【エピソード6:兄として……。妹として……・その2】
あれだな。
男子側からすれば非常に理に適ったコミュニケーションでも、女子側からすれば単なる変態行為であり、攻撃の対象となってしまう。
後は邪険に扱われ、陰口を叩く上での絶好の食材。有ること無いこと、如何様にも調理される。
しかし考えてもみたまえ。
俺様は純真な心の成分が、身体の九割を占める男。そんな男が異性との交友に長けている訳がないんだよ。でも、やらなきゃいけねえから、こうやって方策を絞りだしている。
決して測ってなどいない。結果的にそうなってしまったのだ。
文句は作風に言え。作風に。
以上を自己弁護とし、これから全く関係ない本題に移ろう。
要は、こう言いたい。
最近のエロネタ循環パターンと物語進行に飽きてきた。最後は女子の主要キャラにボコボコにされて気絶。でもって、早くも放課後で本編。なぜか授業風景が端折られる。
少しはパターンから外れて、この俺様のモテモテ学園ヒストリーを読者に見せてやろうじゃないの。
どうよ? この俺様からの貴重な意見は。
大事にしないとな。なんたって主人公なんだぜ、俺は。
早くも放課後。
槞牙は不服な顔で建物の前まで来ていた。荘厳な佇まいに、やたらと高価な外装をしている。
そこは礼拝堂だ。
槞牙は溜息を吐き、
「ここは相変わらず豪華だな。ってか、もっと予算は有意義に使えよな。例えば、プールの下に超小型の水中カメラ装備とか」
などと、恐れ多きことを口走る。
独白をそこそこに、音を立てずにドアを開け、中を確認する。すると案の定、中央に人影が見えた。よく見知った後ろ姿の赤髪だった。
跪ずき、こちらに背を向けながら、祈りを捧げている最中だ。
実は瑠凪が登校拒否を止めてからも、こうしてちょくちょくとした様子見を繰り返しているのだ。
……いつも通りか。
安堵しつつも、どこか寂しい感じもする。
……何と言うか、もっと馴染んだりとかできねえかな?
確かに不登校の頃と比べれば、人当たりも柔和になり、楽観的な学校生活を送ることが出来ていると思う。それは一重に〈パステル〉によって繋がれた仲間の存在のお陰だろう。
しかし、それでも瑠凪は皆から一線を引いている。日頃の言動などから、嫌でもそう看取できる。
同時に無力感に苛まれていた。傲慢な言い方だが、たった一人の女すら満足させられない。
与えることができないのだ。心から安らげる居場所を、だ。
役立たず、と自分を罵る単語を思い浮かべようとした瞬間、
……あ。
槞牙の視界に入ったのは、微熱を与え続ける左手首の物体。〈パステル・リング〉だ。
これには瑠凪の想いも含まれている。思考の直結が、無意識に想いを引き出だした。
想いは胸襟で言語となって。
『あんたらしく、やりなさいよ』
口調自体は、にべもしゃしゃりも無いもの。だが、とても温かかった。
彼女のこの感情は槞牙にしか解らず、また、槞牙以外には向けられない。
この世界で、共有する者が稀有となる想いの一つである。
槞牙は陰鬱となっていた考えを追っ払う。
……俺らしくだな。
代わりに受け入れた想いに後押しされるようにして、口を開いた。
「聖戦士たるもの、背後には気をつけろよ?」
「なっ……!」
瑠凪は釣られた魚ばりの勢いを全身で表した。背中は驚きからくる振動を伝い、肩がそれを受ける。足は伸び上がり、腰には瞬時の回転運動を加えた。
解りやすくいえば、ビクッとなってスタッと立ち上がりクルッと振り向いた。 怠惰のオノマトペー連射だが、気にしてはならない。
「居るんなら声を掛けなさいよ」
刺のある声で言い切ってから、何かに気付き、背中を見せた。腕を目元の高さまで上げ、擦る仕草をする。
隠したものの、槞牙は確かに見ていた。瑠凪の目元に水気があったのを。
だから、焦った。
「な、何も、今更になって泣くことないだろ。しかも一人でさ……。このままだと千年後には、日本人は二十九人になるんだぞ? ――いやそうじゃなくて……あのことで、そんなに傷付くなんて瑠凪の性格では有り得ないと踏んでいたんだが……ってか、ごめん」
主旨の定まらない長広舌を聞き、呆然とする瑠凪。 数秒の間を持ってしてから、やがて、
「ち、違うわよ! そんなことで、あたしが泣くわけないでしょ!」
「へ?」
間抜けな声を出す槞牙。 違ったのか、とまた内心で安堵しつつ、思考は次へ。
ならば一体、どのような理由からなのか。
祈りの現場と涙。両方とも瑠凪には似合わないが――
槞牙はハッとした。
そしてズボンのポケットから、そっとあるものを取り出し操作する。
「それじゃあ、なんで泣いてたんだ?」
急に冷静な口調で会話を繋ぐ。
「そ、それは……」
目を伏せ、口篭る瑠凪。 彼女にしては珍しい動作である。
……あと一押しか。
槞牙はそんな瑠凪の心情を理解した上で、敢えて落胆した様子を表現した。
溜息を吐き、肩を大袈裟に沈める。
「いいんだよ、瑠凪……。悪いのは俺だし、それを理由で泣いても誰も変に思わない。だから嘘はつかなくていいぞ」
台詞は沈痛さが漂うが、口調はその場に合わない気楽なものだということにも、瑠凪は気付いていないらしい。
だから違うわよ、と前置きし、ややあってから躊躇いを解いた。
「あたしは……あたしは、お父さんが心配で泣いてたのよ!」
瑠凪の激白が礼拝堂の空気を埋め尽くした。
彼女は赧然とするも、こちらを注視していた。誤解は解けたか、とでも訊きたげな目付きで。
性格上、言いたくは無かった筈だが、今回の誤解も同等に恥ずかしかったのだろう。それなら一時の恥を耐え忍ぎ、本心を伝えた。記録にも残らないのだから。
だが槞牙は口の端を吊り上げた笑みを作る。目は完全に悪戯モードだ。
瑠凪もそんな気配を察し、怪訝顔になる。
「な、なによ……?」
「ふっふっふっ……進藤瑠凪よ。見事な叫びだったな。さあ……リピーーーーーット!」
後ろ手で操作していた携帯を前に突き出し、スイッチ・オン。
『あたしは……あたしは、お父さんが心配で泣いてたのよ!』
赤みの引き始めていた瑠凪の顔に、赤い自然塗料が上塗りされた。
あれはポストか!? 蛸か!? ほんのり赤みの星から来た異星人か!?
瑠凪は硬直していたが、やがて腕を伸ばしたのを契機に、槞牙への熱い抱擁。 否、正確には、なりふり構わず突進している。ひたすら携帯電話に向かって。
「な、なしてんのよ、あんた! 消しなさい!」
「え〜? せっかく瑠凪の本音を聞ける、素晴らしく貴重な音声なのに?」
「ふざけんじゃないわよ! 頭腐ってるんじゃないの!?」
「うわっ、また言われた! この悲しみを癒すには、さっきの音声を放送室から流すか、赤い髪の美少女の手料理を食べないとなー」
「お、脅す気!? ……いいわよ。毒盛ってやるから、馬鹿を癒しなさい!」
槞牙は迫ってくる瑠凪の眼前に掌を出す。
「口を聞き方を弁えろよ? 進藤瑠凪……。お前の今後の進退は俺様の機嫌次第なんだぞ?」
瑠凪はこれ以上ないくらいに赤くなり、
「バラしたら殺すわよ! ってゆーか、さっさと渡さないと殺す!」
「最近のキレやすい若者はこれだから……。世も末だな」
「キレさせた原因が染み染みと言うんじゃないわよ!」
槞牙は決断した。約一名だけ恐慌状態に陥った場面を収める方法は一つ。
スイッチ・オン!
『あたしは……あたしは、お父さんが心配で泣いてたのよ!』
「いやぁあああああああああああああああああ!」
瑠凪は両方の耳を手で塞ぎ、その場で踞った。羞恥からくる絶叫は、とてもとても爽快。
スイッチ・オン・オン♪
『あたしは……あたしは、お父さんが心配で泣いてたのよ!』
「や、やめてぇえええええーーーーーーーっ!」
首をイヤイヤと振って大絶叫。顔は地面スレスレまで伏せ、もはや悶絶に近いに状態だ。
槞牙は情けない体の瑠凪を肩を竦めながら眺めていた。
そして、
「起きろよ、瑠凪。ったく、情けねえな」
そんな状態にした張本人はヌケヌケと言い、どこ吹く風である。
「あ、あんたね……」
瑠凪は立ち上がり、目の幅いっぱいに涙を溜めて反論しようとする。だが、その声に力はない。
結局は全身の力すら抜けていた。
槞牙は歯を見せる笑みで見下ろしてから、
「音声を消去してやる条件は、もう一つあるぞ?」
瑠凪は、まだあるの、と呟き溜息を吐く。
「……で、あと一つはなんなの?」
「もっと仲間を信じて笑顔で居ろよ」
意外そうな瑠凪を見つつ、槞牙は引き締めた表情を全面に出す。
真剣に見つめ合うと、瑠凪が目を逸らす。
「ま、またそれ? その……いきなりシリアスになるのは止めてよね」
「心外だな。俺はいつでも本気だぜ」
あっそ、と一蹴されるも槞牙は意に介さない。ただ、瑠凪の瞳だけを注視する。
「どうする? ……っと言ってもだな、お前は俺の要求を呑まないといけない立場なんだが」
瑠凪は数瞬の間、目を暝り、開けると同時に腕を組んでから盛大な溜息を、また一つ。
「解った……」
簡潔に答えると、不器用に微笑んだ。
槞牙は、なぜか一瞬その表情に胸を高鳴らせた。しかし、すぐに冷静を装う。 静寂は音の途切れた空間で深く浸透した。
硝子から射し込む陽光は、どこか幻想的な黄金を正面の十字架に降り懸かっている。反射光が瞳に紛れると、辺りが違う土地であるかのような幻覚を得た。
槞牙は光を胡乱な仕草で振り払う。それから携帯を眼前に掲げる。
「じゃあ暫く実践するまで、この音声は預かっておく。約束を違えれば……解ってるな?」
安っぽい悪党の笑みを見せる。
「実はバラす気なんてないくせに……」
瑠凪の微かな囁き。
それは、すでに踵を返して去ろうとした槞牙の背中に突き刺さる。槞牙は勢いよく反転し、
「さては、この俺を舐めてるな? 本当にバラすぞ? いいのか?」
「はいはい……。約束は守るからバラさないでよ?」
「それでいいんだ。それで……」
キレ悪く言った槞牙は、不意に瑠凪の顔を直視してしまった。先程から微笑でいる彼女からは、超然とした余裕すら感じられる。
今度はこちらが目を逸らす番となった。
瑠凪の指摘は有り体に言って、大当りスリーセブンの直球ド真ん中。
勿論、槞牙にはバラす気など微塵もなかった。大切な者を想う気持ちを、面白がって揶揄するなど最低の行いだからだ。
当たり前だが、それだけに忘れてはならない。何があっても。
もしも、そんな奴がいるなら、
……この拳を喰らわせてやる。あ、俺は結果的に励ます為にやったので、特例としよう。自分を殴っても痛いは虚しいは、だ。
当たり前だが、それだけに忘れてはならない。何があっても。
馬鹿な考えを循環させている内に、槞牙は気付いた。祈りを再開している瑠凪に。
小さく丸めた背中は弱々しく思えるが、その実、しっかりとしていた。
槞牙はそれを確認すると、音を立てないように礼拝堂を出た。
外では清涼とした空気が出迎えてくれていた。
大きく深呼吸することで、その歓迎に答え、校舎への一歩を踏んだ。
直射する光は逆光となり、零れ出る槞牙の表情を、そっと隠した。