落星
――――――いつからだろう。
――――――姉に……レイティア・リーフェンシアに対して劣等感を抱いたのは。
――――――大きすぎるレイティアの存在に、追いつくことを諦めてしまったのは。
「これは……記憶?」
気が付くと、ハクアは見覚えのある場所に居た。
(ここは……)
長大なソファーに暖色のランプ、楕円形の机を囲むように並べられた五つの椅子、
忘れもしない、ハクア達姉妹の部屋だ。
(そうか、この日は……)
何かを思い出したのか、ハクアは一瞬だけ月の出ていない空を見上げると、奥にある巨大なベッドへ視線を落とす。
そう……今日はハクアとレイティアが最後に一緒に眠った日。
エーリサイドがサイラスに一人呼び出されて、待っている間に姉と話して、眠りに落ちた。
数時間後に、今までの全てが一変してしまう事など知らずに。
「ふふっ」
「どうしたのハクアちゃん?急に笑い出して」
「いや、こうしてお姉ちゃんと二人で眠るの久しぶりだなって……」
ベッドの上でハクアが嬉しそうに呟くと、つられるように頬を綻ばせるレイティア。
「確かに、こっち来てからはずっと誰かが一緒に居たからね」
「べ、別に嫌って訳じゃないわ。でも……私はお姉ちゃんと二人で寝るのが大好きだったから」
この時、恥ずかしさから僅かに身を捩るハクアをレイティアは更に引き寄せる。
微かに聞こえてくるレイティアの心音が、妙に心地良く聞こえていた。
「ねぇ、ハクアちゃん……」
「ん、どうしたの?」
「ふふっ、呼んでみただけ」
「えぇ、何よそれ!」
ハクアが頬を膨らませると、「ごめんごめん」と頭を撫でるレイティア。
姉が頭を撫でてくれたのも、きっとこの日が最後だったのだろう。
「ハクアちゃんはさ‥‥‥シルとキラのこと覚えてる?」
「もちろん、当たり前じゃない!シルが昆虫採集でキラが秘密基地づくり。趣味はシルが追いかけっこ、キラはかくれんぼ‥‥‥!」
「おお、流石ハクアちゃん」
「家族だもん、当然だわ」
「……家族か……そうだね」
レイティアが目を閉じる。
その時間は一瞬にも満たないものだったが、ハクアは不思議と姉の言葉を待つべきだと思った。
「ねぇ、ハクアちゃん……」
「……?」
「ハクアちゃんは……何が有ってもずっと私の事を大好きでいてくれる?」
「当たり前じゃない」
「そっか。それなら私は――――――」
――――――ハクアちゃんの事を……何があってもずっと守り続けるから。
(今考えれば、姉様はずっと私の事だけを考えてくれていた……)
誰が敵かは分からない。
何が起きているのかすら知りはしない。
ただ姉が……レイティアが味方であることだけは分かっていたはずなのに……
『汝は何を望む?』
その時、ふとハクアの耳に何者かの声が響く。
心の声と言うには余りにも低く、老人のようにしわがれた声。
「私の……望み……」
ハクアの脳裏をかつての姉の姿が巡る。
誰よりもハクアを愛し、気にかけ、守り続けてくれた姉の姿。
「大っ嫌い……」
ハクアが呟く。
微かに吹いた優しい風が、ハクアの頬を撫でた。
『問おう。汝、何を望む?』
「私は……姉様が嫌い。私と一つしか違わないくせにいっつも私に何も言わず一人で行って、傷ついて。私、姉様のそんな所が……大っ嫌い!!」
空間が割れる。
ハクアの怒りに呼応するかのように。
ハクアの思いを体現するかのように。
「姉様が傷つくのなんて嫌!!姉様が私の傷を負うなら、私が姉様の傷を負う!!」
『ならば問おう。我が真なる名は――――――』
「――――――地帝神滅書」
暗闇が晴れる。
現れたのは一冊の魔法書。
それはまるであらゆるものを優しく包み込む聖母。
全てを震撼させ、押し潰す憤怒の化身。
「さあ、行きましょう。地帝神滅書――――――」
ハクアは魔法書を手に取ると、開く。
数本の鎖が彼女の腕に巻き付き、魔力を放った。
「――――――能力開放」
刹那、ハクアが呟く。
彼女を中心に大地が裂け、魔力が噴き出す。
能力開放、それは確かにハクアがアーティファクトを手に入れた証だった。
「シ、シア。それって‥‥‥!」
「フィオ、私が姉様を止めるから、合図をしたら走って」
「あ、ああ。分かった」
フィデスが頷いたのを確認すると、返答を待つことも無くハクアは一歩前へ出る。
同時に、レイティアの表情が微かに歪んだ。
「その魔力……地帝神滅書か」
「あら、まだ魔法すら使っていないのによくわかるわね、姉様。いいえ、嵐帝神滅杖と言った方が良いかしら?」
「何を言って……あぐっ!!」
突如、頭を抱えて蹲るレイティア。
『同化?』
『是。あの女子は今、嵐帝神滅杖に意識を侵食されている』
『それって元に戻すことは出来るの?』
『是。完全に同化していては時間がかかるが、まだあの女子は見た所表層意識はそれほど侵されていない。女子の意識を引き上げることが出来れば、自然と嵐帝神滅杖は退けられよう』
『そう、それなら簡単ね』
『是。我はどこまでも汝と共に』
「姉様、貴女が止まれないのは横に並んでくれる人が居なかったから」
「何を言って……ぐぅっ!」
「貴女が周りの人を頼れないのは自分より強い人が居ないから」
姉は本来優しい人だ。
ただ頼れる相手がおらず、頼り方を知らなかっただけ。
「だから、これから私がやるのは私自身の強さの証明……」
守られて隠されて、それでもまだ後ろで脅え続けているなど、我慢できない。
「私は、姉様に守ってもらう必要なんてない!!」
ハクアは叫びと共に地帝神滅書を開くと、魔法陣を展開する。
まず最初に必要なのは迫っている天穿魔法への対処。
「我不落の要塞をここに 地壁結界!」
周囲に巨大な土壁が競り立つ。
中位級の土属性防御魔法。
わざわざ中位級程度の魔法に詠唱をしたのは魔法制御力のリソースに余裕を持たせるため。
そして、地帝神滅書の能力を発動するためだ。
「連鎖魔法陣――――――」
地壁結界を展開した魔法陣の周囲に鎖が巻き付いていく。
同時に、役目を終えたはずの魔法陣が再び色を取り戻し、魔力を放った。
(これが、私の能力……)
魔法陣の上書きによる同一魔法、または同位階魔法の連鎖詠唱。
嵐帝神滅杖のように派手な能力ではない。
だがそれは確かに、物理魔法を完全に反射するレイティアの天敵となり得る能力だった。
「これなら、いける……!!」
ハクアは再び魔法書を開くと、書き換えた魔法陣へと魔力を込める。
直後、三重の土壁がハクア達の周囲を覆った。
「地壁結界、三重展開!!」
刹那、巨大な嵐と土壁が衝突する。
一撃といえど相手は天穿魔法、無数の風の刃は三重に重ねられた地壁結界は徐々にその外壁を削り、切り刻み、構成を崩壊させていく。
「凄い威力。でも……!!」
ここまでは予想通り。
ハクアは土壁に魔力を送り込むと、削られている表面を即座に修復していく。
大規模攻撃魔法と多重防壁魔法の衝突。
やがて壮絶な嵐と土壁の拮抗は十秒ほど続き、先に変化が訪れたのは嵐の方だった。
「よし、嵐が弱まった!」
「っ、構成維持限界……!!」
二人の言葉と同時、嵐が徐々にその規模を狭め始める。
風属性は元々無形不可視という特徴から威力が高い反面、他属性と比べて構成の維持が難しい。
そしてそれは、臨界を裂く開闢の刃のような渦を巻く性質の魔法であれば尚更で、長時間の妨害により風の流れを維持できなくなった嵐はその構成を急速に崩壊させ弱めていく。
「どうかしら、自慢の魔法を防がれた気分は?」
「調子に……乗らないで!!」
レイティアが即座に新たな魔法を展開する。
だが制限された状況下の魔法の展開速度であれば、もうハクアの方が早い。
「石柱の剣角!」
「風刃付与!」
地上から突き出した石造りの刃と空中から振り下ろされた風の刃が衝突する。
中位級である石柱の剣角と同じく中位級である風刃付与。
一見すれば二者の魔法は互角であり、相殺場所も二人の中間地点だったが、その推測は誤りであることはこの場の誰もが分かっていた。
「颶風――――――」
「遅いわ、拘束する沼!」
刹那、魔法の発動と共にレイティアの身体を二つの腕が拘束する。
中位級魔法では完全に動きを止めることは出来ない。
だが、目的はあくまで拘束ではなく足止め。
「……!この魔力は……そう、一撃で決めるって?ずいぶん傲慢だね、私との勝負で一度も勝ったことの無い、弱虫で、泣き虫な妹の癖して!!」
「もう今はあの頃の私じゃない!私はハクア・リーフェンシア。学園最強の妹で、いずれ姉様を越えて学園最強になる魔法師よ!!」
ハクアが地帝神滅書を開く。
レイティアが嵐帝神滅杖を掲げる。
そして、詠唱を始めたのはほとんど同時だった。
「流浪の星よ、我らが大地に雷を――――――」
「旋刃よ、万星の空を切り開け――――――」
天地を巨大な魔法陣が取り囲む。
決まるのは魔力量を考えても一撃。
初めて使う魔法に緊張したのか、ハクアが微かに息を吐いた直後、辺りを暴風が突き抜けた。
「落星!」
「臨界を裂く開闢の刃!」
それは例えるなら天変地異、否、世界の終わりだろうか。
瞬間、レイティアの周囲をうねるように巨大な嵐が吹き荒れる。
木々を地面ごと抉り取り、大地を、空を断ち割っていく。
狂乱の巫女の最大にして最強の魔法。
対してハクアの放った魔法は、圧倒的なまでの“質量”だった。
「っ、空が……!!」
刹那、レイティアの足元の影が消える。
否、正確には呑み込まれたと言うべきだろう。
新たに地面を塗りつぶした大量の影に。
空一面を覆う程の余りに巨大な土塊に。
「あは、あははははっ!凄い、凄いね!まるでおとぎ話みたい!!」
「凄い、これが私の……!」
ハクアが僅かな高揚感と共にそう呟いた直後、膨大な魔力波が辺りを襲う。
暴虐の嵐と小さな星の衝突。
穏やかだった森の影などない。
崖際に広がる森の一帯は、刹那の間に荒れ狂う風の領域と化していた。
(くっ、やっぱり急増じゃ威力は敵わない……!!)
魔法は魔法陣の練度と魔力の指向性で決まる。
これまで幾千と使用してきたレイティアと今急造で発動したハクアではそもそもの威力が違う。
「あはははは、もっと、もっと魔力を込めないと私は倒せないよ!」
「うっ、るさい!!」
徐々に隕石に亀裂がはしっていく。
修復が追い付かない。
そして、ハクアは叫んでいた。
「フィオ!!」
「ああ!」
直後、背後から一つの影が飛び出して行く。
剣には既に紅の魔力。
そして数秒後、極大の衝撃波が嵐の壁に激突した。
「紅閃」
膨大な魔力が嵐の壁と拮抗し、吹き飛ばす。
穿った穴は僅かにして、一瞬。
だが、人ひとりが通るには十分すぎるものだ。
「呑み込め、冥蓮の剣」
「くっ、風刃付与!」
刹那、闇と風の刃が衝突する。
威力で勝ったのは言わずもがな、後者。
しかしどちらが勝利したのかは、静まった嵐が何より如実に表していた。
「いけ、シア!!」
「ええ!!」
吹き飛ばされたフィデスを傍目にハクアが魔力を込める。
最早遮るものは何もない。
「っ、避けられな――――――!!」
直後、巨大な隕石が大地を抉り、巨大な衝撃波と爆音が周囲に広がった。
ハクアの決意と共に目覚めた地帝神滅書。
姉妹の覚悟の交わる先は――――――
―――――――――




