猫年〈改訂版〉
「2022年を猫年にしよう」
ネット上で誰かがつぶやいたそれは、あっという間に拡散され大きな運動になった。
2022→にゃーおにゃーにゃー(猫の鳴き声です)、というのが根拠である。
この運動はノリで設立されたNPO法人が音頭をとり、政府に提案された。
普段は足の引っ張りあいばかりの国会なのだが、このほのぼのした提案は満場一致で可決された。
「……よって西暦の末尾が22年の年は十二支を猫年とする」
十二支と西暦。
なんともごちゃまぜ感満載であるがイマサラであろう。
幸いというべきか2022年の本来の十二支は寅年である。
同じネコ科。
たいした違いはない。
2022年に向けて、それぞれの業界が準備を始めた。
JPは年賀状デザインの公募を行った。
カレンダー製作会社も慌ただしい。
占い業界もしかりである。
ニューイヤーカウントダウンは前年比200パーセントの盛り上がりをみせた。
経済効果も同様であった。
ペットの飼育実態調査によれば、猫の飼育数は右肩上がりだという。
ベビーブームも起こった。
少子化が続く昨今で、出生率が前年を大幅に上回ったのだ。
「猫年生まれってなんかいいよね」
だそうだ。
様々な影響を人々に残し、2022年は過ぎていった。
2122年。
百年前と比べて人々の暮らしはずいぶん変わっていた。
しかし、日本人のお祭り好きは変わっていなかった。
伝説の猫年が再びやってくる。
その事実を前に、人々は大いに盛り上がった。
日本以外でも十二支を持つ国は追随した。
そうでない国でも、世にも奇妙な猫の祭のことは、なにかと話題になった。
人々は希少な一年を楽しく過ごした。
2222年、その前夜。
世界中の人々はニューイヤーを控え、沸き立っていた。
このころの人々の暮らしは、200年前はもとより100年前と比べても隔絶していた。
進んだ科学によってもたらされた技術は、地球上すべての人々に恩恵を与えた。
貧富の差はなくなり、地上は楽園の様相を呈していた。
高性能なAIや現実世界と寸分違わぬVR技術が娯楽のみならず、生活全般のサポートや経済活動さえをも担うようになると、必然的に人々は引きこもりがちになった。
超個人主義とでもいうべき風潮が蔓延し、人と人との生身での接触は極端に減った。
VR内でさえ他者とは対話せず、優しく決して裏切らないAIとしか交流しないという者も少なくなかった。
しかし人間は元来、群れる動物である。
ひとりでは生き続けることができない寂しがり屋だった。
そしてもちろん、お祭り好きであった。
「2222年をグランド猫年にしよう」
VR内で誰かが呟いたそれは、光の速さで世界中に広まり、瞬く間に大きなムーブメントとなった。
そのときの「いいね!」の累計は当時の人口の98%を超えた。
孤高を気取っていた者も、本当はみんなといっしょにワイワイ騒ぎたかったのだ。
VRの普及とともにめっきり使われなくなっていた(しかし機械によってしっかり手入れされていた)広場や公園には、かつてないほど大勢の人が集まっていた。
世界標準時でカウントダウンが進むなか、彼らは隣りの人と微笑みあい、繋がりを実感していた。
カウントゼロの瞬間、多くの人がそれぞれの言葉で言った。
「猫年おめでとう!」
人々の心は、その瞬間、ひとつになった。
何十億という人々の心がひとつになった時、ありえない現象、すなわち奇跡が起こったのだが、それはまぁ別の話だ。
指向性を持った極超集団の精神波が物理法則の壁をこじ開け、猫の神という超常的存在を生み出したのだがこれも余談だ。
猫の神は普通の猫同様、気まぐれでなにをするでもなく、なにをもたらすでもなかったが、これは本当に関係ない話。
科学技術が超心理学の方面から新たに切り開かれ再び飛翔を始めたが、詳細はほかの場所で語ろう。
どうしても突破出来なかった光速の壁が破られ、新天地(太陽系外)への冒険ラッシュが始まったり、そこで地球外知性体と出会ったり、対立したり、和解したり……などといった話もここでは省略する。
もちろんその後の様々な種族との交流や、彼らによってもたらされた文化や技術なんかの話も。
猫年はその後も続き、22222年のハイパー猫年は宇宙規模でお祝いされた。