一小説家の日常
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パソコンのキーを叩きながら、ワードの画面を埋めていく。ボクは文芸雑誌や週刊誌などに複数連載を抱え、書き下ろしの単行本なども出している現役の作家だ。ずっと一日中自宅マンションの書斎で仕事する。複数の出版社とちゃんと契約していて、仕事を回してもらっていた。朝、午前七時前に起き出してカフェオレをコップに二杯飲んだ後、トーストを齧る。そして洗面してから、書斎のパソコンを立ち上げていた。なるだけ静かな環境を作りたいので、室内に静かなクラシック音楽を掛けてマシーンに向かう。やはり疲れはするのだった。ここは田舎町で作家業などをやっている人間はボク以外いない。二時間に一度ほどはトイレに立ち、後はずっとキーを叩き続ける。ゲラも今はメールでやり取りする時代だ。一々紙に印字することはない。オンラインで見ていた。各出版社の編集者とは懇意にしている。時折メールなどをすることもあった。新人賞を獲り、晴れてプロ作家になったのはよかったのだが、出版社の人間たちは是が非でも原稿を書かせようとする。ボクの名前で本が出れば、出版不況の時代でもある程度売れて、増刷も掛かるからだ。今の出版業界は未曾有の不況である。おまけにケータイ小説が出てきてから、誰でも参入できるようになり、文学界にも暗雲が立ち込めていた。でも雑誌や本がなくなることはまず考えられない。それに未だ電子書籍よりも紙の本の方が部数が出ている。それは間違いなかった。ただ、それもいずれ変わってしまうだろう。今はケータイも性能のいいものが出てきていて、ネットで見る人も増えつつあるので読書の形も変化してきている。最近、電車などの乗り物に乗っていても新聞や雑誌、本などを読んでいる人をめっきり見かけなくなった。これが変わったということの証である。そしてボクは一日中ずっと原稿を書き綴る。この世界に入ってからもう十年になるのだ。ちょうど都内にある大学の芸術学部を卒業した直後、獲った新人賞経由で作家となり、それからずっと書き続けていた。出版社側からも原稿の依頼が来るのだが、一部は引き受けられないでお断りすることもあるほどだ。専業でやっていくにしても、絶えず原稿の督促が来るとなれば大変なのである。
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自宅マンション近辺は実に静かだ。夜は人が通るにしても人間は少ない。東京生活は大学時代の四年間だけで、卒業後、今の町に引っ越してきた。田舎だが、少し北側の方に出ると海が見える。美しい海をじっと見つめていると、疲れた体や心を休めるには絶好となる。夏場は時折自転車に乗り、近視の度が入ったサングラスを掛けて行くことがあった。朝が早い分、夜も午後九時過ぎに眠ってしまう。独身で気楽なのだった。家庭を持っていても作家業は出来るのだが、三十二年間生きてきて、付き合っていた恋人は過去にいたのだが、決して恋愛経験が豊富だったというわけじゃない。返ってそういったことにあまり関心はなくて、自分の健康などにばかり気を遣っていた。早寝早起きが鉄則で、一日に二十枚から三十枚コンスタントに原稿を書き、午後三時過ぎからウオーキングをするなどスケジュールはびっしりと詰まっている。要は仕事と結婚したようなものだ。ボク自身、恋愛小説を書くことはあったのだが、体験もあまりないまま、いろんな男女の色恋を綴る。世間でよく言われるのは恋愛小説の書き手は書くことに慣れていても経験が少ないということだった。当たっているのかも知れない。ボクの場合も全くそうだからだ。経験の少なさに反比例して、そういったものを書くことに長けているのだった。普段ゆっくりする暇がない分、執筆の合間にネットなどで情報を仕入れることはある。得た知識が全て創作に活かされるわけじゃないのだが、何もしないよりマシだ。食事と散歩と入浴と睡眠、それにDVDレコーダーに録っていた映画やドラマなどを見る時間以外、全て創作に注ぎ込んでいた。名が売れているボクでも絶対にゴーストライターなどを雇うことなく全部自筆だ。昔から芸能人や政治家などで本を出す人にそういった代筆業者の人間たちが付いて回るとは聞いているのだが、そういった人間たちを募集したことは一度としてない。それだけ創作という世界は真剣勝負なのだった。売れている作家でも売れない作家でも、原稿を自筆することなど当たり前だからである。ずっとパソコンに向かっていた。時折椅子から立ち上がり、書斎の中を軽く歩いて回る。机の上にはパソコンが立ち上げられていて、ディスプレイには打った原稿が映っていることを見ながら……。
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ウオーキングで町の中を歩きながら、ここも寂れたなと思うことがある。四年間の東京時代は自宅マンションの周りにたくさん人間がいて、何かと騒々しかったのを覚えていた。だけどあのときはあのときで自分自身、そういった雰囲気に染まっていたのだし、大学に通い続けながら違和感は全くと言っていいほどなかった。必要な単位は三年の後期で全部取っていたので、四年生の始めに卒業制作となる原稿用紙百五十枚の作品を出し終わり、後はゼミだけに通っていたのを覚えている。同級生で作家になった人間は多くいたし、なれなくても新聞社や出版社など、マスコミに勤務している人間もいた。教官たちの指導で皆入学当時に比べて、文章を書く力は格段に上がっている。ボクはラッキーな方だった。四年生の一年間は大学のゼミに出席する合間に、出版社が公募する新人賞の原稿を書き、高い倍率を抜けて獲れたからだ。そして卒業後、すぐに東京から撤収し、今の田舎町で暮らし始めた。都会暮らしで疲れていたのだが、町の空気に染まりながら執筆し続ける日々が続く。大抵出版社からは電話かメールで仕事の依頼が来る。連載原稿もちゃんと期日までに入稿していた。これが守れないと作家はやっていけない。いわゆるスランプというものを経験したことも特になかった。この世界で十年間生きてきている人間にとって、書けなくなることなどないからである。原稿はちゃんと進んでいた。文芸誌や週刊誌などは締め切りが喧しいのだし、編集者とのゲラのやり取りもある。大変だった。だけどメールでやり取りできる分、紙に印刷しなくて済むので楽だ。キーを叩きながら回ってきた仕事をこなす。これが実に三十代の現役小説家の日常だ。バリバリと仕事する分、息抜きもする。午後六時半頃からリビングにある地デジのテレビで録っていた番組を見ていた。疲れはそれで癒える。午後六時で業務は全て終了だ。その後は夕食を作って食べ、録画していた番組を見たり、出版社から献本されてきた他作家の本を読んだりして過ごす。そして午後九時頃には自然と眠りに落ちる。ずっとそういった生活が続く。そしてその年の十一月半ばに契約している出版社のうちの一社から、自社サイトにケータイ小説を連載して欲しいといった旨の依頼が来た。ケータイ小説を書いたことはなかったのだが、アクセス数が多いのは聞いて知っている。快諾し、早速原稿を書き始めた。一週間に二話入稿して欲しいとメールには書いてある。ボクはまた新しい仕事を引き受け、身が引き締まる想いがしていた。もちろん原稿料もちゃんと支払われる。作家でもプロになればギャラが入ってこない仕事などしない。書いた分だけ金が入ってくる。もちろん生活費として使う分もあれば、貯蓄しておく分もあるのだ。何かあった場合に備えて、である。
仕事は続く。絶えることなく。退屈さを覚えることももちろんあるのだが、そういったときは午後五時前ぐらいの遅い時間帯に近くのカフェに行ったりして、お茶を飲みながらスイーツなどを食べる。店にいるバリスタが淹れてくれたエスプレッソは実に美味しく、普段の仕事でのミスや憂さなどが忘れられた。そして欠かさずメモ帳とペンを持ち歩き、ふっと思いついたことを書き留めたりする。それがまた作品の一部となったり、断片となったりするのだ。お茶を飲み終わったら、店を出て近くを練り歩く。ゆっくりとするのだ。疲れていた体にエネルギーを補給し、またそれが活力となるのだから……。幾分冷え込む町を歩きながら、溜まっていたストレスなどを随時発散して。空を見上げたときに見えた美しい月も星も、空の真下にいる人間を照らしてくれているようで、容易に感情移入できた。明日もまた仕事が続くな、と思いながら……。
(了)