穢れた約束
安全な場所では、時間が過ぎるのが早い。授業がすべて終わり、自分のロッカーに教科書を戻し、広翔は逃げるように教室を飛び出した。
この安全な場所を失いたくない広翔は、学校では偽善者の仮面をつけ、人とかかわる事をなるべく避けていた。この世から消える時に、誰の記憶の中にも存在していない自分でいたかったから。
学校を出ていつものようにブラブラとあてもなく歩き続けた。家に帰るのは、両親が眠りにつく午後十一時ぐらいで、そんな広翔に両親は何も言わなかった。顔を合わせればお互い気まずくなるのを知っていたから。
見慣れた通学路の街路樹の上を、青と赤が綺麗に入り混じった羽を優雅に羽ばたかせて飛んでいる、名前の知らない鳥がいた。
子供の頃広翔はあの羽が欲しくてたまらなかった。どこまでも、どこまでも自由に舞う自分の姿を想像していると、心の闇が少しだけ溶けて、幸せな時間が続いた。母親からの罵声を浴びている時は、いつもその世界に逃げ込んでいた。
ゆっくりと綺麗な羽の鳥が街路樹の枝に降りた。
なぜか突然心の中に今まで感じたことのない怒りがあふれ出し、広翔は小石を拾って投げつけた。
名前の知らない鳥は憂鬱そうな顔で広翔を睨み、低い雲が漂う空に飛びたった。
「それでいい。休むなんてキミには似合わないよ。僕の代わりに飛んでくれ。僕の代わりに、飛び続けてくれ」
広翔は人目を避けるように大きな街路樹に背を預け、心の中に溜まっていたドロドロとした言いようのない何かを、涙と共に流した。
自分でも自分が分からない。生きていたいのか、死んでしまいたいのか。
「松本くん……」
やっと聞き取れるぐらい小さな女性の声がして、涙を制服の袖で拭って背を預けていた街路樹から顔を出すと、上村あきが立っていた。
広翔はクラスの女子が言っていた、話の内容を思い出し、自然と彼女のお腹を、一瞬見てしまった。
その視線がどんなに彼女を傷つけただろう。自分もあいつらと同じハイエナだ……。
広翔は唇を噛み、上村あきのお腹から視線を外した。
広翔の視線に気づいた上村あきは、笑顔と泣き顔が入り混じった複雑な表情で、微笑んでいた。
「松本くん、中学の卒業式の日、約束したこと覚えてる?」
上村あきの問いかけに広翔は胸を絞めつけられた。忘れるはずはなかった。穢れた約束のことを……。
「覚えてるよ……」
「……約束守ってくれてる?」
「あの時も言ったけど、僕は誰も好きにならない。いや、なれないんだ」
「よかった……。私だけ約束守ったのかと思った……。約束通り私……。 妊娠したよ……」