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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

施条不全

作者: 未鳴 漣

 一点の曇りもなく、ましてや指紋など一つも残さず、まるで買ったばかりの新品さながらに磨き上げられた拳銃。


 それは外見に反して年季が入っており、僕の手によく馴染んだ。


 僕は椅子に座って男らしく股を広げ、肘を太ももに置き、両手で握った銃を下向きに構えて前屈みになっていた。


 銃は回転式のもので、シリンダーの穴は六つ。その穴には一つの弾も込められていない。


 煤の跡も残っていない弾倉はずっと以前からがらんどうだった。


 実は使ったことがないんだろうって?


 あるさ。


 数年前まではこの一挺だけではなく、もっと多くを所持していた。金にものを言わせて集めたアンティークが主だったが、中には実際に発射できるものもあった。


 僕はそういった数々を壁一面に飾って、朝から晩までうっとりと眺めているのが好きだった。


 その形が堪らなく美しいと感じる。硝煙のにおいが癖になって、耳をつんざく爆音が壮大なオーケストラのように聞こえるほどに愛していた。


 それが今となっては、この手に握る一挺だけになってしまった。


 コレクションを維持するための金と、それらを眺めるための椅子を奪われても、何とか手元に残した最後の砦。撃ち出す弾のない発射装置。言ってしまえば、持っているだけ無駄なそれ。


 だのに所持し続けている理由は明白である。この銃が僕の分身だからだ。


 つまり、これを手放すことは僕が僕自身を手放すことに他ならない。


 そんなことはできるわけがなかった。


 僕は元来、意地汚くて諦めも悪く、また執念深い質だった。いつまでも過去にこだわり続けるタイプの面倒な男だった。


 そう。僕は終ぞ銃を手放すことができなかった。


 過去の栄光を象徴するそれを捨てることができなかった。故に、かつて堂々と闊歩した豪邸は振り返るだけの過去に埋もれ、溺愛する銃たちを見上げた豪奢な腰掛けもまた、遠い記憶の中で腐り果てていた。


 そんなだから、現在の僕はひどく情けない身の上になっていた。


 人目を忍んで裏路地を歩き、安宿の粗末な椅子に座って、分身の一挺を両手で握りしめ前屈みになっている。


 その僕と対面して、とある一人が床に膝を突いて座っていた。


 二人きりの部屋を閉め切ってからしばらく経っている。その人物は僕の顔色を見ながら時を待って、やがて日の光を知らないような白い指で銃の先端に触れた。その淑やかな様を見た僕は言葉も追いつかないほどの興奮を覚える。


 指は銃口を丸く撫でた後、凸型の照準を乗り越えて銃身をゆっくりと辿って来た。


 指の脂が線を引いて銃の光沢を鈍らせる。せっかくの輝きを汚されてしまったが、その不愉快を上回る快感が胸に満ちている間は、相手を殴り飛ばそうという気にはならない。


 撃鉄に近い方の凹型をした照準まで近づいて、しかし指はそこに触れないまま射出口まで戻っていった。


 そして少し間を置いて、今度は銃身の下を滑って引き金の曲線をなぞり、そこから上方に移って円筒状のシリンダーを両の指で包み込んだ。


 しなやかで柔らかな前髪。その間から覗く黒い虹彩が僕を見上げる。


 僕はまさに鑑賞される銃の気分だった。何もせずともそこにあるだけで愛される存在……役立たずであっても許されるそれ。僕は自分の心がじわり、じわりと満たされていくのを感じていた。


「ご機嫌ですね」


 夜の海のような声は銃を愛撫する指の持ち主のものだった。彼は……驚く事なかれ、僕の干からびた心を慰めるのは何とも皮肉なことに男だった。


 指で梳けば水のように零れ落ちる黒髪。長く伸びるまつ毛。黒曜石の瞳。すっと通った鼻筋。ちらりと覗いた舌が唇を舐め上げ、紅い皮膚が湿り気を帯びる。


 忌々しくて、癪に触る……それでいて懐かしい女の顔が重なった。


 傍から見れば、彼の顔は男の骨格で、女と紛うようなそれではなかったが、僕には過去の記憶が重なって見えたのだから、彼は今、間違いなく「あの女」だった。


 だから僕は彼に固執する。彼以外にはどこを探しても「あの女」になれる人間はいなかったから。


 彼は一度だけ銃身に口付けてから、銃口を口腔に飲み込んだ。


 銃身に歯が当たってカチカチと音が鳴るようなことはなかった。


 時折、肺から抜けるような吐息に背筋がうずく。少しばかり銃の角度を上げてみると、照準が上顎に当たったのか苦しそうな声を出して顎を引いた。


 彼はうるんだ瞳で抗議を訴えた後、口を離して銃筒の溝を舌先でねぶり始めた。シリンダーを包む指も、胴のへこみを行ったり来たりで休みがない。


 僕は銃を片手に持ち替えて、彼の黒髪に指を絡ませた。「あの女」の髪はもっと長かったが、贅沢は言うまい。


 これではない椅子に座って、コレクションを眺めていた頃。理解しがたい趣味に金を浪費する僕を見て「あの女」はよく言ったものだ。「こんなものは役立たずよ」。


 その時から薄々、気付いていた。僕自身も銃と同じく、彼女にとって無用なものになりつつあることを。


 一緒にいるだけの価値が、情が、愛嬌が僕にあったのなら、僕は今でもあの椅子に座っていられたのだろう。


 だが、僕は役立たずだった。彼女に愛を囁かねばならない口で銃に語りかけ、労らねばならない手で銃を撫で、慈しまなければならない目で銃を愛でた。


 言ってしまえば、今のこの状況――男を買って自分を慰めねばならない原因を作ったのは、僕自身だった。


 彼女のせいではない。


 しかし、僕は彼女を「あの女」と呼んで恨む。そこには何の不可解もない。僕は元来、意地汚くて諦めも悪く、また執念深い質の人間なのだ。いつまでも過去にこだわり続けるタイプの面倒な男なのだ。


 付け加えると、僕は世代をつなぐ役目を果たせない自分を悔やむでもなく、必死に家を守る妻も顧みず、財を食いつぶして部屋に閉じこもっているだけのクズだった。


 中身がないくせにプライドだけは高い。そういった輩の典型であった僕は、本来であれば己に向けるべき後ろ向きの感情を他人にぶつけ、哀れで浅ましく、みっともない姿で生きていた。


 生きていくために「あの女」を恨んでいる。


 「あの女」を憎むために生きている。


「集中して……」


 彼の言葉に従い、僕は意識を目の前に戻す。


 彼は再び銃口を口に含んでいた。


 鼻から抜ける声が、僕の手に汗を滲ませる。唾液が筒の内側に掘られた溝を通って垂れ、シリンダーとの接触部分からしたたる。


 指にまで絡んだその液体を彼に舐めとらせていると、ふいに指の間に舌が割り入ってきた。その感触に足から頭の先まで電気が走った。


 目の前で火花が散る。


 僕は衝動的に撃鉄を起こし、耐え性もなく引き金を引いた。


 乾いた音を立てて鉄が落ち、それを合図に彼の口が去っていく。


 黒い宝石の瞳が名残惜しそうに僕を見つめていた。「あの女」にもこんな顔が出来れば、僕だって、子孫を残す以外の方法で愛せたかもしれない。


 「あの女」が悪い。「あの女」が悪い。


 僕が銃にうつつを抜かす前に、向こうから縋り付いて来れば良かったんだ。そうしたら、それだったら、僕も……。


 僕は彼の唇を自分のそれで奪って、後ろのベッドに押し倒した。


 固い胸板を、くびれのない腰を、幾分柔らかさの残る内股を撫で回し、どうにかして体の芯に灯った火を燃えたたせようと試みる。


 白い素肌を暴いて、自らも服を脱ぎ捨て、組み伏せた体躯に覆い被さった。細い指が僕の肩に置かれ、上腕を滑って落ちていく。


 足を絡めて、舌を絡めて……だが勢いを増すのは胸の炎ばかりで、体はちっとも思い通りにならなかった。


 駄目だ、駄目だ。やっぱり役に立たない。


 首を傾げる彼の顔に、過去の冷笑が重なる。「あの女」のせいだ。こんなにも僕が惨めなのは。どんなに手を尽くしてもこの病気が治らないのは、「あの女」が僕を過去に縛り付けているからなんだ。


 ちくしょう、と悪態をつく。


 僕はどこまで行っても「あの女」から逃げられない。


 行為を中断された彼は肘を立てて上半身を起こし、僕の頬に手を添え、そっと口付けした。


 彼は優しい……いや、彼が優しいのは仕事だからだ。金をもらえるからだ。僕がこうされることを望んでいるから、そのように行動するのだ。


 それが分かっていて、何もかもが無意味なお遊びであると知っていても……僕の心は充ち満ちていく。


 「あの女」が重なるなら男でも構わないほどに執着している僕は、同時に、きっと別の病気も患っているのだろう。


 もういっそ、死んだ方がいいのかもしれない。


 しかし、そう思ってみたところで僕が銃口を突っ込むのはいつも彼の口で、シリンダーに込める弾はやはり一発もないのだった。

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