136・忍び寄る影 ~火ノ江 由紀子~
寒さの厳しいとある1月の夕方。
母親からのお使いでうちの神社から少し離れたスーパーまで今日の夕飯に使うカレー粉を買いに行ったその帰り道。周りは住宅街で今、歩いている道路には私一人しかいないのにも関わらず背後から視線を感じる。
「はぁ」
その視線は私の斜め右後ろにある電柱からビシバシと突き刺さってきて思わずため息が漏れた。もう、本当にあのバカ狐は。
「どうせ、いるんでしょ」
その場で体を捻らせ後ろを向くと土地神が電柱の後ろで隠れていて、必死に私はいないよアピールをしていた。と言っても電柱の後ろから白い狐耳と尻尾が見えているからバレバレだけど。それに、雲一つない綺麗な月明かりが道路を照らしているためはっきりとその姿が見える。
「もう、あんたのストーカー行為には諦めたから出てきなさい」
すると、狐耳をピクピク動かせて土地神がひょっこり出てきた。その姿はまるで隠れんぼをしていた子供が見つかって出てきたように見える。だから、少しだけ土地神が可愛く思わず笑ってしまった。
「ワシはただ由紀子がどこか行くから気になってな」
「分かった分かった」
「それにこんな夜遅く出歩くと変な輩に襲われたりするといかんからな」
「はいはい」
「べ、別に由紀子が心配で後を付けてきたわけじゃないんだからねっ!勘違いしないでよっ!」
ツンデレかっ!それに、この前まで私が心配で見守っているとか言ってなかったけ?あまりにも、私が観察するな付いてくるなと言った結果、どうやら土地神をツンデレ化させてしまったらしい。このツンデレ土地神が私の祖先だと思うと複雑な心境になってきた。
「ツンデレおばあちゃんか…ないな」
ぼそりと言ったのが聞こえたのか土地神はコンクリートの地面に四肢を付いて全身でショックのポーズを表してた。いつも思うけどこの土地神は何かことがある度にオーバーリアクションだと思う。
「さ、行くよ」
そんな土地神を置いて私は自宅である火ノ江神社へと歩き出した。1月の冷たい風が吹き私の頬を撫でる。反射的に身を縮めて震えながら歩いていると過保護な土地神は私の肩に自分が羽織っていた白い上着を着せてくれた。
「ありがとう」
「べ、別にワシが暑かったから」
「あーもう、ツンデレは置いといて」
二人並んで歩く。辺りは誰もいないため不気味なほど静寂に包まれている。そんな中、私は前から気になっていることを土地神に聞いてみた。前からと言ってもついこの前じゃなくて文化祭前くらいから気になっていたこと。
「ねぇ、あなた毎年初詣に来た人の願いを叶えているんだよね」
「全員ではないが、ワシのできる範囲いないでな」
「それなら、宮川さんの」
「無理じゃ。あの小娘の命を長くすることなんて出来ん」
最後まで言っていないのに今の話の流れでよく分かったな。と言うか、なんで人の願いが聞けて宮川さんの命が延ばせないのよ!あなた土地神でしょ!神様なんでしょ。
「やりもしないで言うなんて」
「妖力さえあれば出来ないこともないが何せ今のワシは人の命を長くするために必要な妖力が無い」
妖力イコール力って言うことね。はぁ、全ては妖力次第ってか。他に方法はないの、あれ?その前になんで宮川さんは短命なんだろう?どこかでその理由を聞いたことがあるはずなんだけど。
私は少し過去を遡って思い出して見た。そして、つい最近の学校で起こった出来事で土地神が宮川さんを抱えながら言っていたな。「ワシは小娘のように寿命を盗られて、人よりも短い人生を由紀子には送って欲しくはないだけなのじゃ」あの時は状況に身を任せていていちいち土地神の言葉なんか気にしていなかったけど今となると。結構、重要なことだ。
「じゃぁ」
「そいつを捜す力もない」
「ねぇ、何で最後まで聞かずに話が分かるの」
「由紀子のおばあちゃんだからじゃの!」
私が言いたかったのは盗った犯人を捕まえると言うこと。やっぱり私の祖先だから分かるのか。なんてことを思っていたら、突然、複数の烏の鳴き声が頭上から大音量で聞こえてきた。何事かと思い見上げると、空には烏を従えた烏天狗たちが群衆を作って紅坂高校がある方へと飛んで行った。
「何かあったようじゃな、しかも烏天狗とな」
この前、土地神に妖怪界の居酒屋に連れて行ってもらった時、何気ない会話の中で土地神が烏天狗は私たちで言うところの警察みたいな存在だと教えてもらった。じゃぁ、その妖怪界にいる警察がなんでこっちに来ているの?
「それに、向こうの方から強い妖気がする」
「行ってみようか」
「飛んで火に入る夏の虫か!」
「何があるのか気になるでしょ?」
「ダメじゃ!向こうは危険じゃ!」
いや、見てもないのに危険とか分からないでしょ。それに、人っているのはダメだと言われたら逆にやりたくなるのが心理だよ。私は何がなんでも行こうと足を踏み出して、止まる。いや、理由は分からないけど正確には体が石のように固まってしまった。
「どうしても気になるのなら、ワシが見て教えてやるから、そこで大人しく待っておれ」
そう言って土地神は固まった私を道路の脇に追いやり素早く紅坂高校の方へと飛んで向かう。くそっ、あの土地神、妖力を使って私を止めたな。しかも、この体勢、他所から見たらパントマイムの練習ですかって聞かれそう。
「早く帰ってこい!」
大声を出しても住宅街に響くだけ。寒いし、お腹空いたし、何より誰か来て、どうしました?って聞かれなくない。この動けない姿をなんと説明すればいいのか。あぁ、もう誰でも良いから早く来て。
「ん?」
目を凝らすと視界の数十メートル先全体が陽炎のようにぼんやりと揺れる。おかしいな、今は夏でもないのに。それから、ぼんやりとした空間から人が出てきた。ちょうどその時、月に雲がかかり辺りが暗くなって、その人がどんな人かはっきり分からなくなったけど、両手で目を押さえているのは分かる。
「うっ、くそっ」
ついでに何か文句も言っていた。どうしたのだろう?声的に男だからもしかして彼女にフられたとか。あぁ、その線が強そう。次第に月を隠す雲は晴れて行き、ようやく目を押さえている男の姿が見れた。
「人じゃない?」
月明かりに照らされて見えたのはボロボロの黒い着物を着てこめかみ辺りから闘牛のような2本のツノが生えた鬼。髪も服も雰囲気も全部黒くて、なんと言ったらいいのか。こう、全体的に気味が悪いっていう感じがしっくりくる。
「どいつも、こいつも全部、あいつのせいだ。あいつのせいで全部、壊されたんだ!」
あっ、しまった目が合った。
「お前だ、お前のせいだ…」
じわじわとこっちに向かってくるんだけど。どうして⁉︎私、何もしてないけど。ただ単に目が合っただけなんだけど、ねぇ⁉︎私の本能が逃げろって言ってる。でも、土地神に動けなくされているから、逃げれない!
「ちょっ、ちょっと待って!」
妖力を使ったのか右手の爪が刃物のように鋭く長く伸びる。まさか、それで、八つ裂きとか言わないでよね?
「土地神ー!!!バカ神ー!!」
しーん……住宅街に響くだけ。その前にこれだけ大声で叫べば家の中にいる人がカーテンを開けて外を見るはずなのに、なんで誰も見ないのよ!いや、まさかさっき土地神がやったみたいに目の前にいる黒い鬼が妖力を使って私の声を掻き消しているとか…あり得そう。
「いぬがみぃ!」
「私はいぬがみじゃない」
そんな反抗も虚しく黒い鬼は私に鋭い爪を振りかざしながら突っ込んで来た。あぁ、もうダメかと思って目をつぶったその時、体が後ろに引かれる。目を開けると数メートル先の地面に刺さった鋭い爪を抜こうとしている黒い鬼がいて、背後には。
「紅坂高校に行ったら烏天狗が全員瀕死状態でな。戻ってくれば、こうなっていた」
「お約束だけど、もっと早くに来て欲しかった」
「すまない」
どうやら、鋭い爪は地面に深く刺さっているらしく黒い鬼は抜くのに手こずっているようだ。もし、あの爪が私に当たっていたらと考えるとぞっとする。
「ねぇ、あいつは一体なんなの?」
「あいつが、最近話題の人間から」
「あんたが警戒していた奴か」
「よく分かったな」
「あんたの孫だからよ」
「流石!ワシの孫じゃ」
土地神は頬を赤くして照れてた。乙女かっ!ってツッコミたいけど、今はそんな場合じゃない。私は冷静になって目の前にいる黒い鬼を見る。
「あいつから漏れ出す妖気は半端ないのぉ。今までたくさんの奴から盗ってきたからか、若干、力で暴走しかかってる」
成る程、力があり過ぎて逆に振り回されているって事か。だから、さっき私をいぬ、なんとかって言う奴と勘違いしたんだ。全く、一体、なんなの?巻き込まないでよね。
「今のうちに逃げましょ」
「いや、由紀子は先に行っておれ」
「は?」
何を言っているんだこのバカ神は?目の前には力を暴走させた危ない鬼がいるのになんで逃げないのよ!バカじゃないの?アホじゃないの?
「うらっ!」
あっ、しまった。こうしている間に黒い鬼は地面から鋭い爪が抜けたらしく。淀んだ目でこちらを見据えている。その姿は今にもこっちに襲いかかってきそうで怖い。
「お前、ワシの孫に手を出すとはいい度胸だな」
土地神は私の体を自分の体の後ろに追いやって、黒い鬼と対峙する。嫌な予感がするけど、このバカ神が逃げない理由って。
「バカ神!あなた自分の妖力が少ないこと分かってるの⁉︎そもそも、こんな危ない鬼を倒せるわけないし!」
「なーに、こいつに少し、ワシの孫に手を出したことを後悔させるだけじゃ」
やっぱり。私は土地神の隣に立ちその横顔を見ると目がヤル気満々だった。
「それに、もう直、他の烏天狗がやってくるだろう。それまでこいつをどこかへ逃がさないためじゃ」
そう言っているけど、小声で孫に手を出したからなって言っている。やめて、バカ神が怪我したらどうするの、逃げるが勝ちっていう言葉を知らないの?そんな事を何度言っても土地神は私の言うことを聞いてくれない。
「由紀子に害する者がいるならば、抹消せねばならない」
怖い、怖い、怖い!
今、一瞬、目が黒い鬼よりも土地神の方が怖くなった気がする。あと、いつの間にかこのバカ神の右手には漆黒の鉄扇があった。何これ、どこから取り出したの?あぁ、もう、どうでもいいからここから逃げ出そうよ!でも、このバカ神を置いて一人で逃げるわけにはいかない。
「はぁ、巻き込まないでよ」
またも黒い雲が明るい月を大きく隠す。そして数秒後、雲が晴れお互いがはっきり見えたその時を合図に土地神と黒い鬼はぶつかり合う。
「こいよ!」
「由紀子に手を出したこと、後悔させてやる!」
1月の寒い住宅街に擦れ合う金属音が響いた。




