【エピソード4:ある〜ひ♪ くまさんが……・その4】
そんなこんなで一日の終わりを告げる、低音単調な人工鐘がなるわけよ。
たった今、三行で終わらしたが、この間の過程は凄いものがあった。
題名はソラの暴走。
授業中に叫んで遊ぶ。
走り回って、眼鏡、三つ編み、クラス委員長の黄金スキルを身につけた生徒のスカートを捲る。
眠ったと思ったら、瑠凪に抱きつく寝相の悪さを披露。
そして最後に止めに入った俺が、どういう経過か覚えとらんが雫からの制裁。
こりゃー、近いうちに死ぬな。
空がまだまだ青の顔を覗かせる時間帯。
槞牙は疲労も手伝って帰宅していた。今日の出来事を頭で整理して。
良くあるんだよ。あのタイプにはシマシマ派が。むふふふ……。
鬱陶しい蝉地獄な公園を通り抜け、入り組んだコンクリート迷路を歩く。
そんなコンプリート済みの道――要は帰路を終えると見えてくる新居。
雲を突きそうな紺色の体躯。周りは護衛の役割の壁。見事に高級具合の揃ったマンション。
しかし今日は異変が起きていた。
歩行者が出入りする門の傍。見覚えのある顔が。
「やべぇ、あいつマジでストーカーだったのか……」
その人物は虹野ソラ。
胸の前で腕を組み、堂々と犯罪行為を。
「お前なぁ、さすがに他人んちまで付いてくるなよ。これ、犯罪。冗談抜きで」
ソラは黙って槞牙に視線を浴びせた。
近くまで寄ったところで、槞牙は始めて違和感に気付いた。
先程とは違い、表情がどこか大人び、全体的に『キレ』がある感じになっている。服装も気ぐるみから変わっていた。
「先刻ぶり――いえ、『初めまして』にしておくわ。繞崎槞牙」
しかも、まともな人語を使っている。
「なんだ? いきなりイメチェンか? だったらもっと陰のないキャラにしろよ。あ、でも最初のは止せよ」
「ご忠告に感謝するわ。でも少し違う。ボクはさっきのソラではなく、もう一人のソラ」
「……おーい、戻ってこーい!」
揶揄すると、ソラは露骨に不快顔。
槞牙が当然、訝る視線を送り続けると、分かり易く吐息する。
「仕方がないから、手っ取り早い方法でいくわね」
言い終わると、右腕を前に出す。その直後、槞牙の身体に微弱な電流が走った。
「おわっ!?」
思わず仰け反る槞牙。
ソラは最初と同じ表情に戻す。
「〈パステル〉よ。あなた達と同じ能力者ってことね」
場所は変わって槞牙の部屋。
ソラは礼儀正しく正座をして、出されたお茶に舌鼓を――
「あまり美味とは言えないわ」
打ってはいなかった。
「贅沢いうな。お茶があったこと自体が奇跡だからな」
寧ろ何もない。
人間が暮らしていく上で、最低限のものすらない始末だ。もちろん、サランラップで自殺など出来ない。
「何もない部屋ね」
さらりと、きついことを言うソラ。
「バカ言っちゃいけねえよ。あえて物を置かず、この部屋、本来の広さを活かしてるんだよ」
誉めるところがなく、苦心したあげく、何とか良い感想を絞りだしたリポーターのような口調で槞牙。
そこで会話がパタリと止んだ。まるで夕立の後の静けさ。
槞牙はお茶を喉の奥に流し込み、言葉を続けて本題へと切り出した。
「んで、お前は〈ブラックパステル〉って怪しげな集団に付いて、どれほど知ってるんだ?」
ソラは驚駭を隠せずに、表情が飛び出した。
「驚きね……」
「そりゃ、いま顔で聞いたよ」
「…………」
またまた小学生らしからぬ、大人の不快顔(俗に嫌悪)で対応。
しかしそれも瑣言だと感じたのか、気を取り直す。
「誰から聞いたかは知らないけど、〈ブラックパステル〉と云うのは、見た目で決めた名前であって正確な組織名ではないわ。正確には〈プテイレイン〉。ボクが知る限り、二名の幹部と〈スキアー〉で構成されたテロ組織」
「その〈スキアー〉ってのは?」
「〈スキアー〉は〈プテイレイン〉の量産型主力戦闘部隊の名称。実体は〈プテイレイン〉の幹部が作り出した影のようなものよ」
「要は雑魚キャラだな」
久々の〈ブラックパステル〉、もとい〈プテイレイン〉ね話を聞き、槞牙は溜息で心情を吐露した。
何だってそんなバカでかい規模の組織が登場するのか。しかも、まだ完全に把握し切れた訳でもない。
柚菜の話を聞いた限りでは、ただのエセ〈パステル〉使いの、はぐれ集団だとばかり思っていた。やれ、テロ組織だの量産型主力戦闘部隊だの、ファンタジー世界に一直線だ。槞牙は〈パステル〉を使えるからといって、内心は半信半疑だった。そんな幻想物語は夢から少し逸れた、路線の続きのようなものだと。だがそれも、ここまで深いと終点、現実駅。それでも結局、思うことは一つ。
――随分とファンタジーになってきたな。
珍しく真剣な面持ちで思案する槞牙に、お茶を啜って一息入れたソラが追い打ちを掛ける。
「その言葉も今更ね」
「なっ……!? お前、心が読めるのか?」
「ええ。少しなら」
「ファンタジーだ……。刻一刻とファンタジーだ……」
「だから今更ね」
槞牙の顔が、更に重く深みを持たす。真剣を通り越し、畏怖。
原因は簡潔。
槞牙は自分の考えを読まれまいと、見えない敵と奮戦していた。
巨乳テーマパーク、ハーレム、美術館、エトセトラエトセトラ……。
このままで有りとあらえる願望が看破される。
そんな欲望と名の付いた貿易船は、無情にもソラに届いてしまったようだ。
明らかに瞳に冷気が漂い、面差しが失望で色落ちる。
「何を読み取った!? 正直に言ってみろ!」
「おそらく、君の欲望の大半は……」
ソラは伏し目がちで目線を合わそうとしない。
槞牙は何とか誤魔化そうと、話を方向性を変えた。
「それって便利な能力だな。俺だったら有効に活用しちまうよ」
ニヤニヤと笑みを浮かべ、また一つ妄想が他人に知れた。
「そんなに便利な能力じゃないわ。深層心理は無理だし、相手の気が弛んでないと読めないしね」
「……俺ってそんなに弛んでたか?」
「これまで前例のないほどに」
「…………」
「…………」
二人は湯呑みにないお茶の代わりに、沈黙を飲み込んだ。
近頃、巷で話題の移動式販売のソフトクリーム専門店があるらしい。
雫、柚菜、瑠凪、菻音の四名は、下校途中にその店に立ち寄っていた。
「んー! おいしー!」
雫のテンションは、珍しく向上の一途で決まった。
何段も重なった白亜のそれは、濃厚な甘味が秘めた魔法の塔。女性の鋭い味覚を刺激するは、天性の才能。雫は思った。
今度はお兄ちゃんと一緒に食べたいな。でも二人じゃ寂しいから、お爺ちゃんとお婆ちゃんを誘って四人で。きっと楽しくなる。それで仲良くなったら、また四人で暮らして……。
ふとアイスを舐める舌を止める。
どうしてだろ? いつからこうなったのかな?
槞牙と膳邇は憎み合い、膳邇は嫁とは別居状態で事実上の離婚。その嫁――槞牙のお婆さんに充たる人物は、槞牙のことに付いては我関せずな態度。
幼くして両親を亡くした雫にとって、この状況は見るに堪えない。
ねえ、どうして? 誰か答えてよ!
雫は自分の感情を抑え、普通に振る舞った。
代わりにソフトクリームが、白色の涙を地面に垂らした。
雫の隣。
霧島柚菜もまた、ソフトクリームを心から味わっていた。ついつい頬に弛緩剤。実は柚菜は大の甘党。しかし性格が邪魔してか、このような機会に恵まれなかった。
欲していたものを食べる無上の喜ぶ。現在、幸福絶頂だ。
柚菜は思った。
また食べたい。でも一人だと恥ずかしい。そうだ。今度は槞牙を連れていこう。アイスを食べ歩きして、商店街に行って、公園で遊んで、ついでに槞牙の部屋でも見にいくか。
……あれ? アイスが食べたいだけだよな?
ふとアイスを舐める舌を止める。
どうしてだろ? なんで余計なことまでするんだ?
機会に恵まれなかったのは、それだけではない。身近に男友達がいて、毎日を笑って過ごし、学園での生活を楽しむ。
そんなありふれたことを、柚菜は体験したことがなかった。
いつからだろ? 槞牙と出会ってから?
柚菜は込み上げる不思議な感情を抑え、普通に振る舞った。
身を崩し始めたアイスを、舌で舐めて止めた。
その隣。
進藤瑠凪も例外なくソフトクリームを味わっていた。舌が懐かしの感覚に驚く。瑠凪は思った。
本当に久しぶりに食べるわ。パフェならデートの最中に食べたけど、こういう系統は断わってからな。何となく世間体が気になるし。また食べたい。でも一人で居ると、その辺のハゲ親父に絡まれる。付き添いがいないと。
槞牙はパスとして、後は……。
ふとアイスを舐める舌を止める。
なんで、あいつの顔が浮ぶのよ?
頭を過った人物は進藤恵。そう。瑠凪の母親。
初めてだったのだ。恵と顔を合わせるとき以外で、恵のことを考えたのは。
最初は怯えるだけの人形だったが、槞牙の説教後に改変。ポジティブ三昧な性格で、瑠凪は呆れていた。
どうしてよ? どちらにしろ、ウザったいはずなのに……。
感情を抑え、普通に振る舞いながらも自問自答を繰り返す。
アイスが初期の状態から、大きく溶けた体たらくとなっていた。
そのまた隣。
白石菻音はソフトクリームに口を付けてはいなかった。心臓が異常なまでに振動し、手が震える。
菻音は思った。
こうしてお友達と一緒に食べるのは、初めてです。食べようとする瞬間まで気付かなかったけど、初めてです。これが、初めてなんです! ぜひ、また行きたいです。でも、雫さん達はご迷惑なのでは? あっ、それなら槞牙さんが……。
そこで菻音は自分を嗜めた。
道場と漫画。この二つに時間を割いてきた菻音には、友達がいなかった。もともと内気なため、性格が暗いと思われ敬遠されていた。それに拍車を掛けたのが上記の事柄。
明るければ、さして問題はないのだが、暗いとどうしても趣味の印象も悪い。それがコミュニケーション社会の常識だ。
だから槞牙が両方を認め、真の自分を見てくれた時は嬉しかった。しかし依存心は良くない。そういった思考は、視野を狭める。小さな世界の住人だ。
ごめんなさい、槞牙さん。私、頑張ります。この方達なら大丈夫です。だってこんなに良い人たちなんですから……。
決意を新たにするも、感情は抑えて普通に振る舞う。無傷だったアイスの城は、日差しによって崩壊が始まっていた。
四人の想いは初夏の太陽を、いっそう熱くする燃料となる。
そんな兆しを見せた。