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少年猶予  作者: 佐山落葉
2/7

帰宅後、リビングでボケェ、としていたら夕食時をとっくに過ぎていたので、帰ってこない姉はさておいて僕は晩御飯中なのだった。

 姉と二人暮らしを始めて約二週間。そんな短期間で僕に料理のスキルが身に着くはずもなく、朝晩の食事は姉任せ、姉頼みだった。これが幸か不幸かはご想像にお任せしよう。ちなみに昼は食堂やら購買やらコンビニで済ませろとの指示が出ている。

 ということなので、姉の帰りが遅い日の僕の晩御飯は決まってレトルト。しかも、カレーオンリー。それは以前姉が買い溜めた、という激辛レトルトカレーの後始末も同然だった。まさか、アイツワザとじゃねぇだろうな。

 被害妄想紛いの思考を巡らせ、カレーの辛さにヒーヒー、と半分涙目になりながら晩御飯を終えた僕は風呂に入って、寝ることにした。テレビをつけていても退屈だし、勉強をする気もないし、何か今日疲れたし。

 そうして、湯船にお湯を張り出した頃だった。

 ピンポーン、と景気の良い音を発したのはインターホン。

誰だろう?

とりあえず、僕への訪問者ではないことは確実。ということは、姉貴の知り合いか? 訪問販売的なモンじゃなきゃいいけど、時間帯からしてそれはないだろう。

 僕は玄関まで行って、チェーンを外して、ドアを開く。

 すると、

「ごめんねぇ、陽真クンでいいかな?」

 フワフワ茶髪で綺麗な感じのお姉さんが現れた。ちょっと、緊張。

「えっと、どちらさんで?」

「あたしは鏡子……君のお姉ちゃんのサークル仲間なんだけど、今日の飲み会でお姉ちゃんが潰れちゃったからお届けに来たの」

 苦笑いのサークル仲間のお姉さん。何か申し訳ない。

「すいません、ウチの馬鹿姉貴が」

 僕は頭を下げて謝罪の言葉を述べた。

「いや、誰が一番飲めるかって勝負を止めなかったあたし達も悪いんだけど……あ、来た来た」

 どうやら、姉が帰還してくるようなので、僕はドアを大きく開く。

「うベべべ」

「ほら、鏡子しっかり。もうアンタん家だから」

 今にも吐きそうな声を上げて姉が現れた。その潰れた姉に肩を貸しているのは、短めの茶髪のお姉さんだ。おそらくこの人もサークル仲間なのだろう。

「はい、とうちゃーく」

「ううぅぅ」

 姉の顔は真っ赤に染まっていて、その表情はもろに酔っ払いのそれだった。

「君が弟くんかぁ。ふーん、鏡子に似てなくもない……じゃなくって、お姉ちゃんの後は頼んだ。ホイ」

 そう言って、ショートカットお姉さんは僕に姉を引き渡す。

「うべべべ」

「って、おい、自分で立て。うっ、酒くさっ」

 姉は僕に抱き着くようにして帰宅。力を全く入れてやがらないようなので、姉の体は不愉快な程に重たい。

「ふふ、じゃあ後は任せたよぉー」

「弟くん、健闘を祈るよ」

 健闘を祈るってどういうことだよ。この人らも酔ってんのか? それにお二人とも可愛らしく微笑まないで下さい。余計に申し訳なくなるので。

などと述懐できるわけもないので、

「本当にありがとうございました」

「あでぃがど……にゃー」

 僕はもう一度頭を下げてお礼を言った。もう一つのお礼は、いうまでもなく、酔っ払いのものだ。

 酔っ払いお届け人が遠ざかるのを待って、チェーンを掛け、鍵を閉める。

「ったく、人に迷惑かけんなよ」

「うべべべ」

 姉はもうしばらく酩酊していそうだった。

 しかし、酔っ払いは表情をハッとさせると、先までの調子とは打って変わった様子で、

「ヤバい」

 と言った。

 何がヤバいんだ? 自分の酩酊ぶりに危機感でも覚えたのか? まぁ、どうせ僕の与り知る所ではないだろうから問いかけはしない。そもそもこれも酔いが高速回転している影響かもしれないし。

「ヤバいよ、陽にゃん」

 少し真剣に呟く姉を引きずって、僕は姉の部屋を目指す。

「って、聞いてんのぉ?」

「ヤバいほどに酒臭い酔っ払いの声なら聞こえてるけど」

「いやいや、マジでヤバいことだから」

「ああそう」

 気になる人間に間抜けな姿晒しちまったとか、そんな感じの個人的なモンだろ。

「言っとくけど、アンタの与り知らぬことなんかじゃないよ」

「その含みのある発言の真意は?」

 僕の疑問符に間を一つ置いてから姉は、

「明日から電気が止まります」

 と棒読みで言った。

「は?」

「だから明日から電気ぃ止まっちゃうから、ヤバいのよ」

「どうして?」

「アタシが電気料金を支払っていないからです」

姉のドヤ顔。

「いや、んな誇らしげに言うようなことじゃねぇだろ⁉ 何で払ってねぇんだ⁉ ってか何で引き落としにしてねぇんだ⁉」

「ああー、もう陽にゃん五月蝿い。頭がギンギンするから怒鳴らないでくれんかね?」

 頭がギンギンすんのは僕のせいじゃねぇよ。てめぇが取り込んだアルコールのせいだろ。

「それにね、まだ間に合うのだよ。陽にゃんがコンビニー行って払ってきてくれれば」

「何で、僕? つーか、陽にゃんって気持ち悪いから止めてくんないかな」

「『何で、僕?』って、そりゃ陽にゃんも電気ぃ使ってるからでしょうがぁ。たまには仕事しろい!」

 そう言われると返す言葉はない。生活費は両親が出しているにしても、ご飯を作ってもらっている身ですから。

 そして、僕の沈黙を了承と受け取ったのか、姉は、

「じゃあ、陽にゃん、テーブルの上に振り込みの紙があるからよろぴくー」

「ハイハイ、わかりましたよ。その代わり、姉貴はさっさと寝ろ!」

 言って、僕は姉をベッドに放り投げた。綺麗にベッドに転がる姉。

「うげぇ……って、陽にゃん、ゴ・ウ・イ・ンー」

「うるせぇ、酔っ払い」

「あ、お金は振込用紙と一緒のとこにあるからー」

「ヘイヘイ」

 僕は気の抜けた挨拶を返して、電気ストップ回避のため夜のコンビニに向かった。




「ねぇねぇ、お兄さん、ボクら今ちょぉっとお金に困っていましてねぇ。そこで心優しそうなお兄さんにいくらか貸していただけないかなぁ、なんて思って、お声を掛けさせていただいたんですけど?」

「え、あの、いや、その……」

 単刀直入に言おう。僕は今チャラいお兄さんにカラまれています。それも二人。ちくしょう、最悪だ。そういや桐生さんがここら辺はヤンキーが多いとか言っていたっけ。もっと、注意しとくべきだったか。

「ほんのちょぉっとでいいんですよ、財布の中身全部とかで」

 全部とちょっとって矛盾してますよ。いや、財布の中身を合計したところで、然程高額にもならないということか。なめやがって。

 馬鹿丁寧な物言いのパツキンが僕の肩に手を乗せる。いや、手を乗せているように見えて、パツキンの手は僕の肩を強い力で掴んでいた。

「くくくっ、いくら持ってんのよ?」

 別の茶髪パーマヤンキーが僕の背後に回って、ズボンの後ろポケットから革の財布を取り出す。勿論、その財布は僕のもの。

「やめっ」

 振り向こうとした僕の胸倉を掴んでパツキンがニヤニヤ笑う。

「おいおい、いいじゃないですかぁー、すこーしぐらい」

 全然少しじゃねぇよ。そいつは昼飯代なんだ。

「おっ、すげ。サトル、コイツ万札三枚も持ってやがる」

「すごーい、ですねぇ。んじゃ、いただきますよぉ」

 冗談じゃねぇ、このまま黙ってられるか。いくら僕が根暗な軟弱野郎に見えるからって、無抵抗だと思うなよ。

「ふざけっ……⁉」

 三人の諭吉救出のために覚悟を決めて、パツキンを殴ろうとした僕だったが、それよりも先にパツキンの拳が僕の右の頬を抉っていた。

「はぅっ」

鈍い衝撃が脳内を徘徊する。

「赤崎のエリート高校生が喧嘩なんてするモンじゃねぇよ。停学とかになんねぇのか?」

「うぐぅ」

 パツキンに続いて茶髪パーマが僕の腹に蹴りを入れる。一瞬、息が出来なくなって、冷たい汗が額に滲んだ。

「んじゃ、ありがたーく貰って行くからな」

 そう言ってヤンキー二人組は逃走準備。

このまま、引き下がるのも格好がつかないけれど、ダメだ、敵いそうにもない。今日のことはなかったことにしよう、そうしよう。諭吉さんが誘拐されたなんて、そんな事実はなかったことにしよう。

 そう僕が情けなくも、カツアゲに屈した時だった。

「おーい、ダサ金髪にモジャ髪。こんなヤツから金巻き上げて楽しいのかぁ?」

 至極退屈そうな声がして。

 だらしない足音で空気を震わせて。

 短めの金メッシュの髪にアクセントとして前髪をピンクに染めたもう一人のヤンキーが登場した。

両の耳には左右に三つずつのピアス。身長は僕よりも最低五センチは高い。上下黒のスエットを着ていて、パツキンと茶髪パーマとは雰囲気を明らかに異にしている。チャラい、というよりも怖い、とかヤバそうという表現の方が適切に思われるくらいだ。

「あー、なんだ、テメェ?」

 茶髪パーマが凄みを利かせた態度で問いかけるけれど、それでも突っ立っているだけの金メッシュの救世主ヤンキー(仮)の前では面白味の欠片もないブサイクな変顔にしか見えない。

「『なんだ、テメェ』ね。まぁ、返答はしないけど」

 言って、金メッシュさんは散歩でもするかのようにパツキンと茶髪パーマに近づいていく。

 パツキンと茶髪パーマも僕と同様に金メッシュさんの雰囲気の違い、そのヤバさを感じているのか、ジャッカルがライオンでも見ているかのような顔をしている。しかし、ライオンの接近にジャッカルが逃げ出すことはない。いや、動けないのか?

「その金、返してやれ」

 茶髪パーマの正面までたどり着いた金メッシュさんは、台詞と同時にその拳を素早く振るい、茶髪パーマの顔面を穿った。

「っっっつ!」

 金メッシュさんの一撃を受けた茶髪パーマは殴られた勢いのまま地面に蹲ると、顔をおさえて声になっていない呻きをあげた。鼻の骨でも折れてなきゃいいけど、まぁ自業自得でしょ。

 そして、茶髪パーマを一発KOした金メッシュさんはパツキンの方を向く。唇を小さく悦に歪めている金メッシュさんに対して、パツキンの唇は大きく恐怖に変形していた。

「んで、どうすんだ?」

 短い問いかけ。金を返すのか、返さないのか。もし返すつもりがないのなら、ブッ飛ばすとでも言っているように。

「わ、わかった。か、か、返す」

 震えた声で返答したパツキンは金メッシュさんに札を渡す。それを受け取った金メッシュさんは、

「二万でいいのか?」

 と、僕に訊いた。

「……三万」

 僕は弱弱しく答える。つーか、あのパツキン誤魔化すとは、なんて野郎だ。意地汚いっていうか、見苦しいっていうか、とにかく最低。

 そんな風に心の中でパツキンを罵っていたら、

「ぐふっ!」

 パツキンが金メッシュさんの正拳を思いっ切り顔面に喰らっていた。茶髪パーマの時には聞こえなかった軽い、それでいて鈍い音がした。折れたな、鼻の骨。ご愁傷様です。

「つまんねぇことすんなよ」

 おそらく激痛に襲われているであろうパツキンに見向きもせず、金メッシュさんは衝撃で地面に落ちた三人目の諭吉を救出。

「ホレ、ちゃんと仕舞っておけよ」

「あ、ありがとうございます」

 僕は恐る恐る三万円を受け取る。

「礼なんていらねぇよ。そもそも、この腐れ馬鹿どもが……ってもう消えてやがる」

 見れば、もうパツキンと茶髪パーマはいなくなっていた。僕が言うのも何だけど、その逃げ足で立ち去っていれば、ああも無残にシバかれることはなかったろうに。

「これだからザコはいけねぇや」

 うんざりした調子で金メッシュさんは呟く。

 助けてもらった身で悪いんだけど、僕もここから一分一秒、一刹那でもいいから早く立ち去りたい気分だった。実はこのヘルプはフェイクで、金メッシュさんも僕の諭吉を狙っていたりして。いやいや、いくらなんでもこの考えは礼を欠いているか。

「本当にありがとうございました。そ、それじゃ」

 僕は立ち去る気満々です、と言わんばかりにお礼を言って、金メッシュさんに背を向ける。

 けれど。

「ん、ああ、ちょっと待て。オマエ、赤崎の生徒だろ。俺と少し話しないか?」

 立ち去りかけた僕は金メッシュさんを振り向く。

 ええぇぇぇ⁉ 帰らせてくれませんか? めっちゃ、帰りたいんです、僕。いや、マジで。

 しかし、述懐するには相手が相手だ。「話なんてしたくありません。帰ります」なんてことを言ったら、きっとパツキン以上の仕打ちを受けるに違いない。

「わ、わかりました」

 引きつった笑みで僕は返答。

『いやです』とは言えなかった。




 纏わりつくのは冬の空気とコンビニの眩しい光。手にはおでん。右隣りには純度百パーセントのヤンキー。

 何とも言えない状況だった。ちなみにおでんは、『さみぃからあったけぇモンがいるだろ。それに話に付き合ってもらうわけだしな』ということで金メッシュさんの奢りだった。僕はホスト、オア、ホステスのどちらでもないのだけれど。

「んじゃ、自己紹介からだな。オレは鈴城修介。赤崎の二年だ」

「ぶっ……っと、危な」

 危うくおでんを吹き出すところだった。

だってそうだろう。誰がどう見てもこの金メッシュさんは赤崎高校の生徒なんかじゃあない。そもそも高校生をやっているとも思わなかった。それが赤崎の二年で、しかも僕と同い年ときたら驚かずにはいられない。おでんを吹き出しかけても仕方ないだろう。

「おいおい、失礼だな。俺が赤崎の生徒じゃおかしいか?」

 鈴城さんは参ったな、といった感じの笑顔を浮かべて言った。

 あり、殴られずに済んだ。って、さすがにこれは偏見か。

「いや、鈴城さんが赤崎の生徒でも別におかしくはないと思います」

 これで高校生っていうんだから、どこの生徒でも可笑しくはない。高校生として存在していることがもう既に可笑しいんだから。奇跡的な程。

「ふーん、そいつは重畳だ。んで、オマエの名前は?」

 鈴城さんの問いかけに僕はおでんの割り箸を止めてから、

「僕は笹村陽真。赤崎高校の二年生です。ちなみに今日転校してきました」

「へぇ、転校生か。ってなんだよ、俺とタメじゃねぇか。鈴城さんじゃなくて、鈴城でいいよ。それに敬語もやめてくんねぇか、気持ちが悪い」

 そうですか。そういうことなら、普通に喋ろう。ちょっと戸惑いがあるけれど。

「で、話って?」

「そうだな」

 鈴城は月のない夜空を見上げて、ため息一つ。

「俺と笹村が似ている気がしてな。少し話してみたいって思ったんだよ。腐れからオマエ助けたのもそんためだ」

「は?」

 いや、似ているわけがないだろう? よく自分のルックスと僕の容姿を見比べてみてほしい。

「ルックスの問題じゃねぇよ。中身だ。中身。雰囲気からして持ってるモンが似ていそうだなってな。まぁ、より正鵠を得た言い方をすりゃ、昔の俺と似ていると思ったんだよ」

 そうか?

「えっと、どこら辺が、どんな感じに?」

「どこら辺、ね。うーん、じゃあ、笹村は高校に入って勉強をする気なくなったりしてないか?」

 疑問に質問が返ってきたので、僕はとりあえず鈴城の質問に答える。

「勉強する気なんてテスト前ぐらいしか起きないけど。それも三日前とか、その前日とか。二週間前からテスト対策しようなんて思わない」

「だろうな。もう一つ訊くが、高校入学がゴールだと思ったことはあるか?」

 高校入学がゴール、か。    そうだなぁ。

「高校入学がゴールだと思ってたよ」

 その先にまだまだ長い勉強ロードが続いているなんてこと、あの頃は考えもしなかった上、気が付くことさえなかった。

「高校入学がゴールって勘違いをしていたことが『似ている』の理由なの? そんな勘違いしていた人はたくさんいると思うよ」

「それだけじゃねぇよ」

「だろうね」

 ということは。

「ということは、高校合格で燃え尽きたってこと?」

「そうだ。んで燃え尽きた俺は今こんなことになっている」

「へぇ」

 僕はおでんの大根に箸をつける。予想外の真面目な話の途中だけど、早くしないと冷めちゃうから。

「高校入って勉強する気ぃ失くしてからは堕ちていくばかりだったな。俺の墜落にレセプターなんざなく、あっという間に不良の仲間入りさ」

「ふーん」

 自分のことを語る鈴城は先ほど僕を助けてくれた時の鈴城ではないように思えた。あの雰囲気は喧嘩用のものなのだろうか。

「ドイツもコイツも何の目的もまともに持っていやがらないクセに、必死こいて勉強してんだよな。その中にいんのが息苦しくてよ。笹村はそんなことはあったか?」

「……ちくわが美味い」

「てめぇ、話聞いてたか?」

 え、あ。

「ごめん、ごめん」

 目が怖いよ、鈴城。謝っただろ。

「息苦しさは……感じないね。でも、みんなは何のために勉強してるんだろうって思う時はあるけど」

「で?」

 『で?』って次を促されてもなぁ。けどまぁ、強いて続けるとすれば。

「それに息苦しさじゃなくて、何してんだろう、僕って思う時はあるよ。結局は何もしてないんだけどね」

「フムフム。じゃ、最後に一つ。笹村にとって勉強って何だ?」

 何かインタビューっぽくなってない? 貴方にとって勉強とは? みたいな感じが特に。

「勉強って何だって訊かれても、答えようがないなぁ。ほら、人生は勉強の連続だっていうだろ?」 

 果たして人生って勉強の連続なのだろうか?

「ここで勉強は嫌いですなんて言ったら、人生やってられません的なこと言ってんのと同じになっちゃうんじゃないかな」

 そんなに大げさな話ではないのだろうけれど。

「つまり?」

「つまり、僕にはまだわかんないってこと」

 いつか分かる時が来るかもしれないし、一生答えが出ないままかもしれない。

「でもわかってるのは勉強が多くの人にとって生きていくための手段だってことぐらいかな」

「それって、人生は勉強の連続と同じことなんじゃねぇのか、生きる術と勉強の連続とじゃあよ」

「だから、僕にはまだわからないんだって」

 僕はお手上げの意味も込めて、小さく笑った。

「……そうだな。俺もだ」

 言って、不満そうな顔の鈴城は立ち上がって伸びをした。僕が答えを出せないからって、そんな顔しないでもらいたい。わからないのは鈴城も同じだろう。

 鈴城は伸びをして、体を左右に動かした後、

「それじゃ、笹村、また明日学校で」

 何の気なしに、軽い調子でそう言った。

 え、ちゃんと通学してんですか? 墜落したって言ってたから、完全に不登校だと思ってた。

「何だ、その目は。一応、時々顔出してるぞ。出席日数守るために」

「存外真面目なんだね」

「そんなことで真面目って言葉使っちまったら、世の中の学生はどう表現してやったらいいんだ? 何たる偉業を日々成し遂げておられるのですか! って具合に感嘆してやるしかねぇぞ」

「鈴城の真面目と普通の学生の真面目とじゃあ、真面目度の次元が違うよ」

「何だよ、それ? どういう意味だ」

 睨まれた。

「いやいや、特に深い意味はありません。ま、真面目はいいことだなぁ、うん」

「ま、いいや」

 首の関節をポキポキ、と鳴らす鈴城。

「そんじゃあな。もうあんなアホにカラまれんじゃねぇぞ」

 そう言って、鈴城は去って行った。

その姿を見送りながらおでんを完食した僕もヤンキーに遭遇しないように注意を払ってマンションに戻った。




「お疲れ、陽にゃん」

 マンションに戻ると、風呂上りと思われる姉が缶ビール片手にテレビを見ていた。って、アンタさっきまでベロンベンロンじゃなかったですか? アル中になっても救急車呼ばんぞ。

「あり、右のほっぺが腫れてる気がするんだけど、どうかしたの?」

 ゆでだこ以上に顔中を真っ赤に染め上げた姉がキョトンと僕を見て言った。言われてみれば、殴られた頬が若干腫れている気がしないでもない。

 だがしかし、

「別に。気のせいじゃないか」

 とてもじゃないがヤンキーに殴られたなんて言えない。その、プライドとかの問題も含めて色々と。

「ふーん、そかもね。アタシの頭がポカポカしてるから見間違いかもね」

 それは風呂上りだからですか? それともアルコールの摂りすぎだからですか?

 とまぁ、そんな姉は放っておいて風呂にでも入ろう。おでんを食べていたとはいえ、長い間外にいたから体の芯が凍えてしまっていていけない。

「あー、陽にゃん。お風呂行く前に携帯に着信があったよ。ハイ」

 そう言って姉は僕に僕の携帯電話を渡す。つーか、僕の部屋に置いてあったはずなんだけど、どういう訳でてめぇが持ってんだ。いくら姉弟だからって、人の携帯を勝手に持ち出すな。プライバシーの侵害だぞ。

「おい、まさか勝手に」

 この状況で『まさか』もクソもあったものか。

「へへへー、ご名答、ご名答! 相変わらずフレンズが悲しいほどに少ないね、陽にゃん。憐みすら覚えられないよ」

「うるせぇ」

 僕は姉から携帯を引っ手繰る。全く、酔っ払いはこれだからいけない。きっと父譲りの酒癖の悪さだ、コイツ。

「マミーからだよ。確か、今はイギリスにいんだっけ?」

 電話かかってきてんのに出なかったのかよ。

「知るか。イギリスでもアメリカでもインドでもどこでも僕にとっちゃ変わんない」

「あっそー。とりあえず電話してあげなねー」

「わかったよ」

 風呂に入るのは一先ず延長して僕は自分の部屋に入る。特にこれといって特徴のない殺風景な部屋だ。殺風景な理由は一つで、掃除がしやすいからである。

 液晶に表示されたのは『笹村陽子』と彼女の携帯の電話番号。

 あまり気は進まないのだけれど電話をかけないと後で五月蝿いので、仕方なく発信。

 呼び出し音はほんの一瞬で、途切れた。そして、

「ハーァイ、陽にゃん、元気してるぅー?」

 って、何でオマエまで『陽にゃん』って呼んでんだよ⁉ 酔ってんのか? 酔っておられるのか?

 あー、面倒くせぇ。

「ハイハイ、元気してます。それじゃあな」

「って、待て待て」

「何だよ?」

 長話するつもりなんざ毛ほどもないぞ。

「今日から新しい学校だったんでしょう、どうだった?」

「『どうだった』って、別に普通だけど」

「そう。普通に越したことはないわよね」

「そうだな。じゃあ、切るぞぉ」

「待てって。アタシも仕事中だから長話は出来ないし、もう少しだけ」

 おい。仕事中なのかよ。それなら迷惑でしょう。アンタはともかく、周りに。

「もうセンターまで一年ないんだから、その辺を自覚してお勉強に励むように」

 うわぁ、始まった。教育ママのお勉強談義。

「わかってるよ、そんくらい」

「いーや、陽真はわかってないよ。高校受験の時だって勉強しているフリしてた時もあったワケだし」

「受かったからいいだろ」

「そうだけど、大学受験は甘くないってことを言っているの」

 電話口にため息が聞こえた後、

「それに何処の大学に行くかで将来が決まってしまうといってもいいくらいに大学選びは大切なんだからね。選択肢をより広げるためには学力が重要なんだから」

「ハイハイ」

「ちゃんと計画立てて、毎日コツコツ勉強していくこと!」

「ハイハイ」

「わかった?」

「わかった」

 僕は投げやりな調子で答え続けた。

あー、もう本当に五月蝿くっていけない。勉強、勉強って、いい加減にしてほしい。一週間に二回の頻度で言われるのだから、もう気が滅入ってきて勉強をする気も起らない。まぁ、もともとそんな気力なんて持ち合わせてないのだけれども。

「本当にわかってる? …………って、ヤバっ」

 と、調子よく話していた電話の向こうに焦りが生じた。

「いよいよ、拙くなってきたから切るね」

 どんな状況で電話してんだ。まぁ、電話かけたのは僕なんだけど。

「おーう」

「じゃあ……」

 ブチ、と。

 僕は母の『じゃあね+α』の挨拶の途中で電話を切断して、ベッドに寝転がった。

 『勉強しろ』のニュアンスを含んだ言葉を言われると、どうしても機嫌が悪くなるのだった。

 勉強は子どもの仕事だって言う人がいるけれど、僕は賛成しない。仕事ってそんな大げさなものではないだろう。せめて、修行くらいにしておいてもらいたい。だからといって、反対に回ることもしないんだけど。

「あーあ」

 僕は寝転がりながら鈴城の言葉を思い出した。

『笹村にとって勉強って何だ?』

 勿論、答えは出ない。

 僕の十七年間で頭に中にこの疑問が浮かんだことは多々あった。

 高校受験の際は、考えていても得の欠片にもならないそんな疑問は必死に頭の隅に追いやって、一時的に封印し、忘却していた。

 そして、高校合格と同時に僕は燃え尽きた。鈴城が燃え尽きたのと同様に、僕も煤になったのだ。

 そして、高校生活を送る中で再びアイツはやって来た。

『勉強って何だろう』

 いい年こいて考えるようなことではないのかもしれないけれど、『それ』はやって来た。

『勉強って何だろう』

 謎はもう一度僕の脳内を回転し始めた。

 グルグルグル、と。

しかし、問いに対する回答はいつも曖昧なその場しのぎに過ぎない戯言だったり、一過性の綻びだらけの理想だったり、一般思想への同調だったりした。

 回答を二転三転させている内に、僕は曖昧模糊とした零点の回答でさえ出せなくなったのだった。

 それは回答拒否で現実逃避だった。

「ったく、やってられないよなぁ」

 本当に心の底から、そう思う。

「チッ、くしょう」

 僕は舌打ちをして、ベッドから起き上がった。

 さっさと風呂に入って気分を変えて、眠りに着こう。

明日も学校があるわけだし。

 勉強する気もないのに、学校に行かないといけないから。


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