第一話:北の都
魔界に着いた私たちは北の都に向かった。
北の都に男爵の養父、蝿王ベルゼブルが政務で滞在しているそうだ。
私と部下を乗せた馬車が少し揺れた。
しかし、その揺れはタイルやレンガの道を走っていると理解した。
窓から見える景色は天界の町並みと大して変わらなかった。
市場があり民が混雑して子供達が走り回っていた。
景色を見ながら過ごしていると馬車が止まった。
耳を澄ませると男爵の声が聞こえてきた。
「飛天夜叉王丸男爵っ。皇帝ベルゼブルに会いに参った。開門!?」
城に着いたようだ。
扉が開く音と共に馬車が再び動き出した。
城の中に入ると暫くして馬車から降りるように言われたので降りた。
そして城内に入ると男爵とフォカロル将軍が先導して私を案内した。
部下たちは男爵の部下と一緒に別の部屋に向かったようだ。
着いた場所は大広間並みの客室。
「ここでベルゼブルが来るのを待つ」
どかりとソファーに座る男爵とフォカロル将軍。
「・・・適当に座れ」
顎で命令する男爵。
進められるまま近くの椅子などに座っていると数人のメイドが来て紅茶と茶菓子を置いた。
私たちの顔を見ても驚きもせずに淡々とこなしていた。
男爵も用意されたコーヒーに手を出したが、そのまま飲まずに用意されたミルクを入れ始めた。
対してフォカロル将軍は黒いまま飲んだ。
「・・・・なんだ?」
視線に気づいた男爵が私を見た。
「い、いいえっ」
「お前がミルクを入れるのを見て驚いてるんだよ」
フォカロル将軍が愉快そうに言った。
「俺が?」
「お前が見た目と違って可愛いからさ」
けたけたと笑うフォカロル将軍。
「うるせぇな」
不機嫌そうに顔を歪める男爵。
私には見せた事のない軽い口調だった。
そんな男爵とフォカロル将軍の会話を聞いているとドアが開いた。
皆の視線がドアに向かう。
「よぉ。飛天」
中に入ってきたのが、ベルゼブル皇帝だと一目で分かった。
二人の屈強な体格をした護衛を二人連れて王だけが持つ独特の威厳があった。
肩まで伸びた艶のある黒髪、月を思わせる怪しき光の瞳。
地獄帝国を統べる皇帝にぴったりの容姿と雰囲気が溢れだしていた。
「よぉ。ベルゼブル」
ソファーに座ったまま片手を上げる男爵。
それと違いフォカロル将軍は片膝を付いて臣下の態を取った。
「仕事は終わったのか?」
「あぁ。だから来た」
男爵の皇帝に対する態度はとても良い態度とは見えなかった。
しかし、皇帝は気にしていなかった。
「・・・・そちらが、ヴァレンタイン子爵令嬢か?」
ちらりと私を見る皇帝。
見られただけで、全身に震えが走った。
「・・・・は、はいっ。ヴァレンタイン子爵令嬢です」
震える身体を抑えながら私は立ち上がって貴族令嬢として恥ずかしくないように答えた。
「・・・・なるほど。飛天が熱を上げる訳だ」
「え?」
私は何を言われたのか理解できなかった。
男爵が熱を上げる?
私に?
「なに馬鹿な事を言ってるんだ?お前は」
後ろから男爵の不機嫌な声とともに皿が飛んできた。
しかし、皇帝の額に当たらずに皿は左を護っていた護衛に止められた。
「・・・飛天。やり過ぎだぞ」
皿を受け止めた中年の男が男爵を睨んだ。
「そいつが悪いんだよ」
しれっとした態度で答える男爵。
「何だよ。フォカロルの手紙では熱を上げていると書いてあったぞ」
「フォカロル!!」
「本当の事だろう?他人に世話焼きなのはお前の性格だが子爵令嬢の場合は、もう恋人みたいなものだろ?」
「「こ、恋人!?」」
私と男爵ははもってしまった。
「俺が知らないとでも思ったか?」
「お前らが満月の夜に中庭で逢い引きしてたのを見てたんだぜ?」
意地悪な笑みを浮かべるフォカロル将軍。
「「逢い引き!?」」
二人の護衛が素っ頓狂な声を上げた。
「月の夜に逢い引きとは乙女心をくすぐるな」
皇帝は手を顎に当てて頷いた。
「流石は俺の息子だ。こんな美人な娘を恋人にするとは・・・・・孫の誕生が楽しみだ」
そんな事を言いながら皇帝は椅子に座った。
「誰も結婚なんてしない。こいつは何れは天界に返す」
男爵の言葉が胸に響いた。
交渉が決裂したのに、まだ私を天界に返そうとしていたんだ。
そう思うと胸が痛くなった。
「交渉が決裂したのにか?」
「交渉なんて何回でもやり直しが効く」
「ずいぶんと前向きだな」
皇帝は愉快そうに笑った。
「お前は子爵令嬢を返したいが、果たして子爵令嬢本人はどうかな?」
金色の双眸で私を見つめる皇帝。
男爵の瞳と違って威圧感はなく安堵の雰囲気を感じて心を許してしまいそう。
「どうだい?ヴァレンタイン令嬢。天界に帰りたいか?」
「私は・・・・・・」
言葉に詰まる。
心の何所かで天界に帰りたいと思う私がいた。
しかし、同時に男爵のいる魔界に残りたいと思う気持ちもあった。
両方に板挟みされ私は迷った。
「・・・・・まだ、決心が着かないようだな。それならまだ大丈夫だな」
小さく何かを言った皇帝。
「・・・・・・何を企んでいる」
男爵が眉を顰めた。
「さぁ?何だと思う」
皇帝は気にしないとばかりに笑った。
そんな事で私は魔界入りを果たした。