ようこそ、勇者さま
勇者になれる方を見届ける聖剣ティストルは常に聖域で出迎えてくれます
その森はいつも青空が見えない。深い藍玉色の霧に閉ざされ上下左右から無秩序に大小様々な樹木が生い茂る、奇妙なのに不思議でどこか懐かしい場所。人々の間でそこは昔から『アブサラストの平原』と呼ばれた聖域だった。ここに入れる資格がある者は一番奥の『聖剣』に己を捧げ神の力という奇跡を手にする事が出来ると謂われている。
◇◇◇
森の深奥、聖域の終点。霧の彼方、見えない空を支える様に大樹がそびえ立つ根元。そこに在る台座に一振りの剣が安置されている。凍てついた月光を鍛え上げた様な刀身に『翼のある太陽』を模した鍔造りの美しい長剣で。神がこの世の悪を全て滅する為に人民に与えた武器だと言われたら誰でも信じてしまいそうな美しさだ。
そんな長剣の前に淡い光の粒がふわりと集い始める。風の流れとは違い明らかな意志を持った粒子達は旋回する様に空へと流れながら少しずつ人の形になってゆく。
集いし光は『魔力』という、現象によって応える存在だ。
やがて光は明確な少女の姿に変わると、残りは世界に溶ける様に霧散した。そして少女はゆっくり双眸を開く。
珍しい見た目の少女だ。透き通った青色の髪とも言うような透明感の有る髪に金色を基調に薄く白色を混ぜた輝きが宿る――染めても不可能な色の髪を腰まで伸ばし。金色の双眸に穏やかな気持ちを映していた。
彼女の名前は『追儺の聖剣・ティストル』――の化身。元々はアバスを授ける資格を見定める為に『最初の勇者が造り出した』聖剣が、この聖域から生まれ巡る魔力の力によって自我と仮初めの身体を手にした存在だった。
ティストルは虚空に跳ねてくるりと一回転すると、空に腰掛ける。重力の制約すらものともしない仕草だ。
「今日は誰が来るのかな、それとも……『還って』来るのかな?」
ぽつりと洩らす独り言。身体を手にしてから何故か独り言がちょっと増えたかなとティストルはいつも思っていた。それはきっと、人間の身体にしているから人間と同じ様に孤独だと独り言が増えるのだろうと彼女は結論つけた。
ふわりと魔力の粒子達が彼女の周りを旋回してゆく。聖域には生まれたての魔力が沢山存在している。きっと初めて出会う自分が珍しいのだろう。
「……」
そんなティストルも瞳をそっと閉じ、両の手のひらを上に向けて。淡雪の様に降りてくる魔力達を受け止めて体感する。何も記録されていないまっさらな魔力。まだ生まれたての純粋な力。きっと色んな世界を巡り人々と共に生きたい。そんな魔力だろうとティストルは感じた。魔力の方もティストルとの感覚での対話を終えると無邪気でやんちゃな子供の様にぴょんと跳ねて聖域の外へと流れて行く。
入れ違いの様に流れ込んで来たのは還ってくる魔力。聖域を離れて色々な世界で人類動植物と助け合い力を与えて来たのだろうというのが容易に想像出来る。
ティストルはその魔力も手のひらに乗せて。静かに今までの旅路を体感する。戦争に、生き残りに、娯楽にと頑張り続けた力だった。
でも疲れてぼろぼろなんて気配は無い。むしろ生命と共に生きれて楽しかった、と子供が遊んで母親にいっぱい思い出を語る様な、そんな雰囲気だ。虚空に腰掛けたままティストルはその思い出を堪能し。その後手離してあげた。あの魔力はしばらく聖域でゆっくり休み。また生命の元へと向かうのだろう。それがまた、楽しそうでティストルは自然と微笑みを浮かべる。
魔力達は皆、存在を愛している。それはどの世界でも数少ない絶対的事実の一つだ。魔力達はどんな事象にも力を貸してくれる。それがどんな存在でもだ。例えその者が人類動植物の全てから嫌われていたとしても、人々から無関心であったとしても魔力達だけは絶対に裏切らず愛して受け入れ力を貸してくれる。どの魔力にも例外は無い。魔力は全ての存在を愛しているのだ。
ふわふわと聖剣の上で浮かび。ティストルは目を閉じて魔力の辿る道筋をじっと瞑想して探る。誰が来ても良い様に、誰が願いを求めても良い様に。
やがて入り口の魔力達がざわめいた。
誰かが力を求めてこの森を開いたのだ。聖域に存在が迷い込む事は絶対にあり得ない。強い意志と聖域が共鳴しない無い限り入れないからだ。
ティストルは浮かんでいた身体を分解して意識を聖剣本体に入れた。出会う為に待たないといけないからだ。
聖域に訪れた者の足取りはかなり重い。だいぶ酷い怪我でも負っているのだろうか? たまにはそんな方も居る、出来れば治療してあげたいと聖剣本体の中でティストルは不安に駆られる。かつて最初の主だった『還流の勇者』様なら真っ先に助けただろう。あの方はそんな方だった。自分もそうしたい。だが来訪者を待つべきだ。聖剣としての役割も捨てられない。
願望器が感情を持つなんて……厄介なだけなんですよね、と意識だけしか無いのにティストルは双眸を閉ざし嘆息する仕草を取る。出来れば感情なんて無い方が良かった。そうすればただ資格ある人々の願いを叶える力を与えるだけの存在で良かったからだ。ここだけは無駄な部分として削ぎ落としたい所である。
一歩一歩。来訪者が聖域を踏み締める度に濃霧が晴れて道を示しているのをティストルは体感する。全ての為に力を求め、それを得るに値する者だけが。アブサラストの平原は差別も偏見も無く受け入れてくれるのだ。濃霧の迷宮で導かれるものが近づいて来るのを察知してティストルは剣の中で双眸を閉ざす。後少しで来訪者が来るだろう。それまでどんな存在か、魔力を通して思いを馳せるだけで良い。……それだけが自分に出来る唯一の事で、他は何も無い。ただじっと平原の草を無音で踏みしめる気配を感じ、霧に導かれ聖剣の前に立つまで……待つだけだ。余計な干渉は、力を求める者への冒涜である。ティストルも願望器としてそれは心得ているつもりだ。辛くとも自分の力でたどり着ける存在こそが超常の力を得るに値する。
だから、ティストルには待つ事以外は許されていない。それは自分自身も辛いなと誰かがこの聖域にやってくる度に彼女が思う事だ。それでも待つのか自分だと、ティストルは胸に言い聞かせる。
もう少しで。『彼』は来る。ここまで近づけばもう性別なんてすぐに魔力で判る。淡雪の様な魔力達が教えてくれるからだ。
「怪我が酷そうですから、来たら力を引き出す前にまずは治療ですね」
ゆっくり瞳を開けて、ティストルはそう決めた。治療して話を聞いて、それから願いを叶える力を引き出そう。そうしないと彼は聖域へ来た意味も無く死んでしまう。絶対に捨てられない思いが在って、このアブサラストの平原を開いたのに目的を果たせないなんて無念だろうからと。彼女に助けたい一心が彼女の心をどんどん埋めてゆく。
やがて最後の霧が晴れて平原にそびえる大樹が彼の前に現れた。
ここに来れたのですね、とティストルの顔に安堵が浮かんだ。無事に聖域の終点まで到着した。その事実だけで今は良いと、ティストルは己まで向かって来る重傷の青年を見て思う。後少しで自分が動ける範囲内に青年がやって来る。そうすれば傷を癒してあげれるのだと。
一歩一歩、紫色の草に血の跡を着けながらティストルに近寄って来た青年は。聖剣の美しさに見惚れていた。それは間違いないとティストルは自惚れでもなく知っている。今までこの聖域に来訪した存在は皆そうだったからだ。まず聖剣の美しさに『これが本当に武器なのか?』と疑うのだ。
ふわりとティストルは青年の前に出現し、降り注ぐ淡雪のような輝きで傷を癒す。やっと治せたとほっとし驚愕する青年に向き合うと、
「ようこそ、新しい勇者様。どの様な力をお望みでしょうか?」
ティストルは優しく青年に、語りかけました。
ここまで読んでいただいてありがとうございます
また続きを書きますね