90・鬼さん、働くそうです
時間は大体、夕方の6時30分ごろ。現在私は4人しかいない我楽多屋でお客様とお話中。お客様と言っても相手は栄養ドリンクを買いに来た人間バージョンのいぬがみさんです。
「私、ここに住む」
「いきなりどうした」
「もうなんなんですかあの鬼は!好きあらば耳攻めしてくるし好き好きうるさいし、ベタベタベタベタ触ってくるし家を出て行くって脅しても絶対に逃がさないとか言っゴホッゴホッ」
私はいぬがみさんに愚痴を吐き続けました。ククリちゃんと蓮さんはコーヒーを飲みながら私の愚痴を聞いてくれています。勢い良く喋ったせいか噎せてしまいました。
「はい、ココアどーぞ」
「ククリちゃんありがとう」
ククリちゃんから温かいココアを貰ってほっと一息ですが、私の愚痴はまだまだあります。それはもう数えたらきりがない、これならいっそ視えないフリを貫き通せば良かったと後悔しています。
「ソウキの苦手な柊の葉を持ってバリアーしても全っ然、怖がるどころかむしろ柊の葉を持った私ごと抱きしめてかわいいかわいい言ってくるしスキンシップ激しすぎるんですよ!頭おかしいんじゃないの⁉︎ねぇ、どうにかして下さいよ!いぬがみさんはソウキのおかんでしょ!」
「俺はあいつのおかんじゃない!」
「オカンでしょ!だって私がまだソウキに視えることを伝える前、ソウキにはまだ話したのかとか毎日毎日、しつこくメールしてくるし」
「ちょっと落ち着け、な?」
余程、私が怒り狂っていたのか、いぬがみさんはわざわざ自分が嫌な姿である子ダヌキ姿になって、私の膝の上にちょこんと座りました。これはもふもふして落ち着けということですか。ありがとうございます。では、もふふふふ〜。
「だから私は、もう耳攻め変態の鬼がいるあの家には帰りたくないので蓮さんの家に住みたいのです」
「やったぁー!おねぇちゃんと暮らせるんだ」
「いいよ。いつでもおいで」
「じゃぁ、今日から」
「いやいや、ちょい待て。普通に考えてお前がいなくなったらあいつは何が何でも探して連れ戻そうとするぞ」
そうだった。あの耳攻めの夜、天竺事件の真相を問い詰めたらなんと私を探しに山や川、はたまた砂丘がある場所まで行ったそうなんです。それに、私が家を出て行くって脅した時『それだけは嫌だ。と言うか逃がさない』って言ってたな。もし、私が我楽多屋に住んでもきっと鬼さんはいぬがみさんが言ったように私を探して連れ戻そうとするのが目に見える。
「自宅警備の変態耳攻め鬼のくせに」
だってこの前、私が日中何をしていたのって聞くと、テレビ観てたとかゴロゴロしてたとか寝てたとか萌香の帰りを待ってたとか、もろ自宅警備フラグ発言をしたんだよ。せっかく部屋から出られる自由の身になれたんだから、外に出て行けばいいのに。そして、そのまま帰ってくるな。
「ん?あいつ自宅警備じゃないぞ。今日、俺の会社に来て面接を受けたんだ」
「えっ⁉︎」
ちょっと待って今、いぬがみさんから爆弾が落ちて来たような気がするんだけど。あれ、もしかして耳攻めされ過ぎて耳がおかしくなっちゃったのかな?
「もう一度、お願いします」
「だから、わかりやすく説明すると。今日、ソウキが俺の会社に来た」
「はい」
「なんでも、ここで働きたいとか言ってな」
そんな話は初耳です。いや、昨日も普通に話してたけどいぬがみコーポレーションで働くとかそういう話の前兆は無かった。
「ちょうど俺も新しい企業を立ち上げたばかりで妖手が欲しかったところなんだ」
「いぬがみ君、また何かやるの?」
「はい、今度はホテルを何店舗か立ち上げました」
「電化製品、観光業の次はホテルか。いぬがみ君はすごいね。でも体を壊さないようにしないといけないよ。最近は栄養ドリンクを買う回数が増えて来てるから」
蓮さんの真剣な目にいぬがみさんは背筋をビシッと正しました。えーと、つまりいぬがみさんはホテルを作ったからそので働く人材?いや、妖材を募集していたということですか。
「主にレジャー施設の近場に建設して、客層は幅広くと考えています」
「それは、人間界?妖怪界?」
「妖怪界に決まってるだろ」
いぬがみさんって蓮さんには敬語を使うけど私にはフランクなんだよね。その前に妖怪界にもレジャー施設があるんだ。そうだ、妖怪界には鬼さんが行く飲み屋があるんだから、レジャー施設があってもおかしくはないんだ。
「でも、面接を受けても鬼さんが受からなければ」
「あいつには合格と資料と明日からホテル業の研修があるから朝早く出てこいとは言った」
受かったんだ、そりぁ、いぬがみさんのお友達だから面接とは言えど簡単に入れるよね。
「いや、それは違う」
「あっ聞こえてたんだ」
「俺は例え友人でも面接する時は平等だ。もしあいつが変な事を言ったら速攻で家に返していた」
「と言うことは、いぬがみさんを納得させる志望動機があったのですか?」
すると、膝の上に乗っていたいぬがみさんは悪戯っ子のような笑みを浮かべながら私を見上げました。
「聞きたいか?」
「なんとなく予想はつきますよ。どうせ、働く奴はかっこいいからとかそんな理由でしょう」
「はぁ」
いぬがみさんが残念な子を見る目で見てきました。しかも、重苦しいため息付きです。
「いいか、よーく聞け。あいつはな」
「ふむふむ」
* * *
我楽多屋のバイトが終わり無事に家に帰宅すると早速、鬼さんが私に報告してくれました。
「実はオレね!」
「いぬがみさんの会社で働くんでしょ?しかもホテル業で、大丈夫、料理だけはさせないでって言ってきたから」
「ちょっと何で萌香が知ってるんだ⁉︎オレ、まだ話してないのに」
「バイト先でいぬがみさんと世間話をしていたら、鬼さんがいぬがみコーポレーションで働くっていう話を聞いてね」
私はリビングに入るなりベッドに腰を下ろします。自然と鬼さんも私の隣に座ってきました。座っても身長差があるからどうしても鬼さんの事を見上げなければならないので首が痛いです。
「いぬがみめ…せっかくオレが話して萌香を驚かせようとしたのに」
「あの、色々とごめんなさい」
「ちょっ!萌香どうしたの⁉︎オレ、まだ何もしてないけど⁉︎」
まだって事はこれから何かをするのかいっ!内心そんなツッコミを入れつつ私は鬼さんを見上げます。じー、じー、じー。あっ、しまった、顎に手をかけられ更に上を向かされてしまった!これはキスフラグ、回避せねば。とりあえず、この手を叩き落としましょう。
「痛っ!」
「自宅警備でスキンシップが多くて変態耳攻め好きな鈍感バカ鬼だと思ってたけど」
「酷くない⁉︎そこまで言われるか?」
「ソウキも色々と考えているんだね」
「えっ、あぁ。そうだけどって何のこと?」
「でも、さっきの行動で好感度が一気に下がりましたよ」
丁寧口調で言えば面白いくらいにオロオロする鬼さん。日頃からのストレスがここで発散される。
「まぁ、根は優しいってことは分かったよ」
「だから、萌香は何に対して言ってるの」
「秘密です」
人差し指を立て自分の唇に押し当ててから鬼さんの唇にもそっと押し当てました。すると、ほんのり顔を赤くした鬼さんの両手が私の両肩に置かれ、ぐっと力を込めたかと思ったら後ろに倒されていました。
「なんで、私が押し倒されてるの!」
「萌香が誘ったから」
「どこがっ!」
「まさかの無意識⁉︎」
鬼さんは目を大きく見開き固まってしまいました。その隙に脱出、今回はなんとか逃げ切りました。それと、ただ単に人差し指を唇に押し当てたくらいでわーぎゃーわーぎゃー騒ぐ鬼さんの方がおかしいと思う。
「あっ、逃げられた!」
「残念でした〜」
てへぺろーっと。そう言いながら私はお風呂の準備をしつつ我楽多屋でいぬがみさんが言っていた鬼さんの志望動機の事を思い出していました。
「まさか、志望動機があれとはね」
遡ること数十分前、我楽多屋にて。
「いいか、よーく聞け。あいつはな」
「ふむふむ」
「『萌香は今までバイトを2個、掛け持ちしながら2人分の生活費をやりくりしてきた生活能力があるしっかりした子だ。でも、いつまでもオレが萌香に頼ってばかりじゃダメだろ?』とここで、俺は当たり前だボケって突っ込んだ」
「へぇー、そんな事を思ってたんだ」
口を潤すため私の膝から降りて蓮さんに出して貰ったコーヒーを舐めながら、いぬがみさんは話を続けます。しかも、コーヒーはカップに入っているのではなく犬が水を飲む用のお皿に入っていました。今はちょうど子ダヌキ姿だから、犬用が合ってるよね。
「でも、お父さんには学費と仕送りをしてもらっています」
「それでも、高校1年のガキならわがままや弱音の一つや二つ吐くだろ」
「吐くのですかねぇー?私は鬼さんの事以外では吐きませんけど」
「そこだっ!」
いぬがみさんに怒鳴られた。
「その後もぐだぐだ惚気たがスルーして。つまり、あいつが言いたいのは『もっと頼れ!』だ。そのためにはまず自分がしっかりないとダメだって言ったな」
「いぬがみ君は義理と人情に弱いんだ」
蓮さんがお茶を飲みながら話に参加してきました。と言うか蓮さん、さっきからコーヒーとかアールグレイとか日本茶とかミルクティーとか色々飲んでるけどお腹壊さないのかな?あっ今、背後に何かを隠した。
「お酒は二十歳超えてからね」
お酒でしたか。確かにほんのり顔が赤くなってる。
「頼れかぁー。鬼さんも色々考えたんだ」
こうして今に至ります。
「どうもです」
「だから、さっきから萌香は何に対して言ってるの」
「ふふふー」
ここは、めんどくさいので笑って誤魔化しましょう。急に目を細めた鬼さんを横目に私はお風呂場へと向かいました。
文中に出てきた【妖手】
人手の意味と同じです




