血の繋がりはないけれど……
(――いつの間に!?)
咄嗟のことで、優斗は抱えていた少年から手を離してしまった。
幸い、少年は転ぶことなく体勢を立て直した。
しかし残り1つとなった優斗のパンを抱え、路地の向こうに走り去ってしまった。
「ああ、パンが……」
がっくり肩を落とした。
今すぐ少年を追えば、パンは取り戻せる。
しかし、突如現われた青年がそれを許してはくれなさそうだった。
「タクムに乱暴しやがって、覚悟が出来てんだろうな!?」
「乱暴? いえ、僕はただ自分のパンを取り戻し――」
「問答無用だ!!」
「――ッ!」
誤解を解こうとした優斗に、青年が殴りかかってきた。
その攻撃を、寸前のところで回避する。
(この人……冒険者だ!)
その動きの機敏さから、優斗は相手が一般市民でないことを理解する。
青年は、かなり素早かった。
しかし、目にも留まらぬほどではない。
優斗は慎重に相手の攻撃を回避しながら、口を開く。
「僕はあの子に、パンを盗られたんです」
「嘘吐いてんじゃねぇよ!」
「嘘じゃないです。パンを持って歩いていたら、急にあの子が僕からパンを奪って……」
回避しながら、優斗は必死の思いで説明を続けた。
青年の攻撃は、なかなか苛烈だった。
この戦闘力は、Eランクではない。
DかCか、そのあたりだろうと優斗は冷静に分析した。
ここまで冷静に分析出来ているのは、今朝方にとんでもない化物冒険者と戦ったばかりだからだ。
クラトスとの戦闘を経験した優斗は、突発的な対人戦にも取り乱すことはなかった。
「ん、なに? それは、マジか?」
「マジです」
優斗の必死の説明が通じたか。
青年の手が止まった。
そこからの青年の行動は、早かった。
優斗の目の前で、深々と頭を下げる。
「す、すんませんでしたっ! 今すぐ、タクムから取り返しますんで」
「いえ、いいですよ」
少年が盗ったのは、結局50ガルドパン1つだけだった。
それくらいなら、なんてことはない。
パンを抱えて通りを歩いていた、優斗の油断が招いた結果だ。
勉強代だと思うことにする。
「でも、それじゃあ……」
「その代わり、あなたのことを教えて頂けますか?」
「俺? 俺はダナンってDランクの冒険者だ」
「もしかして、斥候をされてます?」
「あ、ああ。よくわかったな」
やはり、と優斗は思った。
ダナンと名乗った青年は、冒険者だった。
そして、優斗が想像したとおり、斥候職についていた。
斥候はその名の通り、魔物からの襲撃を警戒するのが主な役割だ。
ベースダンジョン11階以降からは、罠が出現する。
その罠を解除するのも、斥候の仕事である。
優斗がダナンが斥候だと気づいたきっかけは、気配の薄さだ。
優斗は少年にパンを奪われてから、常時周囲を警戒していた。
奪い返したパンを、再び奪われかえされてはかなわないからだ。
その警戒網に、ダナンが引っかからなかった。
攻撃されるまで、優斗はダナンに気づけなかったのだ。
これは、多くの斥候が持つ隠密スキルによるものだと優斗は考えた。
また、ダナンは針を使った攻撃を行った。
斥候の武器は、ナイフやスリングショットだ。
近接戦闘はあまり行わず、中距離攻撃を行う。
ダナンの針は非常に珍しいが、斥候らしい攻撃手段だと言える。
「僕は優斗です。ダナンさんと同じ、冒険者です」
「ランクはCか?」
「えっ、どうしてわかったんですか?」
「そりゃ、俺の攻撃をあんだけ綺麗に躱されたらな」
ダナンが苦笑を浮かべ、肩を竦めた。
「それで、ダナンさん」
「お、おう」
優斗が切り出すと、ダナンが僅かに身構えた。
物を盗った見返りに、とんでもないことを要求されるとでも考えているのだろう。
「物は相談なんですけど――」
○
ユートと別れたあと、ダナンは自分が暮らしている空き家に歩みを進めていた。
年の離れた弟タクムが、冒険者ユートから物を盗んだと聞いた時は、それはそれは肝の冷える思いがした。
だが驚くべき事に、ユートはタクムの所業をあっさり許してくれた。
相手が悪いと、タクムの首を落とすまで止まらない場合だってあったのだ。
それを考えると、最高の結果だった。
しかし、その程度で許してくれるなんて、どういうつもりだ? とも感じている。
窃盗は、言うまでもなく悪事だ。
それ相応の落とし前は付けさせられても、ダナンは仕方ないと考えていた。
それがないのが、どうにも腑に落ちない。
「まさか、とんでもないパーティってわけじゃないだろうな……」
ダナンがユートに相談されたのは、パーティへの加入についてだ。
ユートはダナンをパーティに誘いたいと申し出た。
無論、正式なパーティではない。一時的に加入するだけである。
そこになにか、裏があるのでは? と感じてしまう。
「まあ、それならそれでいいさ……」
タクムが無事なら、ダナンはどんなことにも耐えられる。
ダナンはタクムと血のつながりがない。
スラムの道ばたに放置されていたタクムを、ダナンが拾ったのだ。
タクムは、まだ目も空かないような赤子だった。
はじめはこんな赤子を育てられるはずがない。
ダナンはそう考えていた。
自分の目の前で死なれるのは嫌だから、どこかに捨ててしまおうとも……。
しかし、捨てようとしたダナンの指を、タクムがぎゅっと握りしめた。
指一本握るのにやっとな程、タクムの手は小さかった。
それほど小さな手なのに、簡単には引き剥がせないほど、力強い。
この瞬間、ダナンはタクムに、絆されてしまった。
それ以降、ダナンはタクムのために奔走した。
お腹を減らせばいろんな店に頭を下げて、赤子用の食事を作って貰った。
タクムが泣けば、何故泣いているのかが判らず右往左往した。
タクムが高熱を出した日なんて、ダナンは一睡も出来なかった。
小さなタクムを育てるために、ダナンは一生懸命お金を稼いだ。
様々なパーティに加入して、斥候として働いた。
だが、斥候は荷物持ちの次に報酬が低い。
Dランクの冒険者とはいえ、自分が暮らしつつ、タクムを満足に育てられるだけのお金を稼ぐのは難しかった。
それでもダナンは諦めなかった。
諦めずに、なんとかお金をやりくりしてタクムを育て続けた。
目に入れても痛くないとは、このことなのだとダナンは感じた。
しかしダナンはその当時14歳だった。父親になるにはまだまだ早い。
父親というよりも兄として、ダナンは弟を、貧乏ながらも大切に育んだ。
タクムが5歳になる頃には、十分な時間を割いてダンジョンに潜れるようになった。
その分、収入が増えた。
これでタクムにお腹いっぱい、食べ物を食べさせられる。
そう思っていた、矢先だった。
タクムに、病気があることが判明した。
最初は、風邪だと思っていた。
タクムは決まって夜になると熱を出すのだ。
少し寝れば治る。
そう思っていたが、いつまで経っても治らない。
熱が出るせいで、タクムの体力が奪われていく。
日に日に痩せ細っていくタクムを、なけなしのガルドをはたいて、医者に診せた。
『おそらく、魔力病だとは思いますが……治療手段はここにはありません』
――魔力病。
体内の魔力が強すぎる者、あるいは外部からの魔力に影響を受け過ぎる者が発症する、完治の難しい病だ。
その病名を聞いたとき、ダナンは心臓が止まる思いがした。
しかし、すぐに気を取り戻して医者に尋ねる。
『先生、タクムはどうやったら治るんだ?』
『……一つだけ、可能性がありますが、完治するかはわかりません』
『教えてくれ、先生! タクムは俺の、大切な弟なんだ!!』
魔力病に罹患したと判明してから、タクムは5年生きている。
今年で10歳だ。
だが、未だに魔力病は完治していない。
タクムを治すために必要な薬が、なかなか手に入らないのだ。
「百万ガルド……」
それが、薬の購入に必要な金額だった。
通常の冒険者ならば、数年励めば稼げる額だ。
だがダナンはタクムと二人暮らしだったし、なにより報酬の安い斥候職だということもあって、まったくお金が貯まっていなかった。
ダナンが寝床にしている空き家に戻ると、目を輝かせたタクムが駆け寄ってきた。
「兄貴、お帰り。ねえ、見てよこれ!!」
そう言って差しだしたのは、悪名高い50ガルドパンだった。
そのパンを見た瞬間、ダナンの心に鈍い痛みが走った。
(やっぱり、ユートから盗みを働いたのか、タクム……)
ダナンはどこかで『タクムはそんなことする奴じゃない』と考えていた。
きっと、自分が他の少年とタクムを見間違えたのだろう。
ユートからパンを盗んだのは他の少年だったんだ……と。
けれど、その僅かな希望が脆くも崩れ去ってしまった。
「タクム……。どうして、パンを盗んだんだ」
「ぬ、盗んでないよ。これは……お、落ちてたんだ!」
「嘘を吐くな。オレは、お前が盗んだ奴に捕らえられるところを見てた」
「あ、あれは、兄貴が助けてくれたんだ……」
「なんでパンを盗んだんだよ。オレは毎日腹一杯、タクムに食わせてるだろ」
「それは……」
タクムが観念するように顔を下げた。
しかし、次に顔を上げた時、タクムは怒るような表情を浮かべていた。
「だって、兄貴は全然食べてないじゃんか! オイラ、知ってるんだ。オイラがパンを沢山食べてるのに、兄貴、全然なんにも食べてないって!!」
「い、いや、それは……別の所で食べてきてるからで……」
「兄貴はオイラに、嘘を吐くなって言った。だから兄貴も、嘘を吐くなよ!」
「…………」
立場が逆転しまった。
問い詰める側だったダナンは、いまやタクムに追い詰められる側に回っている。
「兄貴、お金がないんだろ? 毎日オイラに腹いっぱい食べさせてくれてるから……」
「それは違う」
「じゃあなんで食べないんだよ!? このままじゃ、兄貴が……」
そこまで口にしたタクムの目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちてきた。
何故泣いているのかわからないダナンは、タクムの涙におろおろとする。
「兄貴が……お腹すかせて死んじゃう……うわぁぁぁあああん!!」
「いや、死なないから……、それくらいじゃ死なないから、大丈夫だから」
ダナンは必死にタクムを慰める。
タクムが何故盗みを働いたか?
その原因を、ダナンは理解した。
タクムはお腹をすかせたダナンに、お腹いっぱい食べ物を食べさせたかったのだ。
その強い思いがひしひしと伝わり、ダナンの目に涙が浮かぶ。
ダナンはふとタクムの異変に気がついた。
体温が高い。
(しまった……。興奮して熱が上がったか!!)
タクムの鳴き声がみるみる小さくなっていく。
ダナンは慌ててタクムを抱え、ベッドに向かった。
タクムは抵抗するが、その力は酷く弱かった。
目もうつろで、焦点が合っていない。
「タクム。俺のことを考えてくれて、ありがとな。兄ちゃん、すごく嬉しかったよ。でも、本当に大丈夫だから。こう見えて、兄ちゃんは強いんだぜ?」
「ほんと……?」
「ああ、もちろんだ。喉が渇いたろ? さあ、これを飲め」
ダナンがタクムの口元に、回復薬を添えた。
瓶を傾けると、タクムは素直に回復薬を口に含み、コクコクと喉を鳴らした。
回復薬を飲み終えたタクムは、まるで糸が切れるように眠りに就いた。
「……いつもより、発熱が早くなってる」
タクムの寝顔を見ながら、ダナンは奥歯を噛みしめた。
タクムが魔力病による発熱を起こすのは、決まって陽が落ちてからだ。
熱があがると、ダナンはタクムに回復薬を飲ませる。
1本千ガルドの薬だ。
これで、魔力病による体へのダメージを軽減させる。
しかし、軽減するだけだ。
根本的な治癒には至らない。
ダナンがお金を稼いでもほとんど手元に残らない理由は、毎日回復薬を購入しているためだった。
タクムを治療するために、なんとしてでもお金は貯めなければいけない。
だが、回復薬を購入しなければ、タクムはすぐに衰弱死してしまう。
悩んだ末にダナンが出した結論が、自分の食費を削ることだった。
だが、それもつい先ほどタクムに見抜かれてしまった。
もうこれ以上、タクムの前で節制するのは難しい。
(あれだけ心配されたとあっちゃ、食わないわけにはいかないからな……)
ダナンはタクムの頬に残る涙の後を、親指で拭った。
タクムの部屋を出たダナンは、ユートとのやりとりを思い出していた。
ユートは言った。
自分のパーティに入れば、報酬は頭割りにすると。
それが本当かどうかは、パーティに入って確かめるしかない。
だがもし本当の話ならば――。
「お金が、貯まるかもしれねぇ……」
タクムに残された時間は少ない。
ユートからの誘いは、ダナンに回ってきた最後のチャンスだった。
このチャンスを、なんとしてでもものにしたかった。
絶対に100万ガルドを貯める。
兄貴のことを考えて涙する――こんなにも可愛い弟の人生を、こんなところで、決して終わらせるわけにはいかない。
「待ってろタクム。兄ちゃん、絶対にお前のことを救ってやるからな!」
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