【エピソード1:エピローグ】
安心したまえ、君達。
この俺様が、あんなにおいしい約束を忘れる訳がなかろう?
「これは何の真似だ?」
翌朝。静まり返った教室に槞牙と柚菜がいた。
槞牙が昨夜の内に自宅に電話を入れ、朝早くに呼び出いたのだ。
柚菜は手渡された衣服を手にし、怪訝そうな顔をする。
「この俺がお前のために選んだメイド服だ。有難く着ろよ」
「じょ、冗談だろっ!? ななな、何でオレがこんな服を着ないといけないんだっ!」
濫する柚菜。槞牙は純度が全く見当たらない瞳で言い放つ。
「俺との勝負に惨敗したくせに、よくもそんなことが言えるな。約束を忘れたとは言わせないぞ」
柚菜は問題の解答ミスを指摘された優等生のような表情で俯く。
やがて、半端ではない不満顔で言った。
「分かったよ……。オレも男だ。約束は守る」
激しく間違った台詞だが、槞牙はつっこみもせず左手で教室のドアを指差した。
「よーし、では着替えに行ってこい!」
柚菜はドアの向こうに消えた。すぐ後に廊下を歩く音が響き渡る。
おそらくトイレで着替えるのだろう。
槞牙は自分の右腕に手を軽く添え、椅子に腰掛ける。外からは何かを跳ねとばす時の金属音と、運動部の男子の掛け声が聞こえる。
――現在、右腕には包帯が巻かれてはいるが、固定はされてない。
内側から抉られるようなと繰り返される痛みが走るが、骨折が掲焉となるよりはマシだ。
弱ったところを奇襲をされなくて済むからな。
槞牙は一介の高校生のレベルを超えた思考を巡らす。それ以前に、奇襲などをされる心配がある槞牙の身上が知りたい。
一体どんな外道な人生を歩んでいるのか。
閑話休題――
弱々しく教室のドアを引く音がすると、槞牙はそちらに顔を向けた。
「お前のセンスは最低だな」
「お褒めの言葉と受け取ってやるよ」
メイド侵食率九十五パーセント以上の柚菜が可憐に登場。
青を基調に、各間接に白のフリルが着いた衣裳だった。スカートは膝が見えるくらいの長さで、フリルが微細な動きに反応して、スッ、フリフリ、ユサユサユサ。
上半身――特に胸元は衛生的な物言いで『心持たない』面積だ。
首回りの白い肌が眩しい。頭には白レースのカチューシャが装備され、戦車並みの装甲を誇る男の意志(ほんとは豆腐)を嘲笑うように打ち砕く。
恥ずかしいのか、柚菜は伏し目がちに、はにかむ。
それがまた男心を悪戯に擽る。
「似合ってるなー。ってか似合い過ぎて逆に恐いぞ……」
「う、う、煩い! これで満足か?」
噛みまくり林檎の柚菜に、槞牙はどこまでも陰湿で卑しい笑みになる。
「俺のことはご主人様と呼べ。いいな? さあ、呼べ」
柚菜は口をもごもごさせ、少し逡巡してから口を開いた。
「はい。ご……、ご主人……様……」
蚊の鳴くような声。槞牙は頬杖を着いて聞こえないフリをする。
「ご、ご主じ――」
「それじゃあ駄目だ。もっと可愛い声」
柚菜は歯を食い縛り、半ばやけくそで全力を出す。
「ごしゅじんさまぁ〜」
最強の猫撫で声に、赤らめた頬が目立つ角度。
常人なら即ノックアウト。
槞牙はいい知れぬ気分の良い感情に包まれ、柚菜は屈辱に顔を歪めた。
◆
ガララッ!
いつも早めに登校する一人の生徒がドアを開ける。
「おかえりなさいませぇ〜! ご・主・人・様!」
語尾に合わせ、中指を左右にリズムよく振ってお出迎えする少女。
「ひぃ……!」
その生徒は慄然とし、腰を抜かして這いつくばりながら遁走した。
「あーっ、ははははははははははっ! ぶはははははは! ひっ、し、死ぬぅ」
抱腹絶倒の槞牙。柚菜は半分、涙目になっている。
そこで不意に槞牙はバカ笑いを止め、真剣な面持ちで言った。
「そろそろ着替えていいぞ。終わったら屋上に来いよ」
柚菜は意外な言葉に目を丸くしたが、早く着替えたいがためにトイレに向かった。
雲一つない、ジグソーパズルの風景には不適切な空の下。
屋上への扉を開けた柚菜の髪を、ドア枠いっぱいに吸い込んだ風が揺らす。
槞牙はドアの正面で、手摺りに左腕を乗せて立っていた。
その距離の中間地点まで歩いた柚菜に気付き、槞牙は振り向く。
「どうだ。なんだか、すぅっっっげーーー、弾けただろ?」
柚菜は俯き、服の袖で目元を拭うと、槞牙に向かって走りだした。
そして拳を突き出した。
左手で待ったのポーズを取りながら躱す槞牙に、柚菜が連続で拳を繰り出す。
やがて右側からのストレートに対応できずに頬に直撃した。
だがその拳には力が入ってなく、触れただけの感覚だった。
本気の拳の代わりに、柚菜が言葉で打つ。
「右腕、骨折してるだろ? 姉貴が原因だよな……」
「見破ってたなら早く言ってくれ」
槞牙は首をうなだれ、溜息を吐く。
柚菜は鬱々とした表情で、聞き取れない音量で囁いた。
「ごめん……なさい……」
槞牙は左手で後頭部を掻き、いつもの柔らかく崩した顔で答えた。
「違うな。繞崎槞牙って男の骨折の原因は女子更衣室を覗いた所為だ。柚菜の姉貴と戦ったのは、もっと勇敢な誰かだよ」
柚菜は槞牙の態度に僅かに怒りを覚え、叫んだ。
「そ、それでいいのかよっ!? 怪我までしたんだぞっ! オレを責めればいいだろっ!」
これが本音だった。謝罪の気持ちと、相手の反応。
柚菜の心の中で二つの物事が違う方向に行き過ぎて、苛立ちすら感じていた。
「この俺を見損なうなよ。お前みたいなロリッ子に怒りをぶつける気なんてねえよ。それに……、俺は柚菜の友達とプチご主人様だからな」
しかし気付いていた。そんな情けない自分の感情などを、槞牙が何も言わずに拭い去ろうとしていることを。
だから、嫌いなんだ……。
「バカ……」
そう言った柚菜の顔は晴れ晴れとして明るかった。
そして普段の通りの強気な口調を弾ませる。
「覗き魔のスケベ! いつまで馬鹿なことやってるな!」
「なにぃ? そういうのは被害にあった人間の言う台詞だ。まあ、お前の着替えなど頼まれても覗かんがな」
「この変態! だからオレはお前が――」
柚菜は急に言葉を区切ると、踵を返した。
「嫌いになれないんだよ……」
誰にも届かない声を、茫洋とした青空に、そっと溶け込ませた。
次回予告 リバティー パステル! 【エピソード2:偽りのビネヴォレンス】 槞牙「次回もサービスショット全開だぜ!」