイントをしなければならない。

 顔を白く塗り潰し、目や口の周りを黒く縁取る。

 実は僕には秘密があって、化粧で顔が隠れていくと……僕は――――俺様は‼︎




「今夜も俺様の美声が欲しくなったのか、この愚民どもが!」

「うぉー! ヴェルノゲル様ー!」

「きゃーっ! 醜い私をもっとなじってください」


 この愚民共は、俺様の声無しでは生きられない中毒者(ジャンキー)だ。

 俺様を崇め、一挙一動に歓声をあげる。

 仕方がない。

 手にしたJacksonの変形ギターの弦を弾けば、MXR M-116 (ディストーション)が音を歪ませ、Diezel Herbertのアンプから爆音となって、心を打ち砕く音が響き渡る。


 俺様の高速トレモロピッキングに男はいきり立ち、女は濡れる。

 だがここからが本番だ。

 高速ピッキングのまま左手が地獄の音を放つように指板の上を所狭しと動き回る。


「すげぇ、ヴェルノゲル様の指が10本に見えるぜ!」

「アタシをそのフィンガーテクで快楽の向こう側に連れてって下さい!」


 さぁ、開演だ!

 ドラムのディアボロに視線を送ると地鳴りのようなバスドラ連打が始まる。


「アァァァァァァァーーー‼︎」


 さぁ、俺様の叫びを聴け!









「じゃあ僕、楽器屋にギター預けなきゃいけないから先に帰るね」

「あぁん? 打ち上げはどうするんだよヴェルノゲル!」

「僕は柏木だよ……」


 僕は小さくつぶやくと、逃げるように楽屋を出た。

 ライブハウスの前にはサタスレ信者が今か今かと、メンバーが出てくるのを待っている。


「す、すいません。通して下さい」


 僕の蚊の鳴くような声は誰にも通らず、揉みくちゃにされながらなんとか人混みを抜ける。

 ズレた眼鏡を直すと、小さなため息が出る。

 誰も僕がヴェルノゲルだとは思っていない。


 メイクとカツラ、派手な衣装。

 自分を隠す仮面をつけると気が大きくなって豹変してしまう。

 それが僕の秘密だ。







「それじゃお願いします」

「明後日迄には交換しとくから」


 馴染みの楽器屋にギターを預けて僕は外に出た。

 最近チューニングがズレやすいのでペグを交換するのだ。


「さっ、帰ろっ」


 僕はスマホから伸びたイヤホンを耳につけるとベビスマの曲をかける。

 疲れた時は天使さんの歌声が1番安らぐんだよなぁ。


 ライブの後で疲れていたんだろう。

 音楽を聴きながらボッーと歩いていた僕は、誰かにぶつかりそのまま尻もちをついた。


「痛ってーな」


 ぶつかったのは体格のいい大学生くらいの男。

 座ったままの僕の胸ぐらを掴むと、グッと持ち上げてくる。


「ご、ごめんなさい」

「ごめんで済んだら警察いらねぇだろ!」


 男が殴りかかろうとして、僕が目を(つぶ)った時だ。


「警察はいらないだろ?」


 薄目を開けると男の手を掴む女性がいた。


「なんだお前。あぁ、お姉ちゃんが俺の相手してくれんのか?」

「間に合ってるよ」


 ガスっと音が聞こえると、股間を押さえて蹲る男。

 この女性が蹴ったんだ。

 その瞬間、僕の右手が掴まれる。


「ほら、何やってるの。逃げるよ」

「えっ、あっ、あっ」


 力強く引っ張られ、なされるままに女性と一緒に走り出す。

 どれくらい走っただろう。

 心臓が早鐘を打ち肺が悲鳴をあげだすと、女性は手を離し足を止める。


「はぁ、はぁ、もう大丈夫だろ?」


 息を切らしながら女性は微笑んだ。


「はっ、はい」


 僕と女性は街路樹のそばで腰を下ろして呼吸を整える。

 チラリと女性を見る。

 僕と同じくらいの歳だろうか。ナチュラルブラウンのショートボブにロゴの入った白いTシャツ。デニムのショートパンツからは白く綺麗な脚が伸びていた。

 化粧は薄いのに、黒縁眼鏡の奥にある目はパッチリと開かれ、筋の通った鼻の下には薄い唇。

 正直僕は見惚れていた。


「君、大丈夫だった?」

「えっ、あっ、はい。ありがとうございました」


 そういえばお礼も言っていなかったと冷や汗をかいてしまう。


「君、いくつ?」

「えっ、あっ、21です」

「アタシとタメかぁ。ダメだよ大の大人があんなのに絡まれちゃ」

「あっ、は、はい。すいません」


 僕が申し訳なさそうに頭を掻くと、彼女は意地悪そうな笑みをみせる。


「うそうそ。絡んだアイツが悪いんだって。アタシもムシャクシャしてたからさ、ちょうどいいストレス発散になったよ」


 彼女はそう言って、軽やかに立ち上がった。


「じゃ、帰りは気をつけるんだよ」


 手をヒラヒラさせて歩き出す彼女。

 何か言わなきゃと思った僕は、咄嗟に声をかけた。


「あ、あのっ。何かお礼させて下さい」


 男が女の子に助けて貰ってお礼をするなんて、とっても恥ずかしく思えたけど、お礼をしたいって気持ちは本当だった。

 彼女はキョトンとした顔で振り向くと、ズカズカと僕に歩み寄る。


「それって……ナンパ?」

「い、いえ、そんなんじゃなくて」


 焦って顔の前で手を振る僕に、彼女はバシバシと肩を叩き、「ごめん、からかっただけ」と、小さく舌をだした。


「君、名前は」

「あっ、柏木……柏木響です」

「響くんね。アタシは望。春木望(はるきのぞみ)。じゃ、響くん。カラオケ行こっか?」

「えっ? カラオケですか?」

「そう、カラオケ。響くんもこんな事があってストレス溜まったでしょ? ストレス発散にはカラオケが1番だよ!」


 春木さんはまた僕の手を掴むと「さっ、レッツゴー」と引っ張って行くのだった。




 僕はドキドキしっぱなしだ。

 生まれてこのかた彼女がいたのは高校二年生の時に1ヶ月だけ。

 それもまともにデートをする事なく「柏木くんってつまらないね」と振られてしまった。

 当然女性2人っきりでカラオケなんて人生初だ。


 春木さんは慣れた感じで部屋を決め、ドリンクを注文した。

 僕がオレンジジュースを注文すると「おっ、分かってるね。やっぱり歌う時に炭酸はよくないよね」と笑っていた。




「じゃ、アタシから歌うね。えっと、あったあった」


 タブレットを打ち込み送信ボタンが押されると、画面に現れた文字は『サタニズム・スレイブ〜悪魔の囁き〜』。

 僕は思わず2度見したけど、文字は変わらない。

『悪魔の囁き』はサタスレの2ndシングル。

 シャウトが続く過激な曲だ。

 春木さんが歌うなんて想像もつかない。


 僕の驚いた顔に気づいたのか、春木さんは「あれっ? 響くん知ってるの?」とマイク越しに話したが、爆音のイントロが流れ出すと画面に顔を戻した。


 おかしい。

 かなり暴力的な歌なのに、春木さんが歌うと全然違う。

 確かに春木さんは叫んでる。でも澄んだ声は妙に心地よく、僕の中での『悪魔の囁き』のイメージが崩壊した。


 歌い終わった春木さんは、僕にマイクを手渡す。


「あっ、まだ選んでないの?」


 僕は春木さんの歌に聞き入って曲を選んでなかった。

 急いで曲を選び、キーを2つ下げる。

 選んだ曲はベビスマの『天使のkiss』だ。


 春木さんは女性ヴォーカルの曲を選んだのが驚きだったのか、僕が歌い終わるまでポカンと口を開けていた。


「すっご〜い。響くん、メチャクチャ上手だね。アタシ、天使のkissのイメージ変わっちゃった!」

「春木さんの悪魔の囁きもすごく良かったよ」


 お互いがお互いを褒める奇妙な光景なのだが、僕は単純に嬉しかった。


「ちょっと意外だけど、春木さんはサタスレ好きなの?」

「うん。すっごい好き。サタスレの曲を歌うとストレスなんかどっかいっちゃう。響くんはベビスマ好きなの?」

「うん。歌うのも好きだけど、聴くのが大好き。とっても癒されるんだ」

「えっ、そうなの」


 春木さんは少し顔を赤らめて、烏龍茶を飲み出す。

 それからはカラオケも忘れて好きな音楽の話で盛り上がり、また歌い出す。







「あ〜、楽しかった。こんなに楽しかったの久しぶり。ありがとね」


 春木さんはグッと背伸びをすると本当に楽しそうに笑った。


「僕も楽しかった。これ、お礼になるかな?」

「んふふっ、なるなる。あっ、そうだ響くん、携帯貸して」


 僕がスマホを取り出すと、奪い取って操作を始める春木さん。

 何度もフリックを繰り返してから、僕に返してくれた。


「ちゃんとアタシの連絡先入れたから、連絡してよ。また一緒にカラオケ行こっ。じゃ、またね」


 僕は手を振って歩き出す春木さんの背中と自分のスマホを交互に見ながら立ち尽くしていた。








 あれから僕と春木さんは月2回ぐらい一緒にカラオケに行っている。


 僕があんまりにも連絡をしなかったら、春木さんの方から「こらっ、ちゃんと連絡しなさい!」とラインが来た。

 いつの間にか響と呼び捨てで呼ばれるようになり、僕も望ちゃんと呼んでいる。


「呼び捨てでいいよ」と言われたので「僕にはハードルが高いよ」と返したら「響らしい」とはにかんでいた。

 僕は完全に望ちゃんに惹かれていたけど、告白なんて出来るわけない。

 ただ一緒にカラオケに行くだけで僕は幸せだった。





 望ちゃんと知り合って3ヶ月が過ぎた頃、大きなイベントの話がバンドに持ち込まれた。


「いよいよベビスマと対決か! コテンパンにしてやるぜ」


 川田君は闘志を剥き出しにしている。

 そう、サタスレとベビスマの直接対決が決まったのだ。

 とある有名なイベンターが仕組んだのだが、同じステージ上で2つのバンドが同時にライブするというのだ。

 別にお互いをカヴァーしたり、仲良くセッションしようってワケではない。もともとジャンルが違うし。

 ようはお互いの曲を一曲ずつ順番に披露して、お客を取り合うバトルをすると言うのだ。


 僕は頭が痛くなる。

 このイベンターは馬鹿なのだろうか?

 僕たちの(信者)は羽目を外して暴れるし、ベビスマの(信者)もベビスマを侮辱する者には容赦が無いと聞いている。

 暴動が起きちゃうよ。


 だけど僕にそれを拒否する権利は当然なく、イベントの準備は着々と進んで行くのだった。






 僕のスマホが震えて画面を見ると、望ちゃんからのラインだった。


『ビックニュース! サタスレとベビスマの同時野外ライブが◯月◯日にあるんだって。響、見に行く?』


 どうしよう。一緒に見に行こうとも言えないし。

 僕は考えながら文字を打つ。


『ごめん。その日は大事な仕事が入ってて。望ちゃん楽しんできて』


 すぐに既読がつくと、返事が返ってくる。


『実は私もその日は仕事なんだなぁ。代わりに楽しんできて貰おうと思ったの。あ〜、サタスレ見たかった!』


 ボクはちょっと安堵した。

 でもサタスレは一緒に見に行くことは出来ないんだよなぁ。







 イベント当日は快晴だった。

 もちろん楽屋は別々で、早めにメイクした僕たちはリハーサルに臨んだ。


 ステージはとても大きく、今回のライブに客席はない。

 音出しをしてリハーサルが終わると、楽器はそのままに一旦楽屋へと戻る。

 途中ベビスマの人達とすれ違ったが、僕はメイクをした姿で気が大きくなってたし、元々ライバル関係に仕立てられたバンド同士。

 挨拶もなく通り過ぎた。


 ただ初めて近くで見る天使さんとすれ違うと、思わず口元が緩んでいた。

 天使さんも雑誌や映像では見たことのない嬉しそうな表情だったのが印象的だった。


 時間が経ち、楽屋にいても信者達の歓声が聞こえて来るようになる。


「時間です。よろしくお願いします」


 スタッフの呼びかけに腰を上げる。


「ベルゼブ、ディアボロ。信者共が俺様達の宴が待っている。行くぞ!」


 大きく声を張り上げて会場に向かう。


 ステージに上がると、そこからの景色は人の海だ。

 1万人は超えているだろう。

 大きな歓声に所々からヤジも上がっている。


 ベビスマの連中もステージに現れ、楽器を用意し始める。

 まずは奴らからの演奏だ。


『みんなー、いっくよー!』


 地下アイドルかと思うほどの可愛らしいMCにベビスマ信者は歓声を上げ、サタスレ信者が親指を下げてブーイングを起こす。

 だが曲が始まればアイドルの姿など欠片も無くなった。


 どこまでも広がりをみせる透き通る歌声は、観客を魅了していく。

 豹変してるはずの俺様が、油断すると1ファンの柏木響に戻りそうになってしまう。


 曲が終わり大歓声が起こると次は俺様達の番。

 俺様が手を振り上げるとサタスレ信者は声を殺し、ベビスマ信者のブーイングが聞こえる。


『アァァァァァァァーー!!』


 だがそれも俺様の雄叫びに怯み、今か今かと待ちわびたサタスレ信者の咆哮が唸りを上げる。


 ディアボロの激しいドラムが鳴り響き、ベルゼブのベースが唸りを上げ、俺様の超絶ギターが全てを切り裂く。

 どうやら今日の俺様は絶好調のようだ。

 曲が終わるとベビスマに負けぬほどの大歓声が沸き起こる。


 そして再びベビスマの番。曲は俺様――僕の大好きな『エンジェルズクライ』。


 客席で、

「おい、ヴェルノゲル様が笑ってるぞ」

「あれは嘲笑ってるんだろ?」

「でも……ステップ踏みながら、すごくノリノリだぞ」


 なんて会話があったことなど気づくはずもない。


 そして事件は俺様達の2曲目『死を踏みにじる者』で起こった。


 Bメロの途中で突然俺様のマイク音声が消えたのだ。

 慌てたスタッフが復旧しようとステージに上がるが、演奏は止められない。

 ベビスマのマイクを奪い取ろうにも両手はギターで埋まっている。


 ーーその時だ。

 澄んだ声が会場を突き抜ける。

 天使歌音が『死を踏みにじる者』を歌い出したのだ。

 信者達は一瞬呆気に取られ、だがその歌声に打ち抜かれ大歓声を上げる。

 スタッフが俺様にオッケーマークを送ってくるが、とても割り込める状態ではない。


 何より天使歌音のバックで弾くギターは至福の快楽を与えてくれていた。


 ライブ中に神が降臨するというミュージシャンは多数いるが、まさにそれだ。

 全てが解き放たれ、あらゆる事が出来る自由を手に入れる。

 スポーツ選手がゾーンに入ると、まるで第三者視点で自分を見る感覚になるらしいが、それと同じ事だ。


 曲が終わるとすでにサタスレ信者とベビスマ信者の区別は無かった。

 客席が一つになって、その興奮を伝えようと大声で叫ぶ。


 出番は変わり、ベビスマの『天使のkiss』のイントロが奏でられる。


 俺様が一歩下がろうとすると、天使歌音はこちらを見る。

 その目は俺様に歌えと言っていた。

 お前には歌えないだろ? と、挑戦的なものではない。背中を押すような、そんなふうに思える。

 本来ならキーを2つ下げなければ歌えない歌。

 だが、今日の俺様ならば!


 マイクを掴み腹の底から強く、でも優しい声を張り上げる。

 さっきと同じだ。

 客席は一瞬呆気に取られ、再び大歓声を上げる。


 サビに入り天使歌音が声を被せてくると、俺様は思わず感極まって泣きそうになってしまう。

 実際、客席では涙を流しながら叫ぶ信者も多数いた。


『天使のkiss』を共に歌い、『悪魔の囁き』を共に歌う。

 もう人生がここで終わってもいいほどの幸福感だ。


 全ての曲が終わり、俺様達がステージを去った後も大歓声はどこまでも続いていた。







「ヴェルノゲル、打ち上げどこ行く? 今日の酒は格別に美味いぞ!」


 メイクを落とし終えた僕に、ご機嫌の川田君が肩を組んでくる。


 その時僕のスマホが震える。


『響、仕事終わった? 今どーしてもカラオケ行きたいんだ。遅くなってもいいから行かない?』


「ご、ごめん川田君。今日はダメ。また今度ね」


 僕はギターや衣装をスタッフに預けて走り出す。

『すぐに行くから、いつもの場所で!』と打ちながら全力疾走だ。



 僕が息を切らして待ち合わせ場所につくと、「よっ」と手をあげる望ちゃんが待っていた。

 心なしか望ちゃんの息も上がってる。


「ごめんね。今日は喉が潰れるまで歌いたくて」


 ペロリと舌をだし、ごめんねポーズをとる望ちゃん。


「うん。僕もすごく歌いたい気分なんだ」


 こうして始まったカラオケは5時間に及んだ。





「今日はほんとーにありがとね、響」


 少し掠れ声の望ちゃんは凄く笑顔で、とても綺麗だ。


「こっちこそありがとう」


 望ちゃんは近寄ってくると、僕の顔をジッと見つめる。

 僕がドギマギしていると、クスリと笑って「やっぱりそうだ」と小さく呟いた。


 そして掠めるように僕の頬にキスをした。


 望ちゃんは顔を赤らめながら離れると、無邪気に微笑んだ。


「今のは今日のお礼。天使からのkissだよ!」


 僕の頭はショートして、そのまま後ろにパタリと倒れるのだった。













 ――――



「なっーんだよ、これっ! おい、ヴェルノゲル、この記事読んだか?」

「ちょ、ちょっと、川田君不気味だって。そ、それに僕は柏木 響だよ。その名前で呼ばないでよ」


 僕に詰め寄り目の前で記事を広げるのは、ニヤつきながら怒ってる川田君。

 ドラムの清水君に聞いた話じゃ、打ち上げでベビスマのギターの子と仲良くなったとか。


 僕は広げられた記事を見て大笑いする。





 それは歴史に残るライブだと言っても過言ではないだろう。

 ジャンルの違う2つのバンド。

 お互いのヴォーカルがお互いの歌を歌った時に奇跡は起きた。

 悪魔が心臓を掴み取り、天使が優しく包み込む。

 私はあの感動を忘れないだろう。


 だが、ヴォーカル取り替えてもいいんじゃね? と思ったのは私だけではないだろう。

            (記事  心乃 在処)













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― 新着の感想 ―
[一言] 響の二面性が面白かったです♪ あと……。 「おい、ヴェルノゲル様が笑ってるぞ」 「あれは嘲笑ってるんだろ?」 これには吹き出しました。 同じわらうでも、漢字でこうも違うとは。 読ん…
[一言] ええ話や。 おっちゃん泣けた(ノ_・。)
[良い点] これはたまりませんな! デトロイトメタルシティは思い出すわアンジャッシュは思い出すわバーテンダーって漫画のワンシーンは思い出すわ! なぜか思い出が溢れてしまいましたよ! カラオケに行きたく…
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