【エピソード3:エピローグ】
身慎莫を終えた槞牙は家を出た。ドアに鍵を掛け、しっかりと確認する。
最寄のエレベーターで地上まで降り、入り口から道路に繋がる道を歩いた。
「ん?」
槞牙は壁に寄り掛かっている少女に気付く。近寄ると、その人物は深々とお辞儀してから、地上に落下してきた太陽の光の一部のような笑顔を見せる。
「おはようございます。槞牙さん」
「ああ、おはよ。どうしたんだ? 菻音」
「少しだけお話がしたくて……。迷惑でしたか?」
「いや、別に」
二人は横に並んで歩きだす。
菻音の黒髪とリボンが微風に揺られ、はためく。
歩道にはみ出した木々の葉が木陰を作り、爽涼とした感覚を浸れる。
槞牙は思った。今の自分達の状況は、他人からして見れば仲良く散歩する熱々カップルでは、と。
おお、青春! こんなシチュエーションを望んでいたのだ。これから桜並木を抜けた向こうの丘で、将来を語り合い、誓いのキス。
最後に行き着く先は、また自分の部屋。彼女の仕草がぎこちなくなり、やがて頬を真っ赤にして意味深な目付きで、『シャワー浴びてくるね』と後の展開を予想させる言葉を惜し気もなく発する。バスタオルを巻いた、いつになく艶麗な彼女をベッドに誘い、そして――
ガツンっ!!
――もはや二次元世界でしかありえなそうな、壁に頭をぶつけるという行為をやらかす。
槞牙は額を手で押さえ、その場にしゃがみ込んだ。
「つぅ〜〜〜!」
「大丈夫ですか!? 槞牙さん!」
「くそー! もう少しだったのに!」
「は……?」
不思議そうに首を傾げる菻音。
槞牙はぶつくさと文句を呟く。しかしそれは妄想だということを忘れてはならない。序でに言うと、今は六月の下旬。もう夏までカウントダウン状態だ。
槞牙は立ち上がり、間違って届いた荷物を見つめるような目の菻音に言った。
「ちょっと放送上の事故があってな」
「? ……そう、ですか」
仕切り直して。
学園までそう距離がなくなってくることを確認させる大通り。
槞牙は菻音に呼ばれ、そちらに目線を送った。
菻音の背は槞牙の肘くらいな所為もあって、少し見上げる形となる。
その角度が、萌え系最強ウェポン。菻音は知らず識らずの内に奥義を既得していた。
「昨晩はありがとうございました。あれから両親と話し合って、婚約の件は無期限の保留にしてもらいました。本当に、槞牙さんには何とお礼を申し上げたら良いのか……」
「…………」
槞牙は沈黙したまま、歩き続ける。
何の反応も示さない槞牙に、菻音は少し困惑しながらも、追い掛けて顔を覗き込む。
「あのぅ、何かお礼をしたいのですが……」
槞牙は立ち止まり、怪訝顔で菻音に聞き返した。
「何のことだ? 俺は知らねえな。大体、他人の内部事情に関わっていられるほど、俺は足元の固まった人間じゃない」
「え……? でも……」
次にどのように対応したら良いのか分からず、戸惑う菻音。
槞牙は尚も真面目な口調で続ける。
「昨晩ことなんて分からないけどな、俺は今の菻音が楽しそうにしてれば他に言うことはない。満足そうに可愛い笑顔で歩く女の子の傍観者さ」
フッと顔を緩やかに綻ばせた。
キマった。完璧にキマった。底知れぬ達成感が槞牙の心を満たす。
「でも……。でも……!」
「……もう何も言うな」
そこはかとなく渋い声を出して菻音の言葉を断つ槞牙。
しかし、余程、言いたいことがあるのか、菻音は口を閉じなかった。ついに菻音が最後まで伝えた。
「あんなセンスのない事をする人間は、世界広しと言えど、槞牙さんくらいしかいません」
槞牙が景気よくズッ倒ける。今までのシリアスで格好良い台詞が台無しだ。
すぐさま起き上がり、
「おのれは人のことを何だと思ってるんだ!?」
「ほら、やっぱり槞牙さんです」
「おや? いま流行の『火打ち石』が格安の値段で売っている。これは、買いー、だな」
「妙な誤魔化し方をしないでください!」
語気を荒げ始めた菻音。
そこで槞牙は表情に鋭利な具合を利かせ、僅かに憤慨気味に言った。
「だが俺をハメるためとはいえ、さっきの台詞はムッときたな」
「え……」
菻音は一気に不安な表情になる。
「だ・か・ら!」
エピソード3、何回目かの『わきわきの手』を発動。実はこの特技、どこぞの『木の実』を食べた所為だとも言われている。
ゴムならぬ、ワキか……。
「しっかりとその胸に教訓を叩き込まなければならない! ふはははっ! 巨乳を笑う奴は、俺が絶対ゆるさねぇー!」
完全に意味不明。やはり最後は胸らしい。
「ひぇー!」
菻音は両腕で胸を隠して蹲る。
数瞬の沈黙。菻音は競々しながらも、そっと目を開けた。
槞牙の後ろ姿が遠くに。
「…………。あぁ〜〜〜〜っ!!」
やっとはぐらかされた事に気付いた菻音は、猛スピードで槞牙を追い掛けた。
青春の鬼ごっこを終えた槞牙は教室に入った。中では生徒が勉学に勤しむ姿がちらほら。
菻音は職員室に用事があるらしく、下駄箱から直行。これ幸いとばかりに、次のはぐらかし方を考える。
あの性格だと、また詰問してくると予想される。それも今度は雫たちの前でも全く関係なしにだろう。
いきなり親睦度が上がるのは不自然なこと極まりないが、おそらく菻音はそんなことに気が回らない。
さて。どうしたら良いか?思案していると、携帯が堂々とメロディーを鳴らす。マナー、マナー。
「もしもし」
『DBS、親友。今、我輩との心のキャッチボールが成立した瞬間だ。我が友、繞崎槞牙』
「むちゃくちゃ電子機器を通してるだろっ! お前はもう少し普通に電話できのかっ!?」
口元を吊り気味に黙読する諸君にはもうお分りの通り、真一からの電話だ。
『では用件だけ言おう。昨日の情報提供の代わりに我輩の頼みを聞いてほしいのだ。我が友、繞崎槞牙』
真一が言う用件とは、菻音の家の所在が分からないことに気付いた槞牙が考え倦ねた末に助けを求めたことだ。
真一なら知っているかもしれない、と薄っぺらい期待程度の気持ちで訊いたが、何とあっさりと答えた。
本当に知ってるから笑うよな?
「で、何だ?」
『うむ。今日は登校できんので、出席のとき代わりに返事をしてくれ』
「むちゃ言うなっ! 声も容姿もクラスすらも違うだろっ!」
『この誓約が守られなかった場合、『はくり』だ。気を付けたまえ。我が友、繞崎槞牙』
「訳の分からん用語を脅しに使うな! しかも、まだ受けてないぞ! おい? もしもーし」
勝手に切った。電話は出番の内に入らないのか?
槞牙は真一に助けを借りたことを後悔した。
それから自分に向けられた、刺すような視線に気付いた。
がり勉、アイズ。
「あはは……、すまん」
槞牙は気を落ち着けるため、一旦、退出しようとドアを開いた。すると目線よりずっと下の、青い髪の少女と出くわした。
「あっ! 槞牙。丁度よかった。話があるから来い」
「んだよ、柚菜。話ならここで聞いてやるって」
億劫顔で言った槞牙に、柚菜は珍しく神妙な面持ちをした。
「ここじゃ、ダメだ」
柚菜の後ろにいた瑠凪は、面倒そうにショルダーバッグを肩に掛け直し溜息を吐いている。
「〈パステル〉絡みだな?」
槞牙は語調を若干落して呟いた。そのまま、頷いた柚菜たちと一緒に庭園に向った。
壮絶な思い出ばかりが残る庭園。
ある意味、壮絶だった柚菜とのラブシーン(未遂)。瑠凪とのバトル。
「そんなに重要なことなのか?」
早速、用件に入った槞牙が誰よりも早く口を開いた。柚菜は頷き、鞄から分厚い本を取り出した。
その本は表紙がボロボロで、中の紙も変色している。
「何だこりゃ? お前の勉強道具か?」
「違うに決まってるだろ。これに書いてあったんだよ」
柚菜がニッと嬉しさ含みな得意顔になる。
「何が?」
「お前の腕の怪我を治す方法だ。その骨折がすぐに治るんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、槞牙は跳ね上がらんばかりの勢いで喜んだ。
「マジか!? やったー! 柚菜が探してくれたのか? サンキューな!」
柚菜は、そこで何故か慌てて、
「も、もとはと言えばオレの責任だからな。当然のことをしたまでだ」
ほんのり赤みで言った。
横では瑠凪が満面の笑みを浮かべていた。
槞牙は嬉しさの余り、調子に乗って柚菜の頭をくしゃくしゃと撫でる。
柚菜は、子供扱いするな、と言って手を払い除けた。だがその表情は、にやけているようにも見て取れた。和やかになった所で、瑠凪が突然、少し子細を帯びた表情で口を開いた。
「昨日もあたしの家で話し合ったんだけど、治療にはどうやら三人必要みたいよ」
柚菜の表情も少し曇り、
「そうなんだ……。あと一人いないと」
溜息を吐いた二人に、槞牙が即答した。
「いるぜ。もう一人……」
辺りを見回し、声の音量を上げ、
「出てこいよ。菻音」
呼んだ直後、背後の草からガサッと何かが動いた。
すぐに草を掻き分け飛び出して来た少女は、槞牙の宣言通り菻音だった。
「ご、ごめんなさい。盗み聞きするつもりは、その……ありましたけど……。気になって」
「そんなことはいいから、ちょっと来いよ」
槞牙は強引に腕を引き、菻音を二人の近くまで歩かせた。
「三人目のパステル使い、白石菻音だ」
「あ……! よ、よろしくお願いします」
条件反射のように頭を下げる菻音。
「この娘って――」
「まあ、細かいこては気にすんなって。今日から仲間だ」
瑠凪が何かを喋ろうとするのを、槞牙が遮る。
それから続けて、意気昂然と復活の儀式を早くやるように促した。
教室に戻ってきた槞牙たちを、おっとりフェースな雫が出迎えた。
「みんな揃ってどうしたの?」
『…………』
柚菜、瑠凪、菻音の三名は、視線を逸らして知らんぷり。
槞牙は、一人くらいは融通を利かせてくれ、と思いながらも三人の前に出た。
「白石のちょっとした相談事だ。雫がいなかったから、俺たち三人でな」
「へぇー、白石さんと仲良くなったんだー。私のこと覚えるかな? 一度だけ、お話したことがあったんだけど」
快活な声と笑顔の雫に、菻音は合わせ微笑みで頷いた。覚えてないとは言えないのだろう。
槞牙は『右手』を上げ、菻音の背中を軽く押した。
「これから仲良くしてやってくれ」
本来なら、出来た妹の雫が兄である槞牙の危険性をネタにしたりして歓談モードな雰囲気だが、今は違った。
雫の視線が明らかに槞牙の右腕に。口を大きく開き、目も見たことないほど大きくなっていた。
お兄ちゃんとして、そんな間抜けそうな顔は妹にはして欲しくないな。
「お兄ちゃん……! その腕、治ってるの? 何で? どうして?」
槞牙の右腕を掴み、疑問系の嵐を投げ掛ける。
「ふっふっふ……。この繞崎槞牙に不可能の三文字はないのだ」
答えになっていない。
実は本当のところ、槞牙もよく分かっていなかった。――槞牙を中心に囲んだ三人が一筋の光を出した。
柚菜は青。瑠凪は白。菻音は赤。
その三つの光が怪我の部位に当たると、すでに腕は完全に治っていた。
それだけなのだ。
説明しようにも理解できていない。縦んば理解していたとしても、雫に〈パステル〉のことをバラす訳にはいかない。
「そんなことって、ありえるの?」
当然の疑問が浮かぶ雫。
槞牙は疑いの眼差しを避けるように三人の殿へと逃げる。
そして、そっぽを向いている柚菜と瑠凪の柔らかなヒップを掴むように触った。
『ひゃあっ!』
二人は同時に奇声を上げた。
ついでに菻音のにも軽くタッチし、痴漢は哄笑を周囲に飛び散らす。
「いやー、せっかく治ったんだから、こういうことに使わんとなぁー! 三人とも素晴らしい感触だったぞ。……ん? あ、あれ?」
柚菜と瑠凪が殺気立っている。見ていた雫はダークオーラ全開。
「はは……。ご機嫌いかが?」
などと、分かり切ったことを引きつった笑みで訊いた。
菻音以外の三人が一斉に槞牙に飛び掛かる。
何とか身を躱す槞牙。
「この恩知らず!」
と柚菜。
「今度こそ殺す!」
と瑠凪。
「そこに直りなさい!」
と雫。
まるで狼と小羊。
槞牙は声にならない悲鳴を上げて、教室内を逃げ回る。
その様子をポカーンとした様子で見ている菻音だったが、やがて声を荒げて大笑した。
槞牙はその笑顔を確認すると、三人からの手厚い暴行に昏絶した。
次回 リバティー パステル! 【エピソード4・ある〜ひ♪ くまさんが……】 槞牙「次回もサービスショット全開だぜ!」