勝者と敗者
「いらっしゃいませー!」
店の扉が開かれた瞬間、マリーは声を上げた。
武具店プルートスは、迷宮都市クロノスでも随一の品質を誇る。
他店と比べて武具の値段は高いが、客の入りは決して悪くはない。
夕方頃になると、店には沢山の冒険者が姿を現す。
ダンジョンから引き上げてきた冒険者が、その足で店を訪れるのだ。
だが現在、店の中にはマリーしかいなかった。
当然だ。店を開いたばかりなのだから。
店に姿を現したのは、プルートスの武具を手にするにはまだまだ早い年齢の少女だった。
だが、マリーはその少女のことをよくよく知っている。
「……なんだ、エリスか」
接客のために整えた表情を、マリーは一瞬で素に戻した。
エリスは先日、幼なじみであるユートとパーティを組んだ、回復術師である。
ユートの仲間ではあるが、マリーは彼女のことをあまり好きになれそうになかった。
(ちょっと、ユートに近すぎるのよねぇ、この子……)
マリーが斜めに構えたその時だった。
「マリーさん、大変です。ユートさんは、ドMさんです!」
「…………はいっ?」
突如、エリスがとんでもないことを口にした。
(なに言ってんだろう、この子……)
マリーの頭が真っ白になる。
しかし、よくよく話を聞いてみれば、たしかにその言葉にも頷ける。
曰く、ユートはまる一日ダンジョンで狩りを続けていたこと。
曰く、普通は斬れない魔術を刀で切り裂いたこと。
曰く、魔術で頬が焼かれているのに、上を向いてにやけていたこと。
彼女の言い分を聞けば、確かにユートは〝どMさん〟である。
弱冠12歳のエリスが近づいてはいけない手合いだ。
しかし、マリーは首を振る。
「別に、どMさんってわけじゃないわよ。ものっすごく頑張り屋なだけ。自分が強くなるためなら、なんだってやる。それがユートなのよ」
マリーは、裏庭で木剣を振り続けていたユートの姿を思い出す。
マリーの声がちっとも耳に入らず、彼は延々と木剣を振り続けた。
手に出来たマメが潰れても、それで手から出血していても、彼は変わらぬペースで木剣を振るっていた。
手からダラダラ血を流しているのに、マリーの前では平気な顔をしていた。
けれど影では辛そうにしていたことを、マリーは知っている。
10年間、彼の背中を見続けたマリーだから、知っている。
そんなに辛い思いをしても、ユートは木剣を振るい続けた。
木剣を振るう。ただそれだけしか考えていなかった。
――少しでも、強くなるために。
あるいはもう、痛みに耐えることでしか強くなれないと、考えていたのかもしれない。
さておき、エリスの話を聞いてもマリーは『ユートらしいなー』としか思わなかった。
「マリーさんは、ユートさんが心配じゃない、です?」
「心配よ。でも、心配したからって、それで止まるような普通の人間じゃないのよ」
普通の人間だったなら、彼は今も成長することはなかったはずだ。
(それに……)
ちらり、マリーはエリスを見た。
普通の人間だったなら、彼はきっと、ダンジョンにエリスを見捨てていたはずだ。
(それじゃあ、ユートじゃないのよね)
「ユートが嫌なら、パーティを抜けても良いのよ?」
「む……」
挑発すると、エリスがぷくっと頬を膨らませた。
この程度で、エリスがパーティを抜けるとマリーは考えていない。
エリスもマリーと同じで、ユートに救われたのだから……。
でも少しだけ、抜けて欲しいなぁとは思っている。
ライバルは、少なければ少ない程良いのだ。
(まっ、それでもアタシの方が何歩もリードしてるけどね!)
ユートとは10年の付き合いだ。
マリーは彼のことならば、決してエリスに負ける気はしない。
「わ、わたしは、ユートさんとずっと、一緒に活動します、です!」
「あらそう。でも、嫌になったらスグに辞めて貰っていいのよ?」
「やーめーまーせーんー!」
びー! と舌を出したエリスの左手に、きらりと光る指輪があった。
マリーはその指輪を見て、眉根を寄せる。
たしか、以前は身につけていなかったな……と。
「エリス、良いものを装備してるわね。それ、魔力の指輪?」
「せ、正解です。見ただけで、すごいです」
「アタシは武具店の番頭なのよ? 装備品の目利きは得意中の得意なんだから」
エリスが身につけているものは、魔力の指輪だ。
しかも、サイズ変更の刻印まで施されている。
これを一般の店で購入しようと思えば(無論、底上げされる魔力の程度によるが)30万ガルドは下らない。
ユートには購入出来ない額だが、かなり前からCランク冒険者として活動していたエリスならば、購入出来るレベルの装備である。
「もしかして、ユートとパーティを組むから、気合を入れて買ったの?」
オシャレして、ユートの気を引きたいのかしら?
そんな風に考えてにやついていたマリーの笑みが、
「違うです。これは、ユートさんに貰った、です」
エリスの言葉で、カチンと凍り付いた。
彼女はうっとりした表情を浮かべて、左手を掲げた。
魔力の指輪は、小指に填まっている。
もしこれが薬指であれば、マリーは今頃砕け散っていたに違いない。
「うう、う、嘘を言うんじゃないわよ。ユートにそんな資金力が、あ、あるはずないんだから」
思い切り声が震える。
だが、それでもマリーは気丈に振る舞った。
ユートのことならば、マリーはなんでも知っているのだ。
ユートが、そんな高価な装備を購入出来ないことくらい、マリーは判っている。
(お、怖れることはないわマリー! ユートは貧乏なんだから。あんな高級品が買えるはずないのよ!!)
しかしそんなマリーを、エリスがあざ笑う。
「嘘じゃありませんよぅ? ユートさんはきっと、ものすごく頑張って、わたしのために、こんなに高い指輪を買ってくださったんです! だって、ユートさんは〝ものすごく頑張り屋さん〟なんですよね?」
「うぐ……」
自分が口にした言葉を引用されて、マリーは言葉に詰まった。
そこを、エリスに畳みかけられる。
「そういえば、ユートさんはわたしのことを〝とても大切だ〟って言ってた、です。だから、指輪を貰ってほしいって」
「う、嘘よ……」
「じゃあ、本人に聞くです」
「それは……」
さすがに、面と向かって『エリスに指輪を買い与えたのか?』と尋ねる勇気が、マリーにはちっともなかった。
「うふふ……。それじゃあ、マリーさんごきげんよう、です」
「あっ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「今日はもう眠い、です。昨日はユートさんと、ずっと一緒にいたです。ユートさん、一晩中寝かせてくれなかった、です」
「え、それって、どういう……」
「ふわぁあ」
マリーが前のめりになって尋ねるが、エリスは欠伸をして店を出て行ってしまった。
これまでのエリスの話を分析すれば、彼女の発言が『エリスがユートに丸一日、ダンジョン中を引きずり回された』ことだと気がつける。
しかし、現在のマリーの心境では、その事実に思い至ることが出来なかった。
「…………」
マリーの手元が、みしっと音を立てた。
その音がなんなのか、店の出入口を凝視するマリーにはわからなかった。
「マリー。今日仕上がる武具なんだが――ヒッ!?」
工房から姿を現したダグラが飛び上がった。
現在のマリーは、強面で有名なドワーフであるダグラが怯えるほどの表情を浮かべていたのだった。