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ミミカクネコ


吾輩は猫である。

誇り高きトラ猫ストライプタビーである。

最近、吾輩には大いなる悩みがある。

それは吾輩の耳に関してのことだ。

無論、色形についてのことではない。

吾輩の頭頂にピンと立つ、優美な三角のラインを描く耳。

人間と違い左右に別々に動かせる耳は収音器官としても実に高性能……むっ、この話は以前もしたのであるな。

まぁ、吾輩の耳の造形美が優れているのは自明の理。

敢えて重ねて言うまでもあるまい。

この自慢の耳なのであるが、どうにもあの耳かきの妖しき快感が忘れられぬのである。

あの耳の内をまさぐられる感覚。

アレである。

ティッシュペーパーで拭かれると耳がじんわりと熱くなり、尻尾の力がだらりと抜ける。

擦られて、引っ掻くように抑えつけられるのは得も知れぬ心地なのである。

綿棒で耳の中まで入れられるのも好いものだ。

あの細い棒が耳の内に入っていく。

身体のより深く、より弱い部分を責められる。

うむ、思い出すだけでゾクゾクする。

髭がピクピクと動いてしまうぞ。

そんな耳かきがすっかり気に入ってしまった吾輩なのであるが、あの日以来ご主人は耳かきをしてくれないのである。

むむぅ……不満なのである。





最近のご主人は休みの日に寝てばかりなのである。

ご主人はもともと出不精な故、家から出ぬこと自体は珍しくないのであるが、それにしてもここしばらくは起きてくるのが遅い。

日も既に中天を昇り切り、一日も後半に入ってしまっている。

我が同族たちも眠ることを善しとするのだが、人間としては如何なものかな。

吾輩は憂慮する心で「うにゃ~」と鳴く。

……うむ、動く気配がないのである。

疲れておるのだな。

斯様な主人を起こすなど忠を是とする吾輩のポリシーに反するのである。

少しばかり耳が痒いがここは我慢。

うむぅ、我慢なのである。





吾輩はご主人に向かい「むにゃ~」と鳴いた。

目の前には屍のように動かないご主人がいる。

帰ってきたとたん、机の前に突っ伏して動かなくなったのである。

「うぅ……しゃもじ……ご飯はちょっと待って……」

いや、それは今はよい。

吾輩のご飯は我慢出来るのであるが、それよりもご主人よ、大丈夫か?

ご主人の顔色は悪い。

目の下にはうっすらとクマが出来ている。

吾輩はもう一度「むにゃ~」と鳴く。

しかしご主人は動かない。

顔を見せないままご主人は言う。

「うん、大丈夫だから、大丈夫だから……」





その日の夜、ご主人はなかなか帰って来なかった。

うむ、妙なのである。

吾輩の計算が確かならば七日に一度の休みの日はまだなはず。

にも関わらず、ご主人の帰りが明らかに遅い。

どこかで道に迷いでもしたのであろうか?

腹をすかして彷徨さまよっているかもしれぬと考えると心配なのである。

そんな風に考えたときであった。

む!?

玄関が乱暴に開けられた音がする。

何ごとであるか??

乱雑に荷物がおろされるような物音は尋常ではない。

もしや物取りか?

心配になり吾輩は玄関へと向かう。

吾輩の柔らかな肉球は足音を完全に殺し、無音での移動を可能とする。

ここはご主人と吾輩の大切な住処。

そこを荒らす不届き者は決して許さないのである。

今は柔らかな肉球の奥に隠されているが、ご主人の買ってきた爪とぎボードで爪の手入れは毎日行っている。

痴れ者め、吾輩の自慢の爪の餌食となるがよい。

全身の筋肉をたわめる。

そうして玄関でドタバタと暴れる侵入者の前に躍り出て――――何!?

吾輩は繰りだした爪を慌てて収めた。

「あ~ぁ、しゃもじだぁ~♪ うふふ~♪」

そこにはグデングデンに酔っぱらったご主人がいた。

「しゃもじ、しゃもじ、しゃも~じ~ぃ~♪」

パンツスーツを着崩したご主人は吾輩を見つけると抱き着いてくる。

むむぅ、非常に酒臭い。

ご主人は酒精はあまり好まぬはずなのであるが、どうしたことか?

困惑する吾輩の毛並みをご主人は乱暴に撫でる。

「うふふ~、しゃもじは柔らかいね~、気持ちいいね~」

ご主人の指先がワシワシと吾輩の毛並みを搔き乱す。

「フワフワだ~」

むぐっ……痛いのである。

赤い縁の眼鏡がグリグリと背中にめり込んでいく。

吾輩は抗議の声を上げようと「プシャー」と鳴き声を上げようとしたときだった。

「ううぅ……しゃもじ、柔らかい……」

むむ、様子が変なのである。

見れば、ご主人の肩が小刻みに震えている。

それと同時に吾輩の背中にヒヤリとしたものが伝っていく。

むっ? これは?

吾輩はその正体に気づく。

それを肯定するように、遅れて鼻をすする音が聞こえてきた。

「うぅ……しゃもじ……ぐずっ」

声は涙でにじんでいた。

「ぐずっ……しゃもじ……おつぼねのヤツがね、私に仕事を押しつけてくるの……」

うむ、お局というのはご主人を苛める年増のことであるな。

以前から自分の仕事をご主人に押しつけたり、ミスを他人のせいにするような、奸物なのである。

「今日も……私のせいじゃないのに……うぅっ」

嗚咽を漏らす。

ここ最近のご主人はずっと元気がなかったのである。

恐らくはお局からの嫌がらせが増していたのだろう。

「わたし……もう、疲れたよ……」

そうしてご主人はさめざめと泣きだした。

むぐぅ……吾輩の毛並みは水を弾く故に、涙を拭くには適してはおらぬが致し方なし。

ご主人よ、存分に泣くがよい。

吾輩は慰撫いぶの念を込めて「にゃ~お」と鳴いた。



さて、傷心のご主人であるが、このままという訳にはいくまい。

涙を受け止めるだけならばタオルで十分。

しかし吾輩はタオルではない。

誇り高き雉虎猫ストライプタビーである。

大恩あるご主人に今こそ報いなければならない。

そう考えたとき、吾輩の脳裏を一条の閃光が走りぬけた。

うむ、我ながら名案である。

稲妻が如く閃いたアイデアを実行に移すために吾輩は尻尾をゆらりと揺らす。

吾輩の自慢は数あるが、特にお気に入りなのがこの尻尾である。

見よ、この焦げ茶と黒が交互に刻まれたしなやかな尻尾。

その自慢の逸品を柔軟に曲げるとご主人の耳元にそっと近づける。

「……しゃもじ?」

吾輩に抱き着いていたご主人は耳元の気配に気がついたのか視線をこちらに向ける。

む?……気がついたな、ご主人。

だが心配は無用である。

吾輩の妙なる尾捌きをとくと味わうがよい。

いぶかしむご主人をしり目に、吾輩は尻尾の先でご主人の耳の縁をそっと撫でる。

「ひぇ! 何!?」

予想外の感触にご主人は声をあげる。

だが不快な様子はない。

それもその筈、吾輩の尻尾の毛先は如何なる好筆にも勝る柔らかさと弾力を兼ね備えているのだ。

吾輩はそのまま尻尾の先をくねらすと、ご主人の耳朶みみたぶを優しくくすぐっていく。

「しゃもじ?」

同時にご主人の肩がピクリと動く。

最初こそ驚いていたものの、極上の毛先で耳を掃かれるのが心地よかったのかすぐに全身の力を抜き吾輩の尻尾を受け止める。

「うわっ……これ、気持ちいい」

ご主人の口元が徐々に緩んでいく。

どうやら具合は悪くないようだ。

やはり人間も耳を撫でられるのは心地の良いものらしい。

うむ、重畳である。

意を得た吾輩はご主人に奉仕するために尻尾を少しずつ動かしていく。

人間の耳は吾輩たちと違い複雑な形状をしている。

これもひとえに性能の悪さ故であるな。

この黄金律を兼ね備えた吾輩の三角耳には無駄な装飾は不要……む? 話がそれたな。

今はご主人を慰撫することが最優先なのである。

吾輩は邪念を振り払うと耳の溝を掃くようにして汚れを外に掻きだしていく。

毛の先まで神経を集中させてゆっくりと耳介の外周を尻尾が這う。

耳の溝は迷路のように入り組んでいるが、迷うことはない。

ひと筋、ひと筋、確実に耳の垢をこそぎ落としていく。

その分、吾輩の毛先には耳垢が付着しているのだが、それもやむなし。

「う~ひゃっ~ 気持ちいい~」

柔らかな尻尾が気に入ったのか、たえなる感触にご主人は悲鳴を上げる。

耳の外周を這っていた尾は少しずつ内へと進んでおり、すでに耳孔近くまで迫っている。

徐々に内へ、徐々に中へ、身体の弱い部分へと向かい尾は進む。

ぐるりと尻尾を半回転、そうしてその後に逆回転。

耳の入口をくすぐりながら奥へと中へと侵入していく。

もちろん吾輩の尾が如何に極柔とはいえ、小さな耳穴の中にまで入るはずはない。

しかしご主人の反応を鑑みるに入口の部分だけでも十分なようだ。

吾輩はグリグリと穴に向けて先端を押しつける。

「う~ん、奥の方までは届かないよね~」

だと思うであろう?

しかし甘いなご主人。

これにて仕上げである。

我が一族は全身の毛を逆立てることが可能だ。

本来は敵への威嚇のために使う技であるが、これを応用すればこんなことも可能なのである。

吾輩は「みみゃ!」と怒号を上げると、尻尾の先の毛を逆立たせる。

それと同時にご主人の耳道に侵入していた幾本もの毛の一本一本がまるで意思を持つかのようにご主人の耳の穴を撫であげた。

「ふわっ!? おっきくなった??」

耳に痒みにも似た快感を得たご主人は声をあげる。

うむ、これでトドメである。

吾輩は捻りを入れながら、尻尾の先端を耳からシュパっと引き抜いた。





「じゃあ、行ってくるね、しゃもじ」

次の日の朝、吾輩はご主人を「むにゃご」と鳴きご主人を見送る。

酒精をとったせいでよく眠れたこともあるのだろう。

翌朝のご主人は実に晴れやかな顔をして会社へと向かって行った。

昨晩はどうなることかと思ったが、ご主人が元気になって何よりなのである。

それにしても耳が痒い。

今日こそは、また“綿棒”なるもので耳の中をグリグリとしてくれぬだろうか?

あの得も言われぬ感覚は筆舌にし尽くしがたい。

思い出しピクピクと耳が震える。

うむ、今日こそはしてもらわねばな。

さぁ、食事の続きである。

そうして吾輩は器に山盛りになったカリカリとムキュムキュに舌鼓を打つのだった。



これにてしゃもじとご主人のお話しは終了です。

最後にキャラクター解説とあとがきがございますので、よろしければお読みください。

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