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小さな食卓-5






 幾度も暇乞いをし、もっともそうな理由をつけられて館に留められ、その内何度か自力で抜け出そうとした彼女は、今やすっかり衆人環視の元に置かれていた。

 誰の目にも触れず部屋を抜け出すことはできないし、館の構造は分からないし、敷地をぐるりと囲ったその向こうの地理も分からない。



 領主が彼女のその見目麗しさに惹かれ手元に置きたがっていることは、彼女自身はもちろん周知のことだった。

 領地の娘ならこぞって諸手を挙げて喜び受け入れるだろう。

 けれど彼女は頑なに首を縦には振らない。



 それを見て、周りの人間は理解できないという顔をする。

 幸いだったのは、徳が高いという触れ込み通り、領主が比較的温厚で気が長く、女性に対して紳士であることを心がけている人物だったことだ。相手によれば彼女の態度は身分ある者に対して不敬と取られ、怒りを買っていてもおかしくない。

 彼女の意見が通ることはないが、無理強いがないだけ暁幸と言うべきなのかもしれなかった。




 ノックの音がして、重い扉が開かれる。断りなく扉が開かれるのは、開ける人間にその権利があるからだ。

「外はいい天気ですよ」

 声をかけられて、彼女はのろのろと首を巡らせた。どれだけ気が乗らなくても、自分の身分や立場で無視はできない。

「……そうですね」



 彼女の頭には母のことが浮かんでいた。

 記憶におぼろげに残る母は、母親として彼女にとって悪い人ではなかった。

 けれど、母が歩んだ人生は娘の人生も同じように狂わせた。



 同じことを繰り返したくない。

 母と同じ道を辿る訳にはいかない。



「庭に出ませんか。貴女の瞳を楽しませられると思いますよ」

 言われて自分が随分長い間外に出ていなかったことを思い出し、彼女は首を縦に振った。




 見上げた空は曇りない青。よく晴れてはいるが季節はいつの間にか夏の盛りを過ぎ、無遠慮に肌を焼くような陽光は射していない。

 広大な庭は当然手入れが行き届いており、領主が言う通り色とりどりの花々で溢れていた。

 美しい色彩の先に目を凝らすが、敷地を囲う柵は随分遠い。辿り着けてもそれを越える術がない。



「お好きな花はありますか。それを植えさせましょう」

「勿体ないお言葉です。けれど私の好みなど、この庭には不要です」

「そう仰らずに。貴女が望むまま、全て造り変えればいいと私は思っています」

「ーーーー」

 言下に含まれた意味に慄く。

 ぎょっとして領主の顔を見上げたら、そこには笑みがある。柔らかいようで押しの強い、有無を言わせない笑みだ。



「はっきり言葉にしましょうか」



 彼女は慌てて首を横に振ったが、相手はそんなもの気にしなかった。




「私の妻になって頂きたい」




 きゅっと喉が締まる。聞かなかったことにしてしまいたいが、そんなことは許されそうもない。



「貴女に穏やかな心休まる未来を保証します。私が掴みきれるだけの幸せを、貴女に」

「奥様が……」

 視線を泳がせて、彼女は逃れる術を探す。

「ご存知でしょう。既に亡くしています」

 それは確かに館の使用人達も言っていた。

 領主には生まれた時から決められていた女性がいて、その通り結婚を果たしたが、僅か一年足らずの内に病のせいで死に別れていると。

 立て続けに先代も亡くなり、以降仕事に忙殺される日々を送っているらしい。

「……奥様が悲しまれます」

 当たり障りのない言葉ではぐらかす。

「死者を悼む気持ちは大切ですが、生きている人間はそれをいつまでも心の真ん中に置いてはおけない。彼らが何を与えてくれる訳でもないのですから」

 領主はさらりとそう返して、彼女の言を退けてしまった。

 言うことはごもっともだが、そもそも領主と彼女の天秤は釣り合っていない。

「こんな素性の知れない女を、身分ある方が妻にだなんて戯れにでも仰ってはいけません」

 彼女はだから自分の不釣り合いさを盾に、領主を退けようとする。

「どうぞ、身分ある貴方様に相応しい方をお選び下さいませ」

 けれど相手も簡単には引き下がらない。

「私には貴女に身分がないとは、どうも思えない。立ち居振舞いやその所作の端々に上流階級の教育が見て取れる」

 それは父たる領主の元で過ごした間に、否応なく身に付いたものだった。だからと言って彼女が庶子であることに変わりはない。

「いいえ、領主様。私は他人に誇れるような出自は持ち合わせていないのです」



 釣り合わない関係は、それこそ不幸を呼び寄せる。

 珍しいものを見る目を向けてくる館の人間の目が、次々と彼女の脳裏を過った。



「分不相応でしょう。それに私は領主様の傍に召し上げられるほどのものを、何一つ示しておりません。あなたの足を引っ張ることはあっても、お役に立つことはまずないでしょう。どうか一時の感情で、領地の皆様を不安にさせるようなことはなさらないで下さい」



 そう、彼女は領主に何も示していない。領主は彼女の内側を何も知らないはずだ。性格も経歴も好みも何もかも。彼女の外側しか、その瞳には映っていないはず。



「……あなたのその美しい顔を曇らせるものについて考えます」

 吐息を零すように領主は言った。

 この男も結局はそこが目についているだけなのだろうと、彼女は諦めの境地で思う。



 見栄えの良いものを隣りに置きたいだけ。



 けれどそんなものは時の流れと共に失われて行く。十年も経てば、彼女の価値は消費され尽くしているだろう。



「誰かが、その心に住んでらっしゃいますね?」



「………………」

 彼女は何とも答えなかった。

「貴女は何も話さない。出身も、人狼に拐かされたまでの経緯も。それどころか名前さえ、好きに呼べば良いと」

 そっと領主の指先が彼女の頬に触れる。受け入れることも拒むこともできず、仕方なしに彼女は目を伏せた。



「そうやって自分を規定するものを何もかも捨て去った貴女に、帰る場所があるとは思いません。行く先がないのなら、留まれば良い。何も答えたくないなら、その名さえ、私が新しく贈りましょう」



 真綿で首を締められているような感覚。



「急かしはしません。話したくないことを話せと言うつもりもない。ただ、知ってほしいと思います」



 鎖に繋がれてしまうその前に、自分の足を動かさなくてはならない。

 彼女はそのことに気付く。



「私のことを。私の心の内を」






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