五
本日は二日ぶりに鈴城修輔が登校してきた日だった。
「うーん、今日もいい天気だな。晴れた冬の日は清々しくって気持ちが良い」
鈴城はお弁当のタコ型ソーセージを頬張りながら空を仰いだ。
ここ最近は鈴城と昼飯をとる場合は屋上、というのがお決まりになっていた。
「それにしても鈴城の弁当って、いつも愛が込められているよなぁ」
毎日の昼飯がコンビニや購買で買ってくるパンやおにぎり(もう学校に慣れたので自分で買ってきている)の僕と違って、鈴城の弁当はおかずから何まで手が込んでいるのだ。まさか、鈴城が自分で作っているというようなことはないだろう。
もしそうなのだったら、爆笑物なのだけど。大笑いしてやるんだけど。
ちなみに今日の鈴城の弁当の中身は、先ほど鈴城が頬張っていたタコ型のソーセージとマヨネーズのかかったブッロコリー、ナポリタンのスパゲティにコロッケと海苔がのっかっている白いご飯、いわゆるのり弁というラインナップだ。海苔にはちゃんと醤油と鰹節が装備されているっぽい。
僕のコンビニのパンと比べると、やはり鈴城の昼飯は輝きが違うのだった。
「俺の弁当に愛が込められてるんじゃなくって、笹村に愛が込められてねぇんじゃねぇの?」
笑いながら鈴城が言った。
確かに、そうかもしれない。……けれど、あの姉に愛を込められてもなぁ。
「はははっ、冗談だよ、笹村。悪い、悪い」
僕の返事がないのを、気を悪くさせたと思ったようで鈴城は半笑で僕に謝ってきた。
「俺の弁当はいつも妹に作ってもらってんだ」
「妹?」
な……。
何っ、妹に弁当を作ってもらっているだと⁉ や、やはり、鈴城は只者じゃない!
「そ。葵っていうんだけどな。赤崎の一年やってる」
「へぇ、同じ高校なんだ」
「まぁな。俺のせいでアイツに転校させまくっちまってるからな。その上、弁当まで作ってもらってるとか、兄失格だよな。迷惑かけてばっかりだ」
「ふーん。でも、女の子って料理好きじゃん。趣味みたいな感覚で作ってあげてるんじゃないの? それとも、愛しのお兄ちゃんへ、的な感じだったりして」
「はは。そうかもな」
……な、に。
「つーか、何だよ、笹村って妹とかに萌える奴なのか?」
むっ、際どいところに斬り込んできたな、鈴城。
否定はしないけど、認めたら認めたで茶化されそうなので、ここは曖昧な返しをしておくのが無難だ。
「いや別に。ただ、テンションがおかしな姉がいると鈴城の妹みたいに兄貴思いな妹がいてもいいかなぁ、なんて思っただけ」
「兄貴思い、ね」
鈴城は箸を止めてもう一度、青空を仰いだ。すぅっと心地よい乾いた風が吹いた。
「思いが強すぎると逆に困っちまうんだけどな」
?
「って、笹村、顔にクエスチョンマークがついてるぞ。まぁ、含みを持たせた言い方したけども」
? ?
「さらに疑問符かよ⁉ 分かったよ。俺ぁ、あんまりプライベートなこと話すのはすきじゃないんだけどな」
いやいや、今まで散々自分の過去を暴露してきただろ、鈴城。
「思いが強すぎるってのは、まぁ、そうだな」
鈴城は何から切り出すか迷っているように、クシャクシャと金メッシュの髪を乱暴に掻いた。
「俺ってこんな風にヤンキーって言われればそれまでの身なりで、日々ケンカしてばっかりだろ。それで葵のヤツが色々と心配してくんだよ。『お兄ちゃん、もっと自分を大切にして』って心配してくれんのは、有難いんだが、正直鬱陶しいっていうか。放っておけよって感じなんだわ」
うう、葵ちゃんはなんていい子なんだ。
うちの姉も食事は作ってくれるけど、その他は最悪だからなぁ。
「そいわけで兄貴思いの妹に若干、困ってるというワケだ。そんだけだよ」
それだけ、だと?
「鈴城!」
「な、何だよ?」
「いい妹さんじゃないか! そ、それなのに、心からの兄貴への思いを『鬱陶しい』なんて言葉で片付けるなぁぁぁ!」
「お、おい、笹村?」
「妹さんに心配かけないためにも、もっと自分の振る舞いを考えろぉぉぉ!」
「ど、どうしたんだよ?」
あ。
いけない、いけない。僕としたことが取り乱してしまった。
僕は咳払いをしてから、再度口を開く。
「ということで、妹さんが鈴城を思っているぐらい、鈴城も妹さんのことを考えてやれということだ」
「は?」
「返事はぁぁぁ⁉」
「は、ハイ!」
分かればそれでよし。
僕は昼食を再開。
焼きそばパンの袋を開ける。
あぁ、もうこの時点で虚しい。これがコンビニのパンじゃなくて、自分で作った、あるいは姉が作ったという手づくりの弁当だったとしても心に穴をあけるような虚しさは消えない。
目の前に妹特製の弁当を食っているヤツがいるなんていう状況下では、この世のどんな高級料理を口にしても僕の舌はそれを美味とは判断しないだろう。
うう、ちくしょう。
空は晴天なのにー、僕の心は雨模様 って恥ずかしっ、馬鹿らしっ。
「ところで……笹村」
悔し涙を堪えている僕に鈴城が曇りがちの表情で呼びかけてきた。
どうして妹の弁当を食しているヤツがそんな顔をしてるんだ?
そんな顔をされたら、僕の涙腺は悔しさに耐えきれなくて、基礎から崩壊して心の中が大洪水だぞ。恥も外聞も全て涙の流れるままに、大泣きするぞ。
「クラスの奴等とはうまくやっているみたいだな」
「は?」
不意を突かれるようなセリフだった。
「原谷とかと仲好さそうじゃねぇか」
「ああ、まぁね」
昨日の体育以来、原谷君はツンデレということになっていて、事あるごとにそれをからかっているのだ。これがなかなか面白かったりする。
「それがどうかしたの?」
「いーや、最初は俺とお前が似たもの同士だと思ってたけど、今になってみるとそうでもないのかなって」
「最初から似たもの同士じゃないでしょ。黒髪ノーマル高校生と金メッシュヤンキー高校生じゃあ、何をどうしても無理じゃん」
「だから、見た目じゃんねぇって何度も言ってんだろ?」
言って鈴城は僕に爪楊枝を投げてきた。
冗談だよ、じょうだ……。
こ、ここここ、これはぁぁぁぁぁぁ! タコ型ソーセージに刺さっていた爪楊枝⁉ お、おのれ、鈴城、目の前で妹特製弁当を頬張っておきながら、その残骸を僕に見せびらかすつもりかぁぁぁ!
「中身だよ、中身。二日に一遍ぐらいしか学校に来てねぇけど、ここに来るたびに俺とオマエとの違いを思い知らされるような気がする」
僕は目の前に落ちた爪楊枝を恨めし気に見つめながら、
「何も、僕と鈴城が完璧に百パーセント似てないといけないってことはないでしょ?」
「ん? まぁ、それもそうだけどな……」
「っていうか、そもそも似てたのは『勉強するつもり、その気力が皆無』ってことだけだったんじゃなかったけ?」
「……」
「僕には僕の個性があるはずだし、鈴城には鈴城の個性があるんだから、僕と鈴城の違いを逐一、思い知らされる必要なんてないと思うよ」
「そ、そうか」
力なく、鈴城はウサギの形をしたリンゴを口に運んだ。
く、くそっ、まだあんなものが隠れていたのか!
「でもな……」
キーンコーン、カーンコーン。
鈴城が何かを言いかけた時、予鈴のチャイムが気味良く鳴り響いた。
チャイムを受けて鈴城は言おうとした言葉をリンゴと共に飲み込んだ。
「でも?」
僕は何かを言いかけた鈴城の表情が気になって、その内容を問いかけてみたけれど、
「ああ、何でもない」
鈴城の弱弱しい笑顔に拒まれたのだった。
帰り道で鈴城と別れてから、僕の元に彼女はやって来た。黒髪を肩の辺りで二つのおさげにしている可愛らしい少女だった。
出会い頭の自己紹介によると、
「赤崎高校一年生の鈴城葵です」
と、まぁ、鈴城の妹なのだった。あのお弁当の作者なのだった。羨ましいのだった。
「僕は笹村陽真。何か用かな?」
「ハイ。実は兄のことでお願いがあるんです」
そうして、鈴城の妹さんのお願いとやらの内容を聞くのに、路上ではアレだった(ヤンキーにカラまれるのが怖かった)ので、僕らは喫茶店『ナナカマド』へと足を運んだ。転校初日に宇木さんと桐生さんに連れてきてもらったお店だ。
よく考えれば、女の子と二人きりで喫茶店とか初。ちょっと緊張。
「で、お願いって?」
はて、僕が鈴城のために何かしてやれることがあるのだろうか? あるいはやらなければならないことがあるんだろうか?
「えっーと、その……」
葵ちゃんは言いづらそうにしながらも、お願いの内容を口にする。
「こんなことを頼むのは御節介で、兄にとっては煙たいだけなのかもしれないんですけど」
ですけど?
「笹村さんには兄とずっと、友人でいてもらいたいんです」
テーブルに額がぶつかりそうなほどに頭を下げて葵ちゃんは言った。
鈴城。
友人 友達。
些細な事に拘るな、この兄妹。
そんなことは言われなくても、決まっているだろうに。
「笹村さんも知っていると思いますけど、兄はどこに行ってもイジメられてばかりだったんです。こっちに来て、落ち着いたかと思ったら、不良になって登校しなくなってしまいました」
「うん。知ってる。本人から聞いたよ」
葵ちゃんは頷いて、先を続けた。
「だから、兄には友達と呼べる人が一人もいないんです。そのせいか、寂しさを紛らわせるためなのかは私には判断できませんけれど、毎晩喧嘩の日々だったんです。病院送りになったこともありましたし、逆に兄が相手を病院送りにしたこともあったそうです。時には警察が絡んできてしまったことも……」
葵ちゃんは悲痛そうな表情で言葉を紡いでいる。
あぁ、この子は本当に兄、鈴城修輔のことを心配しているんだな。
「そんな日々を送っていた兄がある日、とてもうれしそうな顔をして帰って来たんです。妙にニコニコしていたので、その理由を尋ねたら、友達ができたって」
ふーん。
「それが僕だったんだ」
コンビニでのカツアゲと、それを助けてくれた鈴城を思い出した。
「その時は、名前は言わなかったんですけど、兄のその後を考えると、笹村さんなのでしょう」
言って、葵ちゃんは小さく、淋しそうに笑った。その笑顔が兄であるところの鈴城と葵ちゃんが兄妹ということをより一層際立たせる。
「笹村さんに出会ってから、兄は以前とは比にならないくらい学校に行くようになりました。おかげでお弁当の数が増えちゃったんですけどね」
そして、葵ちゃんは表情筋の使い方を変更して、嬉しそうに笑った。
「学校に出るようになって、兄が喧嘩をするのも日々減っていきました。大きな怪我もしなくなりました。これも笹村さんのおかげだと思っています」
「いやいや、そんなことないって。大袈裟だよ」
謙遜じゃあなくって、本当にそう思う。
僕が存在しているだけで、誰かの力になれているとは思わない。その逆はあっても。
「そんなことあるんですよ、笹村さん」
それでも、力になっていると考えてくれている人がいるのは、嬉しい かもしれない。
「兄によれば、兄と笹村さんは似たもの同士のようですから。私には判然としませんけれど、兄がそう言うのなら、きっとそうなんです」
兄思いだねぇ。ブラコンってやつ? ……憧れないこともない。オールドシスターからは断固拒否だけど、ヤングシスターからならウェルカムだ。まぁ、僕には叶わないんだけどね。
「笹村さんは兄と似ている部分があると思っていますか?」
似ている部分。類似点。
正直なところ、何もないと思うんだけれど。
たった一つの思考を除いては。
「考え方が同じなのかな」
「考え方、ですか?」
「考え方って言っても、大層なものじゃあないけれどね」
いや、考え方なんて人生の地図みたいなものは、僕も鈴城も持ち合わせていない。
言うならば。
「現実逃避の思考回路が同じってことが、僕と鈴城……お兄ちゃんの類似点かな」
葵ちゃんは黙って、僕の続きを待っているようだ。
「何のために学校で学ぶのかが僕らは分からないんだよ。後輩の前でこんなことを言うのは恥ずかしいけどね」
全く以てお恥ずかしい。一つとはいえ、年長者なのに。
「学びの意味を見つけられない、またその意義を理解できない僕らはきっと似たもの同士なのかもしれない。本当なら、あんなヤンキーからは逃げているところなんだけど、僕がそれをしていないってことは、心の何処かでお兄ちゃんが僕自身にとても近い場所にいると感じているからなんだろうね」
「学びの意味ですか……」
「うん」
葵ちゃんは俯いて、
「実は兄がイジメられてきた理由にいつもそれが絡んでいるんです」
「知ってるよ。それもお兄ちゃんから聞いた」
鈴城って、結構自分のことを人に話すんだな。プライベートなことは話さないとか言っていたクセに。
「異物、だったから、イジメられたんだよね。僕には加害者が全く理解できないけど」
「解らないものは怖いんですよ」
俯いたまま、葵ちゃんは言う。
「未知の異物は怖い。でも、その怖さはジェットコースターやお化け屋敷、ホラー映画、不良などとは違っていて、やり場のない不安を生じさせる。そして、自分の胸から生まれた不安を自身で理解できないから、そこにさらなる恐怖が顔を覗かせる。頭のいい人なら猶更なのかもしれません」
葵ちゃんはため息をついた。僕は口を挟まない。
「だから、攻撃して、少しでも理解の要素を得ようとするんです。本人たちに悪気はないかどうかは知りませんけれど、とにかく、未知の異物を理解するためのパーツ集めのための作業なんです」
ということは。
「葵ちゃんはお兄ちゃんをイジメていた奴らを否定しないってこと?」
僕の問いかけに葵ちゃんは顔をガバっと起こして、ブンブンと首を左右に振る。
「そんなことありません! 私は兄以上に彼等を許していません! いや、許しません!」
葵ちゃんは捲し立てるように言葉を吐いてから、
「あ、すみません、私……」
しゅん、と再び俯いた。
「大丈夫だよ。その気持ちは理解できるから」
「本当にすみません。御見苦しいところを……。先の言葉は全部兄が言っていたんです。どうして、自分が行く先々でいじめられるのか、分析していたみたいで」
「自分なりに改善の努力はしていたんだね」
「そのようです」
ここで少々の沈黙が訪れた。
シリアスな雰囲気が漂って、僕は視線のやりどころに困る。
しかし、重苦しい沈黙も長く続くことはなかった。
葵ちゃんが口を開く。
「それで結局、私が笹村さんにお願いしたかったことは、最初にも言いましたけど、兄とできるだけ長く、いや、ずっと友人でいてもらいたいということです。兄と笹村さんの二人で学校生活の意味を見出せれば、きっと兄は普通の日々を送れると思うんです。お願いします、頼れる人は笹村さんしかいないんです」
頭を下げて、顔を起こす葵ちゃん。
そして。
上目遣い。
その上、ちょっと涙目。
そんなことされたら、断れないじゃないか。
まぁ、断るつもりないんだけれども。
友人の少ない僕が自ら手を放すわけはないんだけれども。
「さ、笹村さん?」
僕が返答をしないのを不安に感じたようで、葵ちゃんが僕を覗き込んでくる。
「どうかされましたか? 無理なお願いをしてしまったようなら……」
言いながら、葵ちゃんは涙声になる。
ちょっと、待って。断らないから。大丈夫だから。泣かないで。いや、マジで。
「む、無理なお願いじゃないから、安心して」
僕は必死になる。女の子を泣かせるわけにはいかない。
「僕はずっと、鈴城修輔の友人でいるから心配しないで」
「ほ、本当ですか?」
葵ちゃんは零れかけの涙を手で拭った。
これが演技だったら、恐ろしいけれど、そんな感じは微塵もない。
心の底からの言葉で、それに基づいた行動だ。
本当に良い妹さんだな。
益々、鈴城が羨ましくなる。
「本当だよ。僕が黙っていたのは、葵ちゃんも、お兄ちゃんも、友人関係に細かいなと思ってね。口にしなくても、僕らは友達なのに」
「私も笹村さんと同じなのですけど、兄はそこら辺の事には敏感なんです……やっぱり、イジメに遭ってしまった人は、再び立ち上がるのが怖いんでしょう」
「うん……そうかもね」
未知の異物と遭遇するよりも遥かに。
理解できない不安を押さえつけることよりも深く。
傷だらけになった心を携えて、もう一度起き上るのは。
どうしようもなく、未知で、不安で。
怖いのだろう。




