未必の山(4)
翌日の火曜日も朝から晴れて暑かった。
空木は退職した万永製薬の入社同期である村西良太の取り持ちで、万永製薬の武蔵国分寺病院を担当するMRの飯豊という男と、営業所のある三鷹駅近くのコーヒーショップで面会した。
飯豊昇二十八歳、妻と二歳になったばかりの男の子の三人家族。万永製薬東京支店三鷹営業所に勤務するMRで、武蔵国分寺病院を含むエリアを担当している。
二人は名刺交換を済ませ、テーブルに向かい合った。
「空木さんは、村西部長の同期で、会社のOBの探偵さんとお聞きしました。探偵の名刺をいただくのは初めてです。それで私に聞きたい事というのは、どんな事でしょう」
飯豊は空木の名刺をシャツの胸ポケットにしまい、アイスコーヒーに口をつけた。
「お聞きしたい事は、飯豊さんは五月に武蔵国分寺病院の方たちと一緒に甲武信ヶ岳の山行に行ったと思いますが、その時、内村理沙さんという武蔵国分寺病院の看護師さんに起こった転倒事故の事についてなんです」
空木はそう言うと手帳を開いた。
「……空木さんは何故それを知っているんですか」
飯豊は驚いたようだった。
「ある調査依頼がきっかけになって、高野鮎美さん、内村理沙さんと知り合いました。飯豊さんはお二人をご存知ですよね」
「一緒に甲武信ヶ岳に行きましたから知っています」
「現在の調べ事の内容はお話し出来ませんが、今その内村さんの身の回りで起こっている事を調べる必要が出てきました。それで以前、お二人から聞いていた甲武信ヶ岳の山行中の転倒を思い出しまして、その時の事を、お二人以外の方からも聞いておきたいと考えたんです。そのメンバーの中で一番コンタクトが取り易いと思ったのが、万永製薬の後輩の飯豊さんだったので、村西を通じて面会を頼んだという訳です」
「そういう事なんですか。それで内村さんの転倒の何をお聞きになりたいんですか」
空木は手にしている手帳の何ページか前を捲った。
「あの日内村さんは、前夜服用した抗不安薬の持ち越し作用でふらついて転倒した、と話していましたが、あの日の朝、小屋での飲食で内村さんに何かあったのではないかと……例えば皆さんが飲んだコーヒーに何かが……」
空木は、鳳凰山で転落死した池永由加が、直前に飲んだ睡眠導入剤入りのコーヒーの事を思い浮かべていた。同じ事が内村理沙にも起こっていたと。
「コーヒーですか………実は、あの朝六人分のコーヒーを運んでくれたのは井川さんという看護師さんだったのですが、その井川さんが一つのカップに、何か分かりませんが白っぽい粉のような物を入れたのを見たんです。それが内村さんの転倒に関係しているのかは分かりませんが……」
「その井川さんという方は、一つのカップにだけその白っぽい物を入れたんですか」
空木は確認するかのように繰り返して訊いた。
「そうです。一つだけでした」
「その事は他のメンバーは知らなかった?」
「ちょうどその時は、私は席を離れた所にいたので私には見えたんですが、他の人たちには死角になって見えなかったと思います」
「そのカップのコーヒーは、誰が飲んだのかは分からないんですか」
「分かりませんでした」
「その白っぽい粉は、砂糖では無かったんですね」
「砂糖とミルクは紙筒のスティックの物がありましたから、違いますね」
「その事は誰かに話しましたか」
「誰にも話していません。というか内村さんが転倒してからは話せなくなりました。変な憶測で話して病院の人たちに迷惑になっても拙いと思って、誰にも言えなくなりました」
「なるほど」と頷いた空木は、手帳にこう書きこんだ。(白い粉が超短時間作用型の睡眠導入剤だったとしたら)と。
「飯豊さん、最後に確認したいのですが、甲武信ヶ岳に行った六人のメンバーを教えていただけますか。飯豊さん、高野さん、内村さんの他の三人です」
空木は敢えて水原の名前は出さなかった。
「武蔵国分寺病院の水原先生と、さっき話した看護師の井川さん、それとオーシャン製薬の堀井というMRです」
空木はメモを取り終えると飯豊に礼を言って店を出た。
飯豊昇との面会を終えた空木は、水原と約束した時間に合わせて武蔵国分寺病院に向かった。
病院の駐車場にミニバイクを駐車させ、玄関に向かって歩き出すと、見覚えのある顔の男が、病院を出て駐車場に向かって歩いて来た。空木は立ち止まってその男を見て「あれ」と小さく声を上げた。その男も空木の視線を感じ取ったのか、空木に目を向けて立ち止まった。
「五島先生ですか……」
「はい五島です。空木さんでしたね」
「その節はお忙しいところ色々お話を聞かせていただきました。空木です」
「由加さんの件では、空木さんには随分お世話になりました。感謝しています。今日は月に一回のオペの手伝いで来ていたんですが、帰るところです。水原先生から聞きましたが、この病院で仕事を依頼されたようですね」
「水原先生から……」空木は内密に調査を進めようとしている中で、水原は五島にどこまで話したのだろうかと気にかかった。
「細かな話は聞いていませんが、医療コンサルタントとして病院に来てもらうから、私にも空木さんに顔を合わせたらそのつもりでいて欲しいと釘を刺されました。何か病院にとっては大事な調査を空木さんにお願いしたと言っていましたから、頑張って下さい。私が協力出来るような事は無いかと思いますが、あれば言って下さい。協力しますから」
五島が、空木の病院に出入りするための仮の職業まで聞いていると知って、水原の五島への信頼感が理解出来たように思えた。それと同時に、五島の「協力する」という言葉がきっかけとなり、空木の脳裏にある一つの事が浮かんだ。
「……五島先生、早速お言葉に甘えてお願いがあるんですが、聞いて貰えますか」
「何でしょう?」
「確か先生は、由加さんに届いた差出人不明の、嫌がらせの手紙をお持ちになっていたと思いますが、今もそれをお持ちなら暫くお借り出来ないでしょうか」
「(玉の輿)、と書かれた手紙の事ですね。持っていますが……」
空木は、内村理沙に届いた嫌がらせの手紙の話を聞いた時、以前同じような嫌がらせの手紙の話を五島から聞いた事を、記憶の中から思い出していた。そしてその記憶が、ここ武蔵国分寺病院で五島と偶然出会った事によって、二つの嫌がらせの手紙が繋がる可能性が頭に過ったのだった。
「今は、訳はお話し出来ないのですが、確かめたい事があるので暫くお借りさせてください」
「良いですよ。偶々ですが、明日も午前中だけ外科外来を代診しに来ますから、持って来ます」
空木はその手紙を、外科病棟の看護師長の内村理沙に預けてくれるよう依頼した。
五島と別れた空木は、病院玄関に歩きながら腕時計を見た。水原との約束の時間が迫っていた。
六階の水原の部屋をノックしたのは、約束の時間の三時半ちょうどだった。
医長室は狭かった。空木は部屋に入ると直ぐに、今しがた病院の駐車場で五島に会ったことを伝えた。
「今日は、月に一回の五島先生の応援でのオペ日だったんです。その帰りに会ったんですね」
「明日も来られるそうですね」
「そうなんです。明日は午前中に岩松さんの葬儀で、私と理事長が参列するので、私の外来の代診をお願いしたんです」
空木は、五島からある物を借りることになり、明日病院に持って来てくれることになった。それを内村理沙に預けてくれるように依頼したので、その事を彼女に伝えたいと話した。
「分かりました。この後空木さんを理事長室にお連れして、病院の幹部に紹介することになると思います。その後なら話が出来る時間があると思います」
水原はそう言うと、一枚のコピーを空木に渡した。それは空木が昨日依頼した、副院長の青山の家族を含めた個人情報だった。
青山誠は四十五歳、中学一年生になる息子と妻の三人家族で国立市に住んでいた。湘南医科大学出身、消化器内科の副院長という職位でこの病院に勤務して五年経過していた。
渡されたコピーを見ながら、空木は(さて、どうやって確かめるか)と思いを巡らせた。
水原は空木を理事長室に案内した。
「空木さんは、理事長の知り合いからの紹介という事になっていますから、理事長から病院幹部に紹介してもらう事になります。私は病棟にいますから何かあったら連絡してください」
水原はそう言うと理事長室には入らず、エレベーターホールへ歩いた。
理事長の麻倉に呼ばれた事務部長の寺田に、空木は今朝作ったばかりの『医療コンサルタント空木健介』の名刺を渡して、二週間ほどお世話になる旨の挨拶をした。
「空木さんには、この病院の医療体制、経営状況全般を確認してもらう事になります。薬剤在庫、材料費、価格から看護体系、人件費まで全てを見てもらってください。院長たち病院の幹部への紹介を寺田部長からお願いします」
空木は固まった。仮の職業とした医療コンサルタントにも拘わらず、麻倉の紹介ではまるで本職のようだと。
理事長の麻倉からの指示を受けた寺田は、空木とともに理事長室を出た。
二人は、院長の植草から始めて、副院長の内科の青山、外科の梶本、そして薬剤部長の小村の順に紹介挨拶していった。看護部長は空席となっていたため、外来、病棟の看護師長に挨拶した。
空木は、一通りの挨拶が終わった後、外科病棟にいた水原と内村理沙に面会の為、三階に向かった。
空木は内村理沙に、明日、五島から封筒に入った手紙を預かって欲しい事を伝え、さらに彼女自身に届いたという嫌がらせの手紙も持って来て欲しいと頼んだ。そして、水原にもその二つの手紙を確認する際に同席して欲しいと伝えた。
「分かりました。明日の午後三時なら大丈夫だと思います。ところで空木さん、今日これからオーシャン製薬と制吐剤の件で面会するんですが、同席していただけませんか。コンサルタントとしてお願いします」
「……分かりました」
空木は戸惑ったものの、オーシャン製薬が制吐剤の副作用としてどういう見解を示すのか、製薬会社の勤務経験を持つ空木には興味があった。
水原の医長室は狭いため、医局会議室での面会となった。オーシャン製薬は医薬情報本部市販後情報部部長という肩書の竜野と、担当MRの堀井の二人が、水原と空木の前に座った。
オーシャン製薬の二人は、空木の『医療コンサルタント』の名刺を見て、緊張したようだった。
竜野は、オーシャン製薬の制吐剤によって死亡したとなれば、患者は薬剤に対する過敏性アレルギー反応を起こした可能性があり、DLSTという試験をしたいが、死亡した患者の血清はあるかと訊いた。水原の残っていないという返答に、改めて科学的に因果関係を調べる方法は無いと話した。
「抗がん剤と制吐剤を混注することで、どのような副作用が発現するのか分かりませんが、先生はやはり制吐剤の副作用の可能性が高いとお考えですか」
「……因果関係が否定出来ない、つまり可能性はゼロではないとは思いますが、制吐剤単剤で起こったとは考え難いと思っています」
水原は、KCLが投与された可能性があると思っていることは、口には出さなかった。というより出せなかった。
「弊社として、この死亡例での注意喚起を、全国の医療機関に対して発出すべきか、様子を見るべきか検討することになりますが、先生は緊急性についてはどう思われますか」
「私には、確実にオーシャン製薬の制吐剤が原因と言い切れない以上は、緊急性は低いと思いますが……」
水原は、こちらの調査の結果が出るまでは、その判断は待って欲しいと言いかけたが止めた。
横で聞いていた空木には、水原の歯切れの悪い話し方に、水原自身の躊躇いを感じるとともに、竜野の、当事者である主治医に相談するかのような話し振りに、オーシャン製薬の立場の苦しさも感じるやり取りだった。
翌日、院内を巡回警備員のように歩き回った空木は、午後三時過ぎに水原と内村理沙とともに理事長室にいた。理事長の麻倉は、岩松兼男の葬儀の後、幼馴染みの空木栄三郎と久し振りに盃を酌み交わすことになり不在だった。
空木は、五島が内村理沙に預けた封筒から、(玉の輿)と書かれた一枚の紙をテーブルの上に置き、さらに内村理沙に届いた(師長になって図に乗るな)と書かれた手紙もテーブルの上に並べて置いた。
空木は五島が持っていた手紙は、亡くなった婚約者の池永由加に届いた嫌がらせの手紙であることを話した上で、この二つの手紙の差出人は共に不明だが、自分はこの武蔵国分寺病院の職員ではないかと思っていることを伝えた。
テーブルの上に置かれた二枚の手紙を見ていた水原は、驚いたように顔を上げた。
「この病院の職員ですか……。内村さんへの嫌がらせの手紙はその可能性が大だと思いますが、この(玉の輿)と書かれた手紙がそうだというのは何か根拠があるんですか?」
「確たる根拠がある訳ではないのです。亡くなった池永由加さんが勤務していた杏雲医科大学病院の誰かが出したとも考えられるのですが、五島先生がこの病院に非常勤とは言え、定期的にオペに来ていることで、五島先生が池永由加さんと云う看護師さんと結婚することを知っていた職員が、少なからずいた筈です。内村さんも知っていましたよね」
「ええ、私は名前までは知りませんでしたが、婚約者の女性がナースだということは知っていました。外科の看護師はかなりの人が知っていたと思います」と内村理沙は応じた。
「しかし空木さん、それがここの病院の職員と直接結びつくとは思えないのですが」水原だ。
「……それは、最終的にはこの二つの嫌がらせの方法が似ている事に結論付くのですが、内村さんへの嫌がらせがこの病院の職員の可能性が高いとしたら、この二つの手紙の差出人はこの病院の職員で、同一人物の可能性が高いと考えた訳です」
「………」水原は考え込んだ。
「先生、空木さん、この手紙の筆跡ですが、似ていませんか。封筒の住所の東京都とか同じに見えます」
内村理沙は二つの封筒を並べて二人に見せた。
水原は二つの封筒を両手に取って見比べた。
「郵便番号の数字も良く似ていますね。空木さん、筆跡鑑定に出せば同一人物だとはっきりしますよ」
「……筆跡鑑定に出すのでしたら、ある職員の方の筆跡も手に入れていただけませんか」
突然の空木の言葉に、水原と内村理沙は驚いたように空木の顔を見た。
「誰の筆跡を……」水原が訊いた。
「井川さんという看護師さんの筆跡です」
空木は見ていた手帳から顔を上げ、二人を見た。
「まさか……」内村理沙は言葉が出なかった。
「何故、井川さんなんですか。空木さんはどこで井川さんを……」水原だった。
「以前に、甲武信ヶ岳を、お二人を含めた六人で山行した際、内村さんが転倒したことをお聞きしていました。その時は井川さんというお名前は知るところではなかったんですが、一昨日内村さんへの嫌がらせの話を聞いて、改めてその事が頭に浮かびました。それで、その事故の事を私なりにもう少し聞いてみたいと思って、昨日私の前職の会社の後輩になる飯豊さんに話を聞いてみることにしたんです。その飯豊さんから、彼しか知らないという話を聞くことになったんです。それは、内村さんが転倒した日の朝、小屋で飲んだコーヒーに、井川さんと云う方が、一つのカップに白い粉を入れていたという話だったんです。そのコーヒーに何を入れたのか、そして、それを誰が飲んだのか分かりませんが、その白い粉は、私の推測ですが、超短時間作用型の眠剤で、飲んだのは内村さん、あなただったと考えています。だとするとそれは(未必の故意)による傷害事件という立派な犯罪です。水原先生も、内村さんがその前夜に服用した抗不安薬のエチゾラムですが……、これは先生が内村さんに差し上げたという事でしたね。あの薬で翌朝まで作用が持ち越すのはおかしいと思っていた筈ですが、違いますか」
空木は以前、内村理沙から聞き取りメモした手帳から、水原に目を向け訊いた。
「………空木さんの推測の通り、内村さんの飲んだコーヒーには眠剤が入れられていたかも知れませんが、井川さんは本当に内村さんに飲ませようとしたんでしょうか。何故……」
「それは筆跡鑑定で一致すれば、これが答えでしょう」
空木はそう言うと、(師長になって図に乗るな)と書かれた手紙を水原の前に置いた。
「妬み…ですか」
「井川さんの筆跡は、看護報告日誌から直ぐにでも手に入りますが、仮に井川さんが私への嫌がらせをしていたとしても、その延長線上で岩松さんにKCLを注入したんでしょうか。外科病棟のKCLは使われていませんし、青山先生は内科です」
内村理沙の顔色は、心なしか青ざめているように見えた。
「しかも井川さんは、あの時間は、受け持ちの病室の患者さんの回診中だったことを考えると、井川さんが注入したとは考えられないんですけど……」
「途中で抜け出して、内科病棟のKCLを取りに行った可能性もあります」
「そんなこと……」
「あの時間帯にVIP用個室に出入りした職員は確認出来ましたか?」
「担当の松宮さんが、ナースセンターに呼ばれてから岩松さんの容態急変に気付くまでのわずかな時間に、外科のナースは誰も入っていませんでした。ただ、回診中だった井川さんが、受け持ちの病室からVIP用個室が近かったためか、個室から出て非常階段の扉を開けて出て行くナースの背中を見たと言っていました」
「井川さんが……。それが誰だったのかはわからなかったのでしょうか」
「それが……、内科の佐野師長だったように思うって言うんですが……」
「………」
空木は井川の話と聞いて、その話をどう考えるべきか(信用して良いのか)と思わず黙った。
「井川さんの筆跡鑑定は、やはりやりますか」内村理沙は、空木に懐疑的な聞き方をした。
「鑑定に出す前に、井川さんの筆跡が手に入ったら、私に任せていただけないでしょうか。院外で井川さんと話をさせていただきたいのですが、宜しいでしょうか」
二人は頷いた。
「それから、確認しておきたい事があるんですが、担当の看護師の松宮さんが、ナースセンターに呼ばれたというのは、どんな用件で呼ばれたんでしょう」
空木は内村理沙を見た。
「青山先生が松宮さんを呼んで欲しいと言われて、他のナースが松宮さんを呼びに行ったんです。私もセンターにいましたから間違いないです。その日は、青山先生は何度かナースセンターに顔を出していました」
「青山先生はどんな用件で担当の看護師さんを呼んだんでしょう。何か聞いていませんか」
「私の耳に入ってきた会話では、VIP患者の岩松さんの今日の容態を聞いているようでしたが……詳しくは分かりません」
「主治医でもないのに容態を聞いていたんですか……」
青山が違う意図を持って担当看護師の松宮を呼び出したとしたら、(KCLを注入する時間を作る為だったとしたら)実行した人間との共謀ではないか。空木はそう思うと、やはり何とかして、青山が薬剤部から受け取ったKCLが、本当に息子の実験に使われたのか、調べなければならないと思ったのだった。
「空木さん、青山副院長のKCLの使い道の確認は出来そうですか」
水原はまるで空木の考えていた事を見抜いたかのように訊いた。
「悪い頭で知恵を絞っています。……少し強引にやってみようかと思いますが、外科病棟の皆さんの協力が必要かも知れません」空木はある方法を考えていた。
そして、その事とは別に、空木には新たに気にしなければならない佐野という人間が出て
来ていた。
理事長室を出た空木は、事務部長の寺田の所に行き、外科看護師長の内村理沙、外科看護
師の井川、内科病棟の看護師長の佐野に関して、提供が許される範囲の人事情報を要望した。
暫くして寺田は、家族情報の部分が削除された、三人の職歴書のようなもののコピーを空木に渡した。
それによれば佐野看護師長は佐野美佐、四十歳。勤務歴八年でそれまでは湘南医科大学病院に勤務とあった。
井川は、井川房恵、三十二歳。勤務歴は十一年で看護師の国家資格を取ってから以後この病院で勤務しており、一年前の四月に副師長に昇任していた。それは外科師長の内村理沙と同じ職歴だった。ただ一つ違うのは、内村理沙は副師長を飛び越して師長となっていた事だった。