【エピソード2:エピローグ】
保健室から出ても、槞牙の表情は険を帯びたままだった。
後ろから呼ぶ声が聞こえるが、それを無視して歩き、校門を抜ける。
暫く歩くと、追い掛けてきた雫が横に並んで同道する。
「あの……」
先程の件のこともあり、雫はどう接したらいいのか戸惑い口籠もる。
「さっきは……。怒鳴ったりして、その……、悪かったな」
槞牙は視線を合わさず、落ち着きのなく言った。
その様子を見た雫は安堵の笑みを浮かべ、
「うん。もう気にしてないよ。それより、どこ行くの?」
「爺さんのとこ」
槞牙の言う『爺さん』とは繞崎膳邇のことである。
「どうして……!?」
雫はゴール目前で逆走し始めたマラソンランナーを見るような目をする。
無理もない。
槞牙と膳邇の仲の悪さは、どんな役者でも演じきれない程だ。これは繞崎家だけではなく、澤村家に仕えるメイドですら知っている。朝練の最中に殺し合いをしないのが不思議なくらいなのだ。
「前から考えてことを爺さんに伝えに行くだけさ。だから雫は残りの授業を受けて来るんだ」
「嫌……。心配だから一緒に行く」
不動のわがまま娘モードに入る雫。槞牙は溜息を吐き、
「しょうがねえな。あまり驚くなよ?」
和と洋の合体。相変わらず無駄にデカイ半端屋敷の登場。
門番を『拳聖繞崎流、最強防衛奥義。謗断瀦ッ覊』で粉砕し、メイドストリームとご挨拶。
『殿中でござる! 殿中でござる!』と叫ぶ人を素通りして、膳邇の部屋の前に着いた。
「うおりゃーーーッ!」
いきなり襖を蹴破る槞牙。まるで『ヤ』のつくご職業の出入りシーンだ。
膳邇は書道に勤しんでいる真っ最中だった。
白髪、白眉。彫りの深い顔つき。いかにも、武道を極めてます、といった容姿だ。顎から伸びる白髭は、とある昔の、辞書に載るほど有名な武将を彷彿とさせる。筆を持つ手を止め、槞牙を睨む。
「もっと礼節のある挨拶ができないのか、お前は?」
「心外だなぁ。今のが最高の挨拶ですよ、お爺様」
史上最強の案外者はこれっぽっちも悪怯れずに言った。
雫は殊勝に襖を直してるので、重ねて槞牙。
「今日は伝えたいことがあって来たんだ」
打って変わり神妙な雰囲気に変わる。
それを察知した膳邇は少し間を置き、何だ、といつも通りの長老の口調で答えた。
槞牙は『バッ』と戦闘態勢を取った後、左手の親指を己に向けた。
「俺は今この時から、『初代、拳凰繞崎流派』の繞崎槞牙だ!」
直後に襖が地面に這いつくばった。
「えぇっ!?」
雫は屋敷中に轟く叫び声を上げる。
「驚くなって言っただろ?」
『驚くな』とは無茶な言い分だ。なんと槞牙は、拳聖流派からの独立を宣言したのだ。だが膳邇は、突然の宣言にも顔色一つ変えない。
雫は開いた口が塞がらない。槞牙は不適な笑みを浮かべ、地面を踏み鳴らす。
「拒否することはできないぜ。あんたをぶっ飛ばしてでも独立するからな。……それでもやろうってんなら、かかってこいっ!」
自己中心的を通り越している槞牙の主張。
膳邇はそれでも仮面のように無表情。
「よかろう。許可する」
と、やはり厳かで乱れのない語調で言った。
「言っただろ? 拒否は……、何!? 今なんて?」
「許可する」
あっさりと許しが出た。
(ありえねぇ!)
槞牙は心の中で叫んだ。
あの爺さんが? ジステンパーにでも冒されてるのか? まさか、すでに刺客を用意して俺を殺そうと。それは、ありえる。なんと言っても、繞崎一族だからな。
……まあ、考えたって仕方がないか。許しが出たからには次の段階に行くとするか。
「じゃあな、爺さん! 達者で暮らせよ(あの世で)」
槞牙は踵を返し、走り去った。
雫はというと、襖直しと兄を追うかで迷っていたが、真面目な性格が勝ち、襖を直すことにした。
槞牙は擦れ違う人に快活な挨拶を連発し、廊下を突き進む。
「やったぜー! これでアホみたい特訓や朝練から解放される。しかも……、むふふふふ」
気味の悪い笑い声。
槞牙は携帯電話を取出し、どこかに掛ける。数瞬してから掛けた相手と繋がった。
『世界のうちでお前ほど歩みの鈍いものは無い。どうしたのだ? 図書館に置いてある聖書と同等に必要視されてない、我輩の電話番号と繋ぐとは。我が友、繞崎槞牙』
もう相手は分かるだろう。沁銘院真一だ。
「最初のは何だ? しかも悲しいことをカミングアウトするな」
最初の台詞はおそらく『もしもし……♪』から続いているに違いない。
「いや、ツッコミを入れてる場合じゃない。ちょっと頼みがあるんだ」
『頼みとは?』
「学校から近くて、一人暮らしができる物件を探してほしい。頼めるか?」
『任せたまえ! 学校の近所で充分な生活スペースのある物件と、バストがC以上ある県内でも指折りの美女であるな? 和風美人も可であるか?』
「そうだ。特に巨乳であることが……。って、いつそんなことを頼んだ!? いるのか? 和風美人が!?」
即答に継ぐ即答。若干、話が噛み合っていないが。
『友のためだ。全力で探そう。期待して待っていろ。我が友、繞崎槞牙』
「ああ。頼むぜ。我が友、沁銘院真一」
電話を切って、とびはねる槞牙。部屋に帰り、荷造りを始めた。
独立の特権。
それは一人暮らしができるようになること。しかも生活資金は全て拳聖流派が支援する。まさに夢のようなシステム。
――携帯の着信音が鳴り響く。
「誰だ?」
こんな時には、何故か相手を確認しない。それは言い知れぬ、最強の言葉、『お約束』。
『希望の物件が見つかったぞ。我が友、繞崎槞牙』
「は、早いな……。で、どこだ?」
比較的に閑静な住宅街。そこに一際目立つ高層マンション。高級な方に分類される綺麗な建物だ。
ここが真一に紹介された場所だった。
「ここで間違いないよな? なんと言うか、場違いだろ」
彼曰く、沁銘院コンツェルンの息が掛かった物件で、家賃も激安にできるらしい。いったいどんな財閥なのか。
入り口の前には管理人と思われる中年の男がいた。
「繞崎槞牙様ですか? よ、ようこそ、おおおいで下さりました」
明らかに怯えてる。しかも普通の怯え方じゃない。まるで首輪型の爆弾でも付けているかのようだ。
男は携帯していた薬を何個も呑みながら部屋まで案内する。
着いた先は、なんと最上階の部屋だった。男は不自然に震える手で、部屋の鍵を槞牙に手渡す。
真一。お前はいったい何者だ?
足速に去った男から、視線をドアに移し、鍵を開ける。
「……マジかよ」
そこには槞牙が体感したことのない空間が広がっていた。
広闊とした室内。窓から一望できる街並。キッチンは広く、ゆとりがある。トイレとバスルーム付き。
そして、なんとボタン一つでベランダの奥行が広がる意匠を凝らす拘りよう。
これぞ、匠の――
なにやら、どこかの番組風になった所で。
それはさて置き。
「すっげぇーっ! 庶民とはスケールの違いを感じるな」
独白を終えた槞牙は、ドアの前まで戻り、外から室内を眺める。
そこで卑しい笑い声を微かに立てる。
文句なしだな。
早くも一人暮らしが華やかに見えてきた。今まで特訓に縛られてきた青春。
それを取り戻すための戦争――命名、繞崎槞牙の乱で打ち勝ち手に入れた自由。今、最高に輝きつつあるぜ。
「くっくっくっ……。一人暮らしとなりゃ、可愛い娘を連れ込み放題だぜ。そんでもって、あんなことやそんなことを。……うひゃひゃひゃひゃ!」
下品極まりない声。
「『あんなこと』ってどんなこと?」
「何を言ってますか。それこそ掲載場所を変えるような……ん?」
後ろから殺気がする。しかも今の声には聞き覚えがある。
槞牙はぎこちなく後ろを向いた。
そこには、どす黒いオーラを全身から出す、雫の姿があった。
槞牙にも色が視えたのだ。〈パステル〉ではないが。
「思わせ振りに独立しといて……、それ?」
怒りに拳を震わせる。顔の俯き加減で目元が影になっていた。
「ま、待ってくれ、雫。俺も進藤家を見て変わらないといけないと思ったんだ。だから決して疾しいことはない」
いまさら何を弁明できようか。
「問答無用っ! 鉄拳、せいさぁぁぁーーいっ!」
「うぎゃああああああああああああああああっ!」
槞牙は魔神シズクの壮絶ラッシュを食らって絶入した。
彼の最後に放った恐怖一色の叫び声は、後にこのマンションの怪談として語り継がれた。
◆
あの日から一夜。瑠凪は前と変わらない薄暗い部屋の真中に座っていた。
時計の針が六時を指すと、ベルの騒音が鳴り響いた。瑠凪は立ち上がり、不器用に頭と身体を縫い付けた人形を置き、目覚まし時計の頭を押した。
しかし鳴り止む気配がない。瑠凪は舌打ちをすると、時計の背中から電池を抜き取った。
身仕度を済ませ、玄関へ。
「瑠凪ちゃん……。あの……」
瑠凪の母は独り言のようにそこまで喋ると口を閉じてしまった。
瑠凪は無言で靴ひもを結び、玄関を乱暴に閉め、外に出た。
――全く。何も変わってないんだから。寧ろ前よりも酷くなったかもしれない。ムカつくのよ。ビクビクしてさ。一生そうしてれば?今のあいつには、そんなことしか言いたくない。
最低な奴。駄目な奴。見捨てられて当然な奴。
だけど――
瑠凪は踵を返し、ドアを開く。
玄関前の廊下には、両手で顔を覆い肩を震わす母親。
「そんなことで泣かないでよ。迷惑だから……」
顔を上げる母親。案の定、頬が涙が通り道。
瑠凪は溜息を吐き、
「晩ご飯はちゃんと作っといてよ。夕方には帰ってくるから」
目線を壁に向け、少し照れた表情で言った。
母親は何回も頷き、涙を拭う。
「行ってきます」
「いってらっしゃい。瑠凪ちゃん!」
またも乱暴にドアを閉めたが、その音すらも二人には心地のよい音色だった。
空は快晴。青一色の天井が清々しい気分を運ぶ。
学校側に向った瑠凪の横に、一台の車が着いた。
窓が開き、昨日の中年男が顔を覗かせる。
「どうしたの? 瑠凪ちゃん。今日は方向が違うじゃないか」
耳障りな声も健在だ。
瑠凪は男を睥睨すると、
「学校があるから当分あんたとは遊ばない。さよなら」
そう冷たくあしらい、走りだした。
――学校で何をするの?
突如、脳裏を駆けた疑問に、瑠凪は明確には答えられなかった。
しかし『何をしたい』のかだけは、心を通して見えている。
〈パステル〉なんかよりも、はっきりと。
「それでね。沁銘院君に電話したら、『どうしてそんなに鈍いのか』って出たんだけど、どういう意味なの?」
「俺にもよく判らん」
真一が電話に出るときの奇妙な第一声について話す、槞牙と雫。
どうやら槞牙は生きていたようだ。
柚菜もいるが、現在は投げたビー玉を素手で捌く特訓をしていた。
教室内には三人しかおらず、些か淋しい感じもしている。
ビー玉が床を打つ音が幾重にも響く。
「落としまくってるぞ? 意外に鈍いな」
槞牙は床に散らばったビー玉を拾いながら、柚菜に近寄る。
それを聞いた柚菜は両手を広げる。掌には黄色のビー玉だけが残っていた。
「沢山の色のビー玉から一色だけを捌くんだ」
「なるほどな」
僅かに得意気に顔になると、ビー玉を拾い始めた。
「…………。なあ、柚菜。」
槞牙は一点から視線を逸らさずに呼ぶ。
「なんだよ」
「お前さ。スカートは止めた方がいいんじゃないか?」
柚菜は何の警戒も無しに片膝を地面に着いて拾っている体勢。それは槞牙の位置関係だと、丸見えなのだ。見えなかったという証言があるなら、まず嘘であると確信できる。
柚菜はそれに気付くなり、手に持っていたビー玉を槞牙に投げ付けた。
ガラス玉が飛ぶ。
「痛っ! いててててて……。止めろ、柚菜」
ビシビシビシ!
擬音にするそんな感じである。
「この変態っ!」
「お前が見せたんだろっ!?」
危険と悟った槞牙は、四階の窓から危険を顧みずに飛び出す。矛盾している。
追い掛ける柚菜。
『シュタッ』と身軽に降りた二人は校門に向う。
「カートル・アイシクル!」
知っての通り氷の柱を発生させる柚菜の技。
単純な技に慣れていた槞牙は、横に逃げようとした。だが、そのとき――
「イスキューロステイコスっ!」
槞牙の前方から光の壁が現れ、挟み撃ちとなった。
「ひぎゃぁぁぁああぁぁぁあああぁぁーーーッ!」
普通の人間なら即死の攻撃を食らい、槞牙は悶絶した。
「あたしのいない間に、楽しそうなことは止めてくれない?」
魔性の女タイプの口調の女。
赤いショートヘアーに赤い瞳。艶やかな唇。全体的に気の強そうな顔立ち。
進藤瑠凪だ。
「また戦いに来たのか?」
身構える柚菜。
瑠凪は唇の端を持ち上げ、微笑する。
「違うわよ。あたしはこれから繞崎槞牙とオモチャにする為に学校に来るから」
極上で極悪な微笑のまま、倒れる槞牙を見下ろす。
「よろしく。うふふ……」
――こうしてまた一つ、槞牙の生命の危険に繋がる原因が増えることになった。進藤瑠凪。柚菜に劣らず、デンジャラスな少女である。
彼は何話まで生き延びることができるのか?
「お前らは俺を殺す気かっ!?」
教室に戻った三人の中で唯一の被害者な槞牙が叫ぶ。しかし二人は知らんぷり。雫は凶暴化する槞牙を何とか押さえている。
「お前が悪い」
と柚菜。
「どこまでやったら死ぬのかしら?」
と瑠凪。
教室はいつもの賑わいを観せていて、その中でも槞牙は目立っていた。
それもそのはず。
三人の美少女に囲まれ、楽しそうに盛り上がれば当り前ことだ。それは第三者の気楽な視点からすればなのだが。
口論が続ける三人。
そこで教室のドアが開いた。
「席に着けー!」
特徴がないのが特徴――と、どこかのロボットのような説明しかない担任の声。槞牙たちは一時休戦し、席に着く。
なぜか瑠凪の席は槞牙の席の左斜め後ろ――柚菜の後ろだ。
『金』が移動できない位置である。
それはどうでもいいとして――
「えー、突然だが今日から教育実習生と副担任の両方を担当する新任の先生を紹介する」
担任の言葉に、男女がそれぞれ違う思惑を胸に秘め期待する。
扉が開いた。新任の先生と呼ばれる人物が入ってきた。
『えぇっ!?』
二つの意味の『同時』で声を上げる槞牙と雫。
美しい顔立ちに腰まである金髪。豊満なバストと抜群のスタイルを持ち、怜悧な風貌も漂わす。
その人物とは、拳聖澤村流派の最高権力者である婆さんの腹心。
「今日から副担任をすることになった澤村朋香です。皆さん、よろしくねぇ〜?」
しかもキャラが違う。明らかに作っている。
朋香は皆の視線を潜り抜け、唖然とする槞牙の肩に腕を廻す。そして甘い声を耳元で囁かせた。
「よろしくね。拳凰繞崎流派の繞崎槞牙くん」
――今回は二重のオチ。
朋香の登場のより、更に一波乱ありそうな学園生活になりそうだ。
少なくとも、槞牙にはそう思えてならなかった。
次回 リバティー パステル! 【エピソード3:副業は正義の味方!?】 槞牙「次回もサービスショット全開だぜっ!」