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小さな食卓-7






 約束は、律儀にきちんと果たされた。



 とある昼下がり、馬車に乗せられて彼女は館の外へと連れ出された。

 賑わう中心地を抜け、車輪の振動から石畳から畦道へと出たことが分かる。カーテンをそっと上げ、彼女は外の様子を眺めた。

 川沿いを真っ直ぐ走っている。水門が必要なだけあって水量もその流れの速さもしっかりしているようだった。

「何か気になるものでも?」

 向かいの席の領主が尋ねてくる。

「いえ……」

 短い返答では愛想がないので、場をもたせるために彼女は思い付いたこと口にしてみる。

「ここはなかなか土地が肥沃に見えますが、これだけ川があると水害もまたあるのでは」

「そうですね、数年に一度は氾濫することがあります。水が入るとその年の作物は悉くやられる。うちは作物だけに頼っている訳ではないので他の産業で何とか回していけますが、悩ましい問題であることに変わりはない」

 彼女が元いた村は水害には縁がなかったので、あまり上手く想像はできない。けれど作物が駄目になる痛手は万国共通なので、よく分かった。

「ですがこの時期はそんな心配も要りませんよ」

 今日も天候には恵まれている。川は特別うねりもせず、淡々と流れているだけ。

 他愛ない話をしばらく続けるうちに、領主が窓にかかるカーテンを上げた。

「窓の外を。そろそろ橋の真ん中です。我が領地をご覧頂けるはず」

 馬車が速度を落とし、やがてゆっくりと停車する。

 彼女はするりとドアノブに回した手が、けれどやんわりと上から重ねられた手に止められた。



 気持ちが逸りすぎたかもしれない、と彼女は思った。

 本来、外から御者にドアを開けてもらうべきだし、降りるのは領主より後、エスコートしてもらいながらだ。



「お約束通り、橋の上からの景色ですが」



 きゅっと包まれた手に力が加わる。



「ーーーーただし、馬車からは降ろしません」

「………………」



 にこやかに、けれどきっぱりと言われた。彼女は虚を突かれて言葉を失う。



「飛び込まれでもしたら、敵わない」



 ドキリとした。

 頭の中を見透かされている。動揺を抑えて、平坦なトーンで彼女は返す。



「何故、そのようなことを」

「違うと言うのですか」

 ーーーー違わない。

 何故なら自力では館から出られないから。街中ではきっとすぐに追い付かれてしまうから。

 逃げ出そうと思えば、他の力がいる。例えば水の流れとか。



 街の様子を知りたがったのは根付くための努力ではなく、地理を把握し逃げるためだった。

 最終的に彼女はこの川と橋に目を付けて、飛び込んでしまうのが取り得る中で一番可能性のある手段だと判断した。

「否定しないということは、そのつもりだったと」

 飛び込むことへのリスクは分かっているつもりだった。水を甘く見ている訳ではない。

「何が貴女を死に駆り立てるのです」

 衣服を身に付けたままこの高さから飛び降りるなんて、自殺行為そのものに見えるだろう。

「何が、貴女の心を捕らえているのです」

 死のうという訳ではないけれど、それで死んだらそれはその時だ。そうは思っていた。

「私は、別に」

「錯覚だと申し上げたはず」

 並べられる言葉には圧迫感がある。

 微かに身を引いて、彼女は今ここが小さな密室であることに気が付く。

「弱った心が手近なものに救いを求めるのはよくあること。いいですか、私は貴女のその過ちを責めはしません」

 彼女が人狼に一方ならぬ思いを隠していることを、この領主はとうに見抜いている。

 けれど過ちと言われることには違和感があったし、赤の他人に責める責めないと判じられるのもおかしなことだと思った。

「人狼は狡猾で甘言が得意と聞く。よほど言葉巧みに貴女を惑わしたらしい」

 けれど、領主は自分の正しさを疑わない。

 自分を疑わない人間がどれだけ性質が悪いことか。何せ人の話を聞いたフリはしても理解はしない。

「あの日森で出逢ったのもまた巡り合わせ。貴女を一目見た時、自分の手は、貴女へと差し出されるためにあると思った。領主としても一人の人間としても、目の前に現れた貴女を見過ごすことはできなかったのです」



 ギシリ、と座席が鳴ったのは、彼女が更に身を引いたからか、領主が乗り出したからか。



「私は貴女を冷たい川へ飛び込ませるために、あれこれ手を尽くしてきたのではない」



 どうすれば良いか、と領主が零す。



「…………暫くここを離れますか」

「は……?」

「湖水地方に私の別宅があります。あんな血生臭いことのあった森が貴女の視界にチラつくから、意識が嫌な方向にばかり引っ張られるのでは? 養生するなら、環境を根本から変えるべきでしたね」

 突飛な方向に話が転がって行く。

「待って下さい。何故そんな話に」

 重ねられていた手を引こうとしたら、逆に強く握られ引き寄せられた。

「そんなにおかしなことが?」

「何もかもおかしなことだらけです。一体私の何がそんなに貴方の心を狂わせているのです。分かってらっしゃるのでしょう? 私が人狼などに心を惑わされた救いようのない娘だと、素直に名乗れるだけの素性も持ち合わせていないのだと。いち領主様の伴侶には到底相応しくなく、これだけのご厚情を受けておきながらそれを返そうともしない、ロクでもない恩知らずだと」

 領主の顔は目と鼻の先だ。流石に今、いつものように目を伏せる訳にはいかない。

 今ここで自分の意見を曖昧にしてしまったら多分もう取り返しがつかないと、彼女は直感していた。

「私が人狼に惑わされたのが過ちと言うのなら、貴方が私に固執されているのもまた、看過しがたい過ちです」

「ーーーーーー貴女は」




 ガン、と大きな音がしたのはその時だった。






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