【エピソード5:エピローグ】
戦闘を終えた一行は、槞牙の部屋に来ていた。
空気は重い。
疲労や悲しみ、自分に対しての憤り。無力感。
それらが混ざり合い、異様とまで思える陰に沈み切った空間となっている。
誰一人として語る舌を持たず、黙考を繰り返している様子だ。
感じていることは雫以外が皆同じ。
完全なる敗北。
槞牙は倒れてから意識を取り戻すまでに、一時間を要した。気付けば、雫がこちらの身体を揺らしながら呼び掛けていた。周りには柚菜、瑠凪、小森が立ち尽していて、見下ろす瞳に活力は無かった。
その後は槞牙がソラを背負い、菻音を柚菜と瑠凪で運んだ。いつもの軽口を独り言のように語りながら。
その口が、思いの外、重かったことには驚いた――
寝ていたソラが腹部を押えて浅く唸る。〈パステル〉同士の戦いだとダメージが深く残るのだろう。
瑠凪は柚菜の怪我を診てやっている。瑠凪自身も浅手だと解る状態でも。
菻音は体育座りで、膝に顔を埋めている。小森は呆然とし虚空を見ている。
雫は訳が解らずにオロオロするばかり。
当然と言えば当然。この暗さは異常だ。
身体と心の両方に傷を負った皆を見て、槞牙の胸を激しく痛めた。胸部付近から針で刺されたような幻痛が続く。
視線を窓に。
去っていくノワールを思い出す。そして下唇を噛み、怒りを抑えた。
……何も出来なかった。
敵の圧倒的な強さ。
己の未熟さと愚かさ。
倒す筈だった。例え見目形が怪物みたいな連中だろう、と。
守るつもりだった。少なからず自分を信頼してくれる奴らを。
それがなんだ。この様は。実力に慢心し、偉そうに他人の事にまで口を出して。結局、自己満足だった訳だよな。情けねえ。情けねえな、おい。
ノワールがその気になれば、全員が殺されていた。
それなのに、お前は何をしていた? ろくに反撃も出来ず、ぶん殴られ、仕舞には倒れた。
敵は倒して、女は守る。それで信頼されて、ああ嬉しいな、ってか。
バカか、お前?
もう一度、言う。
何もかも自己満足なんだよ。大した力も無い癖に。護衛対象にも負けた癖に。
本当は見離されるのが怖いだけなんだろ?
――違う。
そして、こうも思ってる。守れないなら、いっそのこと自ら離れよう。
――違う。
失望されたくないんだよな? それが辛いんだよな? なら、いいじゃんかよ。何もかも無かったことにしてよ。
――違う、違う。
薄情だと罵られても、その先で見ることになる絶望よりは、ずっと良い。
お前はそういう人間だ。昔っからな。
――違うって、言ってるだろ。
何が違う? ビビってるくせに強がるなよ。この偽善者が。
――偽善者?
そうだよ。やること成すこと、丸っきり偽善者なんだよ。このクソ野郎がっ。
――そうなのか……。
否定してみろよ。出来ないなら受け入れろ。それがお前の――いや、人間の本質。これなら迷うことはない。
言うんだ。目の前の奴らに。『お前らと関わるのは、もう真っ平だ』とな。
いいだろ、それで。俺はお前の気持ちを代弁してやってるんだ。だから俺の言うことは偽善者のお前にとっては正しいんだよ。
なあ、そうだろ?
嫌だよな。苦しいよな。逃げたいよなぁ。
――その通りだよ。
槞牙は窓から視線を外し、部屋の中央に戻す。
そして一言。今の空気に似合った声調は揺るがない。
「今日は解散……」
皆の視線が集まる。
俯いていた者は顔を上げ、寝ていた者はスッと身体を起した。
槞牙はそれ以上は言葉を紡がない。今の自分では、紡ぐ言葉がない。
もしも紡いでしまえば、皆との関係は瓦解するのだ。暫らくの沈黙。
その後、最初に行動したのはソラだった。
立ち上がり、一度、全体を見回してから歩きだす。
釣られたように柚菜と瑠凪。次に菻音と雫。最後に、僅かな活力を取り戻していた小森。
無言だった。銘々の表情には些末な違いがあったが、どれも浮かなかったのは言うまでもない。
静寂となった部屋。
重い空気は依然として留まり、解消される様子もなし。
槞牙は洗面所に行こうとして立ち上がる。だが次には膝が崩れた。
背中が壁に激突し、僅かに痛みを感じる。
だからかな?
何だか、頬に水気がある感覚がするのは。
痛いな。背中が痛い。背中が痛いんだ。他の部分は正常なのに。正常なんだよ、本当に。
でも涙が、止まらない。止まらないんだ。
もうすぐ、雫以外の面子が帰ってくるのに。
ソラの奴は迷惑にも、雫に気付かれないようアイ・コンタクトしていた。
〈パステル〉メンバーだけて話がしたい、と。
ドアが開く。
槞牙は壁に寄り掛かったまま、頬の水分を拭おうとはしなかった。
最初に戻ってきたのは小森とソラだった。こちらを見るなり、目を伏せた。
ソラは眉を微かに動かしたが、すぐに無表情に戻した。
「ちょ……、あんた……何、泣いてんのよ」
瑠凪が目を丸くしている。背後にいた柚菜も驚いていたが、数瞬後には寄り添うように隣に踞る。
覗き込む紺碧の瞳が揺れている。
「どっか痛むのか?」
優しい言葉と同時に、小さな手がこちらの身体に触れた。彼女なりの精一杯の気遣いだろう。
しかし槞牙の感情を支配したのは、一瞬の激昂。
手を撥ね退け、その行いを無下にする。
「触んな!」
柚菜は思わず身を竦めた。そして、やっと槞牙の放った声の意味が届き、沈痛そうな面持ちとなった。
それが数秒。
今度は嚇怒した表情に。
「馬鹿っ! 喧嘩に負けたくらいで、何をいじけてんだよ!」
「なに……?」
「この……、負け犬! ネクラ!」
槞牙は立ち上がり様に、柚菜を突き飛ばす。
柚菜は地面に尻餅を着く。だが、すぐにこちらを睨み付け罵声を止めない。
「本当、情けないな! 正直がっかりした! お前は男じゃねぇ!」
「この野郎……!」
怒りに任せて拳を振り上げる。
そして勢い良く振り下ろした拳の先を見て、あ、と短い声を漏らす。
柚菜は怯えていた。普段はあんなに気丈な柚菜が。
今は目を堅く瞑り、身を震わせている。
槞牙は最低なことを実行しようとした己を禦した。急速に冷却される脳は送るのは、柚菜への謝罪。
「ご、ごめ――」
それが言い終わる直前、前方から受けた押される力に遮られる。
瑠凪だった。胸倉を掴んで壁に押し当て、
「いい加減にしなさいよ!」
槞牙は痛覚の反応を無視し、瑠凪と目を合わす。
「……え?」
視界の情報から得たのは驚きだった。
瑠凪の顔には当然ながら怒り。怒りなのだが、どこか悲しいような。
『ような』ではない。
彼女の表情は怒りよりも悲しみが色濃いものとなっていた。
唖然とする槞牙に、瑠凪が拳を振り上げる。
抵抗などするつもりは無かった。
他者の気持ちを理解できなくなっていた自分など、殴られてしまえばいい。
そう思った。
拳が顔面に接近する。反射的に目を閉じた。
力任せな一撃――は、来なかった。
見れば、間に割って入った菻音が居た。瑠凪の方を向き、両手を広げて槞牙を庇う体勢となっている。
その身体は震えを隠そうとはしない。
おそらく庇ったことを、瑠凪に責められるのが怖いのだろう。
そんな菻音の背中に、並々ならぬ勇気と覚悟も感じた。あの菻音から、だ。
瑠凪は眉をひそめるも、しかし何も言わなかった。半歩を下がって、腕を組む。菻音は丁寧にお辞儀をすると、こちらに振り向いた。そして微笑。直後に平手が飛んだ。
思いも寄らない行動に、ただ左手で頬を押さえるだけの槞牙。対する菻音は頭を垂れ、ごめんなさい、と一言。
微笑は崩さないまま、続けて、
「そんな槞牙さん……、槞牙さんらしくないですよ」
槞牙が頬に当てていた左手を、両手で握り、
「槞牙さんは真直ぐで、優しくて、ちょっとエッチですけど根は真面目で、挫けるなんて言葉は知らなくて、他人に勇気を頒けて上げられる人です。上手く言えませんけど、その全部を含めて『槞牙さんらしさ』です」
握っていた手を胸元に引き寄せ、そっと触れさせる。
「頒けてもらった物は、少しお返しします。だから元気を出してください」
腕を浅く広げ、微笑を更に濃くし、
「貴方は、繞崎槞牙さんなんですから!」
槞牙は感銘を受けた。
その言葉は強くあり、また温かい。
狭い体内に感情が溢れる。詰まって息苦しいも、何故か心地好い。
菻音がくれた勇気が、胸の中で何倍にも膨れていく、そんな感じだ。
自身の悪とバカみたいな会話をしたのが、ずっと前の事のようだ。ノワールに敗北した事なんて、もっと以前だ。
今なら敢えて言うよ。自己満足だった、と。
そしてこれからは、こう言うよ。自己満足であって行こう、と。
但し、守ると表して、此処にいる皆を重荷と考える傲慢さなどは捨てる。
バカみたいに戦うのも、バカ騒ぎするのも、バカ笑いするのも、一人じゃないんだよ。
そう――
槞牙は深く息を吸い込み、それを吐き出した。大音声と共に。
「うっしゃああああああ! 止めだ! 止めだ! 止めだぁああああ!」
これは雄叫びに近い。槞牙以外の全員は耳に栓をして迷惑顔。
その中にある微妙な表情の変化は様々。
柚菜は驚き半分な笑顔。瑠凪は微苦笑。菻音は先程の微笑。ソラは薄く笑い。小森は、断片的のほほん笑顔。
槞牙は一人ずつに目線を配ってから、紡ぐ言葉を持った。
「よく聞け、お前ら! 今から俺たち〈パステル〉使いは、〈プテイレイン〉のネクラ陰険バカ野望を阻止する為の矛になる。同時に盾となる。……全員でだ!」
また大きく息を吸い込む。吐き出すものに、耳朶で理解できる意を込めた。
「ここに宣言する! 今、集いし者達が〈チーム・パステル〉であると! そしてリーダーは、俺っ! 文句のある奴は前へ出ろっ!」
同時。全員が一歩前に足を出した。
槞牙はズッ転けた。オーバー・アクションで。
「お前らなー。折角、人が格好良く決めたのに……」
『左手』を頻りに動かしながら、正面を見る。
「それに菻音。お前まで……。そういうことすると、この膨よかで触り心地のいい胸が……、胸が実に憎らしい」
「へ? 胸って……にゃひえあ!」
槞牙の左手は確実に菻音の胸をロックオン状態で攻撃していた。
転がすように揉みまくる手を菻音は弾く。顔を真っ赤にして胸を隠し、目の幅いっぱいに涙を溜める。
「なんで揉んでるんですか!?」
「ちょっとエッチなのが、俺らしさだろ? ……だから早速、俺らしぃー!」
「ちょっとです! ちょっと! これは激じゃないですか!」
「甘いな、菻音。エロ系絡みな男女の『ちょっと』は、些末でありながらも広大なのだよ」
「矛盾してますぅー!」
槞牙は高笑い。そのテンションに歯止めは効かない。手に〈パステル〉を纏い、いきなり放出する。部屋に突風が吹き荒れ、柚菜、瑠凪、菻音のミニスカート軍団が一斉に嬌声を上げた。
「何すんだ! このドスケベ!」
柚菜が食って掛かる。
「何って……柚菜は青、瑠凪は黒で菻音は白。つまり此処が戦場なら〈チーム・パステル〉の内の三人は既に死んでいる。良かったなー、そのことに気付けて。うん、うん」
意味不明。一人ごちに感慨深く頷く。脳内解釈は、まだ終わらない。
「そうだ! これからは、そういうルールで模擬戦をしよう! それがいい。今度は詳しく描写して――ぐはぁ!」
瑠凪の蹴りが側頭部に直撃した。
「頭、おかしいんじゃないの!?」
「まあ、落ち着けって。別に柚菜と瑠凪に関しては、さっきのが初めてではない。公園で倒れた俺の近くに立ってたろ? あの時、実は見えていた。安心しろ」
何をどう安心するのか知らないが、当然、連打。私刑は確実。
「リーダー就任直後で悪いけど、もう殉職しろ!」
柚菜が追い打ちを掛ける。二人からの仮借ない踏み付けに、槞牙は虫の息。
更に陰影が覆う。菻音のだ。頭上に赤い火の玉を構えながら。
「おわっ! 菻音がそういう子だったなんて、ショックだぞ?」
「今日だけは、雫さんに代わって天誅ですぅーーーーっ!」
「ほぎゃああああああああああああああああ!」
菻音が放った最大級の〈パステル〉を受け、槞牙は昏絶した。
燃え粕になった槞牙は置いといて。
ソラは収集した場を見渡しす。皆の表情は、どれも安堵に染まっている。
あんなに重かった空気が、嘘だったように軽くもある。
ソラは両の掌を拳大の距離を取って向かい合わせた。〈パステル〉を収束させ、間に黄色い光のリングを形成する。そして目を見張っていた周囲に声を掛ける。
「手伝って貰えるかしら? これから槞牙用のお守りを創るから。貴女たちは『これ』に〈パステル〉を頒ければいいだけ……」
リングの発光具合が強まる。小森以外が掌を向け、〈パステル〉を集めていくのを見てから、
「何か想いを込めてもいいわ。但し、相手に伝わるから言葉は慎重に選んで」
右から柚菜、瑠凪、菻音の順に視線を持っていく。
「な、何であたしを見るのよ?」
「さあ。……何で真っ先に意識するのかしら?」
渋面を作る瑠凪。
「特にないぞ」
簡潔に言う柚菜に、ソラは答えを返す。
「無いならいいわ。後からでも継ぎ足すことは可能よ」
今度は菻音を見た。菻音は何やらぶつぶつと呟いている。
ソラは疑問に感じ、耳を傾けた。
「……運勢が上がりますように。特に恋愛運が……」
「…………。言っておくけど、占いではないから」
菻音は、え、と発してから、がっくしと肩を落とした。
ソラは小さく溜息を吐く。同時に肩を突かれ、その方向に目をやる。
「あのー、わたしもいいですかー?」
小森が興味津々といった面差しで訊く。
「勿論よ」
わーい、と口に出して喜び、リングに掌を寄せる。
リングが多色に染まっていく。
柚菜の青。瑠凪の白。菻音の赤。小森の緑。
それらが混ざりあって、強烈な光を生み出す。
渦巻く多彩。その輝きは、凡そ地上に存在する物体の全てを凌駕する程に美しい。
ソラは内心で驚嘆した。
こんなに綺麗で純度の高いの〈パステル・リング〉が出来るなんて……。
もういいわ、と合図すると皆が一斉に手を引き戻す。そして全員が完成したリングを見つめ、感嘆の息を漏らした。
どこか恍惚とした瞳。これほどの輝きなら無理もない。
ソラは不意に口の端を吊り上げた。四人の表情が可笑しかったからではない。
何だかんだ言いつつも、想いの波動を感じていたからだ。間違いなく全員が何かの想いを込めた。
今の段階なら中身を確認できる。
……でも、それはフェアじゃない。
ソラは閲覧したくなる衝動を無にするため、素早く槞牙の左手首にリングを装着した。これで槞牙以外に想いや記憶は伝わらない。
「今日は帰りましょ?」
ソラは同意を求めた割には、他を一瞥もせずに歩きだす。
ドアを開く。
力のある涼しい風が吹き抜け、肌を冷やかに包む。
一歩を踏み出したソラは、近くに人影を確認した。そこには無いはずの影をだ。
「っ……!?」
その人物を見てるや否や、一瞬だけ思考が停止。
後続も、つい足を止め息を呑んだ。
菻音が目線を地面に落としながら、静かに呟く
「雫さん……」
強風に流された声を雫は無視した。代わりの言葉は疑問。
「〈チーム・パステル〉って、何……?」
弱々しいが、今のソラたちには、例え聞こえずとも理解できる。
「ねえ……、何なの?」
猜疑的な口調。
対する全員が沈黙を守った。
ソラは再編した思考を高速で駆け巡らす。そして、一つの結論を導き出した。
もう、隠しても意味はない。
ソラはゆっくりと息を吐き、答えに繋がる第一声を紡いだ。
「ボクが説明する」
何だろう?
左手首の辺りがやけに温かい。
それに其処から複数の優しさが流れて来て、絶対的な安堵を教えてくれる。
気持ちいい。心地いい。最高の気分だ。
あとは、この意志。言葉。記憶。想い。
どれにも似ているようで離れているような、そんな物が脳に伝わる。気恥ずかしくて、擽ったい。
他人が所有するなら、間違いなく羨望してしまうだろう。
ダメだ。込み上がる満足感が押さえられない――
槞牙は目を覚ます。
自分の部屋に居たのは覚えている。確認しきれないのは状況。
一人だ。皆は帰ったのか。しかし視覚で解っていても、身体が認めない。特に左手首は、その思考を否定している。
「何だこりゃ!?」
槞牙は否定の意志を感じる部分を見て驚いた。
自分の手首に、見知らぬ物体が。見目形は綺麗だが、それでも焦る。
思わず右手で掴む。
すると気を失っていた時の安らぎが全身に響いた。
槞牙は『これ』が違和感の正体だと悟る。
『これ』が、誰もいなくても『あいつら』が隣に居る感覚を近似させているのだ。
思うことは一つ。
……最高だぜ。
そう。これからは独り善がりではない。守るという、思い驕ることもしない。
皆でだ。〈チーム・パステル〉の面々で自己満足して行こう。
そう決めた。
皆は自分の想いに答えて、解りやすい形に残してくれた。
……最高だぜ、お前ら。
槞牙は窓を開け、ベランダへと躍り出る。
叫ぼうとした口を必死に制止させ、穹窿を仰いだ。
空は現在の心と共鳴した、見事な快晴。
爽やかな空気を体中で吸い取り、次には高く拳を突き上げた。
有余る歓喜を全ての息吹に頒けるように。
ありがとよ。みんな……。
次回 リバティー パステル! 【エピソード6:兄として……。妹として……】 槞牙「次回もサービスショット全開だぜ!」