【エピソード2:偽りのビネヴォレンス・その2】
中年の男と瑠凪を乗せた車はファミレスの駐車場に駐在していた。
瑠凪が発した猫撫での一声でそうなったのだ。
静寂とした室内。対面に座わってにやける男の視線を無視し、瑠凪は大量に並べられた料理を平らげていく。
軽く五人前は食べている。店員は目を丸く、男は弛みきった丸い表情。
瑠凪と対等の立場の人間――友人の類が居れば、
「フードファイターかよ」
とツッコミを入れる所だ。
「相変わらず、いい食べっぷりだねー。おじさん、よく食べる娘は好きだよ。発育がよくて」
聞き苦しい声。しかし瑠凪は無感動に食べまくる。
やがて全ての料理を平らげ、フォークを置いて、小さな溜息を吐く。
そして店員が皿を回収しに来るのを見計らい、
「ここにあるパフェを全種類もってきて」
店員が驚いて肩を揺らし、回収した皿の一つが宙に放り出された。
皿は一瞬で地面に到達し割れた――と、思われたが、耳を突く高音はしなかった。
落ちた皿は、その淵を瑠凪な足の甲で支えられ、無事だったのだ。
瑠凪は落ちた皿を蹴り返す。皿は上手い具合に店員の持っている皿の上に重なった。
「いいよね?」
やはり抑揚が少ない。まるで皿を足で受け止める前の間から喋っているようだ。男は、にやけ面を崩さず首肯する。
その頃。
「何してんだ?」
数学の授業中、槞牙は堂々と柚菜に話し掛ける。
声の音量を下げる気もない。
柚菜はノートに絵を描いて遊んでいた。
授業を受ける気もない。
ノートに描かれているのは、迫力に欠ける怪獣だった。全体的にノンシャランとした風貌だ。
「何色の怪獣なんだ?」
「うーん」
考え込む姿が妙に殊勝で可愛らしい。
「ピンクだな」
「出没したら一瞬でミサイルの標的にされるな」
「透明は」
「誰にも驚いてもらえないと怪獣の意味を成さないだろ」
「思い切ってゴールドにするか」
「戦士は生きている限り戦わなくてはならない」
肩部に『百』という文字はないが、金色なら理由なき決まりごとだ。
雫はペンを持つ手をプルプルと震わしている。
瑠凪はパフェを大胆に頬張る。口で溶け、鼻腔にまで広がる甘い香りを心行くまで味わう。
唇に付いたクリームを舌を動かし舐めてから、口内に運び、感じられる甘味を堪能していく。
男は生唾を呑み、その様子をじっと見つめた。
視線に気付いた瑠凪は、上目遣いで不適に笑い、上唇を舐める。
その時――
瑠凪の耳を、動物の泣き声が微かに通った。
すぐさま窓の外を睥睨する。道路を通過する車。向かいに立ち並ぶ建物。子犬を囲む三人の不良。
「お金、払っといて」
瑠凪は急に立ち上がり、店を出た。
槞牙と柚菜は急に立ち上がり、教室を出た。
いや、正確には急ではない。あまりの横柄な態度の二人に、血管のきれた教師が廊下に立つように命じたのだ。
仕方なく廊下にでる二人。
「しっかし廊下に立たせるなんて今時は体罰だぞ」
この状況で体罰になるなら世も末だろう。
「なんでオレまで……」
ふて腐れる柚菜。何ともその場に合っている顔だ。
「お前が授業中に落書きなんてしてるからだろ」
「オレの所為かよ。そっちが話し掛けてくるから煩くなるんだよ」
二人の間に険悪なムードが流れる。
「そんなこと言って、本当は俺様に構ってほしいくせに」
「誰が! お前なんか居ない方が気が清々する」
更に口論は熱を含んでいく。
「いいか? お前は本来なら俺様に『完全メイド宣言』をして、『永遠の十七歳』と言わないといけない立場なんだぞ。それを一、二歳も若くしてやってるんだ。感謝しろ」
「意味の分からないことを言うな。あの一戦に『ま・ぐ・れ!』で勝ったぐらいで偉そうにするなんて幼稚な奴」
二人の眼光が鋭く光り、お互い正面で構えた。
同時に攻撃体勢に入った。槞牙が左手と両足を使って連打を繰り出す。
柚菜は素早く躱し、巧みに間接を狙う。
しかし槞牙も連打を休めず、技を阻止する。
「槞牙と霧島さんがまた戦ってるぞー!」
「そこだ、槞牙! いけーっ!」
「頑張ってー! 霧島さーん!」
いつの間にか窓を開けて観戦し、囃し立てるクラスの生徒達。
「拳聖繞崎流、乱闘奥義!水弧拡散陣!(すいこかくさんじん)」
槞牙は水道の蛇口を全開まで捻り、その口を指で塞いで操る。
早い話が単なる水掛けだ。柚菜は左右へのフットワークで襲いくる水流を避ける。
「当たらなければ、大したことはない」
実際、命中しても大したことはないだろう。
柚菜の回し蹴り槞牙の脇腹に命中し、槞牙の身体が吹き飛ばされる。
しかし、それと同時に大量の水が柚菜に掛かる。
白系統の服だったので、透けて白い肌が露になった。柚菜はそんなことはお構いなしに、地面に倒れている槞牙と距離を詰める。
そこへ怒りのオーラを背景に、雫が二人をがなり立てる。
「二人とも――」
「止めなさい!」
瑠凪は店を飛び出すと、一直線に不良たちに向かい声を張り上げた。
「あん? なんだって?」
体格の良い男が振り向き、瑠凪を睨み付ける。
「うっわー! 恐いよー!」
後ろの二人は空々しい声を出し、子犬を蹴り飛ばす。子犬はただ身体を震わせることしかできない。
「止めなさいって言って――」
言い終わる前に、振り向いていた男に左腕を捕まれた。
「へぇー、よく見ると可愛いじゃん。子犬の代わりにお前が俺たちと遊んでくれよ」
「……………」
腕を引く力が強くなると、瑠凪の表情が殺気立つ。
強引に引っ張る男の腕の、肘を爪先で蹴り、力が弛んだ瞬間に腕を擦り抜ける。そして踏み込み足と共に肋骨付近に肩から体当たり。男は数メートル吹き飛び、泡を吹いて気絶した。
「なにすんだっ!」
子犬をいたぶっていた男の一人が瑠凪に接近する。
瑠凪は男が突き出した腕を掻い潜り、左の掌低で喉仏を突く。
男が怯むと、身体を一回転させ首元に手当を叩き込んだ。
その男も倒れ、あと一人となった。
残り一人の男は警戒して間合いを詰めてから拳を突き出した。
瑠凪の顔面に迫る拳。だが瑠凪は腕をしなやかな動かし、拳の軌道を変化させ力を殺す。
男は触れられた感覚すらないようで、拳を見て首を傾げる。
その隙をついて瑠凪が鳩尾に肘を突き刺し、続けて右の掌低で顎を貫いた。
瑠凪は倒れた三人を蔑む視線で見た後、鼻で軽く笑った。
「大丈夫かい? 怪我はない?」
中年の男が見計らったように姿を現し、瑠凪の肩に手を回す。
瑠凪は横目で男を一瞥してから、いつもの語調で言った。
「今日のデートは止める。さよなら……」
返事を聞かずに男から離れる。男が狼狽して色々と喋っていたが、無視して店を後にする。
すると子犬が縋るような眼で瑠凪を見つめ、足にまとわり付いた。
瑠凪は子犬の腹部に蹴りを入れ、怯えた姿を冷笑する。
「生きたいなら、自分の力で何とかしな」
逃げる子犬に眼もくれず、歩きだした。
「久しぶりに学校にでも行ってみよ」