【エピソード4:プロローグ】
槞牙「待たせたな諸君!恒例となった、前回までのあらすじを説明するぜ。 柚菜、瑠凪に続く3人目のパステル使いの白石菻音が現れた。そこで俺様が当然勝利。菻音の悩みもなくなり、一件落着ってわけだな。俺の腕も治ったし、これで美少女と良い事し放題だぜ!それにしても、パステル使いって奴は、全然大したことない、ない。まあ、俺様が完璧過ぎるんだがな。あーっはっはっは! 繞崎槞牙の快進撃は、まだまだ続きの、ぶっちぎりの、パーフェクトゲームだぜ!」
一人の男子が体育館の裏にある鉄製のごみ箱にごみ袋を投げ入れた。
「これでよし、っと……」
明るめ茶髪に気抜け顔。
繞崎槞牙は両の掌を叩き合わす。
時刻は早朝も早朝。
拳聖流派の頃のくせで、早寝早起きの習慣が身に付いていた。
以前、雫に遅いとの指摘を受けたが、実はその日、槞牙は午前三時くらいから膳邇と修業をしていた。
通常の朝練とは違い、雫には暗々裏にしたものである。
その後、時間を置いての、おそらく二度寝をした。
正確には寝ながら修行をしているため、何度寝なのかは分からない。
お髭さんナックルを目覚まし時計にさせられる彼の生活は大変なのだ。
閑話休題。
なぜ早朝からごみを捨てているのかというと、早い話が尻拭い。
昨日の掃除でごみ捨てを頼まれた菻音の、うっかりポンッ! な特技の所為だ。本当に菻音は絵に描いたようなドジっ娘である。
最近の珍プレーは黒板消しの粉を叩くのに夢中で自身が落下。運悪く下にいた靜馬が犠牲に。
靜馬を覚えているだろうか?
水無瀬靜馬。
槞牙の中学生時代の友達である、真一の二番目の友。第一印象からすでに薄かった一介の高校生だ。
名前を聞いても思い出せない御方は、エピソード2の最初を方を見てください。また閑話休題。
「ったく、しょうがねえな菻音は」
少し呆れた声。
菻音と仲良くなってからというもの、尻拭いは全て槞牙の仕事となっていた。
美女との学園生活は、色々な意味で甘いだけではないようだ。
旭光の勢いを保持したままの太陽は、どこまでも明るい。
直射された槞牙は気怠そうに呻いた。
今の状況で『暑は夏いね〜』といった小学生にも叱られそうなネタを口走れる奴がいるなら、間違いなく槞牙の拳の餌食となるだろう。
槞牙は前方から射す光を遮ろうと、手で双眸を隠そうした。
だが、そのとき。
手ではない他の何かの影が、槞牙の顔を覆い尽くした。
反射的に空を仰ぐ槞牙。
槞牙の頭上では、すでに茶色の物体が落下を始めていた。しかも直撃ゾーン。
身構えた槞牙であったが、躱し切れずに茶色の物体に押し潰された。
衝撃で頭が揺れる。
槞牙は薄れる意識の中、茶色の物体が『のっそ』と動くのを確認した。
暗澹な意識の奧に、今にも消えそうな弱い光がすっと浮き出る。
明かり? いや、この暖かさは……火……?
徐々に接近してくる光は熱を帯びている。熱いほどの――
槞牙は闇に横線を入れ、明るい物体の正体を視界に捉えた。
それはマッチだった。
先端は燃え、持つ方は『丸い手』で器用に支えている。
掌の部分は白く、甲は茶色で爪がある。しかし、どうみても布切れ。
視点をマッチから逸らし、腕を辿って行き、顔に到達させる。
顔は熊だった。ただし、着ぐるみ。熊の怖さが全くなく、マスコット風にされていた。
くりくりした目に、丸い耳。全体はほのぼのとしている。可愛いのだが、今は顔の半分が陰影で染まりダークに見える。
槞牙の視線に気付いても、マッチを近付ける腕を止めない。
マッチが顔の近くまで来た所で、槞牙はマッチを弾き飛ばして叫んだ。
「白昼堂々、証拠隠滅しようとしてんじゃねえっ!」
熊はビクッと片手を口元に当て驚き、飛び退いた。
槞牙も勢い良く起き上がって熊から距離を取り拳を構えた。
よく見れば、その熊の様相はおかしいの一言に尽きる。
首にはなぜだが赤いバンダナを巻き、耳の端にはピアスと思われる金属性のリングが付いている。
一番は背丈と体格。
とにかく小さい。小柄で、頭は槞牙の胸に届く程の高さ。頭といっても無駄にでかい着ぐるみの頭部なので、中身は腰辺りだろう。
「この着ぐるみ野郎。生きる伝説でもある俺に喧嘩を売るとは、運が悪かったな」
熊語は話せないので、張った語勢で勝負。
熊は感情が読み取れるはずのない瞳のまま、大きな円を描くように両腕を廻す。そして身体を斜めに構え、右足を後ろに引き腰を低くする。
廻していた腕を止めると、風圧が微かに砂を持ち上げた。
「てめぇ、只者じゃないな?」
槞牙は相手の秘めた強さを感じていた。
それまで遊園地のマスコットキャラクターぐらいにしか見ていなかったが、今は違う。本物の熊よりやばい相手かもしれない。
だが、こんなヘンテコな野郎に負ける訳にはいかない。拳凰繞崎流派は、売られた喧嘩は『駅前留学』してでも買うのだ。
一瞬にして槞牙の眼前が、熊の顔のドアップになった。
こうして訳も分からず槞牙と熊の激闘の火蓋が切って落とされた。
戦いは何の為か? それすらも謎のままで。
「見え見えだぜ!」
先制の右拳を防いで攻勢に出できた熊の蹴りを躱した槞牙が言った。
地面に着地と同時に、滑走するように接近し左足の蹴りを顔面に放った。しかし着ぐるみの尋常ではない弾力性に足を跳ね返される。熊パンチが槞牙の腹部に迫る。
それを叩いて軽く跳ね退けた槞牙の顎に向って熊キックを二連撃。
後ろに下がり回避すると、熊は背中から地面に倒れこむ。そこから腕力と全身のバネを使い、両足を揃えての飛び蹴り。
素早く横に躱す槞牙。飛び蹴りの反動で立ち上がった熊の、顔面に右拳を突き出す。だが熊の反射神経は鋭く、中の人間の肘付近で止められた。
続け様に左足で反対側の頭部を狙う。
熊は急に前のめりに上体を下げ、ハイキックを避けると同時に左脇腹に蹴り飛ばす。
地面に手を衝いて俯せになり、右足で槞牙の右膝の裏側を強襲した。
バランスを崩した槞牙は片膝を地面に衝く。
その前に、股の間をするりと抜けた熊は後頭部を狙いドロップキック。
槞牙は自ら身体を俯せに寝る状態にして危機を回避すると、熊の両足を両腕でがっしりと掴んだ。
慌てて身体を左右に振る熊。腹筋をしても脱出不可能。
「へっ! どうだ着ぐるみ野郎。手も足も出ないだろ!?」
だが槞牙も攻撃できない。今の状況が分かるだろうか?
地面に伏している槞牙の背中に熊が仰向けに乗っているのだ。
体勢にきつくなってきた槞牙はゴロリと一回転し、位置を入れ換える。
どうやら熊も槞牙の両足を固定したらしい。槞牙は先程から、足に力が加わる感触がしていた。
熊も俯せが嫌なのか回転。槞牙も譲らず回転。
表、裏、表、裏。
裏、表、裏、表。
コロコロと転がって行く。何だこれ?
「訳の分かんねえことしてんじゃねぇっ!」
槞牙は、あまりに間抜けな行為に堪え切れず叫んだ。無理に足の拘束から逃れ、地面に突き立てると、熊を股の下から逆さまに引っ込抜いた。
腹部を蹴り、熊の身体を空中で半回転させ、琉蹴烈撃の体勢に入る。しかし技は使わず、両手で首を締め上げた。
「どうだ? ギブアップするか?」
槞牙が勝ち誇った笑みを浮かべる。
藻掻きまくる熊。地面に着けない足をジタバタさせ、槞牙の足を蹴る。
「いてててて……! このやろっ!」
憤慨した槞牙が両腕にありったけの力を加えた。
その直後――
キュポン!
小さな音が鳴った。槞牙の腕から熊の重量が消える。頭が外れた熊は飛び上がり、拳を振り下ろす。
槞牙は咄嗟に腕を頭の前に出し防御しようとした。
「な、何っ!?」
だがそこで腕の間から見えた熊の素顔に驚き、防御の構えを解いてしまった。
輝く緑色の髪。紅ほっぺ。今は笑っているのか、目が緩やかな曲線になっている。どう見ても小学生くらいの子供だった。
「なんで……、こんな子供――」
一瞬だけ思考が停止した槞牙の頭に、鉄拳が飛んだ。とてつもない馬鹿力に押され、槞牙は顔を地面に強打して倒れた。
そして、そのまま気を失った。