【エピソード5:夏だ! 祭りだ! コスプレ喫茶だ!?・その6】
槞牙は身を低くした状態で着地した。折り曲げた膝の下、靴が地面を削る音を立てる。
視界の安定させると、前方を見た。すでにソラが戦闘を行っている。
相手の拳を躱して懐に入ると、踏み込みで跳躍。同時に掌底で顎を突いた。
完璧――のはずだが、ノワールは痛と報せる表情一つ無し。
ソラが相手の手刀を避けるのを確認する。
それを契機に槞牙もノワールへと突っ込む。足に〈パステル〉を纏い、飛び上がる。上ではなく、前に傾斜を付けて。
身体に速度を維持し、ノワールの頭を狙い右足を水平に薙いだ。
これは空を切っただけ。
反対側へ着地。反転から再度、突撃する。
ノワールは右手を振り上げた体勢となっている。その右側の脇には、ソラが回り込んでいる最中だ。
槞牙は背後で瞬時に起こった事態を把握した。
ノワールは突き上げた拳を外れたのだ。
……ならば、次の行動は。槞牙は右の拳に力を集中させ、全力で脇腹に打つ。同時にソラが反対側の脇腹に蹴りを加えていた。
連携での攻撃。その有効性を確信した槞牙の顔に、余裕の片鱗を覗かせる。
しかしノワールは反撃に出ていた。槞牙は襟首を掴まれ、内側に一気に引き寄せられる。
反対からは、もう一人。
強制的にソラと正面衝突。ソラの身体は激しくバウンドをしている。
矢継ぎ早に槞牙の腹部に衝撃を受けた。身が折れた姿勢のソラが遠ざかる。
槞牙は、すぐさま両足に地面の感触を思い出させた。直後に打撃音。何かが地面に激突した音。答えは正面。
ソラがノワールの腕によって地面に平伏している。後頭部を掴まれ、顔面から叩き付けられていた。
槞牙の表情が怒りに歪む。足場を穿って跳躍。
刹那、ノワールの懐まで接近する。
ソラを叩きつけている左腕を弾き、右の拳を腹部に突き刺す。
微小後退。左足を軸に身体を回転。回し蹴りを放つ。連撃は止まらない。吹き飛んだノワールに体勢を整える暇も与えずに、両の拳でラッシュを掛ける。
腕だけの弱攻撃と、腰の入った強攻撃を織り交ぜた攻めである。スピードとパワーで生む拳の嵐は避けにくい。
数発の拳を食らっていたノワールの口元が、不意に悠然とした。そして前方に右手を出す。
すると槞牙は黒い風の破裂を目にした。直後、身体が押し戻される。
離されたノワールの周囲。黒色の残滓が軽く渦巻き、やがて消失する。
ノワールは両腕を組み、余裕を表すポーズ。対する槞牙は叫んだ。背後のソラへ。
「今だっ!」
その声を合図にソラは手を掲げた。それと同時にノワールが視点を下げる。
気付いたのだ。足元で発光する黄色い線が収束された円陣に。
「方陣雷旋っ!(ほうじんらいせん)」
ソラの言葉に呼応するように、激しい雷撃がノワールを襲う。地面を裂き、空を圧し、無数の閃光が中で暴ける。
ソラは更に右手に〈パステル〉を溜める。だが、それを槞牙が制した。
彼女は怪訝な顔で、こちらを見てくる。
「もう一回、『雷破閃』をやってくれ」
「でも、『雷破閃』では威力が――」
「いいから」
槞牙は自信に満ちた瞳で、ソラを見据えた。
口を開き欠けたソラは、ややあってからそれを閉じた。何かを思い返した表情で。代わりの返答は頷き。
槞牙も頤を僅かに落し、返事を受け取る。両手に青い光を発生させ、力を集中し拡大させていく。
「柚菜。お前の技、使わせて貰うぜ」
ソラも両手に黄色い光を集め、前方の虚空を弾いて打ち出した。
「雷破閃っ!」
「カートル・アイシクルっ!」
飛び出した二色の光。
青は氷の柱を具現化し、標的に突き進む。先行していた黄色を砕いた。
否。砕いたのではない。取り込んだのだ。
氷柱の表面に一縷の波線が無数に取りつき、一つの型を成した。
轟音が響く。周囲に舞い上がった小石を食らいながら、停止したノワールに。
一瞬にして、巨躯が爆発した光に飲み込まれた。
「す、凄い威力だわ……」
ソラは、珍しく目をパチクリさせて驚く。
「名付けて『槞牙様、お慕い申し上げますわ』アタックだ」
地上最悪の技名に、眇になるソラ。
「……二度と使わない」
「またまた〜。実はそう思ってるだろ? だがな、ソラ。俺はお前の気持ちには答えられない。十年後に乳と尻が立派に成長できたなら別だが……」
もはやアホは無視。
そしてノワールが存在していた方向に目をやる。
〈パステル〉の光は既に消え、残ったのは衝撃で吹き飛んだ荒地。ノワールより前の地面は一直線に削れ、後ろは扇形に拡散していた。
槞牙も戦闘の余韻に浸った。惨状を脳裏に焼き付けて。張り詰めていた心情を清掃する息を吐く。
「あっちの爆乳コスプレ推定年齢二十歳は大丈夫か?」
それから小森に寒心の念を向け始めた。
その時――
辺りが再び殺気に包まれた。ドロドロと肌に擦るような、堪え難い空気。
いち早く動いたのはソラ。素早く踵を返す。それが、敵を背後にいることを教える。
槞牙が身を反転させたの同時、ソラが宙を舞う。
見ると、黒い波状の光が彼女の身体を分断させていた。正面では、ノワールが手刀を振り終えている。
槞牙は瞳が映し出した信じられない光景に、反射的に体中が悲憤を訴える。それは、すぐさま変化した。
全身から溢れる怒りと憎しみに命令される。こいつを殺せ、と。
槞牙は腕を振りかぶった。拳の先は、今までには無かった暗色で支配している。だが、不意に拳が停止。その理由は、先程の映像の真実を知ったからだ。籠もった黒い感情が和らぐ。
分断されたソラの身体は、光となって四散した。
本体は、ノワールの頭上で確認できた。
ソラは、強大な光を振り下ろす。槞牙にも放った必殺拳だ。
「降雷烈衝撃っ!(こうらいれっしょうげき)」
白光が全ての視界を埋める。空気が肌を上方に擦り、吸い込まれるように移動しているのが解る。瞬間的に生じた破壊の圧力に、空間自体がおかしくなっているのだ。
槞牙は何とか目を開き、前を見る。白光の中に、黒い球体。球体の天井が発光源となっていた。
正逆の色は互いの力を誇示する。押し返す力が加わり、風が回転を始める。
風は勢力を増して竜巻となると、槞牙はそこから弾き出された。
遠巻きで知るのは、力。まさに力。それ以外で表現できる言葉は無し。
やがて凄まじい力の搏闘は、自然に消滅した。
槞牙は、正常となった視界で勝敗を確認。結果は願ってもないもの。
ノワールの拳が、ソラの腹部を空中で捉えていた。赤い液体が巨躯を彩る。
投げ捨てられた、その身体に力は無い。地面に落ち、それきり動かない。
「ソラァアアアアアーーーーーッ!」
叫びは行動となった。
槞牙は瞬時にノワールの直近まで寄る。そこから拳を突き出した。
拳は黒い障壁に遮られる。打ち破ろうとするが、障壁の強度は、こちらの拳の威力を遥かに凌ぐ。
苦戦する内に、障壁の中から腕が突き抜け、首元まで伸びてきた。
掴まる。軽々しく浮き、そのまま投げられた。
槞牙は受け身の姿勢から、すぐに立ち上がる。
巨大な影が身体を埋めた。ノワールが音も無く接近している。
次に砕かれたのは地面。跳び退いた槞牙の頬に、弾けた砂が当たる。
だが、構ってはいられない。
緑の光を、破砕の中心――ノワールへと放つ。
ノワールは腕を軽く横払いにし、光を掻き消す。
槞牙は着地した足を無休で踏み込み、前へ出た。しかしノワールの正面ではない。
左斜めに深く。八時の方向。横目では発見しにくい位置に。
到着と同時に反対側へと跳び移る。その一秒後にはノワールの斜め後ろを取った。更に高速のステップを踏み、周囲を駆け回る。
こうした速さを生かした機動は足に纏った〈パステル〉のお陰である。
圧倒的な腕力と〈パステル〉の力。普通に力押しで戦っては、到底、勝てる見込みはない。
槞牙は強敵に関しては意外に慎重な男。力量を見定めた上で、相手が持ち合わさない能力で勝負する。そんな裏があればこそ、普段の自信を保っていられるのだ。今回はスピード勝負に転じた。
だが――
ノワールは腕を一振り。見えない衝撃が空を伝い、槞牙に迫る。しかも丁度、動き終わった位置へと。
どんなに早く動こうと、軌道転換時に移動する際にはタイム・ロスが生まれる。それがコンマ何秒でも、ノワールには見切られていた。
槞牙は咄嗟に身を反って躱す。直後に、青い球体を地面に放った。
跳躍。それに感応するように、青い球体も跳ね上がる。かつて、菻音との戦いで使用し決め手となった技だ。
ノワールは瞬時に両手で受け止める。
「だが……、頭がガラ空きだぜ!」
高度を落しながら、拳を振り下ろす。このままの軌道で落下すれば直撃。
しかし身体は思わぬ動きをした。後退していた。跳躍してきた方向に。
障壁によって吹き飛ばされていたのに気付く。
「変わった攻撃だな」
ノワールは低く威圧する声で言う。
自分の掌では、勢いが削がれた青い球を制御していた。ノワールが喉を鳴らさて薄く笑うと、変化が起きた。
青い球が黒へと変色していく。
それを、こちらの着地時の頃合いに合わせて投擲。
槞牙は身を捻って回避の体勢に入る。
その筈だった。
槞牙に接近した黒い球は一瞬で巨大に膨れ上がり、回避を不可能にする。
「ぐあっ!」
思わず呻吟の声が漏れる。黒い球体を抱いた形で、槞牙は宙に飛ばされる。
そのまま勢いは死なず、背後の木に背中から叩きつけられた。
「あああああっ!」
激痛を叫び声に変化させた。
前にも瑠凪にやられたが、今回のは圧縮してくる度合いが違う。
木が軋む音を立て、圧し折れる。そこで黒い球体が空気に溶け込むようにして消えた。
槞牙は折れた木に、しがみ付いた状態で立ち上がっていた。そして乱れる息を、気合いにする。
「うおおっ!」
叫び、ノワールに肉薄した。
「きゃあっ」
短い悲鳴が空に撃たれると、小森は地面に激突した。後頭部は守ったが、背中が激しい痛みを訴える。
明らかに劣勢だった。
相手が恋人だった男だから、本気が出せない。それもある。しかし根本的に小森とロッソの強さには差があった。
荒れた呼吸は整わず、自分が窮地だと教えてしまっている。
ロッソは酷薄な笑みを浮かべると、自慢げに喋りだす。
「ノワールの空間では、私たちの能力は数倍に跳ね上がる。更に怒りや憎悪を増やすことで、瞬間的だが力にすることができる。君に勝ち目はないぞ」
一息の溜めを作り、
「そう。それも哀れな人間を慈悲する君ではな!」
言葉には圧倒的でドス黒い感情が渦巻いている。優しさなどは殺した私憤。
小森の頬には、流れ出た雫があった。ロッソのとは反対の感情。
ただ、果てしなく悲しかった。彼の変貌ぶりが、哀れでならなかった。置かれた状況も、余りに残酷だった。
憐憫と悲懐。その二つが入り混じり、虚しい涙が形成されてしまった。
尚も流れる悲しみの証明。小森は完全に戦意を失った。両の腕で自分の身体を抱き、嗚咽を漏らした。
ロッソが小森に近付く一歩を踏んだ。
その瞬間――
二つの人影が茂みから飛び出した。左右の反対方向から、ほぼ同時に。
左側からは赤い髪、右側からは青い髪の少女だ。
青い髪の少女は、名前まで覚えがあった。
彼女に追われていた時にロッソと出会ったからだ。しかも攻撃で害を被った人間。確か柚菜と呼ばれていた。
良かった。無事で……。
小森は心の底から安堵した。
だが長い間は、その感覚に浸っていられない。このままでは再度、同様の事態になりかねない。いや、必ずなる。
「…………」
伝えようとするが、嗚咽が邪魔をし上手く声にならない。
「カートル・アイシクルっ!」
「イスキューロステイコスっ!」
意志は届かず、戦闘が開始させた。
氷の柱と白光の壁がロッソを挟撃する。
ロッソは周囲にシールドを張って防ぐ。続けて赤色の衝撃波を放った。
残虐な力に満ちた湾曲のそれは、二人に襲い掛かる。柚菜は直撃を貰い、数メートル飛んでから木に衝突する。全身から〈パステル〉が消え、力なく俯せに倒れた。
赤い髪の方は、咄嗟に防御用の障壁を展開したので助かっていた。
倒された柚菜を見て激昂した彼女は、ロッソの懐に踏み込んだ。
そこからは水の流れに似た、流麗な格闘。数回に渡り仕掛けるも、呆気なく避けられ、終には動きを間断された。
小森は見た。
ロッソが彼女の首を狙い手刀で突こうと構えるのを。同時。小森は右手の表面が緑色に光る。するとロッソの周りを光線が包囲した。背後に跳躍したロッソを追跡。バリアに遮られも、目的を達した。
赤い髪の少女が逃走する時間を作ったのだ。
「逃げて……」
震える声を何とか絞りだし、相手の耳に届かせる。
しかし小森の意に反し、彼女は逃げなかった。それどころか、再び立ち向かっていく。
そういう性格なの、と思うのも一瞬。危惧が現実に。手刀を避けた少女の足元に、赤い光が差し込まれて爆発した。少女は吹き飛ばされ、地面に臥す。
ロッソの表情は歪んでいる。あれは戦闘で極度の興奮状態に陥った者がする顔。もう昔の彼ではない。
小森はただ口を噤む。上体だけを正面に向けたまま、瞳は虚ろ。膝に力は入らない。
そして涙腺は、渇きを知らない。
菻音は走っていた。
普段とは明らかに異質の世界を。
菻音の脳裏には、嫌な予感が過っていた。遅れを取った為、異空間での状況も解らないので余計にだ。
それに、この世界は息苦しい。風や空が優しさを持っていない。強く感じ取れるのは、怒りと憎しみ。尋常ではない負の感情。
立ち止まり〈パステル〉を探る。
反応は六つ。
近くに二つ。一つはとてつもなく凶悪であり強大な反応。もう一つは微弱だ。
遠くに四つ。その内の二つは微弱な反応しかない。
残る二つは大きいが力の向きが正反対。光と闇のような。今は若干、光の方が弱っている。
槞牙の〈パステル〉を感じないので、小森を含めると人数分ある。
戦況は理解した。
一対一と三対一。どちらかに槞牙を足す。
見極めたら即行動。菻音は近場であり、人数の少ない方に向った。
……邪悪な〈パステル〉を持つ敵は恐いです。でも、槞牙さんや他の皆さんが危険なのに、一人で怯えてる訳にはいきません。
自分を勇気づけ、走る速度を上げる。
鬱蒼とした草木を押し退け、向こうに隠れされた戦場まで。
視界が空けた。
二、三十メートル先。槞牙が巨躯の男と戦っていた。遠目だと詳細は判断できない。解るのは、槞牙が素早く動いていることだけ。
十メートル先では、ソラが倒れている。おそらく敵にやられたのだろう。
景色を目に焼き付けている間に、槞牙の動作が止まった。
巨漢の肘が頬に打ち込まれている。続けて腹部に膝を貰い、膝を折った所で腹部を蹴られた。
宙に弾かれ、身を一回転半させ、背中から地面に激突する。
菻音は二人に接近した。闇雲に。敵を撃退する策もなければ、力もない。ただ許せなかった。槞牙に暴行を加える、あの巨漢が。
彼女を動かしたのは、その想いのみ。
射程内に捉えると、赤い光を掌に収束。
「バーニングアクスっ!」
放射。赤い光は無数の針となって、巨漢に迫る。
その時、巨漢がこちらに気付いた。雑魚が、と叫んで手を突き出す。
すると光の針が消滅し、空気を歪ませる衝撃のようなものが返ってくる。
「え……?」
菻音には攻撃の正体が見破れなかった。衝撃は容赦なく襲う。
強制的に身体が仰け反り、足が地面から離れる。後頭部や背中を打ち付け、数メートル吹き飛ばされてから停止した。
「菻音ぇぇええーーーっ!」
朦朧とする意識の外から、声がする。あの人の声。私に優しくしてくれた声。
今は怒気を全面に押し出している。
顔を辛うじて動かし、正面を見た。
槞牙が巨漢に突っ込んでいる。黒い障壁に阻まれながらも、前へ。間には、行き場を決めかねている力が激しく火花を出す。
「仲間思いだな。また威力が上がった。だが――」
障壁が消える。巨漢は一瞬で槞牙の背中を蹴った。宙に浮いたままの槞牙を上空に突き上げ、自らも跳躍して蹴り落とす。
圧倒的に槞牙は不利。
菻音は無力な自分を恨んだ。
なぜ槞牙を助けられないのか。
なぜ身体が動かないのか。なぜ自分はこうも情けないのか。
消えゆく意識の片隅で、なぜ、と繰り返す。
彼はあんなにも自分の力になってくれたのに。まともなお返しさせ、することができない。
私が弱いから。弱すぎるから。槞牙さんを辛い目に遭わせてる。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。すぐに謝るのは弱い娘のすることだって解ってます。
でも、今は謝ります。力になれなくて、ごめんなさい。
こんな菻音を、許してください。
呑気に立ち上がる猶予する与えられない。
槞牙は立ち上がり様に攻撃を避ける。空を切っただけのはずが、遠くにある背後の木を切断した。
状況は防戦一方。もはや体力、気力ともに限界に近付いていた。
菻音は倒され、援軍もない。小森たちも苦戦しているのか。
意識を取り戻したソラが立ち上がろうと試みているが、全身はダメージにより震えがきている。上体すら上がらない。あの調子では無理だ。
あの腹部への一発が効いている。同時に〈パステル〉を打ち込まれた拳だったのだろう。
俺がやるしか……。
上段蹴りを避け、懐に飛び込む。跳んで顔面に肘打ち。切り返し右拳を叩き込む。
ノワールは左右に揺れた顔を正面に戻し、また薄く笑った。
顔面を鷲掴みにされると、腹部を突かれる。次に顔面から地面に振り落とされる。
もう一回。更に、もう一回。頭が地面を打つ度に、轟音が響く。
血の味がする。頭が割れそうだ。
その行為が止まると、ノワールの手が放れた。直後、顔面に拳を貰った。
強烈な一撃に意識が飛びそうになるも、それを堪える。
槞牙は倒れない。
顎にアッパーカット。腹部への膝蹴り。後頭部へのハンマーパンチ。連打。強打。
まだ倒れない。
ノーガードで攻撃を食らい続け、反撃もするのも儘ならない。
それでも倒れはしない。
「く……っ!?」
そこで両足に異変が起きた。不思議に感じ、一気に視点を持っていく。
動かない足の下。足首の付近に黒い光の弦が巻き付いていた。強引に脱出を試みるも、無理。
焦る槞牙。いつの間にか距離を取ったノワールは、冷然と告げた。
「終わりだ。息絶えよ、〈パステル〉使い」
その足元から黒光の柱が地面から突き出し迫る。終に破壊音は槞牙の足元から噴き出す。
「がはっ!」
衝撃に襲われ、吐血。肺から一気に空気を絞り出されていく。
槞牙はついに倒れた。
薄れる視界。双眸が闇に沈みそうになる。
ノワールがゆったりとした足取りで近付いてくる。
……負けられねぇ。
ノワールが今までの相手とは桁違いに強いの解る。これが訓練なら、このまま眠るさ。でも、これは訓練ではない。今、俺が完全に倒れればソラや他の皆が殺される。それだけは、させない。許容できない。やらせるわけにはいかない。
……絶対に!
槞牙は指令の伝わりにくい身体に何度も言い聞かせる。守のだ、と。
全身から激痛を感じるが無視。
俯せとなり、両手を地面に衝く。上体を上げ、膝を曲げた。震える足を固定し、ぎこちない動作で振り向く。
しかし次には上体が傾斜を得えしまい、膝から崩れ落ちた。
顔を上げる。眼前には、拳を振り上げるノワールの姿があった。
驚愕に値する。
ノワールは何度も最後攻撃の一つ前のラッシュを振り返っては、そう思う。
当然のことながら、一切、手を抜いていない。打撃のみだったが、〈パステル〉を盛り込んだものだ。
普通なら、例え倒れなくても死んでいる。身体を伝う衝撃が心臓にまで行き渡り、絶命するのは必至。
なのに、この少年――繞崎槞牙は死なない。倒れもしなかった。
そして今も、睨み付ける眼は全く死んではいない。
ひたすら純粋に、大切なものを守ろうと奮闘している。気高く、誇りに溢れた戦士。
まだ、出会える機会に恵まれるとは……。
ノワールは拳を下げた。それから踵を返す。
口の端を歪めると、敗者に言い放った。
「その命……、預けておこう」
自分の台詞に自嘲し、記憶を探る。過去から現在まで。結論が出る。
こんなに我が身を興奮させるのは、アイトラとの戦い以来。
率直に言って面白い。それと楽しみだ。この男が完全な敗北をした後が。どれ程の力を付けてから挑んでくるか、が。
挑まなくとも決着はつける。それが、世界の終わる瞬間だ。
また会おう。そして殺し合おう。繞崎槞牙。
静寂を得た空間。背後で微かに何かが倒れる物音がした。ノワールは透かさず愉快に哄笑した。