未知との接続
湖の上を、損傷した船が彷徨っていた。
焦げついた金属質の外装は、ボロボロと崩れ落ち、湖に波紋を浮かべている。
ふらふらと上空を漂い、ときよりガクッと高度を下げる。
そのたびに機体は、わずかに発光しながら灰色の煙を上げた。
墜落を拒むように、かろうじて水平を保っている。
一瞬だけ、内側に影が見えた気がした。
私はその光景から、目を離せなかった。
焦げた鉄の匂い。
砕ける金属片。
弱々しく脈打つ光。
形を保つこと自体が苦痛のように見えた。
「○*∞×ココに凹……☆♪↓否定?」
とつぜん、頭の中に記号のような音が鳴った。
音のはずなのに、頭の中に記号が浮かぶ。
それは何度も、私の頭の中に流れ込んできた。
弱々しく、不規則に届く音の記号。
言葉を理解するというより、形を理解する方が近い。
そんな奇妙な感覚が全身を震わせた。
応えたい。
だが、応え方がわからない。
○応えた凹
「……っ!?」
頭の中に記号が浮かんだ。
自分でも知り得ない言葉。
言葉と記号が頭の中で──繋がれた。
その瞬間、頭に流れ込む音の記号が少しだけ理解できた。
”ココに凹、否定?”
頭に文字が並ぶ。
「大丈夫……」
喉が震えた。
それでも私は叫んだ。
「そこに降りて、大丈夫」
しかし、その船は空を彷徨い続けた。
辛そうに、
懸命に、
墜落を必死にこらえている。
その瞬間、船が大きく傾いた。
光が消える。
黒煙だけが、空に滲む。
──途絶えた。
頭の中の記号も、完全に消えた。
音もない。
匂いもない。
ただ、壊れかけの鉄の塊が、ゆっくりと落ちていく。
私は立ち尽くした。
さっきのは、錯覚だったのか。
最初から、何も届いてなどいなかったのか。
胸の奥が、冷たくなる。
船は、さらに高度を落とす。
もう間に合わない。
私は湖岸を走った。
意味がなくても、走った。
立ち止まり、両手で大きな円を描く。
何度も。
何度も。
腕が軋む。
それでも描き続ける。
そのとき。
──○
胸の奥に、微かな震え。
耳ではない。
外でもない。
内側から、形が浮かび上がる。
「○*↓凹」
思考より先に、記号が生まれた。
それは私が作ったのか。
それとも、向こうが私を使ったのか。
境界が、曖昧になる。
船の光が、かすかに明滅した。
「○*↓凹◎」
返ってくる。
今度は、途切れない。
すると船が一瞬、動きを止めた。
機体の光が明滅する。
「○∞*↓凹×?∞*☆〜×……」
それまで小さかった頭の中に浮かぶ記号が、大きくなった。
頭の奥で、形がぶつかり合う。
身体中の血液が、波紋のように震えた。
理解が、身体を通り抜ける。
砕ける星の痛み。
ひしゃげる金属の恐怖。
落ちたい、という焦燥。
言いたいことが手に取るようにわかった。
でも、私にはその答えを伝えられなかった。
立ち止まり、身体を幾重にもくねらせる。
──ジェスチャーだけでは、伝えられない。
そう直感した瞬間。
私は動きを止め、目をつぶった。
そして、心の中で、丸を描いた。
すると、頭の中に船から○が返ってきた。
ぶわりと鳥肌が全身を波打つ。
”○*↓凹◎!”
心の中で記号を作る。
一瞬、めまいのように、閉じた世界が記号へと折りたたまれた。
「○*↓凹◎!」
返ってくる。
さきほどより、軽い。
迷いがない。
私はゆっくりと、目を開けた。
機体は、かろうじて水平を保ちながら、
ゆっくりと下降していた。
ときどき、黒煙を吐きながら。
ボロボロと金属片を落としながら。
淡く発光して、私に記号を送りながら。
「○*↓凹〜∞☆♪」
「大丈夫。湖が、受け止めてくれる」
やがて機体は、湖にぶつかった。
水面が割れる。
黒煙が噴き上がる。
一瞬、光が消えた。
私は呼吸も、瞬きも忘れて、ただ祈っていた。
──湖面がひとつ、大きく息をした。
……かすかに、○が返ってきた。
それ以来、
世界のすべてが、
わずかに丸くなった。
湖に浮かぶ機体の奥から、
何かが現れるのを、私は待った。
熱。
震え。
気配。
けれど、水面は静まり返っている。
ハッチは開かない。
影も出てこない。
そこに何も、いなかった。
そのとき気づいた。
○が、消えていない。
耳の奥ではない。
外でもない。
胸の中心で、正確に脈打っている。
一拍。
一拍。
私の心臓とは、わずかにずれて。
風が鳴る。
波が寄せる。
木々がざわめく。
それらが、ほんの少しだけ形に見えた。
すべてが、閉じた図形へと近づいていく。
世界が、かすかに歪んでいる。
いや。
歪んだのは、私のほうだ。
ふと、空を見上げた。
そこには、何もいない。
だが、焦げた匂いは消えていなかった。
最初から、
”ここに来る者”など、いなかったのかもしれない。
──湖面に、また円が広がる。
偶然ではない。
あれは着水ではなかった。
——接続。
あの船がここに来たのか。
それとも、
私が、向こうへ触れてしまったのか。
胸の中心で、○が正確に脈打つ。
私の心臓と、同じ回数で。
だが、位相だけが、わずかにずれている。
風が鳴る。
世界が、閉じる。
私はそれを、
もう失うことができない。
はじめから
途切れてなどいなかった○




