81・病院から脱走してはいけません
10月中旬、最近の悩みはここ連日続く大雨のせいで洗濯物が外で干せない事と鬼さんの視線が熱く痛い事。
窓の外を見てはため息、おまけに私を見てくる回数が多く視線が熱い。料理をしている時も勉強している時も視線を感じで集中が出来ないです。
でも今はそんな事を思っている場合じゃなくて、目の前の手紙について集中しよう。実は今日の夕方、家に帰ってくるとポストに一通の手紙が入っていました。お父さんか知り合いのお坊さんからの手紙かなと予想したけど、なんと送り主はお母さんから!
「なんて書いてあるんだろう?」
確か、9月の上旬に送ったんだよね。その返事が今返って来たと言うわけで、ちょっと開けるのに緊張しています。
「よし」
白い綺麗な封筒を開けて中に入っている手紙を取り出し読みました。手紙には『手紙、ありがとう』と言う綺麗な文字と紙の隅っこにオシャレな黒猫の絵が描かれているだけ。
「えっ!それだけ」
私、お母さんに書いた手紙には紙いっぱいに文字を書いた気がするんだけど。はっ!もしかしてこれは光に透かすと見えない文字が見えると言うやつか。
「見えない」
光に透かしても見えないなら火で炙ると文字が浮かび上がるやつか。
「わわっ!火事だ火事になる!」
ライターで炙っても何も見えずただ単に手紙の隅がちょっと黒く焦げてしまった。幸い黒猫の絵の部分は燃えていないのが唯一の救いです。
どうしてこんなにも短いのかな?いや、私が長く書いたからお母さんにも長く書いて欲しいとかそう言うわけじゃなくてさ。その、初めて送ったんだし、もう少し何かあるのではないかと考えたりして。あっ、もしかして手紙を送って迷惑だった?でも、文章にはありがとうって書いてあるし、それになぜかオシャレな黒猫の絵もあって。うーん、お母さん、文章が短過ぎるよ。
手紙を持ちながらベッドの上でしょぼくれていると知らない番号から電話が掛かってきました。普段ならスルーするのですが、今は頭が回っていなかったため何も考えずに電話に出てしまいました。
「はい、もしもし」
あっ、出たものは良いけどセールスとか怪しい勧誘だったらどうしよう。まぁ、丁寧にお断りすれば良いか。
『萌香、久しぶり。父さんだよ、父さん』
「新手のオレオレ詐欺ですか?」
『えっ!ちょっ違う本物だから!』
「冗談だよ」
なんと、電話の主はお父さんでした。言い方がオレオレ詐欺みたいだったからちょっとふざけてボケてみたのにどうやら、本気にしたらしい。そう言えば、お父さんはイタリアでマフィアの銃撃戦に巻き込まれて療養中だったよね。
『携帯を買えたから、萌香に電話が出来るようになったんだ』
「銃撃戦で壊れたんだよね。それにしてもよく私の携帯番号を覚えてたね」
『娘の携帯番号を覚える事なんて朝飯前さ!』
後でお父さんの携帯番号を連絡先に入れよう。
『やっと最近、スムーズに動けるようになってきたし、声も戻ってきたんだ』
「良かったねー!」
『それに、このまま行けば退院が早くなるらしい。多分、11月の下旬には日本に帰れるかな』
退院が12月頃から11月の下旬に変わった。何にせよ、お父さんの体が良くなって良かったと思う。あっ、日本とイタリアの時差って7時間くらいだよね。日本の今は夜の9時頃だから、向こうは午後2時。電話するのにはちょうどいい時間かな。
「そうそう、1ヶ月前にお母さんに送った手紙の返事が今日、返ってきたの」
『おー!沙苗からか!なんて書いてあったんだ?』
「手紙、ありがとうとオシャレな黒猫の絵だけ」
しばしの沈黙の後、お父さんが大声で笑い出しました。その声の大きさに思わず驚いて、右手に持っていた携帯をテレビの前で旅番組を見ていた鬼さんの後頭部に向かって投げてしまいました。
「いった!」
「ごめんっ!」
しかも、その携帯は鬼さんの後頭部に当たるとクルクルと回りながら跳ね返ってまた私の手元に戻ってきた。ある意味、凄技みたいと思ったのは一瞬で、後頭部を摩りながらこちらを見てきた鬼さんの視線を無視して私はすぐに携帯を耳元に当てました。
『沙苗、迷ったなぁ〜』
「どう言うこと?」
『萌香もさ、沙苗に手紙を出す時文章を何て書こうか悩んだだろ?』
「うん、徹夜してまで悩んだよ」
『それと同じで、沙苗も萌香に何て書こうか迷った挙句、手紙、ありがとうに行き着いたんだよ』
ついでに、お父さんが手紙を出すと、一週間以内には返事が返ってくると言われた。私は一ヶ月、お父さんは一週間。やっぱりこの差は今まで手紙でも何でも良いからお母さんとコミュニケーションを取らなかった溝だと思う。
『あと、手紙に描かれてあった黒猫は萌香のためだと思うぞ』
「私のため?」
『ずっと前な、お父さんが沙苗に面会した時、萌香は猫好きだって言ったんだ』
「だからか!」
私のためにオシャレな黒猫の絵を描いてくれたんだ。この短い文章の中には、色々と詰まっているんだね。なんだか目が熱くなってきたよ。うん、これからは週一で手紙を送ろう、10月は文化祭もあるからその話でも良いよね。
「逆にお母さんは何が好きなのかな?」
『お金』
「ブラックジョーク!」
またも、携帯を投げると、眉間にシワを寄せてこちらを見ていた鬼さんの角にヒット。しかも、さっきと同じく私の手元に跳ね返ってきた。これで2回目と言うことは偶然なのか私のコントロール力が良いのか…いやいや、今はそんな事はどうでも良くて。
「それ、笑えないからね」
『そうかな?』
「そうですよ」
『いやー面会の時さ、沙苗に私の好きなものはなんでしょーかっ!って聞かれて』
「そんな話なんてしてたんだ」
『そうそう、それでお父さんはさっきみたいに答えたんだよ。そしたら沙苗は大爆笑したんだよ』
「本人公認かーい!」
あぁ、大声出したら喉が渇いたよ。私は冷蔵庫から100mlの小さな牛乳パックを取り出して飲みながらお父さんとの会話を続けました。
『あっ!』
「どうしたの?」
『ナースに見つかった。ごめん今から逃げるから電話切るね』
「もしかして、また病院から脱走したの?」
『これが、男のロマンさ』
かっこいいこと言ってるように聞こえるけど、やってる事は大人としてダメだと思うよ。って言おうとした時、電話が切れました。
「よし、手紙書くか」
今の電話でお母さんに手紙を書く気になった私は勉強机の奥底に入れていたお父さんにもらった薄紫色の手紙を取り出して手紙を書き始めました。
* * *
3時間後
下書き用のルーズリーフには短い文章しかない。そして私は簡易テーブルに突っ伏して嘆いていました。
「か、書けない」
勢いで書こうとしたのが間違いだったのか、それとも眠いのか、全くこれっぽっちも文章が思いつかない。
「ワタシハデキナイコダ…ブンショウガ…」
不気味な独り言を言っていると頭に何かが乗り跳ねるように撫でられました。微かに上を見ると、鬼さんが微笑を浮かべて私を撫でていたのです。
前に知り合いのお坊さんのお寺にいる赤頭に同じ事をして貰ったのですが、その時は身長が縮みそうだからやめて欲しかったけど今回は違う。
それがなぜか心地よくて嫌じゃない。反対にまだやって欲しいなぁーとか思ってみたり。そう言えば私、なんで鬼さんの事を視えないフリをしていたのかな?えーと、確か。
「んぅ」
この心地よさに瞼が重くなり、考えることをやめて寝てしまいました。




