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鳴らない鈴

作者: あうたーむ

この作品は、「全国学芸サイエンスコンクール」応募用に執筆した物を、少し改稿した小説です。

一ページに収めるには少々長かったのですが、細かく分けるのも中途半端だったので、こうなっています。

それではお楽しみ下さい

「…。」

 目の前の少女は、黙り込んだままキーボードを打ち込み続けている。

「なあ…お前、いつもそうやってるのか?」

「うん。」

 無表情のままこちらを向かずに頷く。その手は休まることはない。

 何を聞いても、無機質な受け答えしか返してこない。まるで自動応答する人工知能の様…いや、本当に人工知能か何かなのかもしれない。

 そう思って少女をもう一度見てみるが、いたって普通の人間だ――ただ一つ、その表情が全く

化しないことを除いては。

「なんでこんな依頼を受けちまったんだか。」

 事の発端は、昨日の夜に遡る。


================


 暫く家を空ける。元気でな。

 バイトが終わって家に帰ると、明かりを点けたダイニングの机の上にはそんな置手紙が置かれていた。

「はっ?」

 状況が理解できず間の抜けた声が出る。

 恐らく、というか確実にこの手紙を書いたのは父だ。筆跡からしてそれらしいし、何よりこの家には俺と父の二人だけだ。

 俺、柳瀬巧也は少々苦労する環境にいる。七年前に母を亡くして、さらに現在は借金絶賛返済中。父と二人で少しずつ返し、百二十万だった借金は八十万に減っていた。

 高校も無事近くの公立高校へ進学。このまま俺が大人になって就職すれば、借金はそのうち無くなる筈…なんだがこれは一体どういうことか。

 数分間手紙を持ったまま硬直していると、突然家の扉が開いた。

「あり、鍵開いてる。失礼します、今日回収日でしたよね。」

 入ってきた青年は、それなりに見知った顔である。八雲海斗。うちの借金先の社長でありながら、何故か直接返済金を取りに来る変わり種である。

 きっちりとスーツを着ている割に、髪の毛は無造作に立ったままで、真面目なのか適当なのか、服装からは判断できない。まあ喋っていたってその性格は全く分からないが。なんというか、掴みどころがない。

「えっと…。」

 戸惑っていると、向こうから聞いてきた。

「父さんいない?困った、今日だってのに忘れてんのかな。」

「え…あ、はは…。」

 何と反応していいか分からず、とりあえず苦笑いする。すると、海斗さんは俺の持っている手紙を指さし、

「それ何?ちょっと見せてよ。」

 海斗さんは微笑みを崩さない。勿論向こうは俺がこの手紙を見られたくない理由を知るはずもないから当然だ。

 この手紙を見せる事、それは俺にとっては死に等しい。かといってここで不自然に隠すのも、などと戸惑っていると、手紙を横から持って行かれた。

「…えっ。」


===================


「遂に逃げたか父さん。まあいずれ逃げるだろうとは思っていたけどね。」

「って、思ってたんですか。」

 いつも海斗さんが回収に来るので、この会社に入ったのは初めてである。

 割と普通にちょっとでかい家だった。中身も普通の家と変わらない。話によれば、八雲銀行…と呼ばれるこの会社は、家電、建築、食品、衣類など手広く行っている「八雲グループ」社長の次男の海斗さんが、半ば趣味の様な形で立ち上げた社員十名ほどの消費者金融である。闇金の様に法外な利子をつけていたり、しっかり登録していなかったりという事は決してない。

 寧ろ家に社員が回収に来るなどやたらにフレンドリーだ。振り込みなど機械による管理システムはほぼ導入されていないよう。

 今座っているリビングも俺の家と同じように普通で、友達の家にでも来ているかのような感覚に陥るが状況は全く気楽でない。

 机にコーヒーのグラスをおいて、海斗さんが続ける。

「本来なら、お前に払う義務が発生する…お前も保証人に入っているから、ていうかお前しか入ってないから。」

「まあそうですね。」

 そこでごほん、と咳払いではなく何故か声を出して言い、海斗さんが口を開いた。いつになく真剣な表情だ。

 こんなに真剣な海斗さんを見たことがなかったので、正直びびる。

「しかし。お前には恩がある。正確に言えばお前の母に、だが。知っているだろう?」

 母は氾濫した川で水死した。その際、溺れていた海斗さんの妹を助けたのである。

 よく考えてみれば、直接海斗さんが家に来るようになったのはそれからだ。やたらにフレンドリーなのは、あの事件のおかげなのかもしれない。

「はい。」

 脳内で再確認してから答える。

「というわけでだ。お前に一つ頼みごとをしようと思う。成功すれば借金はなし、ついでにお前が就職するまでバックアップするという条件で。悪くないだろう?」

 借金が、なし?そんなことが許されるのか、まあ趣味みたいなものといってはいるが…

 好意は素直に受け取るべきだろう。気づけばほぼ即答で「受けます」と言っていた。

 それを聞いて、海斗さんの表情が緩んだ。コーヒーのグラスをもう一度持ち上げて、一口飲む。

「じゃあ依頼内容を言おう。この家に、一人居候の少女がいてな…」


==================


 そしてこの状況。

 彼女の名は灰原鈴。りん、ではなくすずだ。少し茶色がかった黒髪が、腰より下まで伸ばされている。その常時眠そうな眼にはなんというか光がない。

 七年前からここに住んでいるらしい。丁度母が死んだ年なのは偶然だとは思うが。

そう言えば灰原と言えば母の旧姓だ。

気のせいなのだろうか…?

とにかく鈴はとある家から借金が払えないからと連れて来たらしい。海斗さんは断ったようだが、どうしてもと言われて結局現在は海斗さんの養子としてここにいる。

 ここまでは不幸な少女だというイメージだが、問題は彼女の特殊な精神状態にある。


 鈴には心がない。


 何を言っても無表情。生まれてから表情が変わったことはない。かといって冷たいわけでもなく、心を閉ざしたようでもなく、本当に心がないかのように、淡々としている。

 海斗さんの依頼とは、そんな鈴を一瞬でも笑わせる、ということだった。

 さっきから少し話しかけているが、そっけない回答しか返ってこない。しかも一言で会話が終わる。やりづらいことこの上ない。

 そして何故か同じ部屋。鈴は気にしていない、というかそれ自体に興味を示していないようだが、俺にとっては大いに問題である。一つ下の見知らぬ少女と同じ部屋と言うのはどうも気まずい。

 改めて部屋を見回してみる。大体八畳半か九畳くらいか。奥に南向きの窓、その真逆に扉があり、左右に一つずつベッドがあって中心に向かい合うように机が二つ。

 あまりに俺に興味がないようなので、心配になって聞いてみる。

「…お前、俺のこと嫌いなのか?」

 鈴は無表情なまま、

「嫌いって、どういう気持かわからないから違うと思う。」

 と答えた。

 どうやら鈴は人を嫌いになるという経験すらないのか。まあ誰かを嫌いになったというなら嫌な顔の一つや二つするだろう。

 すぐに表情を変えずキーボードに向かう。

 鈴はプログラミングをやっている。しかし高校もまともに行っていないのにその技術が役に立つのか些か疑問ではあるが、腕は確かで既にスマートフォンのアプリなどを開発しているそうだ。なんか有名なシューティングゲームのアプリがあったが、それは鈴が作ったものだという。

 画面を覗き込んでみるが、正直何を書いているのか全く理解不能であった。

「何を作ってるんだ?」

 すると鈴はマウスを操作し別のウインドウを出した。

 どうやらアプリの原案のようだ。基本システムをどのようにするかなどの性能関係、プレイヤーキャラの設定やストーリーなどビジュアル関係など色々書かれている。そしてそれらの中心に書かれていたのは・・・。


 An Apathetic Girl and A Bell Cannot Ring―


「へえ…新しいゲームアプリか。」

「中高生を狙ったRPGよ。」

 中高生を狙っているのなら一度やってみたい気もする。まあそれはアプリが出てから普通にやることだな。

 今の鈴の様子からして、プログラム関係なら話が出来そうなのだが、俺はプログラムに興味なんてあるはずもないので無理そうだ。

 そうしていると鈴はまたキーボードを打ち始めた。

 やはりしばらくは、日常の会話で攻めていくしかなさそうだな。

 今日は一度鈴に話しかけるのを止め、少し自分の時間を過ごすことにした。


【その無感情な鈴は、決して鳴り響くことはない。】


=================


 朝だ。朝とはいってもまだ五時なので日は出ていない。普段なら寝ている筈だが、何故こんな早くに起きてしまったのかというと。

「もしもし、巧也?」

「朝早くにこりゃどうも――修一よう。」

 こんな早くに電話をかけて来た友人、智田修一が原因である。

「昨日の学校はどうした?何かあったのか。」

 昨日は金曜日だったが、俺はここを無闇に抜けだすことは出来ないので、仮病を使って休んだのであった。

 今日は休校なので大丈夫だが、これは相当な長期戦になりそうなので、これからもしばらく休むことになりそうだ。あまり長く病気で休むのも不自然なので、別の理由を作らねば…無断でさぼることも不可能ではないが。

「風邪だよ。知ってるだろ。」

「嘘だろ、ぴんぴんしてんじゃねえか。」

 にやついているのが電話越しでも分かる。

修一は常に笑っているのであまり変わらないが。

 修一になら事情を喋っても良い気がする。案外口は固い方…と思ったが知られたくないような事を修一に漏らしたことはない。

 まあいいか、と思って口を開いた瞬間――

「何してるの?」

 ビクッと肩が跳ねた。見えるくらいに。

 後ろを振り返ると、鈴だった。寝癖が半端ない。眠そうな目で、いや眠そうな目はデフォルトだったか。

「電話してるだけだよ…」

 突然その言葉を遮るように修一が、

「うわ巧也彼女か!?マジかよおめでとうしかももう同棲かよ!」

 一気にまくしたてられ、こちらは誤解を解こうと必死に弁解する。

「違うそういうんじゃなくて、とにかくちょっと待て!」

 そういうと、今度は鈴が、

「何を言ってるのか分からないけど巧也とは同じ部屋で寝てる。」

 事実だが余計な事を言うなおい!

 するとその声が携帯に入ったのか、またしても修一が、

「あー…金曜はそれでか!全く、彼女と一日中一緒にいて学校を休んだなんて、俺みたいに真面目だった巧也はどこへやら…。」

「違う!違うからな!鈴も少し待って!」

 鈴は状況を理解していないようで、てか理解しても興味を持たないだろうが、普通に気にしていない。

 無表情のまま、電話に向かって、

「でもおととい会ったばかりよ。」

 だから余計な事を言わないでくれ…。

「うわっおととい会ってもうそんな関係…巧也ってそんな男だったか?」

「そういう意味じゃねえっての!」

 結局誤解を解くのに、俺は約三十分の時間と一日分のうち約三十%の気力を浪費した。


=====================


 ともあれ修一が協力してくれるようなので助かる。

 直接手伝ってくれるわけではないが、必要な物を用意する時や、外に出た時の事は誰かがいた方がいい。

 というわけで早速、一つ協力して貰うことにした。

「どうせ古いのしかねえから。後で返してくれたら全然いいぜ。」

 修一の家の倉庫だ。庭の端にあるがよく整理するらしく、埃っぽさがあまりないし整っている。

「すげえなお前の家。これだけありゃ十分だよ、助かる。」

 倉庫の中にはゲームや本、ビデオなどが多数置いてある。あの部屋はコンピュータ一台とネット環境以外にろくな楽しみがない。

 鈴が感情を出せるようなものを新しく見つけねばいけないのだ。

「ゲーム開発やってるくらいだしゲームがいいんじゃないか?」

 それもそうだ。作ってる側としては別のゲームを参考にしたいはず。入りとしては良好ではないか。

「これにするか。」

 大手の会社のハードだ。リモコンを向けた位置にポインタが行ったり、振動に反応したりとなかなかに画期的だった。

 ついでに同じところの二画面でタッチパネル付き携帯型のやつも持っていく。

 適当にソフトを持っていく。どうせだからPC向けのものも。

「よし。こんなもんかな。」

 まとめてみるとそれなりの量になった。ついでに少し古いテレビも貰っていく。

「何もかも終わったら一応返してくれよ。どうしても欲しいんなら別にやるけど。」

「おう。」

 運ぶのまで手伝うというのでありがたい。

 よく考えたら案外修一の家は金持ちなのだろう。家も広いし、あれだけ多くの本やらなんやらを買える。

 俺も携帯は最低限のものとして買っていたが、そんなに金はないのでゲームなんて手に入らない。

 そんなことを考えていると、バスがやってきた。


============================


「部屋が殺風景だし、これを持って来たぜ。」

 借りて来たゲームを出し、整理しながらセットしていく。

 鈴は今までと違い少し興味のありそうな目だ。とりあえず全部並べきったところで、鈴に向かって言う。

「好きなのやれよ。息抜きで。」

「いいの?」

 鈴の声に少しだが抑揚が付いていた。一歩前進である。頷くと、鈴は一本のPC用ソフトを取り出して起動した。

 弾幕系らしい。いきなりそんなものに挑戦して大丈夫なのだろうか。

「これ結構簡単ね。」

 画面を覗き込んでみると。

「うわそれ最高難易度だぞ…。」

 最高難易度のモードなのにするするとかわしている。なんていうかもはや気持ち悪い。

 そして数分たってみるともうクリアしていた。エンディングが流れている。

「なんていうんだろう。よく分からないけど気持ちがすっきりする。」

「多分、楽しかったんじゃないか。」

 鈴はあまり味わったことのない感情に戸惑っているのだろうか、首をかしげている。

「これが、楽しい…。分かったわ。」

 楽しいという感覚をなんとなく感じたようだ。ゲーム作戦はうまくいきそうである。


 【心のない私は何を語る?】


====================


 夏期休業だ。海斗さんは終業式ぐらい行って来いといったので、お言葉に甘えた。

 というわけで俺の手元には大量の課題が残されたわけである。

「早く済ませないとな…。」

 休業は一月半ほどある。半月本気でやればなんとか終わりそうだ。勝負は一カ月。

「鈴、少し外に出てみないか?」

 二週間でゲーム作戦に限界を感じた俺は、次の作戦として外での活動を計画した。

 本やビデオテープを使うのも考えたが、室内にはゲームがあるし、それ以外の時間はプログラムをしているので、鈴が興味を持ちそうにないと思ったので断念。

「外って…大丈夫なの?」

 鈴は外へ出る事なんてほとんど無いのだろう。この状態では外出を許可することなど出来そうにもないからな。

「今日は海斗さんに許可とってあるし大丈夫だよ。」

 そう伝えると、鈴はノートPCを閉じた。


=====================


 電車とバスを乗り継ぎ、某ゲームセンターで修一と合流した。別に修一がいても大した意味はないが、俺はゲームセンターでまともに遊んだことがないので一応、である。

 鈴は何もかもが初めてのようで、最初はとにかく見て回るだけで時が過ぎた。そんなこと言ったら俺も初めてに等しいが。

「巧也、これやっていい?」

 いちいち聞かなくていいだろ。

 鈴が指差しているのは、有名な和太鼓のリズムゲームだ。赤と青の音符を叩くだけというシンプルなゲーム。

 結構昔からあったはずだ。家庭用のものも多く出ている。

「じゃあ五百円渡すからやっといてくれ。」

 百円玉を五枚渡して、俺は向こうにいる修一の方へ行く。

「修一、今日はありがとな。」

 修一は今日、金銭面においてかなりバックアップしてくれたので、改めて礼を言っておかねば。

「別にいいぜ。大した額じゃねえよ。」

 交通費と合計で三千円くらいだから高校生には結構な額ではないか。修一の感覚はつくづくわからない。

「おっと死んだ。」

 修一の操作していたキャの体力がなくなった。手慣れているのか随分長くやっていたようで、後ろに人が数人溜まっている。

「鈴の方見に行ってみるか。」

 修一が提案する。

「そうだな。」

ここは最上階の四階だ。鈴がいるのは三階なので階段で下る。

 三階はリズムゲームが多い。その為扉をあけると途端に聴覚が賑やかになる。

「ん?」

 鈴の並んでいたゲームの周りに人だかりが出来ている。鈴はどこへ行ったのだろう。

「なんだろうな。」

 修一が中へ割りこんでいったので、急いで続く。人込みを抜けると――。

「え、鈴?」

 鈴の腕がものすごい速度で動いている。画面に映っている音符はものすごい重なり方をしていてしかも速い。

 全てミスなく打てている。加えて精度も半端ではない。

 曲が終わり、ゲーム内のキャラが全ての音符をミスなく打った事を告げると、歓声がわき上がった。

 今のは二曲目だったらしく、三曲目を選んでいる。

「…なんかすげえよ。」

 正直何してるのか分からない。

「経験者でもないよなあ…。」

 俺はこの前ゲームを渡した時の事を思い出していた。あの時も初めてだというのにものすごい動きをしていた――。

 鈴はいったい何者なんだ?

「何考えこんでんだ。もう終わりそうだぜ。」

 曲はもう終盤だ。またしてももの凄い音符の羅列が流れてくる。一つ一つ確実に打っていく。

「あっ。」

 一つだけ、叩き損ねた。周りの観衆がどよめく。

 鈴の表情は変化しない。淡々と最後までやり続けた。

「鈴、お前何でそんな出来るんだ?」

「何でって、言われても。」

 結果画面には一ミスと書かれている。

「なんか打てなかったのがもやもやする。」

 鈴は一つ打てなかった事を気にしているらしい。修一が横から乗り出してきた。

「悔しいんだろ、打てなかったのがさ。」

「悔しい…うん、分かった。」

 分かった、とはなんだろうか。ここでそんな表現を使うものなのか?

「その感覚は大事だぞ。悔しさは次に繋げる為に必要だからな。」

「次に…繋げる?」

 …余計な詮索はやめだ。今はもっと大切な事があるだろう。

「おい巧也、さっさと行くぜ!」

「すまん、今行く!」

 今はこの仕事を終わらせるのが先決だ。

 脳内でもやもやするそれを奥にしまって、ゲームセンターの外への扉に向かった。


【心ない鈴は感情を学習し、理解していく。】


=====================


「流石に感情を与えるまでには至りませんでした。表情の変化もないようです。」

「そうか。では予定通り感情学習プログラムの実行を十六年次に行う。」

 暗い部屋。緑、紫、怪しげな色に光る薬品の置かれた棚の傍に、精密そうな機械が並んでいる。

 書類が散らばったり、まるで強盗にでも荒らされたかのようだ。扉と反対側の壁に、巨大な強化ガラスが張ってある。

「二十年次までに感情学習を終了する。それまで海斗、お前が面倒を見ろ。」

「えっ、父さん俺まだ二十なんすけど。」

「そんな大切な仕事じゃないし、大丈夫だ。それにお前は見守るだけで感情学習プログラムの実行をするのは巧也だし。」

 海斗と呼ばれた男は納得いかなそうだが、二人の男は無視してガラスの方へ向かう。

 海斗の父らしき男は、ガラスの向こうを見てふっと笑った。

「まだ六年次だが…俺の勘ではうまくいく。」

「また適当な勘で。それにしても、外見は普通の子供なのにな。」

 ガラスの奥には、白い壁の簡素な部屋がある。その真ん中には、壁と対照的に黒い机、そしてその上のコンピュータで作業を続ける長髪の少女だけがいた。

 少女はひたすらにキーボードを打ち、こちらには一切興味を持たない。

「彼女の名前、まだつけてなくないすか。」

 海斗が後ろから乗り出してきた。

「そうか、普通に生活するとなるとコードだけじゃ不自然だな…。」

 父らしき男は少し考えてから、にやりと笑ってこう言った。

「鈴…なんてどうだ?」


=====================


「海斗さん。」

「おう、なんだ?」

 数日後、俺は海斗さんのいる部屋に行っていた。

「鈴の事です。彼女は一体何者なんですか。」

 勿論感情がない、表情が変わらないことも普通ではないが、あの異常なまでの能力、そして「分かった」という謎の発言。鈴には何かがある。俺はそう確信していた。

「何者って、ただの居候。」

「そういう意味じゃないです。鈴の異常なまでの能力。まるで感情を「理解」しているかのような言動…。彼女は本当に普通の人間なんですか?」

 海斗さんは一瞬驚いたような表情をした、しかしすぐに笑顔に戻り、こう言った。

「流石。勘がいいな。…全ては教えられないけどヒントをあげようか?」

 その言葉を聞いた瞬間、背中に寒気が

走った気がした。そこへ踏み込んではいけない、俺の入っていい領域ではない、本能がそう言っている。

「…いいです。自分で調べます。」

 そう言うと海斗さんはつまらなそうな顔をした。その表情がまた恐ろしくて、逃げるように部屋を出た。


=====================


「巧也、ちょっと。」

 鈴の声だ。そっちを振り返ってみると、

「うわっ!」

 服を微妙に着かけている鈴がいた。この前ゲームセンター帰りに服を買っておいたのを思い出した。

「どうやって着るのか分からない。」

「分かった、ちょっとまって!」

 出来るだけそちら側を見ないようにするがそれでは作業が出来ない。仕方なく背中側から見づらいが着せてやることにした。

「別に着れないことないだろ…。」

 シンプルな半袖のブラウスと、その上に前でボタンをとめるタイプの黒いベストという聞くと制服の様な組み合わせ。下は赤と黒のタータンチェックのスカート、そして同じ柄のキャップを被っている。

「同じ服しか着た事無かったから。」

 そうか、同じ服ばかり着ているなと思ったら同じ服しか着てなかったのか、それなら分からなくても仕方のないような気がする。

 その時、ふっと海斗さんの言葉を思い出した。

「鈴…。」

「何?」

 丁度着れたところだ。俺は気になっていた事を聞いた。

「お前、小さい頃の事って…覚えてるか?」

 それを言った瞬間、鈴の顔が青ざめた。

 鈴は黙ったまま、自分の机に座った。


=====================


 夜になっても、鈴は黙りっぱなしだ。

 夕食を食べている間も、どこか暗く、終わると直ぐにコンピュータに向いた。

「鈴!」

 鈴は手を止めたが、返事はしない。

「聞いちゃいけなかったんなら、ごめん。もう聞かない。だから、」

「よく覚えていないけど。」

 突然鈴はそう言って俺の言葉を遮り、話し始めた。


 前までは、何処だか分からないけど、研究室に入れられていたわ。毎日物心ついたときからプログラミングをしていた。ひたすらそればかりして。食事も簡素なもので、これといった楽しみはなかったわ。

 だからよく覚えていないの。少し覚えている事と言えば…六年目か、妙な検査をされたわ。感情がない、学習させるとか聞こえた。

 九年目、見回りに来る人が女性になった。あまり大した変化じゃなかったわ。

 十五年目にまた検査された。それが終わると、この部屋に移されて、それからもずっと同じような生活をしていた。私はそれに疑問を感じたこともなかったし、それが当たり前だった。

 楽しい、っていうのがよく分からなかったの。巧也が色々持ってきてくれたりして、それで楽しいってどういうことか、よく分かった。巧也には感謝してる。今まであんな感情味わったことがなかったから…。

 鈴、って呼んでくれる人もあまりいない。そこではいつも「Apathetic - 1」って呼ばれていたし。


 そこまで話して、鈴はもう一度キーボードを打ち始めた。何事もなかったかのように平然と。

 いや、手があまり動いていない。やはりあまり話したくなかった事なのだろう。

 研究室、妙な検査。何をやっていたのか。どう考えても正気じゃないような事をしていたのだろう。

 鈴本人もあまり知らないのかもしれない。そう思うと怒りが込み上げてきたが、何もすることは思いつかなかった。


【私は感情を失い何を手にしたのだろう?】


=====================


 次の日、まだ鈴が暗そうだったので、一つ提案をしてみる事にした。

「近くのショッピングセンターに行ってみるか。服もあまりないんだろ?」

 鈴は立ちあがって、頷いただけですぐに支度を始めた。

 少ししてから、鈴が扉から出て来た。

「じゃあ行くか。」

「うん。」


 服を買って、一通り見回っていると、すっかり元に戻っていた。

「そろそろ帰るか。」

「ちょっと待って。」

外に出ようとした時に、鈴にひきとめられた。鈴が指差す方向には、「甲信越地方フェア」と書かれている。休日だけあって人は多い。

「おっと、それは見てなかったな。見てみるか。」

 グッズから食品まで色々置いてある。林檎などの果物や野菜も置いてあるがそこには興味はないだろう。鈴が立ち止まったのはキーホルダーが色々売っているところだった。

「その辺で買うか、あんまり金も残ってないしなあ。」

「これがいい。」

 鈴が取ったのは、松本城天守閣のデザインのキーホルダーだ。鈴が付いていて、揺れると音が鳴る。

「なんでこれなんだ?」

「なんていうか、懐かしかったから。」

 懐かしい、ということは、昔その辺りに思い出があるのだろうか。そうでなくても何らかの城に。

 でも鈴は研究室にしかいないと言っていたはずだ。つまりそれは研究室が…。

「巧也、何してるの?」

「え?あっ。」

 考え事をしていたらいつの間にかなんかのゆるキャラのストラップを握りつぶしそうになっていたらしい。慌てて元に戻す。

「早く行こう。」

「すまん、じゃあ行くか。」

その後鈴は、キーホルダーをどこに付けるでもなく手に持っていた。


=====================


 帰って、部屋に戻ろうとすると、海斗さんが話しかけて来た。

「もう教えてくれたかな?鈴は。」

「…。」

 出来ればこの人とは話したくない。無視して黙って通り過ぎようとしたが、肩を掴んで引きとめてきた。

「仕事は順調かい?」

「おかげさまでな。」

 そういうと不気味に笑って…いや、不気味に見えるのは俺がそう思っているからだろうが、向こうへ去って行った。

「これからも頼むよ。」

 全く意図の読めない相手だ。やはりあまり関わらない方がいいかもしれない。

 ふと床を見ると、鍵がいくつも付いた鉄輪が、いやこれは普通にマスターキーだった。それが落ちていた。

「まさか…。」

 妙な考えを振り切って、とりあえず拾い上げた。これがあれば…。

「この家の何処へでも入ることが出来る…。」


 真夜中。

 今日は新月だった。都会なので星明かりはほとんどないから真っ暗だ。

 俺は、この家の地下には必ず何かが隠されていると考えている。理由としては、ここに移動したからにはここにも資料などを置いておかなければ不便であろうという事。そしてなぜ地下なのかと言うと、俺の勝手な考えではあるが、隠しておきたいものを外からも見える地上に置いてはおかないだろうからだ。

「これか?」

 案外早く見つかった。倉庫の中の物を一つどかすと、取っ手と鍵穴が見えたのだ。

「こりゃまた露骨な…。」

 鍵穴に一つずつ差すのも面倒だ。とりあえず何処の鍵か記載があるものから除外し、残った数本を入れていく。

 がっ。

「これじゃねえなあ。」

 もういっちょ。

 かちゃっ。

「開いた。」

 梯子がかけてあり、四角い穴が下の方まで続いている。

 少しずつ降りていく。長いかと思ったら普通にすぐ地に足がついた。

「おお…。」

 薬品棚、本棚、謎の機械が壁際に並んでいる。人がいないというのに機械はちかちか光を放ち、その光を浴びて薬品が怪しく光る。

 中心の机の上に、何枚かの紙が置いてあった。懐中電灯を当てて読む。

「八雲グループ新研究系支社…?」

 そこには研究を行っているらしい八雲グループの研究系支社の情報、所在地がいくつか載っていた。この八雲銀行も入っている。

 そしてその最初のページに…。

「八雲生物学研究所…長野県松本市!」

 さらにその下の方には、「主に人間科学について研究中。」と書かれている。

 松本城を鈴は懐かしいと言った。ここには必ず何かがある…。

「ここに…俺の探していたものが、奴らのしていることの正体が…。」

 こうなったら善は急げだ。どうにか長野へ行く方法を考えないと。

 今夜はもう二時になっているので、流石に寝る事にした。


【感情を代償に得た力など、その手で――】


=====================


 携帯が鳴った。

 画面を見ると、智田修一と映っている。応答をタップし、携帯を耳にあてる。

「もしもし?」

「よう、ニュースがあるぜ。」

 ニュースとは何だろう。覚えがない。

「何だよ。」

「ニュースってかなんていうかだが。今度暑いから涼しいとこに旅行するって親が言いだしてさあ、どうせそんな金かかんないし、お前らも来てくれってことで。」

 へえ、修一の家族はそんな軽々しく旅行旅行と。

 俺が何も言わないと、暗黙の了解と受け取ったのか、修一は続ける。

「でな、日本のどこがいい?涼しかったらどこでもいいからさ。親どっちも優柔不断なんで決められないんだよ。」

 涼しいところと言えば、やはり標高が高いとこか。山が多いところなら…。

「長野…っ!」

 これだ。これはチャンスだ。これで松本の研究本部に侵入できる。

「ん?どうした?」

 一旦興奮を抑えつける。冷静になってから答えた。

「長野にしよう。松本付近で。」

「長野か、まあここよりは全然涼しいな、そうするか。」

 修一も納得してくれそうだ。それを聞くと俺は一度電話を切ることを伝えて、終了をタップした。


【私は力を使う事に躊躇いなどない。いや、最初から躊躇うという感情は―】


=====================


 七月も終わりに近づいている。俺と鈴は修一の家の前に来ていた。

「何回か来たが…そんなでかい家でもないんだよなあ。」

 これならあの家の方が少しでかい気もするが…家にはあまり金を掛けない人なのかもしれない。

「本当はもうちょっとでかい家建てても余裕あるんだけどさ、どうせ三人家族だし、あんまでかくしても意味無いだろ?」

 後ろから声を掛けられる。振り向くと、修一の顔が見えた。

「なんでだよ、誰も玄関から出て来てねえじゃん。」

 修一はにやりと笑って、すぐ後ろの茂みを指さした。

「二時間前からそこで待ってた。」

「二時間前って…。バカかお前。」

 この猛暑で一体何をやっているのか。俺だって待ち合わせより十分は早く来たっていうのに。

「バカは死んでも治らないそうよ。海斗が言ってた。」

 また余計な事を教えやがってあの人は一体何をしたいんだ。

「ははっ、そうかもなあ。じゃあ、乗ってくれよ。」

 修一に促されるまま車に乗り込む。

 荷物も積み終えると、車は高速道路の方へ走り始めた。


=====================


 夜が来た。今日中に決行せねばならない。

 一日目は、今いるこの旅館にチェックインして、明日からのスケジュールとか色々やっているだけで終わった。

 俺はその時も我ながら落ち着きがなかった気がする。そりゃ、明日からの事より俺は今夜をメインにしているんだから。

「この路地のマンホールだな。」

 松本城がすぐそこに見える。長野の中ではそれなりの都会だ。が、こんな裏路地には人は来ない。

 目的のマンホールがあった。これはただのカモフラージュなのでマンホールオープナーなどを使う必要はない。

「よっと。」

 割と普通に開いた。ロックはかかっていない。この先にロックがかかったところがあるとは思うが、俺は既にロックの番号を持っている。地下室に置いてあったのだ。

「人はいないな…よし。」

 人がいないことを確認し、奥へ進んだ。


 ロックはほとんど同じ番号で開いた。さらに奥へ進むと、白と黒のコントラストがまぶしい研究所の通路に着いた。

「研究員は出払っているのか…?」

 ほとんど無音。人の姿は見られない。

「まず地図を探さなきゃな。」

 まっすぐ進むと、すぐ地図が見えた。左右に道が分かれている。地図によると、ここから二つの円形通路に繋がっていて、色々な部屋へと通じているようだ。施設は地下二階から四階までで、全て同じ形になっている。

「これだな、重要研究室。」

 三階の右の円形通路の中にあった。目指すべきは恐らくここ。

 それから先も人は全然いなかった。普段は人があまりいないのかもしれない。どうせ鈴は海斗さんの家で預かっているしそこまでやることは無いのだろう。

 階段を下っても、人はいなかった。

「しかしどこまで行っても同じ景色で、気がおかしくなりそうだな。」

 白と黒の通路で、緑色のランプがところどころ点灯している。内側には木の手すりがついているがなんのためだろう。

 外側には扉が等間隔で並んでいる。暫く歩いていると、ついに「重要研究室」の札が見えた。


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 一瞬強盗にでも荒らされてるのかというくらい書類が散乱していた。向こうには強化ガラスが張っているが、その先の部屋は別の所から入るようで扉は無い。

 右側を見ると、床とは一変整理された机と椅子がある。その上に乗っている書類の束を眺めた。

「Apathetic - 1、名前を灰原鈴。誕生時の検体を改造し、通常の人間には不可能とされるレベルの思考能力、身体能力の引き上げを行った結果、感情表現が皆無になった。十六年次より感情学習プログラムを実行することによって補うとする。」

 改造…。

 声にならない呟き。

 俺はこんな世界に入り込んでいいのだろうか?狂った人間…否、既に人間ではない狂気の塊が作り出した心のない器、心があったはずの器。

 俺はそんな狂った奴らに付き合わされていたというのか。いや俺なんかより、その器にされた鈴は…。

 怒りと戸惑いが同時に込み上げて来てわけが分からなくなる。俺の方が狂ってしまいそうだ。

その感情を紛わす為に別の鈴についての書類を探してみたが、それらしいものは見つからなかった。


【私は、他と同じように「器」であったが、その中には何一つ入っていない。

 器を華やかにした分、入れる物が残らなかったのかもしれない。】


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 外に出ると、またあの景色だ。だがもうそんな景色も気にならなかった。

 俺にはこの狂った塊を止める事は出来そうにない事は分かった。それでも鈴は俺が守らなければいけない。

鈴は知識の上に俺が感情を注いでいるだけだから、自分で反抗するという事はしない、出来ないだろう。

「うわっ!」

階段を上ろうとした時、後ろから誰かに肩を掴まれた。

誰だ?さっきまで誰も三階にはいなかったはず。

 すぐに口を塞がれて近くの第二研究室に放りこまれる。

 扉が閉まり、すぐに明かりがついた。

「げほっ、誰だ、おま――!?」

 後ろを振り返ってみると、白衣を着た男が立っている。その顔は…。

「すまんな、黙ってて。」

「父さん!?」


 もともと、俺は八雲陸也、つまり八雲んとこの社長だな。あれと大学の仲間だったんだよ。何年前かはもう覚えてない。大学を卒業して結構経った時、あいつから研究を手伝ってくれって依頼が来たんだ。

 それからお前が生まれた時からはあいつのところからの借金を装って、少しずつ家から離れていく事にしたんだ。

 お前も完全に計画の一部だった。十七年育ててお前の感情は完全に分かりきってる。お前を計画に加担させたのは悪いと思ってる。

 だがしょうがない事だ。あいつにはあまり文句を言えないもんでな…。


 父はそこまで言って頭を下げた。そしてさらに続ける。

「それともう一つだけ謝らないといけない事があるんだ。」


 お前の母さんは…まだここで研究をやっているんだ。


「え…?母さんが?」

 何故だ。七年前に水死したはずの母が。まさか、あれも全て…。

「仕組んでいたんだ。母さんが研究に専念するためにな。あの子から聞いたかもしれないが、七年前から見回りを交代したと。それがお前の母さんだったんだ。」

 俺はどこまで騙されていたのだろう。怒りは更に増幅するばかりだ。本当に狂ってる。死を偽装してまでする研究なんて。

 気づいた時には拳が父に向かって飛んでいた。もう止められない。

「くそっ!なんでだよ!せめて…俺に一言あったっていいだろ!」

 父は顔面を殴られ左に吹っ飛んだ。それからまた冷静なままでつづける。

「殴られても仕方がないと思ってる。でも、お前に言ったら絶対止めるだろうから出来なかった。…俺は巧也、お前の親である資格なんて無いんだろうな。」

 なんで、そんな事を言うんだ。今度は拳が自分の意思とは関係なく止まっていた。動かない。

「もういい。狂ってる。お前ら全員、とっくに人間辞めてるよ。」

 出来るだけの冷たい声で言った。でもいつの間にか感情がこもっていた。それを聞き、父は何故だかふっと笑ってから、立ち上がった。

「お前の動きは大体計算済みだ。今日わざと研究員を四階に集めたのも、海斗の采配だ。もう帰れ。俺の事は好きなだけ殴ればいい。それじゃあさっさとしろ。」

 表情を自虐的な笑みに変えて、どかっと座りこんだ。

 もう殴る気なんて起きなかった。父をそのまま放置して、出来るだけ急いで研究室を出た。


 松本城付近は、珍しく雨が降っていた。日の出まであと二時間程度か。急いで旅館に戻る事にしよう。

「俺はこれから何をすればいいんだ…?」

 無意識のうちに呟いた。

もうわけが分からない。これから先が見えない。

「はあ…。」

傘もないので濡れながら山道を登った。まるで俺の心境を表しているかのように、空はどんよりとしていた。


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 次の日の朝、起きると微妙にだるかった。

「あー、昨日傘持ってなかったからなあ。」

 どうやら風邪をひいたらしい。体温を測ると七度八分ある。

「うぅ…おはよう巧也。」

 鈴が起きて来た。しかしちょっと今は立ち上がる気が起きない。

 とりあえず上体だけ起こして、すぐ横に温度計を置いた。

「すまん、ちょっと風邪ひいた。」

 それを聞いてもまあ当たり前のように鈴は無表情だが、心配はしてくれているのか、修一を呼んできてくれた。


「巧也…風邪ひくとか…ぷっ…。」

「うっせえな、笑うなよ。」

 修一にはさんざん笑われたが、近くのちょっと山に入ったところに、古い薬局があるというので、鈴は今そこへ行っている。

「じゃあ俺もいってくるから。」

 修一は今日町の方へ用事があるのでそちらに行かなければならないそうだ。

「おう、じゃあな。」

 修一が出て行ったので、俺は鈴が帰るまで少し寝よう。


「どれだろう。」

 鈴は山を少し登って薬局に来ていた。薬が色々と並んでいて、どれを買えばいいのかよく分からない。

 鈴はもう適当に取り始めていた。

「あの。」

 カウンターに店員が出てきていたので、全部持っていってみる事にした。

「何でしょうか?」

 何故なんだか和服を着ている女性だ。年齢は鈴の見た限り自分と同じくらいだと見られる。鈴はとりあえずカゴをカウンターの上に載せた。

「連れが風邪をひいたので薬が欲しいです。」

 そう言うと、女性は戸惑った様子でカゴの中身を取り出していく。

「とりあえず胃薬とか完全に違うやつが混ざってますよ。えっと、まず風邪薬はこれとこれですね。」

 二十箱ほどあった薬はほとんど片づけられて、残ったのは三箱だけだった。

「これは違うんですか。」

「それ親子丼です。」

 鈴が持っているパックには「81 kcal親子丼」と書かれている。

「じゃあ美味しそうだから買おう。」

「えっ、まあいいです分かりました。」

 結局、風邪薬三箱と熱を冷ますシート、マスクと親子丼を買った。

 しかし鈴は箱を見つめたまま黙っている。

 そして突然に口を開いた。

「用法がわからない。」

「えっ。」


【そもそも何故この世界に、賢く愚かな器として生を受けたのだろうか?出来る事なら私は、鳴らない鈴になるくらいなら…。】


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 人の気配で目が覚めた。

「うーん…って、おまっ!?」

 帰ってきた鈴の後ろに、一人和服の女が立っている。向こうも結構驚愕した顔だ。

「巧也?」

「あれ、知り合いなの。」

 鈴はいたって冷静、いや冷静とは少し違うかな。

 そうだ、鈴の言うとおりこいつは知り合いの天野冬香。小学校から中学まで九年間同じクラスだったいわば腐れ縁である。

「なんでここにいるんだ?」

「中学卒業してから、実家の薬局で手伝いしてるの。この子が何も分からなさそうだから付いて来たんだけど…。」

 げっ、完全に失敗した。よく考えれば鈴はどの薬を買えばいいのかすら分からないはずなのだ。

「すまん、一人で行かせるべきじゃなかったなあ。俺は修一の旅行についてきてさ、そんで風邪ひいちまって。」

 鈴は風邪薬を取り出している。袋から何故か親子丼が出て来た。何故だろう。

「それで、この子は?」

 どうしようか。何処まで話していいのだろう。妙に中途半端な説明をするのもおかしくなる。

「えーっと。」

 咄嗟に修一と同じところまで説明をした。そう、最初に依頼を受けた時の説明だ。

「へえ、そうなの。彼女かと思った。」

「うわっちょっお前なあ!」

 ふふ、と冬香は笑った。こいつも中々嫌な事を言ってくるじゃないか。

「巧也、はい。」

 頭に微かな冷感が走った。

「おい、鈴それ髪の毛の上からはったら意味がないぞ?」

「えっ?」

 慌てて鈴はそれをはがす。すると俺の髪の毛がシートに引っ張られて…。

「痛い痛い、ちょっと待て!」

「あははっ。いいコンビだね二人。」

 冬香が遂に声をあげて笑いだした。全然愉快でない。なんとか剥がれたが未だに痛みが残っていた。


「今日は私は帰るから。」

 ようやく用法が理解できたので、冬香も帰る事になった。

「あ、そうだ。この近くの神社で明後日に祭りがあるけど、よかったら案内しようか?」

 明後日というか、ここに来たのは研究所に行くためだったので、いつでも暇だ。

「じゃあ頼む。ついて来たはいいがやることがないんで。」

「そう。じゃあ明後日の四時にここの前に来るから。修一にもよろしくね。」

 そう言って、冬香は扉を開けて外に出て行った。途端に部屋は静かになる。

「…。」

 鈴は黙々と親子丼を食べている。何故あんなものを買ったのかは未だに分からない。

 とても気まずい。なんだろう、あの部屋に慣れてきていたのか知らないが、ここで二人というのは出会った当初の落ち着かなさを蘇らせる。

「巧也。」

 鈴が突然声を出した。

 俺は突然だったのですぐに返事が出なかった。一旦落ち着いてから。

「…なんだ?」

 鈴はまた黙りこんだ。

しかし一分ほどして、また口を開く。

「私は…。」

 がちゃっ。

「巧也―、元気だったか?」

 ドアを開けて入ってきたのは修一だった。手にビニール袋を持っている。

「なんだよ修一かよ…。」

鈴を見てみると、また平然と親子丼を食べている。結局鈴はなにが言いたかったのだろうか?

「鈴、結局なんだったんだ?」

「…別に何でもない。」

 そう言った時の鈴は少し元気がないように思えた。


【空になっていた、無駄に豪華なその器を満たしたのは一体何だったのだろう。】


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 お陰さまで、冬香に言われていた日の四時には、すっかり風邪は治っていた。

「また賑やかだな。」

 徒歩五分くらいの場所に、その神社はあった。思っていたより人が多い。

「お前らは浴衣持ってんのかよ。」

 修一と冬香は見事に浴衣である。まあ周りは浴衣も私服も多いので気にしないが。

「俺はね、こんなこともあろうかと用意しておいたのさ。」

「修一のは袴に近いと思う。」

 鈴の言うとおりだ。それ正月に着るやつだろうが。

「気にしない気にしない。和服っぽきゃなんでもいいんだよ。」

 そういうもんか?

「まあ私は普段から着てるので…。」

 そうだ、こいつは一昨日来た時も着てたじゃないか。なんだろう、冬香の家はそういう家系なのだろうか、よくわからない。

「まあいいや。いくぞ、鈴。」

「あ、うん。」

 一旦全部の屋台を回って、それから鈴の行きたい所へ寄っていくことにしよう。


「おおっ」

 また、一発で的は倒れた。鈴は無言で銃を元の位置に置く。

「あんなでかい的、どうやったら一発で撃ち落とせるんだ。」

 真に修一の言うとおりだ。俺が昔やった射的の記憶では、あのサイズだと四、五発で倒れたらいい方だと思う。

 すると、店主の人が話しかけて来た。

「あの子凄いな、何処に当てたら倒れやすいか完璧に分かってるね。」

 確かに、当てる位置によって倒れやすさはかなり違いがある、とは思う。

「それにしても、その位置に正確に当てれるのも凄いと思うけどね。」

 修一はそう言う。そもそも俺は当てる位置も分からないから技術以前だが。

「そろそろ次に行くか?」

「あ…うん。」

 なんだろう、少し鈴に落ち着きがない気がする。気のせいだといいのだが。


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 金魚が水滴とともに跳ねあがる。金魚は鈴の持っている桶に吸い込まれていった。

「あ、破れた。」

 今ので鈴のポイは破れてしまったようだ。最初に三つ貰ったはずなので、これで最後の一つだったらしい。

「おーい。」

 冬香の声が背後から聞こえた。

「なんだ?丁度終わったところだけど。」

 俺がそう言うと、冬香は自分の手首の腕時計を見た。

「もうすぐ七時だから、このあたりで花火が打ち上がるんだけど、近くによく見える場所があるの。ちょっと山に入ったところだけど行かない?」

 そろそろ行く場所が無かったところだ。鈴も立ち上がって、店主から金魚を袋に入れてもらっている。

「じゃあ行くか。鈴、終わったか。」

 鈴のとった金魚のうち数匹が袋におさまって、残りはまた水槽に放流された。

 歩いていくと、神社から出て東に道が延びている。

「ほら、ここに看板があるでしょ。ここで山の中に入るの。」

 言われるがまま看板の裏に入っていくと、茂みが分かれている。

「これを辿っていけばいいのか?」

「そしたら木に囲まれて開けた崖があるの。そこからよく見えるのよ。」

 よく知ってるな。恐らくそんな場所誰もいないだろうに。

 鈴は金魚を見つめている。何がしたいのだろう。

「金魚って、天麩羅にするの?」

「食うんじゃないぞ。多分美味しくないからな。そうじゃなくて水槽とかに入れて飼うんだろ。」

 そもそも食べるという発想が駄目だろ。金魚は食用じゃない…はず。

「見えて来たでしょ?」

 前を見ると、茂みが終わって、少し広場のようになっている所が見えた。

 一応崖の方には柵はついている。誰がつけたのだろう。随分古いのか、木製でがたがたしている。

「遅かったな。」

 修一が崖と反対側の木に寄りかかって立っている。

 広場に入って行こうとした時、花火の音が聞こえた。

「ほら、そこ見てみろよ。」

 修一が指差したのは崖の方向。言われるがままそちらを向くと、西に別の山が見えて、崖の方向、北側には川が見える。その真上に丁度、花火が上がっているところだった。


【器を満たしたこれは一体何だろう。知らない、聞いたこともない感情が、迫りくるように湧いてくる。それは器にとっては恐怖でしかなかった。】


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「あっ、金魚すくいの店に忘れ物した…。」

 冬香が突然そう言った。

 そしてすぐに茂みの向こうへ入っていく。

「ごめん、すぐ戻るから!」

「おう。」

 それに合わせたのか修一も、茂みの方へ向かって行く。どうしたんだ?

「喉渇いた。お前らは何かいるか?」

「ああそうか、要らない。」

 そして修一がいなくなると、広場は一気に静かになる。

 今日の鈴は何処かおかしい。無口なのはいつもの事だが、今は俺が話しかけるとなんだか落ち着かない反応をする。

 でもよく考えてみれば昨日もおかしかった気がする。

 待てよ、一昨日確か、鈴が何かを言おうとして、修一が…。

「おい、鈴。」

「…何?」

 鈴はこちらを振り向かずに答えた。

「今日、なんかお前おかしいぞ。…一昨日、何を言おうとしてたんだ。」

 鈴は振り向かない。

 何も言わずに、崖の方を見たままだ

「答えてくれ。お前は何を伝えようとしたんだ?様子がおかしいのはその所為だろ。」

 鈴は突然振り返った。心なしか震えているような、気がする。

「…怖い。巧也と居ると、なんだろう。胸が痛いような、感情が沸いてくる。私は、私が怖い。こんな私、知らない…いつの間にか巧也を思い出してる、目の前に立つと、楽しさよりもっと大きい何かを感じる、そんな私が怖い…!」

 震えながら、そう言った。俺は不思議と言葉が出なかった。

 鈴の言葉は少し遠回しに聞こえるが、なんとなく意味は悟った。

「鈴…。」

 俺は人生でこれほど失敗した事は無いと思う。何故気づけなかった。鈴はとっくに一戦を超えてしまっている事を。

「ごめん…。」

 微かにそんな声が耳に響いた。俺は暫く動けないまま、隣を走っていく鈴を見ていた。


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 茂みを通って行く音に、我に帰る。

「鈴っ!」

 急いで追いかける。道に出たが、鈴の姿はない。混乱しているとはいえ知らない道には行かないだろう、神社の方へ向かったか。

「くそっ!」

 とりあえず神社に入る。すると冬香と修一が自販機の前にいるのを見つけた。

「修一、冬香!」

 不思議そうな顔でこちらを見る二人。

 まず事情を説明し―鈴の微妙な心境は省いたが。

「鈴が走ってこなかったか?」

「見てない…。早めに探さないと、祭りが終わる前に。」

 三人で分かれて探すことになった。俺はもっと神社の奥へいってみる。

「どこに行った、鈴…!」


 人気のない場所へ行ったかもしれない。しかし屋台の裏などは怪しまれるだろう。

 そう考えた俺は、神社の裏へ向かった。

「ここも駄目か…。」

 チリン…。

 足元で音が鳴った。何かを蹴った気が…。

「っ!」

 鈴の持っていたキーホルダー。それが神社の裏の森のすぐ傍に落ちていた。

 すぐそこには道がある。何処へ続いているのだろうか。

「こっちか…!」

 その道をまっすぐ進んでいく。こちらにいるという保証はない。だが俺はこの先にいると勝手に心の中で信じていた。


【感情から逃げることを強制されていた、はずだった。今なら分かる、本当に逃げる事を望んでいたのは…。】


=====================


 看板の文字を見ると、かろうじて「林檎農園」とだけ読みとれた。確かに木は生えているが、荒れていて使われている様子はない。

 ここにはいなかったか、そう思って引き返そうとしたが、

 ザッ…

 足音が聞こえた。咄嗟にその方向に目を向ける。

「誰だ?」

 視線の先に長身の男が見えた。男は、農園の傍にある小屋の方へ歩いて行く。

「なんだ?」

 こっそり後をつけていく。男は周りを見回し、小屋に入って行った。

 少し待ってから、小屋に入ってみる。

「あれ?」

 男はいない。しかし、一か所、床が上に開いている場所がある。

 その横に、見覚えのある赤い帽子が落ちていた。

「鈴の帽子だ!」

 俺は、自分でも気付かないうちに、床の穴に飛び込んでいた。


=====================


 鉄製の無機質な壁が広がる。

 壁には汚れが目立つ。ところどころついている蛍光灯も、むき出しで蜘蛛の巣もはってしまっていて、なんていうか大雑把だ。

 奥へ進んでいっても、扉は一切ない。

 一番奥まで来たところで、重そうな扉を見つけた。

「!」

 扉にはガラスがついていて中が覗ける。

 中には、さっきの男も含め、数人の黒衣を着た男女がいる。その囲いの中心には…。

「くそ!」

 鈴だ。後ろ手に、多分手枷か何かがつけられている。

 衝動的に扉を開けそうになるが、俺はぎりぎりで自分の手を止めた。

 このまま行って勝ち目はあるのか?俺にそんな力はないだろう。突っ込んだって男に抑えつけられるだけだ。あの人数どころか、大人の男一人にだって勝てないだろう。

 だが、そんな事を言っている余裕なんてなかった。ここに何故鈴がいるのか、黒衣の人々の目的は何なのか、分からない以上は鈴の安全は保証されない。

「もう知るか!」

 パタン!

 勢いよく扉を開ける。全員が一斉にこちらを向いた。

「そこをどけっ!」

 女性ならどうにか出来るはずだ。

「誰だっ…。」

 その言葉は途中で途切れた。俺が一番弱そうなところを吹き飛ばしたからだ。

「鈴!」

 鈴は唖然としてこちらを見ている。今は鈴の心境は気にしていられない。奴らが戸惑っている間に、鈴の手枷を外す。

「よし、取れた!」

 そして、立ち上がった時、横腹に衝撃が走った。

「ぐっ!」

「巧也っ!」

 思い切り横腹を蹴られたらしい。痛みに地面に打ちつけられて蹲る。

「この…。」

 休んでいる暇はなかった。一番大柄な男が俺を抑えつけて来た。

「これでも、喰らえっ!」

「ぐあっ…。」

 さっき農園で見た男に鳩尾を蹴られた。意識が遠のいていく。

 鈴、逃げろ…。

 声は出なかった。目の前が真っ白だ。


 俺の手から、鈴のキーホルダーが零れ落ちた。


チリン…。


 その音と共に、鈴の中で何かが切れた。

 鈴は立ち上がる。もう自分でも止められないほどの憤怒の感情。

「うああああっ!」

 これほど怒りが暴走したことはこれまで無かった。自らの感情を恐れ、発狂する。

 まず巧也を抑えつけている男に飛んで行った。思い切り腹を殴り飛ばす。

「なっ…がっ!」

 勢いに吹っ飛ばされ、男は壁に打ちつけられて倒れた。恐らく意識はもうない。

 しかしそんな事実はどうだって良かった。

「ああああっ…許さないっ…許さない!」

「何だこいつ!」

 巧也の鳩尾を蹴った男の胸座を掴んだ。そのまま持ち上げる。

「許してなるものかあああああ!」

 そのまま両手で、横に回して投げる。近くの女もそれに直撃し、諸共壁に飛ばされた。

「駄目だ…暴走してるぞ!」

 そんな叫びが耳に入ってきた。鈴のことを言っているのだろう、鈴にとってそれは雑音でしか無いが。

「ユルスハズガナイ…どれだけ詫びたって許さない!許せない!」

 もう自分が何を言っているのかも分からない。ただこの黒衣の人間を全員地に伏せなければ、この感情は暴走し続けるだろう。

 さらに一人の男の頭を蹴る。その場の地面に男は倒れ込んだ。

「何故!何故巧也を傷つけたああっ!」

 最後の一人の女に向かって行く。こんな速度で走ったのは初めてだった。

「…っ!」

 女は全く動かない。逃げる事すらしようとしなかった、いや出来なかった。

「うあああああああっ!?」

 女の顔面に拳が飛んでいく。


 プチッ…。

 拳は女の目の前で止まった。

「はあっ…私は、何をして…。」

 鈴はいつの間にか我に返っていた。切れていた何かが、戻った気がする。

 女の方を見ると、目があった瞬間、突然倒れた。精神的に疲れすぎたのかもしれない。

「…巧也っ!」


=====================


 鈴は何処へ行ったのだろう。加えて探しに行った巧也もいない。

「冬香、そっちは!」

「いない…。」

 屋台は端まで全て探した。しかし花火の見物客の中に二人はいなかった。

「神社の裏はどう?」

 神社の裏。そんな場所はまだ探していないはず。

「行ってみるか!」

 すぐそこの神社の裏側に回る。

「…!」

 神社の裏の壁に、鈴と巧也が寄りかかっていた。巧也は寄りかかっているというより、倒れているが。

「大丈夫か!」

 鈴は二人の姿を見ると、力が抜けてその場に座り込んだ。


【こんな器に光なんて差し込むのだろうか?

 今ではそんなことも考えなく…。】


=====================


「うー…あれ。」

 目を覚ますと、旅館の部屋だった。

 窓から眩しい朝日が差し込んでいる。昨日の夜、俺は一体何を…。

「ようやく起きたか。全くいきなり神社の裏で意識が無いんだから焦ったぞ。」

 神社の裏…。

 そうだ、昨日変な小屋に入り込んで。

「鈴は!?」

「大丈夫。昨日花火見た場所あるだろ?そこに行ってるよ。」

 そうか。とりあえず無事らしいのでよかった。

「行ってこいよ、巧也。」

「おう、ありがとな。」

 立ち上がって、部屋を出ようとすると、妙に鳩尾が痛んだ。

「痛っ。」

 まだ完治してないのか、いや骨にはいってないと思うが…。いってない事を祈ろう。


=====================


 息を切らして、ようやく崖に辿りついた。体中が筋肉痛っぽい。

「鈴!」

 崖の向こうを見ていた鈴は、こちらを振り返った。特に何も言わない。

 まず何を言えばいいだろうか…。

 いや。最初に謝らなければいけない。

「ごめん、昨日何も出来なくて…お前を探しに行ったのに、結局お前に助けられて…。」

「もういいよ。」

 突然そう言われた。鈴は俺を許せるのだろうか。何も出来なかった俺を。鈴の感情に気付けなかった…ん?

 結局、鈴はなにが言いたかったのだろう。

 しかしその答えは、俺が聞くより先に、鈴の口から発せられた。

「ようやく正体が分かった。私を覆い尽くしていた感情の正体が…。」

 鈴は、一回深呼吸してから、俺に向き直った。その眼は今までの眠そうな目と違って真剣だ。俺は思わず目を反らしそうになる。だが反らしてはいけない…。

 全てがスローに見える。鈴の口が少しずつ開いていく。


「私は、巧也が―――。」


 その後に続いた言葉は、俺を硬直させるのに十分な威力を持っていた。

 心臓が異常な速さで動く。緊張している?いや違う、もっと違う何かが。

 言葉が出ない。口が開かない。

 そんな俺を見た鈴は…。


 笑った。


「えっと、その…なんて言ったらいいかな。」

 やっと出た俺の第一声はそれであった。なんて情けない。

 鈴は俺の答えを待っている。ただ笑って。

 俺は自分の精神力を振り絞って、鈴に近づいていく。


 鈴の帽子を取って、頭を撫でた。三回。


「今は、これが限界だ…。」

 途端に鈴が吹き出した。顔から火が出そうだ。やっぱりやらなきゃよかった。

「あははっ、巧也、真っ赤だよ。」

「言わないでくれ…。」

 それから鈴は真剣な目に戻って、崖の方を向いた。こちらは向かずに、話し始める。

「巧也は…私に教えてくれた。器だけで生きる事の虚しさを。感情を理解できるっていう楽しさを。科学者は私を器としてしか見ていない。普通の人は私を化物としてしか見ていなかった。最初は、巧也や修一、冬香も私を化物だと思うだろう、って…でも違った。私を一人の人間として、「灰原鈴」として見てくれた。」


「鳴らない鈴になるくらいなら、私は…。」


 何の取り柄もなくていい。普通の人間になりたかった。普通に笑って、普通に泣いて、普通に怒って、そんな人間になりたい。


鈴は泣いていた。顔は笑っているが、自分でも気付かないうちに涙がこぼれている。

「あ…ごめん。変な事、言っちゃった。」

「いいよ。鈴の気持ちは、伝わった。」

 鈴は涙を拭きとって、俺に向かって飛び込んで来た。

「えっ、ちょっと、鈴!?」

「ふふ、ありがとう巧也!」

 ちょっと離れろって、締めすぎ痛い!つかありがとうって何!

 そんなこと言いながら俺も笑っていた。


 これで、やるべきことは決まった。

 …俺は鈴を守らなければいけない。

 まず昨日の組織の正体も分からない。逃げる場所も決めなければ。まだやることは山ほどある。

 俺が逃げる事はあいつらには容易に予想できると思う。でも泳がされている事が分かっていても、俺はやらないといけなかった。


「鈴、行きたいところ、無いか?」

 鈴は不思議そうに俺の顔を眺めたが、すぐに、

「ここみたいな、山奥が良いな。」

 まあ、平穏に暮らせそうなのは田舎だが。

 それならその線で行こう。それと―――


「とりあえず、放してくれ。」

 また、二人で笑った。


=====================


 でも、ある日突然私は光を浴びた。

 彼は今まで出会った全ての人間と異なっていた。私を化物とも、実験対象とも扱わず、一人の人間として接してくれた。

 そんな彼に、私は惹かれていたのだろう。


 あの人と出会って全てが変わった。

 毎日が楽しいなんて初めて思った。

 この世界に、少しだけ光が差し込んだ気がする。

 風が吹いた。私の黒い髪が横に揺れた。どこからか鈴の音が聞こえるような気がする。

 もう昼の時間だ。彼が心配する。今日はこの辺で終わりにしよう。


―An Apathetic Girl and A Bell Cannot Ring―より


『鳴らない鈴の心』


「おい、鈴ー!」

「はーい。」

 今日も鈴は鳴っている。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

今回も、微妙にまとまらない感じでしたが…

楽しんでいただけたのであれば、感想を書いてくれると嬉しいです!

今後ともよろしくお願いします!

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