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奈落

 一ヵ月間学校を休んで登校してきた上村あきは、別人になっていた。魂が抜けたように席に座り、誰とも話さず自分の殻の中に閉じこもった。


あきが登校してから、クラスメートは励ましの言葉をかけ続けたが、何も答えない彼女に嫌気がさし、次第に誰も声をかけなくなった。


広翔はクラスメートが上村あきに対して去り際に残す、頑張ってという言葉を聞くと胸が痛んだ。


この言葉を言った人たちは悪気が無く、心からそう思っているのだろう。だが、隣の席で貝のように口を閉ざし続ける彼女は、何を頑張れば良いのだろうか。


人は大きな石につまずくと、必死に立ち上がろうと努力する。それを見ている周りの人間は手放しに応援し賛美を惜しまない。他人が必死で立ち上がる姿を自分と重ね合わせ、まるで自分が乗り越えたような錯覚に落ち、酔いしれる。


でも目に見えないような小さな石につまずき続ける人間を、人は蔑み、笑う。そして小さな石をわざとまき散らし、陰でそっとこう思う。


自分でなくて本当によかったと……。


いま彼女は、身を焦がすほどの恐怖に立ち向かっているはずだ。広翔も経験したことがある、生と死の狭間に、何の準備もないまま落とされた人間だけが体験する心の揺れ。


それは、死の甘美な匂いに誘われ、生きることに落胆し、生きる幸福を噛みしめ、死の恐怖を心で味わう。

そんな不確かな感覚が起きている間ずっと続く。


死の淵を歩いた人間は、良くも悪くも、それまでの自分ではいられない。


彼女はいつ壊れてもおかしくない人間が住む、歪んだ世界に落ちてしまった。その世界で頑張る事は、自分を追い詰める事でしかない。


歪んだ世界に落ちた人間がまずしなければならない事は、変化した自分を受け入れることだ。


クラスメートが励ましの言葉をかけている時、広翔は彼女に声をかけなかった。歪んだ世界でもがき苦しむ彼女は、まるで自分を見ているようだったから。


周りの人の優しい声が、傷ついた人間の逃げ場所を消して行く。


逃げることが負ける事だと決めつけるこの世界を、広翔は少しだけ悲しく感じた。


言葉が意味を持たないとき、自分の気持ちを相手にどう伝えればいいか。その答えは彼女が出してくれていた。


広翔は数学の授業中、ノートの端の手紙を上村あきの机に置いた。


『上村さん笑ったところ見たことないけど、何か悩みごとがあるんですか?』


上村あきは、びくっ、と身体を震わせたあと、無表情のままノートの端に書かれた文字を読んでいた。


返事は期待してなかったが、すぐに返ってきた。 


『笑えるような楽しいこと何もないから』


上村あきと初めてノートの端でやり取りをした広翔の言葉がそこにあった。


『覚えてたんだ』


『うん。松本君今までありがとう』


『何が?』


『私が学校に来るようになってから今日まで、何も言わないでいてくれて』


『?』


『初めて人の優しさって色々な形があるなって思った。わがままだけど、普通に接してくれる事が私にとって一番の優しさだった。クラスの人達が気を使って私に声をかけてくれているのは、頭では理解できるんだけど、どうしても心が追い付かなかった。私は優しさのごみ箱じゃない! ずっと心の中でそう叫んでた』


『なんとなくだけど、わかる気がするよ』


『前に松本君が言った、暗い部屋に一人でいるのと、夜空の下に一人でいる意味の違い教えてもらえないかな?』


『僕が教えなくても上村さんは、わかってるんじゃないかな』



『そうだね……。松本君は寂しくて泣きたくなることはない?』


『僕は……。もうその時期は過ぎたかな』


『松本君は、これから誰かを好きになることはないの?』


『僕は誰も好きにならないと思います』


『どうして?』


『未来を描くことが出来ない自分が、誰かを好きになる事は、その相手に失礼だから』


『好きにならなくていいので、私に家族をくれませんか?』


『どういう意味ですか?』


『手紙ではうまく伝えられないので、放課後話を訊いてもらえますか?』


『わかりました』


広翔が上村あきを見ると、黒板に書かれた数式を今までの遅れを取り戻すかのように真剣にノートに書き込んでいた。


見間違いかもしれないが、一瞬、彼女が笑った気がした

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