第06話 迷い子、二人
「お姉ちゃんを放ったままで、大丈夫なんでしょうか?」
「ちょっと穏便に話し合うだけだろ? 心配するだけ無駄無駄」
「……本当に?」
「仮に荒事に発展したとしても、それこそアイツの望むところ。どうせ暴力で恋に勝てる戦力はこの街には存在しない。官憲如き鼻歌交じりに返り討ちにして、腹が減ったら帰って来るさ」
不安げなリィルの気持ちも分かる。
人権、何それ美味しいの? を地で行く世界の一般人は、国家権力に睨まれただけでアウト。力の象徴である騎士にロックオンされた恋の立場は、普通に考えてかなりマズイ。
安全マージンをゲーム時代の数値を目安に判断する伊藤さんちの子は九分九厘の安全を確信しているが、何も知らない少女にそれを察しろと言うほうが難しい。
幾ら元プレイヤーとそれ以外の間に隔絶した差があろうと、リィルにとっては国の騎士こそが最強の象徴なのである。
「えっ、お姉ちゃんはそんなに強いんですか」
「救出時に見せたから、俺の力は知ってるよな」
「はい、森ごとドカーンがとっても凄い感じでした」
「そんな俺を絵本に出てくる最強の魔法使いと仮定するなら、恋は一人で魔王を倒せる勇者様。ぶっちゃけ俺の十倍強いぞ」
「……人の良さそうなお兄さんが苛めっ子だったり、普通のお姉ちゃんが無敵だったり、人は見た目で判断出来ないことをリィルは学びました」
「こやつめ、ハハハ」
気を許してきたのか、オブラート無しの本音を零すようになったリィルの髪をわしゃわしゃと撫で回す。
普通なら荒唐無稽な話を素直に信じるのは、リィルが単純な子共だからではない。伊藤央維と言う人間が肝心な所では決して誤魔化さず、そして嘘をつかないと確信しているからこそ素直に頷いたのだ。
下駄どころか心を預けられた以上、受け取った側には責任を取る義務が生じる。
それが戯れにでも騎士を名乗った者の責任だと央維は思う。
「レ、レディーは、もうちょっと丁重に扱うべきかとっ」
「前向きに善処します」
「改める気ゼロだぁっ!?」
「閑話休題、旅に出れば恋の実力を直接目にする機会も在る。乞うご期待、ってな」
「わくわくですっ!」
「しかし、先の話を論じてもしゃーない。今は目の前のわくわくを探しに行くぞ!」
「はいっ、お兄ちゃん!」
「つっても晩飯にはちと早く、目ぼしい観光スポットも概ね見た。何かやりたい事は御座いませんか、お姫様」
「んと、ずっと檻に入れられて少し体が鈍っています」
「気持ちは分かる」
分かるが、元気すぎやしないだろうか。
朝イチで身柄を確保して以来ずっと動きっぱなしの癖に、ティータイムを挟んだだけで体力が回復するとか理解に苦しむ。
人の事は言えないが、リィルも大概にスペックがおかしいと思う央維だった。
「なので、強いて言えば体を動かしたいところ」
「確か西区にデカイ公園っぽい場所があった筈。そこで駆けっこでもどうよ?」
「加減してくれるなら是非に!」
「前向きに検討します」
「この人、こればっかだよぅ……」
頬を膨らませて不平を露にする少女を見た央維は、つくづく眺めていて飽きない少女だと改めて感心。こうでなくては張り合いが無い。弄られ役とは斯くあるべきだ。
「ま、全ては身軽になってからだな。大した手間にもならんし、一度戻って荷物を置いてから向かう事にしよう」
「はーい」
喧嘩を売りに行った騎士様の買い物も押し付けられた感じなので、意外と荷物の量が多かった。
多くは嵩張らないリィルの服関係だが、恋が露天で摘んだ細工物がとにかく邪魔だ。
どうせ夕食も外で取らなければならない事も考えると、身軽に越した事はない。
しかし、ふと央維は気付く。
ここは何処なのだろう。他人の喧嘩に巻き込まれないようにと、適当に路地を移動したことで現在位置を見失ってしまった。
方角の目安となる城も角度が悪いのか見えず、綺麗に整備された大通りと違って下町風の狭い道のりは視界がどうにも悪い。
「……リィルさんや、ここでクイズです」
「ドンと来い、なのです」
「人はどこから来て、どこへ行く生き物でしょうか」
「おうちから来て、おうちに戻る生き物だと思います」
「正論だな」
「えっへん」
「では第二問。俺達はどこから来て、どこに居るのか答えなさい」
「……分かりません」
「俺もさっぱり分からん。悪い、迷った」
「お兄ちゃんのバーカバーカバーカッ!」
「べ、別に山奥どころか、人のわんさか居る昼間の街中なんだからいいだろ!」
「あっ、確かにその通りです」
「ついでに表現も変えよう。いいか、これは自主的な探検だ。ポジティブに、知らない土地で好奇心を満たす冒険のチャンスが巡って来たと考えろ」
「たんけん! ぼうけん!」
「そしてこれは、お望み通りの適度な運動と言えるのではなかろうか」
「リィル、やる気が出てきました」
「よーし、冒険者君にお仕事を発注しちゃうぞー。頑張って東西南北何れかの大通りに辿りつけたならミッションクリア。報酬をお支払い致しましょう」
ぶっちゃけ、迷ったと言っても気の迷いレベル。
適当に歩いても都市の大動脈には戻れるだろうし、子供の遊びに付き合うのも悪くない。
「任せてください。このリィル、見事に役目を果たしちゃいますからっ!」
「頼みましたよ、勇者様」
央維も幼少期に憧れた、シティアドベンチャーが幕を開けた瞬間だった。
「人の事は言えないけどさ、さすがに時間掛かりすぎじゃね?」
「……リィルは景色で覚える人なので、仕方が無いんじゃないかなと」
「冒険者の道は諦めような」
「自分でも向いてないって思いました」
「職業適性が分かっただけでも価値があっただろ。やはり人生の回り道を無駄と切り捨てちゃいかん。俺にとっても勉強になったから気にすんな」
「ううっ、後はお兄ちゃんにお任せします……」
開始して暫くは自信満々に進んでいたリィルも、何時の間にやら露骨に治安の悪そうな区域に迷い込んだ時点で現実を直視したらしい。
夕暮れ時のスラム街的な場所はアウトローの溜まり場で、身形の良いリィルと央維を見る目は友好的とは程遠い雰囲気だ。
怯えてシャツの裾を掴んで離れないお姫様が大変可愛らしく、央維としては暫く迷った振りを続けるのも吝かではない。
が、恐ろしい姉に問題を起こすなと厳命されている。
遠からず絡まれる未来が見える以上、さっさとおさらばするのが吉だろう。
メリットよりもデメリットが勝ると判断した央維は、後ろ髪を引かれる思いで離脱を決意。途中にちらりと見えた城の位置から正しい道順を導き出し―――さっそく如何にもなチンピラに目を付けられた。
「お坊ちゃん方、貧乏人にお恵みを―――」
「ストップ」
「あん?」
「カツアゲ相手に俺は止めておけ。絶対に割に合わんぞ」
「俺様は超強いからってか?」
「んにゃ、ウチの女衆と違って喧嘩は得意じゃない」
「舐めてんのか、あぁん?」
いまいち的を得ない央維に男は困惑気味。
しかし喧嘩が苦手と言うのであれば、何時もと同じく暴力に訴えるだけだ。
「出すもん出しゃぁ、痛い目には遭わなくて済むんだぜ? ほら、素直に従えよ、な?」
「よし、悪いのは忠告を無視したお前だ。何らかの傷害を負っても当方は責任を負いません。そこんとこをお忘れなくってことで―――だらっしゃぁっ!」
「ぶべらっ!?」
攻撃は最大の防御。
素人の喧嘩なんて先手さえ取れば、後は度胸と根性で何とかなるもの。
あまり荒事と縁のない生活を送っていた央維もこれだけは理解していたので、ニヤニヤと慢心する男を全力でぶん殴り自分のペースに相手を巻き込むことにする。
懸念は一つ。投げ捨てた荷物が嫌な音を立てたことだけ。
まぁ、やってしまったものは仕方が無い。大事なのは勢いである。
「話の最中に汚―――」
「五月蝿ぇ、口を開く前に手を動かせ三下!」
安全確保の為に左腕一本でリィルを抱きかかえ、レッツ追撃。
腹を押さえて前屈したのを幸いと、一歩踏み込んでのサッカーボールキックを見舞う。
足の甲が伝える肉を押し潰す手応えに満足した央維は、ここで一度ストップ。
悶絶する男の髪を掴んで無理やり引き上げ、目線を合わせてから言った。
「今ならまだ、冗談で済ませてやるぞ」
「ざっけん―――」
「例えば刃物を出した瞬間、俺もこんな真似をする訳だ」
直上に産み出した氷の矢を三発モニュメント代わりに地面に突き刺し、周囲を氷の園へと変貌させてから釘を指す。
央維とて後衛だろうと最上級職の端くれ。HPを始めとする身体能力は下位の戦士職より高く、チンピラ程度なら拳だけ圧倒可能なナチュラルボーンキラーだが、護衛対象を引き連れている身で複数人を同時に相手取る自信は無い。
機を伺う周囲に控えた子分達を纏めて黙らせるには、やはり圧倒的な差を見せ付ける方が手っ取り早いと央維は判断。慈悲として初弾は外したが、まだ歯向かうなら次は躊躇わず当てるつもりである。
「魔法使いさん、だったんすか……?」
「おうよ。まだ続けるつもりなら、今度は全身を炭に変えてやるぞ」
「あの、その、マジすんません。身の程を知らないのは俺でした。人違い、そう人違いっす! 勘違いでご迷惑を掛けて申し訳ありませんしたっ!」
「素直で宜しい。寛大な俺は10数える間に視界から消えれば不問に処すとも」
「あざーすっ!」
「カウント行くぞー? いーち、にー」
「失礼致しましたぁぁぁっ!」
これにて一件落着。自分に身を預けて目を瞑っていた少女をゆっくり下ろし、体を強張らせていたリィルの頭を優しく撫でて溜息を一つ。
思えばこの行為もすっかり癖になってきた。
無意識に触れているあたり、かなりの重症なのかもしれない。
「微妙にゲスっぽいけど、お兄ちゃんはやっぱり凄いです!」
「伊達に地獄は見てないぜ。後、ゲス言うな」
姉と言う名の修羅に恐怖心を取り除かれた央維にとって、殺す覚悟も持たずに相対してくる一般人など物の数ではない。
央維のなりふり構わない本気を引き出したいのなら、同格のプレイヤーか魔王や竜王等の伝説級を引っ張り出さない限り不可能なのである。
「さて、野次馬の対応も面倒だ。俺への賞賛はまた後で受け付けるとして、さくっとこの場から離脱するぞ」
「はい!」
気付くと、騒ぎを聞きつけた人影がちらほらと。
面倒事は真っ平ゴメンなので、地面に散らばった荷物を回収と同時に移動を開始する。
しかし、進むべき方角は分かっても入り組んだ町並みが直進を許さない。
これが貧民街の在り方と言わんばかりに乱雑な区画は、例えるなら初めて訪れた新宿の地下。意外に広いこともあり、ちょっとした迷宮の如く央維を苦しめていた。
「……俺も冒険者とか無理だわ」
「難しいですよね? リィルが方向音痴だったんじゃないよね!?」
「おのれ小娘」
「きゃーっ!」
それなりに歩いた筈なのに、何故か見覚えのある氷柱の前に戻ってきた央維とリィルは、自分達のあまりに低いダンジョン踏破力に溜息しか出なかった。
そもそも本来通れる筈の道を何食わぬ顔で塞ぐ怪しい露天やら、ジェンガを思わせる無理やり感漂う違法建築物群が視界を塞ぐから悪いのだ。
決して方向音痴が理由ではない、断じて違う。
完全に責任転嫁の発想だが、央維にとって譲れない一線なのである。
「お兄さん、ちょっといいかな?」
「ん」
「何やらお困りのご様子。僕の見立てでは道に迷ったと思うんだけど、この辺を良く知る小間使いを雇うつもりは在りませんか?」
「べ、別に迷ってないから道案内は不要だぞ」
「そこはほら、僕はこう見えても情報通。お嬢さんのお腹を満たす、お値段以上の質を提供する食事処のご紹介とかも可能だよ。御代は気持ち程度で構わないし、決して損はさせませんけど?」
敵意の無さをアピールしたいのか、諸手を挙げて擦り寄ってきたのは子共だった。
年齢は低く、せいぜいがリィルの少し上程度。頭には鳥打帽を乗せ、くたびれていても清潔さを保つ装いには好感が持てる。
しかも、言葉の端々から透けて見える知性の高さが興味深い。
お腹を鳴らしていたリィルを目ざとく見つけ、さりげなく交渉材料に盛り込む機転。とても央維のお姫様と同年代とは思えない利発さで、是非とも爪の垢を分けて頂きたいところ。
「面白い、お望みどおり雇ってやるさ」
「まいどあり」
「但し、条件がある」
「なんだい?」
「代金はお前が決めろ。適正価を提示したと俺を納得させられたなら要求額に満足度をプラスして払うが、ボッタクリと認定したなら小鉄銭一枚だ。ローリスクハイリターン、受注側にはデメリットの少ないこの条件を嫌だとは言わんよな?」
「つまり後払い」
「だな」
「構わないとも。但し、金貨を支払う事になっても僕は知らないよ」
「上等だ。マイナス含めて青天井で査定してやるさ」
子共相手と侮るなかれ。
一端のプロ根性を感じさせる以上、相手にとって不足無し。
「名を聞いてなかったな」
「僕はルア・クラックス。雇用主様は?」
「俺は央維で、こっちのちびっ子が―――」
「リィルです、宜しくお願いします」
「これはご丁寧に」
「俺のオーダーは、お嬢様に悪影響を与えない範囲で王都の夜を堪能出来る場所を巡ること。出来るな?」
「予算は?」
「無制限」
「承りました旦那様」
「リィルは美味しいご飯が食べたいです」
「察しちゃ居るだろうが、とりあえずは腹を膨らませたい。全てはそこからだ」
「……央維さんは随分とその子に甘いんだね」
「大変不本意ながらコレの騎士だからな。甘やかすのも仕事の内ってやつよ」
「えっ、甘やかされた記憶がリィルにはありません。どちらかと言えば苛められだけな気がっ!」
「む、愛情が伝わっていなかったのか。注入、注入っと」
「あうあうあうあうあう」
ぺしぺしと、頭を揺らすだけのチョップを連射。
外から見れば、これも甘やかしていると写るのだろうか。
「……羨ましい限りだよ」
暗い表情を一瞬浮べたルアだったが、雇用主はリィル弄りに夢中で気づきもしない。
しかし、央維は最初から感づいていた。
行動の度にイベント満載なこの世界は、間違いなくフラグ管理されている。
人の出会いは一期一会と言うが、どうせこの子供もその一環。
恋にクエストが発生したなら、次は自分の番だ。何も驚くことではない。
むしろ、何事も無く終わる方が興醒めと言えよう。
果たしてこの読みは吉と出るか、それとも凶と出るか。
投じられたコインは、まだ空を舞っている。