【エピソード1:青い小星・その5】
薄雲の繋ぎ目から光が地面を射し、数本の光の柱が立ち並ぶ校庭。
そこから左側に見える、ごく普通の体育館の裏。
校舎とは違い、木々が多く、生徒達の喧騒なども届かない明眸な空間が存在する。
件の振りを、恋愛モノの小説やアニメでやるなら、八十五パーセントの確立で告白と、十パーセントの確立でかつあげ、四パーセントは連載コードに引っ掛かる可能性で伏せ。
一部を除き、普通はそのようなことが、この場所で行われているのだろう。
そして今は四パーセントに最も近い男と、外見はどう見ても小学生の少女が対峙し、残りのパーセント分を埋めた。(正確には作った)
「嫌いだって言ってんだろ! さっさと消えろよ!」
尚も辛辣な声――もはや激声に近い声の柚菜。
「いやだね。俺にはお前を修正する義務が出来ちまったからな」
反対に優然とした口調で答える槞牙。
「消えろ!」
「いやだ」
「消・え・ろ!」
「い・や・だ」
何とも低レベルな言い争いが勃発。
「消えろって――」
「いやだと言ってるだろ」
埒の明かない会話に、柚菜は舌打ちし視線を地面に落とす。
すると槞牙が呆れたようなため息の後、
「友達とかはいなかったのか? 何で自ら遠ざけようとするんだ?」
「か、関係ないだろ……」
あくまで強気な態度だが、先程の声より弱々しい。そんな様子を見た槞牙は、柚菜に分かりやすいように鼻で笑った。
「さては、恐いんだろ? 普段は強気なクセして臆病なタイプってか? あー、くだらな、情けな、在り来たりーっ!」
嘲斎坊にされ、柚菜は再び激昂した。
「言わせて置けば……。オレはお前みたいな馬鹿が、一番嫌いだっ! 大っ嫌いだっ!」
「その台詞は、そのまま返してやるよ」
辺りの空気に変化が生じる。
触れても何の変哲もないはずの空気が、肌を刺すようにまとわり付く。
鬱然としている木の側は、不自然に揺れる。
柚菜は、その可愛らしい顔からは想像もできない程の、怒りに満ちた表情を表す。
一陣の風が吹く。落ちた青葉が二人の間に闖入した。その刹那、青葉は千切れる音を発し四散。
跡形も消え去る。
槞牙と柚菜は互いの位置から中央だった場所で、右腕の側面で博闘していた。
「約束しろっ! オレが勝ったら、オレにはもう二度と関わるなっ!」
打ち合った腕が、反発する力で振動している。
「それじゃあ、俺が勝ったら明日はメイド服で登校で、たっぷりと奉仕してもらうぜ」
二人は同時に後ろに退き、距離をとる。
柚菜は一瞬だけ戸惑った表情を見せたが、すぐさま元に戻り言った。
「ああ、いいぜ! 但し負けたらの話だ!」
槞牙は、深く――とても深くゆっくりと何度か呼吸して気先を整える。
「これで絶対に負けられねえ……」
身体にオーラに似たものを纏い、不快な感覚を与える空気を中和する。
「雫との約束……! そして読者代表でだあぁぁぁーーっ!」
二人の距離がまたもや縮まる。
今度は槞牙だけが相手に突撃し、下方に右拳を繰り出す。
柚菜は顔面に迫った拳を、頭を後ろに逸らして引き込み、その拳を巧みに捌いて力を殺すと、肘から下の関節を固め始める。
槞牙の腕をしなやかに操り、技に持っていく。
だが、右側からの気配に気付き、腕を解いて低い位置の上体を更に落とす。
槞牙の左拳が空を切る。
柚菜は腕が留守になった槞牙の左肩を見て炯眼する。直後、左肩に飛び付き腕ごと引き伸ばす。
槞牙は教室で掛けられた技を思い出し、両足で地面を踏み締める。
――しかし、何かが違う。確かに左足は右肩に付いてるが、右足が首の後ろに回り込んでいた。
そして後頭部に衝撃。
同時に柚菜は槞牙の腕ごと身体を捻る。
槞牙の身体に、またあの時の重量感が押し寄せた。
まるで地面の重力が急に上がり、身体を地面に引き付けるように。
「抵抗すると腕が折れるぞっ! 降参しろっ!」
「冗談……」
槞牙は全身の力を抜くことなく、右拳を握り締め、柚菜を腹部を殴り付けた。
柚菜は顔を歪ませ、腕から離れる。
槞牙は背中を向けて落下する柚菜の腰を蹴り飛ばす。すると柚菜の身体は空中で半回転し、頭を地面に向けた状態で止まった。
「琉蹴烈撃っ!(りゅうしゅうれつげき)」
そして踏み込んだ足と同時に腹部に左肘を突き刺し、次に右拳を打ち込む。
更に身体を一回転させると、加速を受けた右拳を腹部に直撃させた。
柚菜の身体は吹き飛び、後ろにあった木に背中を打ち付けた後、地面に落下した。
衝撃で枝を揺れ、木は騒めきを抑え切ることができない。
凄まじい気力が漂っていた空間に静寂が訪れる。
――先程の技は、本来なら正面を向いた敵を反対向きにして、背中の一点への三連続コンボが正しいやり方だ。
応用が利く自分を誉めつつも、強く非難していた。
格闘技を体得している相手とは言え、女の子にここまでするなんて……。
確かに霧島は生半可な強さではなかった。
関節技を掛けられそうになった時は正直に言って危なかった。
だからといって、許されることではない。やり過ぎた自分が腹立たしい。
取りあえず、保健室に――槞牙は何かを思い出したように身体をビクッと反応をさせ、柚菜に近づこうとした。
だが次の瞬間に立ち止まった。
思わず息を飲む。
前方には俯きながらよろよろと立ち上がる柚菜の姿があった。
口から鮮血を吐き出し、草を赤く染める。
やがて顔を上げ、苦しそうに息を荒げて槞牙を見つめた。
口から顎の辺りも赤く塗られていた。
震える唇が動きだす。
「勝負、は……、これから、だ……」
訥々しながらもはっきりとした声。
「もう勝敗は決まった。無理すんな」
柚菜は頭を振って構えた。身体の状態は顕らかに良くないが、瞳には戦う意志が漲っていた。
槞牙は迷った挙句に拳を構え、地面を蹴って柚菜に接近。
この時の彼には柚菜を殴るつもり全くなく、寸止めして負けを認めさせる手筈だった。
簡単に間合いに入り、当てないよう拳を寸前まで前に出す。槞牙は拳を止めようとした。
その瞬間――
『異様』と表現するに相応しい冷気が槞牙の感覚を支配する。
同時に身体が砕かれるような感覚に襲われ、槞牙の身体は数十メートルは吹き飛ばされ地面に倒れた。
その間の地面には、槞牙の二倍程の身長がある氷の柱が何本も立ち並んでいた。
「……っ!? 力を解放した。近いわね……。」
昼間でも子供の姿が見られなくなった寂れた公園。
そこに一人の大人びた女性が立っていた。
肩で波打つ暗めの青い髪。吊り気味の細い目、アンバーの瞳。きりっとした、怜悧な風貌である。
その女は遠く方角の一点を見つめ、くわえていた煙草を地面に放り捨てる。
唇を堅く結びつけて、走りだし、そして跳躍。
女は民家の屋根を乗り越え、街並に姿を消した。
――洒落になってねえよ。あんなアニメやゲームでよく使われるファンタジーな技を出しやがって。
……死ぬのかな、俺? 初っ端なからこれは正直きつい。ごめんな、雫。約束は守れそうにない。
もう何も考えられなくなってきた……。
――柚菜は狼狽していた。『普通』の人間を相手にやり過ぎてしまったからだ。軽快な足取りで倒れている槞牙に近寄り、片膝を着く。
槞牙から受けたダメージは、まるで何事もなかったように消え去っていた。
「死んじまったよな。やっぱ……」
重々しく言うと、渋面する。
「誰が、死んだって?」
その時、不意に耳朶に触れた声に驚き、柚菜は大きい目を更に見開いた。
そして槞牙を警戒するように俊敏な動きで離れた。
「えっ……? な、何で生きてんだ? お前……」
「決まってんだろ! 俺がスペシャルだからだよ!」
槞牙が右拳で空に打つ。
すると空気の流れが変わり出す。
発生した風が雑草を切り裂き舞い上げ、柚菜に衝突するとスカートも盛大に舞わす。柚菜はただ驚愕するばかりだった。
槞牙は足で地面に衝撃を与える。
すると風速十メートル級の速さで柚菜の前まで移動し、拳を突き出した。
その拳は『風を切る』なんてものではない。
目に見えるほど激しい気流の変化が拳から生じている。
拳に反応した柚菜は、両腕を前でクロスして構える。直後に轟音。柚菜は両足で地面を擦り数メートルは飛ばされた。
止まると同時に靴底から砂煙が上がる。
槞牙の拳の周囲には、緑色の糸の形状をした光が四散していた。
「力が漲ってくる……。さあ、戦闘再開と行こうぜ。霧島ぁ!」
「ま、待て! お前はその力の使い方を知らないんだろ? 無闇に使用するな」
槞牙は得意気な笑みを浮かべて答えた。
「使い方なんて知らねえけどなぁ。こういう状況での覚醒は主人公ランクの人物がすることだから、心配は終わった後にすればいいんだよ!」
「むちゃくちゃだ! お前っ!」
槞牙は距離を詰め、回し蹴りを放つ。
柚菜はその場で跳躍。軽く自分の身長の何倍も飛び上がり、掌に冷気を収束する。
「カートル・アイシクル!」
集めた冷気を地面に落とすと、そこから先程と同じ氷の柱が発生した。
槞牙は迫りくる氷を後ろに跳んで避ける。
しかし、いつの間に後ろに先回りしていた柚菜が背中に組み付く。
両腕で槞牙の左腕、両足で右腕を捕らえて動きを封じる。
「食らえっ! 氷冷のクロストーチャ!」
更に凍り付くような冷気が、槞牙の身体に襲い掛かる。
「ぐわぁあああああああああああ!」
寒いと云う感覚を超え、激痛が走る。身体が軋む。
槞牙は意識を集中し、自分の周囲に『壁』を出す。
柚菜が見えない壁に弾かれ、宙に投げ出される。
矢継ぎ早に右拳で虚空を突く。
すると野球ボールくらいの大きさの衝撃波が柚菜に直撃。
柚菜は地面に激突する間近、体勢を立て直した。
そして両手を胸の前で近付けると、そこから青い光が現れる。
おそらく決着の一撃。
本能で暁悟した槞牙も両手に赤色の光りを集めた。
柚菜は青い光を両手で潰すと、左右の二つに分かれた光を握り締める。
「いくぞっ! 槞牙っ!」
「来いっ! 柚菜っ!」
柚菜は右の掌を地面に押しつける。
「カートル・アイシクル……。フルパワーだあぁぁぁぁぁーーーっ!」
残った左の掌を手前に突き出すと同時に、氷の柱が凄まじい轟音で唸りを上げた。
氷の柱には無数の鋭利な氷の刺が突き出ていて、どんな物体でも串刺しに出来そうな凶悪な姿だった。
しかし槞牙は怯むことなく、左手を隠すように構えた。
氷の柱が二歩手前に迫った瞬間、足を前方に踏み込んだ。
「うぉおおおおお!」
激突の間際に光を纏った左拳を氷の柱に打ち付けた。拳は氷を突き破り、槞牙は切り開かれた道に肉薄していく。
氷の柱は、まるで槞牙の拳を避けるようにして二方向に分担した。
最後の柱も突き破り、間合いに入った槞牙は柚菜に向かって右手の拳を放つ。
拳は顔面に迫り、柚菜は思わず目を瞑る。
ハンマーのような打撃――ではなく、槞牙は柚菜の頭にポンッと手を乗せ、蒼昊に負けない爽やかな笑みを浮かべて言った。
「ナイスファイトだ! 柚菜」
それから頭を優しく撫でた。
柚菜は顔を耳まで真っ赤に染めてから、手をはね退ける。
「き、嫌いだって……、言ってる……だろ……」
逡巡したのか、語尾が口籠もる。
その様子に槞牙は相好を崩して笑う。
「わ、笑うな!」
「すまん。で、でもな……」
場の空気を完全に和ます、止めの破顔一笑。
柚菜も最後には微笑んでいた。
戦いを通じて分かり合ったもの達の間でしか存在しない、居心地の良い空間になる。
「青春ごっこは終わったかしら?」