第08話「少女の誤算」
いつかは、こうするしかないと分かっていた。
だけどそれは遥か未来の話。背丈も伸びて、人を振り向かせるだけの色気やら何やらを身につけてからの筈だった。
しかし、身売りのタイミングは今しかなかったとルアは思う。
ロリコンだろうと、変態だろうと、善良な部類に入るお金持ちに取り入るチャンスは皆無。おそらく人生で最も高値がついたこの瞬間を逃す訳にはいかない。
「とりあえず汗を流せ。着替えはコレな」
「はい」
「で、全部終わったら教えた部屋に来い。OK?」
「おーけー」
と言いつつ、人間の感情は計算通りに動かなかった。
大切な物を失うカウントダウンが進むにつれ理性は警鐘を鳴らし、緊張感から口の中が急速に乾いていくことが自分でも分かる。
「想像以上のお金持ちだね、これは」
汚れを落とせと案内された先に待っていたのは、何とお湯で満ち溢れた湯船。
驚きつつ置かれていた石鹸で丹念に体と髪を洗い、これなら裸を晒しても恥かしくないと納得したところでお湯の中へ。
このくびれも無ければ、豊満とは正反対の痩せっぽちに落胆しないだろうか。
お湯を沸かすための薪代は請求されないのだろうか。
勝手に石鹸を消費して、怒られないだろうか。
疑問が浮かんでは解決しないまま消え、思考がいまいち纏まらない。
しかし、何時までも足踏みをしていられないことだけは確かだ。
「これに着替えろってことだよね」
覚悟を決めて浴場の外へ出てみれば、置かれていたのは真新しいタオルと少しサイズの合わない新品の洒落たワンピースが一枚。水気を落とし、久しぶりの女物を身に着ければゴールは目の前。
一歩進む毎に鼓動が加速し、目指す部屋の前に付く頃には心臓の音が耳鳴りの様に響いて他の音全てを打ち消す有様だった
しかし、もう退けない。
これは接客業の一種。つまり、結ばれた契約は何を犠牲にしても守らなくてはならない。
それが商人の端くれの意地。何が起きようと笑顔だけは忘れまいと決め、最後の扉を開ける。
「ようこそ、面接会場へ。どうぞお座りください」
「……はい?」
そこはテーブルと椅子だけの簡素な部屋だった。
しかも在室していたのは央維の他にもう一人、女まで居るから分からない。
一気に理解の限界を超えたルアの頭はパニックに陥っていた。
「あの、僕はどうすれば?」
「そこに椅子があるだろ?」
「う、うん」
「まぁ、座れ」
「央維さん、質問……いいかな?」
「おうさ」
「僕って、これからえっちなことをされるんだよね?」
「されないぞ?」
「え?」
「俺はイカ腹で胸もぺったんこなガキに欲情する趣味は無い。そうだな……コイツは対象外だが、最低でも同等以上に育たんと無理」
「えっ、えっ!?」
央維が指差す先、呼吸に合わせて上下する恋の胸元は中盛り。
肉どころか米すらも半分以下のお子様定食とは、丼としての格が番う。
「ドッキリ大成功、と言ったところだね。ちなみに私はそこの男と双子で妹の恋。コンゴトモヨロシク」
「よ、宜しくお願いします」
いえーいとハイタッチを交わす双子を見た瞬間、緊張の糸が少女の中で切れた。
良く分からないが、文字通りの意味で玩具にされたことだけは分かる。
しかし半分やけっぱちとは言え、決死の思いで搾り出した覚悟とは何だったのか。
やり場の無い感情に精神の均衡を崩しそうになるも、ギリギリの所でルアは踏ん張る。
「冗談はさておき、兄から概ねの事情は聞いている」
「はい」
「待て、これは俺が見つけてきた案件だ。メインMCは譲らないぞ」
「くっ、仕方ない。では後は任せたよ」
何故かターンを奪う勢いの恋を押さえ、央維は咳払いを一つ。
「実は俺達、遠からずこの街を去る予定なんだ」
「そ、そうなんだ」
「果たして次に戻ってくるのは十年後か、それとも二度と戻らないのかは分からん。しかし、だからこそ種を蒔いてみたいと思った今日この頃」
「まさか僕が種? 良く分からないけど、何かで結果を出して花を咲かせろと?」
「察しが良くて助かる。ざっくり言うと、お前の才覚一つで起業しろって話」
「……正気かい?」
「資金と後ろ盾はこちらで用意するし、仮に失敗しても一切の責は問わない。悪い話じゃないと思うんだが?」
「美味し過ぎて、どんな裏があるのか疑ってしまうよ……」
「だよなぁ。俺なら詐欺だと断言する怪しさだ」
「だけど、僕に失うものは何も無い。し、処女にも興味ないって言われたしね」
「恥かしいなら、別にそこは触れでもいいだろうに……」
顔を真っ赤にしたルアは、しかし央維から目を離さずに言う。
「どの道、試験とやらを通ったらの話だと思う。先の事を考える前に、先ずは目の前の関門を突破することだけに集中したい。この読みは間違ってる?」
「な、コイツは凄い逸材だろ?」
「さすが”俺”の見込んだ人材。私のアホ可愛いリィルとは雲泥の賢さじゃないか」
「これで年齢も一つ下なんだぜ……?」
「……この話は止めよう。愛嬌だけでも渡世は渡れるし、勉強だけが人生じゃないさ」
「あの、実はお二人ともリィルさんのことが嫌いですよね?」
「「弄り甲斐があって大好きだよ!」」
「……やれやれ、僕は玩具二号を襲名なのか」
「あ、気付いた?」
「やっと央維さんの言ってた玩具の意味が分かった。いやまあ性的な意味よりは健全だけど、新しい玩具候補としては複雑な気分……」
「では、理解したところで売れ残るかどうかの試験タイム!」
「何時でもどうぞ」
場を和ませる前哨戦はこれで終わり。
予想通りのリアクションを返してくれたルアに満足した央維は、相棒に目配せをして状況の開始を打診。何事も格好からと、意味も無く面接官っぽいポーズを取る。
「では、お名前から」
「ルアリカ・ハードベイト、八歳。宜しくお願いします」
「現在のご職業は?」
「今更それを聞くのかい?」
「様式美は大事。次からは深く考えず、ちゃんと回答するように」
「はぁ」
「次に当社を志望した動機をお答え下さい」
「あのさ、勝手に見初められた僕に回答出来るって本当に思うの?」
「……無理だな」
「分かっているなら、ちゃんと意味のある質問にしてよ。央維さんからすれば遊びかもしれないけど、僕にとっては真剣勝負なんだからね?」
「あ、はい」
緩い空気に冷静さを取り戻した少女に冗談は通じない。
こちらがルアを見定めている筈が、逆に央維が値踏みされる危うさである。
「あーと、数字は得意か?」
「嫌いじゃない分野だよ。例えば帳簿の管理程度なら楽勝かな」
「それは心強い。ちなみに俺達は商売のイロハを全く知らん。何を聞かれても盲目的に首を縦にしか降らんぞ!」
「少しでも期待した僕が馬鹿だった」
「はっはっは、道楽なんてそんなもんだ。次いくぞ、次!」
「茶番だなぁ」
「引っ張らずこれを最後にするから、そんな目で見るなよ。ある意味で合否の掛かる質問なんだが、自分という人間を客観的に説明して欲しい」
「そうだね、僕は一言で言うなら臆病者かな。基本的に他人を信じず、分の悪い賭けも嫌い。何事も自分の目で確かめなければ気の済まない幼稚な小娘だと思う」
「ネガティブな」
「だけど、否定的な物の見方は石橋を叩いて渡る慎重性に通じる。僕の最大の武器は、慎重論者でありながら、必要に応じて即断即決の博打を打てる二面性だからね」
臆病なのかどうかは分からないが、央維の誘いを受けた時点で土壇場の決断力は証明されている。口だけでなく行動で示した回答に、思わず拍手で応える央維と恋だった。
「では、私からも一つだけ」
「はい」
「私たちをどう思ったのか、虚飾無しで答えて欲しい」
「忌憚なく言わせて貰えば、人を掌の上で弄ぶ稀代の駄目人間」
「裏表のない清清しい回答を有難う。宜しい、合格だ」
胆力も問題なし。ここで媚び諂うなら、ばっさり切り捨てていた。
サムズアップして笑顔を浮かべた恋に対し、ルアは複雑そうな表情を浮かべて言う。
「……雇い主を罵倒して賞賛されるのは、これが最初で最後だと思う」
「だろうね」
「では、合格したなら具体的な話を聞かせて下さい」
「その辺は明日にしよう。こちらも準備がまだ終わってないのさ」
「うむ、今日はもう遅い。部屋の用意だけは出来ているから、続きは明日だ明日」
「旦那様がそう言うのであれば」
「兄が旦那様なら、私は何と呼んでくれるのかな?」
「お姉さま?」
「恋お姉さま、リィルのお姉ちゃんとも違う良い響きだね。では、お姉さまが寝所まで案内してあげよう。着いておいで」
「はい。それではお休みなさいませ、旦那様」
「お疲れさん」
口には出さないが、試合を持ち越されて不満顔のルアだった。
しかし、央維とてここは譲れない。恋と打ち合わせたのは面接の一発ネタだけで、何一つ決まっていないのが現状なのだから。
円への報告に後援者の確保。現時点で解決しているのは資金面だけと言う泥舟っぷりには、最早笑うしかないと言ったところだろう。
山済みの問題にやれやれと頭を振り天井を仰いでいると、先に戻ってきたのは恋ではなく円。遅くまで散々働いたはずなのに疲れの色は見せず、むしろ全て出し尽くした達成感を発散してのご帰還だった。
「お疲れ様、無事に店じまいって感じ?」
「はい、厨房もピカピカに磨き切ってパーフェクトです」
「俺の読みだとさ、あの店は姉さんのワーカーホリック発散の場でしょ?」
「大正解。実家のお店を子供の時から手伝ってきた影響なのか、たまに全力で手の抜けない料理に全力投球しないと落ち着かないわたしです。ついでにこの世界に伊藤の味が通用するのか試す為にも、あのお店は私にとって必要不可欠っ!」
「つーか、教えてくれても罰は当たらんと思うんですがね」
「お店のスタッフがわたしの要求水準を満たし、食材の調達も含めて万全を期してから披露する予定だったんですよ? ほら、例えるならセーターとかを編んでいる最中に見せたくない気持ちと言えば分かります?」
「にゃるほど」
概ね想像通りの回答だった。
ついでに言えば店の繁盛っぷりからも分かるとおり、やはり洋の東西を問わず美味いものは美味いと言うことなのだろう。
常々円は自分を未熟者と言うが、その腕は立派に異世界へ通用しているから凄い。
もしも元の世界に戻れないとするなら、おそらく三人の中で確実に歴史に名を刻むのは円だと央維は思う。
何故ならこの世界の料理文化は現代に比べて大きく劣っている。
存在しないマヨネーズ然り、各種ソース然り。
持てる知識を総動員して本気で料理道に打ち込めば、フランス料理の第一人者であるエスコフィエと同格の祖として偶像視される未来も決して夢ではない筈だ。
「だから今日はびっくりしちゃいました。そう言えば知らない子供を連れていましたが、あの子はどなた? リィルの友達?」
「あー、そのことでご相談と報告が」
「はい、どうぞ」
「姉さんはオーブを入手する為に、商人を置き去りにするゲームを知ってる?」
「複数の媒体で何度もクリアした名作だから、当然知ってますよ」
「アレの類似をやりたい」
「……まさか、彼女が商人枠ですか?」
「いぇあ」
「良いアイディアですね。タイムカプセルを埋めて、後の楽しみを仕込む意味でも全面的に賛成しちゃいます。だから、具体的な話をお姉ちゃん聞きたいな」
「ノープランだからこそ、相談してる訳でして」
サムズアップして無計画っぷりを暴露した央維の表情に一片の曇り無し。
そんな自分を見た円は、最初から察していたのか苦笑いだ。
「ちなみに俺と恋で妥当な人材であることだけは確認済み。事後承諾だけど、姉さんも手助け宜しく」
「はいはい。二人の目に適った人材なら、わたしからとやかくは言いません。”俺”と”私”の判断を信じて全面的に協力します」
「さすが”わたし”は話が早い。で、いきなりだけど、商人さんにこの家の権利を委譲してもOK?」
「どうせ長めの旅に出るわけですし、かまいませんが……」
「あいつ―――ルアは絵に描いたよう転落人生を送る家なき子。安心しえ使えるベースキャンプを与えてやらないと、活動に支障をきたす気がするんですよ」
「後ろ盾はどうするの?」
「その辺は応相談」
「あ、一度中断しましょう。三人寄れば文殊の知恵。数は力ですから」
円の視線の先には、丁度戻ってきた恋が居る。
「話は聞かせてもらった。私に良い考えがある」
「おい馬鹿止めろ」
「どこぞの司令官と違ってちゃんと勝算のある提案だぞ?」
「ほう」
「実はあの子を裏切らない確固たる後ろ盾にアテがある。だからそっちは任せて欲しい」
「プライム的な意味でとても不安ですが、そこは恋ちゃんを信じて一任しましょうか」
「人事関連だから問題ない前振りと信じたい」
「はっはっは、明日の朝イチでアポを取ってくるから期待してくれたまえ!」
「それはそれとして、事情の説明をするからちゃんと話し合おう。姉さんも合流したし、頭から行くぞ?」
「おっと、長丁場になりそうだからお茶を入れてくるよ」
「あ、残り物だけど戸棚にクッキーが入っています。お茶請けに使って下さい」
この辺の連帯感と言うか、熟年夫婦も真っ青の以心伝心っぷりは伊藤ズの武器だ。
手持ち無沙汰に肩を回す央維は、やはり自分は間違っていなかったと胸を撫で下ろす。
頼れるのは自分だけと言ったルアの言葉は実に正しい。
央維とて背中を刺されても許せる二人以外、腹を割って話せる相手は何処にも居ないのだから。
「先ずはルアと遭遇したところから―――」
それぞれの一日の総決算が始まる。